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男爵令嬢の領地リゾート化計画!  作者: 相原玲香
第一章 〜リゾート領地開発編〜
17/91

そんな都合のいい仕事、ございますわ


「なるほど、何もなさね……えぇ!? 何もなさ!?」

「これ! ってモノが出てくると思ってたんですけど!? それって資源じゃなくね?」

「な……何もなさ? 何もないことが魅力、売り物になる……んですか?」


「そう! この領地のなんにもなさ。きっと挙げるとキリがないわね。だからこそ第一に提案するのは、『ホテル』の建設なのよ!」

 皆の当然とも言える怪訝な声も、今は盛大な喝采の前振りにしか聞こえていなかった。


 アトランディアにおける一般的な宿とは一線を画す。旅の最低限などではなく、むしろ旅の主目的となり得る。

 最大の目玉であり、いずれ大陸に誇れる名物となる。

 そんなアシュリー男爵領、至高の観光資源。

 それこそがホテル!


  ◇◇◇


 もともと地球において宿屋というのは、教会や地主といった、地域の有力者や公共の場を運営する人たちが、旅人に善意で屋根と食事を提供していた施設に由来する。

 教会の使っていない講堂、家の離れなどを旅人に貸し、滞在を許可する。

 感動や手厚いもてなしはそこにはない。

 着の身着のまま、ただ野ざらしではなく、足元は土ではないだけ。

 旅そのものも、仕事によるものや、必要に迫られての道中に過ぎないものであったため、最低限の食事と雨風をしのげる屋根、外敵やならず者から身を隠せる場所が借りられるだけで十分だったのだ。


 この世界「アトランディア」でも、似たような歴史を辿っている。

 ここでは教会ではなく「聖会堂」というのだが――遥か昔は、各地域の聖会堂が貿易や行商に訪れる旅人に講堂などを貸し出し、自分たちの食べる食事の一部を提供していたそうだ。


 それがやがて、衣食住を与えることで利益を得ようとする商売へと変遷していった。

 目ざとく才ある商人や、お金のある貴族が思い付き、人を雇って「宿屋」という商売を始めた。

 それは気の休まらない旅、危険と隣合わせの旅よりわずかに上であるだけの、言わば「最低限プラスアルファ」を売る商売。


 何しろ、持て余している屋敷の一部を貸すか、少しの投資であばらの長屋を建て、数日滞在する間に、必要最低限の提供・管理をすれば良いだけの話なのだ。

 ある程度金銭面に余裕のある者であれば、いざやろうと考えれば、誰でもできる商業施設。

 あくまで最低限を保証するだけの仮住まいの建物。


 誰もそこに高度なサービスや贅沢など、端から求めても考えてもいない。

 それが今現在の宿屋の認識だ。


  ◇◇◇


「――私が言う『豪華さ』っていうのはね。何も良い材料を使って、見た目だけとにかく華やかな、でっかい宿屋をつくりましょうって話じゃないわ」


 さらに言葉を続ける前に思考を飛ばした。

「アトランディア」に転生して、物心ついた時からずっと考えていたことについてだ。

 それは誰一人疑問にすら思わない、ごく普通の常識。


 この世界……貴族にしかできないことが多すぎない?


 アトランディアの貴族は、その歴史、成り立ちゆえに、背負う義務と責任が極めて重い。

 尊敬と統合の象徴でもあり、その身を挺して、平民を常に守ってくれる社会の仕組みとなっている。

 その分……平民の感謝の気持ちとも言える分として、平民とは既得権益に大きな差がある。

 本当に特権的なものや、その重い義務とご多忙、ご心労の代償となり得る利益なら、貴族様だけが得られて当然だと思う。


 だが、私が考えるに。

 その中には、地球では庶民にとってごく一般的な……たとえ平民が享受したとしても、決して不思議はない権利も歴然と存在しているのだ。


 まず真っ先に思い付くのは、「料理人プロの作ったごはん」である。

 貴族であれば、その家格や地位に関わらず、ほぼ確実にお抱えの料理人が存在している。

 対する平民は家族が力を合わせ、食材を買うお金を稼ぐところから始まり、毎日毎食食べられるとも、満腹になる保証があるとも限らない。

 美味を愉しむことは、最も後回しにすべき要素。

 調理するのだって自分たちの仕事だ。

 レストランなどの飲食店は、一般庶民には到底手が届かない場所。

 あそこは主に、貴族が同等格か格下の者をもてなすため、もしくは大商人が接待に使う場所である。

 お金が少し貯まったから食べに行こう、というノリで入れるところではないのだ。


 次に挙げられるのは、「マッサージ」。

 貴族は、人によってはマッサージやエステをする専用の使用人を雇っている場合もある。

 それに対し平民は。

 その生涯を終えるまで、プロの技術者からマッサージなどしてもらう機会は得られない。子供が肩たたきをしてくれるくらいであれば、経験するかもしれない。

 あくまで平民にとって、マッサージというのは「こちら側がするもの」。

 身分の高い方のみに行われ、代わりに給与を得る仕事という認識でしかない。


 別に貴族様たちは、権利を独占しているわけでも平民に禁止しているわけでもないが、これらが全て人口のごく限られた人々しか経験することがない、至上の贅沢に分類されるのは事実である。


 私ルシアも、この世界に生まれ落ちてから、先日初めて「料理長ギリスの作った料理」を口にした。

 母様も相当な料理上手ではあるが、やはりプロは違う。その道を極めた専門家にしか出せない、旨味と味の広がりがある。

 そして、私達がなんでも自分で家事をやってしまうがために、完全に暇を持て余した使用人たちの手によって、ここ毎日就寝前にマッサージをしてもらってもいる。

 しかし、それを味わう機会が得られたのは、私達が「たまたま貴族になれたから」なのだ。


 では、地球でならばどうだろう?

 どちらも「対価を支払えば誰でも味わえる」サービスであり、権利だ。


 地球では庶民でもごく普通の、あらゆるサービス。この世界では貴族様だけしか体験できないだなんておかしくない? 非常にもったいなくはないだろうか?


 なればこそ! それは商売の余地となる。

 それを提供する全く新しいサービスを、今始めようではないか!

 これは当たる。間違いない。私の商人魂がそう告げている!


  ◇◇◇


「貴族しか体験できないいろいろな権利。そして、豪華な宿(ホテル)という、観光資源兼観光インフラ。『何もなさ』という、この領地特有の魅力基盤。それらが融合することで、新たな付加価値へと変わる! 私の考える、アシュリー男爵領最大の観光資源。――それはズバリ、『貴族ぐらし』よ!!」

 自由の女神よろしく、片手を宙に突き上げ絶叫する。……決まった!


「貴族ぐらし……? そ、それはいったい?」

「……あのね。私達、貴族になってからまだほんのわずかだけど、すでに今まで味わったことのない色んな権利を体験させてもらっているじゃない? 使用人の皆のおかげでね。で、皆薄々感じてると思うんだけど…………」

 質問にすぐには答えず、使用人一人ひとりに目を遣り、全体を見渡す。


「この家で使用人やってても、暇でしょ?」

「ホントですよ!!」

 ジニーが机を轟音を立てて勢い良く叩いた。

 ……余程腹に据えかねていたらしい。ごめんって。


「まあまあまあ。だから、皆にはホテルで思う存分『使用人』をやってもらいたいわけよ。みんな、領民の人たちと協力してね」

「貴族ぐらし……貴族だけの権利……ホテルという宿で、使用人として働く……? ま、まさか……!」


「ふふ。母様、きっと正解ね! 話は簡単よ。この領地に来てくれるお客様を、観光客じゃない。『この地に新しく赴任して来た領主貴族』としておもてなしするの! ホテルの見た目は、諸侯貴族ロード・フューダー様が暮らすお城みたいにしたいわね。つまり! ホテルとは、料理人の作る美味しい食事。使用人を呼びつけて身の回りのお世話、エステにマッサージ。そんな体験ができる、貴族のお城『そのもの』!」


「あ! わ、わかった! お嬢様の言うホテル、それが新しい観光資源になる『貴族ぐらし』とは……単なる宿泊の場所じゃなく、貴族そのものみたいに扱ってもらえる特別な付加価値……!」

 ひらめきに輝く笑顔のパンジーにビッと指をさす。歓喜と興奮にざわめくノイズが心地よい。

「その通り! そこで活きてくるのが、ここには『数年間領主貴族はいなかった』『あんまりよその人に皆慣れていない』『名所みたいな見るものがない』っていう、言わばないない尽くしの事実よ!」


「そうか! た、確かにそれであれば……! 他の観光地や田舎領地であれば、いくら『あなたはここの領主様』と言われても、どうしたって実際のそこの領主貴族の顔が思い浮かぶだろう。他人慣れしていない土地柄は、皆が高い身分の方に恐縮しているという設定にできる。何もない土地は、自然が好きな人の目には手に入れた念願の領地に映り、そうでない人には、これからここを開拓してゆくんだという気分にさせることが可能だ。それらはつまり、何もないことでしか実現できない、絶対にここにしか存在しない観光資源となる……!」


「ええ。ホテルっていうお客様の屋敷が観光資源にも観光インフラにもなる、ないからこその価値って意味、わかってもらえたかしら?」


「そして地元民の協力、出迎えという、普通はおもてなしの一環、観光インフラのひとつにしかならないものも。貴族ぐらしの設定を取り入れることで、『領主様、ようこそ!』『綺麗な土地で幸せに暮らしているのは、領主様のおかげです』……そんな風に、唯一ここだけでしか体験できない、観光資源ともなるというわけね!」

「そうなの。私がやりたいのは、『コンセプトリゾート』! 言うなれば貴族サービスのご提供! それをコンセプトとして導入する、新しい観光リゾート地の構築よ!」


「な……なるほど! そこであたし達や領民の皆さん、全員がコンセプトになる。マッサージしたり貴族のお料理を提供したりして、元から使用人だったみたいに振る舞うんですね!?」


「そういうことよ! これなら、領民の皆には領主が主導する産業が行き渡り、もっと豊かな土地に。しかも領地そのものは何にも変えることなく、今まで通りに生活して、自然に振る舞うだけで仕事ができる、仕事に変わる。私達家族に至っては、リゾート領地で永遠引きこもり生活が送れるってわけよ! 使用人の皆は、もう存在意義を神妙に議論したり、暇で暇で死にそうになることはないわ! ……皆どう? いいかしら? 私達の領地リゾート化計画、今ここに発足!!」


 協力してくれる人は手を挙げて。

 そう言い切るどころか、「協力し」あたりでその場の全員が挙手してくれた。

 熱気が直に伝わってくるようだ。瞳はやる気にきらめき、輝いている。


 ――たとえこの世界には前例のない無謀な試みであっても、この皆がいてくれる限り、なんだって成功できるだろうと確信した。


 もちろん、その輪の中には両親も加わっていた。

「これは……これは売れるわ!」と雄叫びに近い母様の声が聞こえた気がしたが、聞かなかったことにしておこう。


「いやあ……子供の成長というのは、実に早いものだな。ルシアはいったい、どこでこんな知識を身につけてきたんだい?」

「ゔっ……それ聞く……? あ、あー……あのね、前に王都の図書館でこういうことが事細かーに載ってる本を読んだのよ。観光業も楽しそうだなって思って、結構ハッキリ覚えていたの。それだけよ、ふふ。ふふふ……」

「そうだったの。一度読んだだけの内容を説明できるくらい覚えているなんてすごいわ。流石自慢の娘よ! 偉いわ、ルシア!」


  ◇◇◇


「…………と、いうわけよ! あなたたち五人の話を聞いて、ここがコンセプトリゾートにさらに向いていることを悟ったわ。ここに貴族がずっといなかったことは、貴族様の間や王都では結構有名な話。この綺麗な領地を壊したり、開発することは誰一人望んでいない。それに皆、代官たちに使って培ってきた、仮の笑顔と演技力があるんでしょ? それを活用しながら、のどかな領地で普通に暮らしていればそれでいいのよ!」


 ジェームス、バート、ラルフ、ヒューゴ、オリバーの五人に対する解説が終了した。

 手に握られていたのは、懸命に作成した一連のフリップ。こんなに間を置かずして使うとは考えていなかった。

 打ち解けられたらゆっくり声をかけて回って、何人かずつでもいつか勧誘できたらな、としか思っていなかったからだ。


 まさかこうも早く、逃げ出すことのできない貴重な労働力を獲得……いやいや、実にありがたい完全な協力者が名乗り出てくれるとは。

 このフリップ、頑張って作って本当に良かった。


「あなたたちには、領地の先頭に立って、ホテルを建設したり観光インフラを整備していったりする、本当の初期段階からのお手伝いをしてもらいたいのよ。悪くない案だと思うわ! ……どうかしら?」


「「「…………お……」」」

「お……?」

「「「お、おもしれえ……!!」」」


「つまりホテルってなもんさえ作れば、他にはなんもいらねえのに、この領地が観光地に化けるって寸法か……!」

「オレたちゃ、これまでみてえな演技を『使用人』『領民』のフリに使うだけで、お客へのサービスにもなると。やり過ごすだけの演技だったもんが仕事になるってわけだ」

「今までただストレス食うだけの我慢比べ、外面でしかなかったのが、伯爵様も夢見ていた……この領地の産業に変わる……!」

「やったらあ! お嬢様、なんなりと言い付けてくだせえ。そもそも肉刑も覚悟して、今日ここに来たんでさ。どんな重労働でも小間使いでも、貴女さまのためならオレたちゃなんでもやりやしょう!」

「まずはオレたち五人だな。お嬢様はさっき、他の領民にも協力を取り付けると言いやしたでしょう。こんな面白くてやりがいもある話、領地の仲間たちが乗ってこないわけがねえ。どんどん話広めて、どんどん労働力つぎ込んで。早いとこそのコンセプトリゾートってやつ、実現させましょうや!」


 良かった。みんなやる気になってくれた様子だ。


 領民がのんびり暮らせることと、クローディア伯爵様が遺した素敵な大地を守りつつ。領民が心豊かな生活を送れる土地となり、来る人がみんな幸せになってもらえる理想の場所。

 領主の娘、男爵令嬢バロネスアシュリーの名にかけて。必ずや叶えてみせよう!

 アシュリー男爵領の計画が、今動き出した!



「そうとなれば、話は決まりね。まずは一緒に領民の皆さんにお話をするところから始めて、ホテルの建設と同時進行で、徐々に観光インフラの整備を手がけていきましょう。改めて、よろしくお願いするわね」

 優しく微笑んで手を差し伸べる母様に、一瞬戸惑った様子を見せながらも、ジェームスが代表してその手を取り、大げさに感じるほどに、五人揃って深々と頭を下げていた。


 なぜ彼らがぎょっとした表情をしたのか、理由がわからず少し考えていたのだが、おそらく母の見た目がキツく気が強そうなために、この集団の中で一番怖い人物だと認識していたのだろう。

 愛らしく、よく笑う母様の姿を知っているのは、見知った人物のみ。

 ともすると氷の女王に見えるルックスであることを、普段から接している者はつい忘れがちだ。

 目を遣れば、ジェームスから交代して全員と握手をし始めており、若者たちの表情は尊敬のような緊張は見られるものの、柔らかい。

 誤解が解けたようで何よりである。


「君たちには色々と教えて欲しいことが山ほどあるんだ。事業を成功させて、皆の豊かな暮らしと、娘の言うところの『コンセプトリゾート』を無事実現させるためにも、ぜひ力を貸してくれ」

 父様はそう言って、先日作成していた計画書を彼らに差し出した。

 明確なビジョンさえ見えてくれば、商人の行動は非常に早い。

 時折私を呼び意見を仰ぎながら、ジョセフとアンリを補佐に付け、地球の役所に提出してもあっさり通りそうな「アシュリー男爵領 貴族ぐらしリゾート計画書」が完成したのであった。


「まず……やるべきことは山積みなんだけれど、とりあえず今日の挨拶回りに行こうかしら。今日はあなたたちにも来てもらって、ご家族や知り合いの皆さんに、一緒に説明をしてほしいわ」


 そう。なんだかんだで、今日はまだ日課の挨拶回りに出かけられていない。

 彼らの謝罪と領地の過去を聴き、ついでとばかりにリゾート化計画の解説を終え、そうこうしている間にとっくに午前が終わってしまっていた。

 明日もまた来ますと言って別れたのにもかかわらず、いつもの時間に姿を現さない私達を心配してくれている可能性もある。特におじいちゃんとおばあちゃん達が。


 もとより、これは待ち望んでいた機会。いつか領民の協力者を得られた折には、共に状況説明と説得にあたってもらう予定であったのだ。

 まだよそ者に近いうえ、一応貴族である私達に「領地で新しい事業をやります! 協力してね!」といきなり言われるよりかは、領地の仲間から計画の魅力、展望を聞かされた方がきっと良いはず。


「それじゃあ一旦解散して、お昼を食べてから集まることにしましょうか? あ、それともうちで食べていっても構わないわよ。今は料理長シェフが不在だから、私と娘が作った素人料理になってしまうけれど」

「いっ、いえいえそんな! 領主さまのお屋敷で食事させていただくなんて、そだな恐れ多いことはできません。オレたちは一回帰りやすので……なぁ、お前ら!」

 と真っ先に返答したのは、やはりジェームスだった。

 その様子から見るに、やはり彼が五人のリーダー格で確定らしい。

「ああ、もちろん! 解散してまた集合いたしやしょう。どこかで待ち合わせますか? 集まるんなら、テナーレのファンティムあたりが良いと思いやすが。それとも、このお屋敷にお迎えに上がった方が?」

 と、それに返答したのはバートだ。


 よく見れば、多分ジェームスが一番歳上。三十歳くらいであり、バートはその次……二十代後半くらい。あとの三人はだいたい二十代半ばほどの同い年に見える。

 悪友なのか、それとも「気の良いあんちゃん二人と弟分たち」といった関係なのかもしれない。

 協力者になってもらった以上、彼らの関係性や人柄について、これから詳しくなる必要があるな……。


「うーん、そうね……テナーレだけを回るならそれが良いと思うんだけど、ご近所のエルトの人たちにぐるっと挨拶してから、いつもテナーレに繰り出しているの。だから悪いんだけど、またこのお屋敷に迎えにきてもらってもいい?」

「はい! 承知しやした! じゃ、オレらは一回失礼して…………」


「ちょーっと待ったぁっ!!」

「……ん? いったいどうしたというんだい、ジニー」


 片手で頭をかく仕草をしながら、私達三人に対して何度も礼をして、玄関口に歩を進めていた若者たち。

 しかしそれに鬼の形相で立ち塞がり、彼らの行く手を阻んだのは、ジニーを中心に据えたうちの若手女性使用人たち六人。

 かしましファイブ、WITHキャプテン・ジニーである。

 まあケイトだけはかしましくないのだが。


 主人たちの話が終わるのを今か今かと待ち構えていたらしい。

 そして、全員の顔が何故か怒りに燃えていた。


 え? どうして、何を怒ってるの。私達、何かしたっけ?

 そう疑問に思ったのも束の間、殺気を滲ませたジニーがずいっと彼らへの距離を詰める。

 それに髄して、かしましファイブは隊列を崩さぬまま、ジニーの背後に整列し、一歩たりとも道先を避けようとはしない。

 整った隊列はあらゆる戦況に臨機応変に対応できるうえ、各構成員の能力を考慮して組まれている陣であるため、戦力を最大限に発揮できるらしい。

 ……そんなおそらく前世にどこかで聞いた、今は場違いで余計な知識が、彼女たちの姿にふとよぎった。


(……ああ、わかった。臨戦態勢そのものだからよ。どこかで見たことがあると思ったら、アレだ。地球の戦隊モノ……)


「お話はぜぇんぶ、お兄ちゃん達から聞きました…………。お嬢様に仇為す者に、あたし達はそう簡単にお嬢様のお身柄を託しはしませんよッ! つきましては、こちらの誓約書にサインしていただきましょうかぁ……?」


 こ、怖……。何その地の底から響く魔王の声色……!

 疑問系でありながらも、完全に有無を言わせない。

 相手に反論の余地、逆らう気力を決して与えない、見事な距離感と論調である。

 まさに、この兄にしてこの妹あり。

 ジル&ジニー兄妹は、幼少期に親から効果的な脅迫の仕方でも教え込まれたのだろうか……。


(ていうか待てよ、「お兄ちゃん達から聞いた」って)

 嫌な予感がして、先程男性使用人たちが引っ込んでいった執務室の方向に目を向けると。

「言っちゃった☆」とでも言わんばかりに、弾ける笑顔で舌を出し、片手の親指を立てて見せる、グッドサインを送ってくるジルと目が合ったのだった。

 いや、「グッ」じゃないわ! 多分あらかた話したな! なんだその輝く笑顔!

 口止めしていなかった私達が悪いということなのか。

 ジニーに言ったらこうなること、よくわかっているだろうに!


 そう考えている間にも、話は着々と進行していた。


「まずはここに記載している内容、三つ。全部誓ってもらえると約束できますか?」

 誰より小柄で可愛らしい、天使の笑みのリリア。だがその背後からは、タールの如きどす黒いオーラを漂わせている。目が全く笑っていない。

「「「は、はい…………」」」


 身長一四七センチメートル。私が追いつくのもきっと遠くない、目線の遥か下のリリアに対し、彼らはすでに気圧された様子。

 目を通すことすらなく、羽ペンを震える手で握りしめ、必死の形相で筆を動かしていた。

 いったい何が書かれているのか。下から覗き込んで文面を見てみる。


一.いかなる場合においても「お嬢様ファースト」を心がける

二.アシュリー家の室内生活を決して阻害しない

三.今後一切の場合において、お嬢様に再び危害を加える状況及び、それが限りなく疑わしい状況にある時、使用人による私刑に処することとする


 いやもう、怖い。怖いとしか言いようがない。

 なにこの誓い。禁忌の魔術の誓約か?

 実に怖い。うちの使用人たち。

 何が怖いって、両親とはまた別のベクトルで私を甘やかそうとしてくるところ。

 ありがたい限りの恵まれたことではあるが、少しは自重してほしい。

 母の妊娠時から皆で誕生を全員で心待ちにしていたこと、皆私を共通の娘か妹と感じていることは何度も聞いているものの、重い。

 その重すぎる愛情は、今日も留まるところを知らない。


 いや、そんなことより、サインしちゃったよこの人たち!


「ちょっと、あなたたちよく読んだ? これ、明らかに不平等条約よ? 『私刑』ってことは、いざ何をされても文句は言えないのよ? サインしちゃっていいの!?」

「はっ……はい、もちろんですとも! オレたちゃ最初っから、お嬢様に再び危害を加える気なんてさらさらないんでさ。どれもこれも全部、今さらの内容ですんで! は、はは、はは…………」


「そうですよねぇ? そうでしょうとも。……絶っ対に、次はありませんからね」

 とドスを効かせるパンジー。何度も首を縦に振って、それを全肯定するユノー。彼女の肩から顔を覗かせ、「ぜったいですよ! お嬢様に無理をさせたり、嫌な思いをさせたら許しませんから!」と、よく通る声を張り上げるメリー。

「ヒッ、ヒィィ! はい……!」


 なにこの徹底した包囲網。

 全員は必死に声を張って返答してはいるものの、歯がカチカチと音を立て、膝が震動している。


 それもそうだろう。

 代表して立っているのが、よりにもよってジニー。他の五人もまた、ある者は微笑み、ある者は睨み付けながら、今にも噛み殺さんばかりの空気を放っているのだ。

 特に恐ろしいのが、「……………」と一言も発さずに、ひたすら無表情で睨み続けるケイトである。ゴゴゴゴ……という効果音が今にも実際に聞こえてきそうだ。

 彼女たちを押しのけ署名を拒否することは、常人には不可能である。

 だからこそ、最も発言力のある(お願いを叶えてもらいやすい)私が助け舟を出したというのに。


 流石はバカ正直……いや、純朴というべきか。

 彼らはやはり、根は優しく穏やかな、争いを好まない人たちなのであろう。



 もう誓約書というよりかは、しもべ契約と言っても差し支えない書類に、取り返しのつかないサインを終えた彼らは。笑う膝を懸命に動かしながら、屋敷を後にしたのだった……。


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