レッツ解説でしてよ!
「……ほ、ホテル? ……ってのはなんです?」
「皆様方は、いったいどういった事業を始めようとしてるんで……?」
「ホテルっていうのはね、簡単に言えば、全く新しい宿屋のことよ。そして私達がやろうとしているのは、観光業! ここをリゾート地にする大計画が、今始まろうとしているの!」
それこそ、男爵令嬢の領地リゾート化計画!
そしてその根幹となるのが、「ホテル」だ!
彼らにはその魅力とコンセプトをしっかり理解してもらわなくてはならない。
屋敷内に全員を移動させ、ユノーやケイトが運んできてくれた椅子に座りながら……
「!? お、お待ちくだせえ! 観光業……!? ってことはつまり、ここを開発なさるおつもりで」
「黙ってれ! 忘れたんけ! 俺たちゃもう、男爵家の皆様になんでもご協力するって決めたべや!」
……その全容を語り始めようとした直後。
心底驚いた様子で声を張り上げた黄緑がかった金髪の青年……確かオリバーを、薄紫っぽい白髪の青年……こちらは確かヒューゴが強い口調で嗜める。
それに対し、オリバーもハッとした表情で口を堅く結んだ。
思ったことが咄嗟に出てしまっただけで、若者たちはどうやら自身が言うように、たとえどんな理不尽な要求をされたとしても、それを遵守する覚悟でここへ来たらしい。
彼らはそれぞれ、反省や覚悟をより深めたような面持ちをしている。
だが私は、それを咎めるつもりはなかった。
「ううん。いい目のつけどころよ!」
それはこれから先、決して忘れてはならない重要な視点だ。改めて言葉にして喚起してくれたことに逆に感謝したい。
というより、むしろあの話の後のこの提案で、こうした言葉が出ない方が不自然でもある。
でも心配は無用だ。
開発しない開発。このままの魅力。
それがこの領地の目指す道なのだから!
やはりこの若者たちも、先日の両親と同じ考え方のようだ。
この世界ではまだそうした認識しかないのだろう。
何かを「見る」ことこそ観光。
他にはない見るべきものがあること、それが大前提。
見るものがないなら造るしか、あるいは観光業などあきらめるしかない。
この領地で観光業を始める? ならば森を伐り捨て、沼を埋め立て、美しい自然を打ち壊す。それより他に方法などない――そうした認識しか。
「安心して。私達も皆とおんなじ。静かな森、神秘的な沼。ここの綺麗な自然が大大大好きなの! この領地の何かを壊して、他の何かを造ったりすることは絶対にしないわ。それから、開発して都会みたいに発展させることもね。ここに造るのは、『ホテル』。その一つだけよ! むしろこの計画は、皆の望む静かで穏やかで、心豊かな暮らし。それをもっと充実させる方法にもなるのよ。だから、私を信じてほしい。何より皆自身のために協力してほしいの!」
「……! そういうことでしたら、ぜひ! ぜひお力添えさせてくだせえ!」
「俺たちにも聞かせてくださいやすか、お嬢様のリゾート化計画ってヤツを!」
若者たちの顔色が一気に変わった。
雨上がりの青空のように晴れやかな表情は、こちらの心までを澄み渡らせてくれる。
決意は固まったようだ。向ける眼差しもまた、恐縮そうなものから信頼の瞳へと変わっていた。
「実は一週間前、アシュリー家ではこんな話をしていたのよ…………」
つい先日、屋敷の皆に語った計画の全容。
それを今、新たな協力者を前に再び展開した。
◇◇◇
時は六日前。アシュリー男爵家の屋敷、その食堂にて。
「みんな、おはよう!」
「おはようございます、お嬢様!」
全員の声が揃った。
「皆いるわね。――じゃあ、さっそく解説を始めようかしら。私の領地リゾート化計画、その全容をね!」
領地全体へ挨拶回りに出掛けた初日、私はこの領地で観光リゾート業を行うこと、そしてアシュリー家の運営する「ホテル」を建てるという提案をした。
それを聞いた両親も使用人も、全く新しい概念に疑問符を浮かべるだけだった。
ついに準備が整った昨夜の就寝前に、明朝に解説をするので食堂に集まって欲しいことを告げ、今まさにそれが始まろうとしているわけだ。
使用人皆の疑問と期待半々の表情が、上座から見渡すとよくわかる。
そしてこの集団の中、誰より期待に満ちあふれた顔をしているのが、他でもない私である。
テーブルに両手をつき、演説を始めるが如く身を乗り出し。緩みが抑えられない口を揚々と開く。
「まず、『ホテル』とはなんなのか? ずばり、とっても豪華で立派な宿屋のこと! この領地で始まる観光リゾート、その最大の目玉よ。アシュリー男爵領に建設するのは、その一つだけ」
「なるほど……。ごく一般的な宿屋からは一線を画して、『宿泊』の面で差別化を図るわけだね?」
父様の言葉に頷き、強調して続きを告げる。
「皆。観光業に欠かせない、二つの要素を知ってるかしら?」
私の問いかけに対し、明言する返答はなかった。
使用人のみならず、両親も互いに顔を見合わせている。
それを見てますます私のドヤ顔に拍車がかかり、慌ててハッと口元を引き締める。
最近気が付いたのであるが、少し内心得意気になっただけで、顔付きは相当な高飛車顔になっているようなのだ。
流石は悪役令嬢といったところか。
今は身内しかいないから良いけれど、人様や領民に失礼にあたらないよう、これからはポーカーフェイスと平常心を心がけていかなくてはいけないな……。
今は本題に戻ろう。少々わざとらしい咳払いをし先を続ける。
「観光の大事な要素。それは――『観光資源』と『観光インフラ』の二つよ!」
「……観光資源?」
「観光インフラ……?」
その場の全員から疑問の声が上がる。
それを受けて、考え込んだ様子の母様が真っ先に口を開いた。
「ルシア、それはいったいなんなのかしら?」
「まかせて! 頑張って説明するわ。皆、一緒に整理していきましょう。フリップにまとめてきたの!」
意気揚々、この瞬間のために必死に、実に数日をかけて作成したフリップ集を机に叩きつけた。
前世から引き続き皆無の絵心ではあるが、幼さと相まって逆に良い味を出している。……と思いたい。おそらくなんとか雰囲気で伝わってくれるはずだ。
まずは観光インフラから始めていこう。
インフラとは、生活を送るうえでの基盤構造、公共の設備のこと。
そして「観光インフラ」とはその名の通り、観光業を行うための、観光客や観光施設の従業員のための制度、観光地全体の設備などのことを言う。
「インフラというと……上下水道、石炭の供給、油の販売、街の設備など……そうした必要なもの、基本のもの。それに伴う整備のことでお間違いありませんかな」
「うん、普通のインフラならジョセフの言う通りね。観光インフラはまたちょっと違うの。それについて詳しく描いた、こっちのイラストを見てちょうだい」
この世界基準のインフラならば、今ジョセフが確かめてくれたもので正解だ。
現代日本を基準とすれば、電気・ガス・水道設備、道路や鉄道の整備、公共交通機関などがそれにあたる。
取り出したフリップには、観光案内所、馬車の停泊場、「ホテル」のイメージ図と共に、ホテル内のトイレやお風呂、領地の入口からホテルまでを馬車が走る様子。従業員から町の住人まで、笑顔で観光客を迎えている光景を描いてある。
町全体の整備、よりよいサービスの享受、生活レベルの向上と、観光客と領民が共に利益を得られる環境設備、作り上げるべき領地の雰囲気。
その全てが「観光インフラ」と呼ばれるものである。
つまり、これまた現代基準で言えば、ホテルや旅館の設置・運営、空港、客船が停まれる港、駅からホテルまでの直通バスなんかがこれに該当するわけだ。
「なるほどね。観光インフラとは、言うなれば私達の努力で調えられるものということね? 私達が主導し先導すべき、お客様がより旅を楽しめて、領民の方々が充実してお仕事に取り組める。そのための事前投資、領地のグレードアップ……といった感じかしら」
「ええ、そういうことよ! 母様の言うように、私達アシュリー家こそがやっておくべきこと、私達に責任があるもの全般ってとこね。ここにいる皆で協力して準備していきたいと思っているの」
母様を筆頭に、皆順を追って理解してくれたらしい。それぞれからの発言に首を何度も上下させて同意した。
アシュリー男爵家の義務とも言い換えられる。
事業成功には、ここにいる皆が一丸となることが最低限の条件なのだ。
父様は声を発さず深く俯いた後、数秒無言で考え込み、やがて重みを含んだ言葉を返してくれた。
「これが観光の二大要素にあたるわけか……。言われてみるとすぐに納得できたんだが、もし知らずに事業を開拓し始めていたのなら、私はコストとリターンを考え、おざなりにしてしまっていたことかもしれない。そうなれば領主自らが領地を危機に陥れていただろう。ルシアはしっかり勉強したうえで提案してくれていたんだね」
……勉強したにはしたのだけれど、それはここ最近の話ではなく、挙句昔の出来事どころか前世においての話である。
「死の直近」と「生計」に関わる知識だったので、むしろこの世界の情報よりも色濃く身についているのだろう。
褒められたのは素直に嬉しいが、このままそこを深く突っ込まれては大変だ。曖昧な相槌と咳払いとで、その場を多分乗り切った。
「それなら、『観光インフラ』の方はなんとかなりそうですね! 全部あたしたち次第、努力次第で準備できるものってことですもんね! あたしにできるのはお嬢様方のサポートくらいですけど、精一杯お手伝いします!」
威勢よく頼もしい声を一番に上げてくれたジニーに続き、他の皆も次々と賛同の言葉をくれた。
「皆ありがとう。とっても頼もしいわ! ――でもね。観光インフラで何より重要なのは、実はこの最後のイラストなの。領主や従業員だけじゃなくて、町全体でお客さんを歓迎する雰囲気づくり。そんな『領民につくってもらう観光インフラ』が必要不可欠なのよ。だからぜひ、領民の皆にも協力してもらいたいと思ってる。……今のままじゃ厳しい気もするけど……領地全体で観光リゾート地をつくっていきたいわ。そのためにはまず、信用の構築からね……」
使用人の皆はキョトンとしていたが、両親は私と同じく、暗い表情にどこか苦笑が混じっていた。
「町全体での歓迎?」「観光インフラで一番大事なのは雰囲気……?」という疑問が出たのに合わせ、待ってましたとばかりに次の説明へと進む。
続いてのフリップは、エレーネ王都と、本から得た情報だけで想像で描いた、北の大国・ノーマンド王国との比較イラストである。
「北のノーマンド王国は、知っての通り採掘大国よ。鉱石、石炭に石油、宝石にいたるまでザックザク。外国人の出稼ぎ地として人気もあるから、外貨収入も多いのよね。採掘の出稼ぎに行くなら、鉱脈のある国内の貴族領よりも、わざわざノーマンドに行く人は多いって聞いたことがあるわ。ここらへんの近隣諸国では国土面積も一番で、財力も国力もある。文字通りの大国だわ」
ノーマンドは青髪の人が多いと聞く。水色や紺色、鮮やかな青の髪を持つ採掘場の人々が、街を物珍しげに巡る異国の人々を、少し迷惑そうな表情で見つめる絵をそこに描いた。
対になるのは、服装も見た目も異なる多くの人々が行き交い、そこらじゅうに立ち並ぶ輸入品商会、お土産店、宿。
少々うるさいくらいの客引き、それに引き寄せられる観光客に貿易旅団。それぞれの店で働く地元の人間。各々の興味と活気で日々にぎわう、エレーネ王都の絵。
……画力のせいでモザイクアートみたいになっているけども。
二つのイラストを左右に並べ、全員に見えるように調節する。
これは何を意味しているかと言うと、観光インフラについての例題図解だ。
「でも、ノーマンドへ観光に訪れる人の話なんて聞かないじゃない? それも当然なのよ。だってノーマンドの採掘は、国の基幹産業。採掘は命懸けのお仕事だし、そこに観光客を呼ぶなんてもってのほかだもの。他人様に構ってる暇なんてないわ。危険が伴うぶん、儲けも多いと思う。そしたら観光業をするなんて、二次的にせよ誰も考えない。観光客を呼ぶ必要も、呼べる設備もないってことね」
きっと大国であるノーマンドには、基本のインフラは充実していることだろう。
もしかしたら、エレーネ王国より平民の生活水準は高いのかもしれない。
なんならエレーネ王都の宿より待遇がいい、出稼ぎの人を受け容れる宿舎なんかもありそうだ。
しかしそれは観光客のための宿ではない。「観光インフラ」ではないのだ。
「対してエレーネ王国よ。小国で、経済力は他国には敵わない。芸術が基幹産業で、特に王都ではそれに伴う商売、他国の商人や画商をもてなすことが代表的なお仕事よね」
数々の商家が建ち並び、他国からの馬車が乗り付ける王都の主要街道のイラスト。
アシュリー商会から数分ほど歩いたところにあった、私達皆が見慣れた風景でもある。
「私も含め、エレーネ王都で生まれた人は、幼い頃から外国の人や辺境から来た人でにぎわう街を、当然の風景と思っているでしょ? だって王都には、『観光資源』がたくさんある。それを見に来る人をもてなす場所がとにかく充実しているわ。あと貿易・輸入・観光系のお店って、お給料が格段にいいじゃない? つまり地元の人がお金を得られる場所も充実してるってことね。なぜなら、エレーネ芸術という最高の観光資源がある以上、観光客が来て当たり前だから。利益が出ることがわかりきっているからよ」
続くフリップは、先程の二枚を人々の表情にズームしたアングルで描き変えた差分だ。
ノーマンド王国の完全主観イメージイラストでは、人々の表情は怪訝そのもの。
よく整備されており、清潔で壮観な街並み。つまり、地元の人のためのインフラは完備されている。
商店などの人間以外は、観光客に歓迎の笑みを向ける人ももちろんいるが、ほぼ無関心に近い。
ほとんどの人は「出稼ぎでもないのになぜ来たのか」と言わんばかりの、疑問を含む視線を送っている。
採掘や原石加工を生業とする地元の働き手たちは、邪険にはしないものの目もくれない。
観光客側もどこか居心地がなさげ。
「目的を遂げたら、街の皆のためにも早く立ち去らなければ……」
街並みへの興味と一緒にそんな焦りと罪悪感があり、旅を満喫しているとは言い難い表情を描いた。
対してエレーネ王都のイメージイラストでは、人々は皆笑顔だ。
観光客は王都の様々な建築や芸術品を心から楽しんでおり、とある外国人客は過ごしやすく居心地のいいエレーネ王都の雰囲気に感心し、またいつか訪れることを考えている。
宿屋の人間や商会主は喜色満面で彼らを歓迎している。
呼び込み、短期雇いの年若い雇用者たちには、心からのおもてなし精神の他にも「他の職種より割りがいいんだよなあ。ようこそいらっしゃい、そしてまたおいで! 俺の生活のために!」なんて、その笑顔にはきっとそんな思いもある。
この二つのイラストから読み取れる情報は何か?
多くの地元の人々は観光に無関心で、何も得をしないノーマンドとは真逆に――エレーネ王都では、その誰もが「観光業による利益を得られている」ということだ。
そこでハッとした表情をしたのは、ジョセフが最初だった。彼は少ない情報から真相を導き出したようだ。
「つまりは、基本のインフラと観光インフラとは無関係。言わばよそ者を迎え入れる風土、雰囲気……。『観光客』と『事業者』のみならず、職と収入という形で『地元の人間』にも還元され、自分の得となり得る環境。その土地全体が、観光業が存在することで潤沢に。それこそがお嬢様が目指される、最も重要な『観光インフラ』だということですな」
「その通り! さすがね、ジョセフ! エレーネ王都に観光客がたくさん来るのはそういうことよ。唯一無二の観光資源と、完全に整備された観光インフラ。重要な二つの要素が両立してるからなの」
気分は講談師である。ダンダン、とフリップを手のひらで叩いて勢いを付けた。扇子が欲しいところだな……。洋風な羽根みたいなヤツじゃなくて、和風な感じの。
「なんか最初は小難しい話かと思いましたけど……突き詰めれば簡単スね」
「……私達が頑張る。領地のシステムと……雰囲気を協力して作っていく……皆で一緒に。……それだけ」
普段はノリが良すぎるせいで、若干軽薄に見えてしまうこともあるロニー。言葉を発するどころか口を開くことすら珍しいケイト。
そんな二人の強く深い同意は何より頼もしいものだった。その呟きには重みがあり、意欲が燃えている。
同じ卓を囲み、同じ意志を今共有した皆の表情にも、その熱さは確かに伝染していた。
◇◇◇
「ええと……次は『観光資源』よね。言葉通りに解釈すれば、観光のために役立つ資源。なんとなくはわかるけれど……。たとえば私達が言っていた、美術館や遺跡、あるいは港のような、『見るべきもの』のことよね?」
「ううん。残念だけど、半分正解で半分ハズレってところかしら。……実は『見るべきもの』は、観光資源のうちの一種類でしかないの。父様と母様の言う通り、この領地にそれはないし、造れないもの。私も最初から考えていないわ」
「ということは……つまり。私達が思うそれとは違う、この領地にも導入できる……何より、何も壊す必要なんてない。そんなルシアが考える『観光資源』は別にある……?」
真理に近付く父様の呟く声。それに再び、強く頷き返す。
観光とはすなわち、何かを見に行くこと。
その常識を今――覆す!
「そういうことよ! 次はこれを見てくれる? 『観光資源』とは何か? そして、この領地だけの『観光資源』とはなんなのか? 第二幕の始まりよ!」
続いては「観光資源」のフリップ集だ。いざ手元のフリップをここぞとばかりに繰り出した。
数枚のイラストをまとめたうちの、まずは一セットを見せる。
描かれているのは山や海、湖。窓から見える景色をそのままスケッチした森に沼。記憶の限り思い出して描いた双子神の神殿、聖会堂……。
イメージし得る、あらゆる綺麗なもののイラスト。
仮にこちらをAとしよう。
実を言うと、間違ってこの世界にはないものを多々描いてしまった。日本家屋的なものやお寺などなど。
今朝気付き、慌ててボツにしたのは内緒だ。
全員がやたら微笑ましい表情をしているのは見なかったことにしよう。
「可愛い〜」「一生懸命お描きになりましたねぇ」じゃないんだよ! 今は求めてないんだそういう反応! 和むのはあとにして!
「……さて! これまで皆が思ってた『観光資源』っていうのは、多分このAのイラストのイメージじゃないかしら? そしてくどいようだけど、こういうものがなければ観光業は始められない。こういうものを『見る』ことが観光だって」
エレーネ王都はまさにこのタイプにあたる。
価値あるモノを観て楽しむ。
そうした種類の旅行を、「周遊観光」と呼ぶ。
地球基準で言えば、業態としてはやや古い。
なぜ古いと言えるのか?
その理由は二つある。
まず一つは、かつて見るべきとされたものの価値が落ちていること。
もう一つは……そこでしか見られなかったはずのものが、もはや「どこでも見ることができる」からである。
◇◇◇
日本の江戸時代あたり。
その頃までは、職業や貴賎を問わず、人々は自分の生まれ育った町で一生を過ごすのが一般的だった。
どこかへ奉公に出される、夜逃げする、遠くへ嫁ぐ。
それくらいの人生における一大イベントでもない限り、別の地方どころか、別の町へ行くことさえなかったという。
旅とは娯楽のためのものではなく、何か目的あっての大移動にしか過ぎなかった。
だが、やがて時代が移り変わるにつれ、旅とは光景を観て楽しむ、「観光」へと変化した。
各地に鉄道が敷かれ、陸路には車が走る。
人々の移動手段が格段に進化を遂げたからだ。
これまでは話に伝え聞いたり、絵や記録から想像することしかできなかった名所を、自らの目で見られるようになったのだ。
観光は人々の夢、楽しみの一つとなった。
綺麗な景観、歴史的な文化財。
ありとあらゆるもの、場所を訪れ、眺めて楽しむ。
これこそ「周遊観光」であり、当時日本のみならず、世界の観光・旅行の在り方だった。
ところが、さらに時代が進むと、その様相も一変する。
人々はかつての名所、そして観光というものに対し、それまでと同等の高い価値を見出さなくなったのだ。
各地にホテルや旅館が林立し、ツアーパックや団体旅行が全盛期を迎える。
女性の社会進出、治安の向上、好景気も相まって……もはや旅行とは、必要経費と旅行に行く気さえあれば、「いつでも・どこでも・だれでも」行けるものへと変貌を遂げていった。
そうなれば、どんなに素晴らしい場所であったとしても、いずれ人々に飽きられてしまうのは自明。
かつて夢見た旅行、一度は見たい最高の価値がある名所が、それにアクセスできる機会が大幅に増加するに従って、皮肉にも後の時代において、価値が低下することに繋がってしまったのだ。
そしてさらに、私がすでに退場してしまった現代の地球では、もはや何かを見るために旅に出る必要すらない。
インターネットとSNSが発展し、各自が何らかのデバイスを所持する。
目的のものを検索さえすれば、すぐに多数の画像がヒットし、誰かが書いた率直な感想をも見ることができる。
ついに、いつでも・どこでも・だれでも「行けば」見られたものが、旅行になど行かなくとも見られる時代が訪れてしまったのである。
◇◇◇
「皆考えてみて。たとえばエレーネ王国の誇る芸術品。貴族様や大商人でもなければ、本物は手に入れることは絶対に不可能なくらい高価よね。だからこそ、皆それを『見に』王都へ観光に来る。でももし、本物そっくりで、それをいくつも複写できちゃうような、考えられないほどすごいレプリカができたら? ……本物の価値はずっと下がってしまう。『見るべきもの』が、『見に行かなくてもいいもの』に変わってしまうって思わない? 見るものだけを用意している『周遊観光』には、そういう危険もあるのよ」
もちろん、友人や家族と見る楽しさ、自分の目で直接見る感動。
そうした周遊観光の強みはなお健在だ。
それに加え、地球で周遊観光地とされた場所は、もはや「見るもの」をただ据えてはいない。
地元の人が教える隠れスポット、真心あるおもてなし、詳しいガイド、ロールプレイングなどを交えた学びなど、「見るもの」の新しい魅力と価値を発掘し、プラスアルファの観光資源をそこに見出している。
そのため地球では、かつて過去にそれを指したものとは全く形を変え、周遊観光の価値はむしろ高まり続けていると言っていい。
だが、「周遊観光」しか観光の概念を持たないならばどうだろう?
ここで皆にもわかりやすいよう考えてきた、このアトランディアに当てはめた話を始めた。
エレーネ王都の美術的・歴史的価値は、国のみならず大陸の至宝だ。
永久の資産であり、永遠の信仰のよりどころ。
アトランディアの文明や価値観がガラリと変わってしまうことでもない限り。
実際のところは、私が煽ったような危機は起こり得ないと思う。
逆に考えると、それは他に類を見ない、確固とした見るべき観光資源がある王都に限った話とも言える。
あえて様々なものを犠牲にしてまで、アシュリー男爵領が周遊観光を導入する必要は全くないのだ。
固定観念を今こそ捨てるべき時だ。
この世界の誰も知らずにいる概念を今押さえておけば、アシュリー男爵領は一歩も二歩も先をゆく、唯一無二の観光地となれるだろう。
だってここにはすでに、唯一無二の観光資源が存在しているのだから――!
◇◇◇
「まとめると観光資源とは『その土地が持つ魅力』のことね! 名物とは似てるようで違うの。旅行って、実態は『そこの価値を味わいに行っていた』のよ。つまり観光資源を用意するっていうのは、ただ『この領地の価値を創出する』! それさえできればいいの。はじめからあった名所を売り出す、新しく珍しいものを造る……そんな必要はないってことよ!」
「ふんふん。観光資源っつーのは、そのまんま『観光を楽しめるもの』全部。『それぞれの場所が秘めてるつよつよ要素』ってことスね」
「なーるほど……。エレーネ王都は、たまたま観光資源が『見るもの』で、たまたまそれが『他にはない価値』として成立してるだけだったと。でも観光資源はそれだけじゃない。だからあきらめることも、わざわざ何かを造ることもしなくていいんですね!」
「――つまり、現状は固定観念にしか過ぎない。この領地では、既存の観光の在り方が成立しないというだけで、業態には選択の幅があったということか……!」
「そして前者を選ぼうとするのは、そもそも危険だったということね……」
私の拙い説明を改めて噛みしめ、それぞれ自分なりの考えを深める声がちらほら聞こえ出す。
……皆の意識が徐々に変わりつつある! 良い兆候だ!
「だからこそ! 私はこの領地の産業として……『体験型観光』を提案するわ!」
「体験型観光!」と大々的に書かれたフリップを出すと同時に、一室には拍手が沸き起こった。
薄々思ってはいたが、この屋敷は一丸となって私を持ち上げようとする傾向があるな……。そのうち叱るべきことまで褒め称えてきそうだ。
今はまあ、身内しかいないからいいけれど……。
「体験……体験か。なるほど、すごく良いアイデアだと思う。正直なところ、『ホテル』だけでは弱すぎると思っていたんだが……それなら大きな目玉になるな。その土地では当たり前のこと、逆にお客さんには真新しいことなんかを体験してもらうんだね? 見るのではなく、感じる観光。景色や建物、それにまつわるものではなく、体験を売る。地元の人や従業員に負担もなく、お客さんはとても楽しい。実に新しい観光の形だ!」
「ええ。これならなんにも壊したり作ったりする必要はないでしょ? このアシュリー男爵領、ありのままのまるごとを体験してもらう。そのままの魅力が資源になるの!」
だんだん皆が私と同じ顔になりつつある。すぐ未来に待ち受ける、希望を見据えた表情に。
「あ、あの……。少しよろしいでしょうか?」
そこでユノーが、いかにも恐る恐るといった様相で挙手した。
もちろんどんな意見も大歓迎だ。笑顔でそれを肯定し、発言を待つ。
「体験、そしてそれを売り物にする……と言いますと、農業、商売、ものづくりなど……。『労働』そのものや、個性的な『土地柄』、その場所ならではの『産業』などが、きっとお嬢様がお考えの『体験型の観光資源』なのではないでしょうか……? でもこの領地では、お役人様からお伺いしたように、主要産業というものがないみたいです。かといって、ここでだけ見られる本当に独自のものも見当たらず……。とすると、ここで何かを体験し、それを楽しむ観光というのは、む……難しいのではないかと……す、すみません!」
「ううん、謝ることないのよ。私の話だけでここまで理解してくれてすごいわ。ありがとう、ユノー」
ものすごく良い視点をくれたというのに、彼女は身を縮ませて一気に恐縮してしまった。
いいのよ、その意見がほしかったのよと告げると、わずかに緊張を解いてくれたけれども。
本当に何も謝ることはない。むしろ欲しかった的確な指摘だ。
しかしそれを聞いた皆の表情は、心なしか曇ってしまった。
誰も口には出さないものの、おそらく皆の思いはほぼ同じ。「確かにそうなんだよな」「いったい何を体験してもらうのか……」というところだろうか。
まさにその通り。
産業が存在しない以上、「じゃあこれを体験してもらいましょう」と打ち出せるモノ、コトも存在しない。それは紛れもない事実なのである。
ひとまずその不安と疑問を解決することにしよう。
用意していたフリップのうち、先程とは毛色の異なるBのイラスト集を取り出した。
田舎の広い湖で自由に泳ぐ人々の姿。
牧場で羊やヤギに餌をあげている旅行客。
カップルが職人さんたちと一緒に工芸品作りをしているところ。
高級な服装をした人々が舟に乗り込み、漁師さんに釣りを教えてもらっているところ……。
それぞれの人々が、普段の生活では行わない、必要としないだろうことを、「体験」し「楽しむ」様子が描かれている。
「ユノーや皆が考えてくれた、『体験型の観光資源』っていうのはきっとこういうものよね?」
途端に「そうそう、それです! そういうやつ!」など歓声が飛び交う。
中には疑問を深める声もあった。
それもそのはず。
「体験観光」と聞いた時、それを知らない人でもだいたいこんな感じだろうか、と想像し得るもの。
なおかつ、この領地では実現不可能なもの。
ここにはそうしたものばかりが描かれているのだから。
「そうなんですよぉ……。だから残念ですけど、ここではやっぱり観光業は難しいのかなぁって思います~。『一緒にお仕事やってみよ~!』とか、『動物さんたちとふれあい~』とかができるわけじゃないんですもんー……」
間延びした可愛らしいリリアの声も珍しく沈んでいた。
「そうね。その通りなのよ。実際こういう体験こそ、きっといい観光資源になる。やれるものならやりたいし、きっと大きな話題にもなるわ。でも、自分で言うのもなんだけど……ユノーやリリアの言うように、これはこの領地では無理なことね。もちろん今から必死に勉強して、工房や牧場まがいのものを突貫で作って、材料や動物さんたちを急いで仕入れて、領民の皆になんとかお仕事を仕込んで……。それなら。そんな形だけのリゾートなら、今すぐは無理でも成立させられると思うわ」
それでいいのならば話は早い。
長期的で適切な投資、十分な資金。それさえあれば、この領地にいつかできるだろう。
リゾートに似た何かが……。
「でも、それはただの付け焼き刃。観光業を始めるために、わざわざ別の新たな知識と技術を身につけなくちゃいけないし、それでもきっと、本物のプロには及ばない。『この土地のいつも』を体験できるってわけじゃないんだもの、領民の皆に負担だけがかかるわ。結局本当の意味での『体験』を楽しめるわけじゃない。だから皆の言う通り」
発言を区切った瞬間、皆の視線が一斉にこちらに向いた。
「『見るもの』だけじゃない。こうした『体験するもの』も――この領地では実現不可能! 取り入れたくても取り入れられない。アシュリー男爵領の観光資源にはなり得ないの」
しん、と糸を張ったような、音がなくなる音がした。
しかしそれも一瞬だけ。この場にいるのは皆、商人あがり。切れる頭脳の持ち主ばかり。
わざわざ下手な演出をしてまであえて絶望の一言を言い放つ私の真意を、なんとなく悟ったらしかった。
皆の顔色が、そして空気が。みるみる色付いてゆく。
「……てことは、つまり!」
「お嬢様の考える観光資源は、他にあるってことですね!? AともBとも違う、この領地でしかできない、ここの魅力を味わい尽くせる……そんな何かが!」
「その通りよ! 絶対に他の領地ではできない、ここでしか味わえない『最高の体験』が、このアシュリー男爵領にはあるのよ!」
一室が歓喜と興奮に沸き上がったのは、そう言い終わるより先だったかもしれない。
「ねえ、皆。ここはのどかで自然がいっぱいで、静かな森と神秘的な沼、穏やかに流れる時間だけがある、小さな辺境の領地よね。人は動物の数よりも少ないし、町は栄えてるとはお世辞にも言えないわ。私達にとっては夢にまで見たような約束の地だけど、見る人によってはなんにもない、へんぴな片田舎でもあるわ」
この領地にはきっと他の場所にあるべきもの、あるはずのものが何もない。
領民はこれまでそれを見下されたことも、自虐し卑下することも、きっとたくさんあったのだろう。
皆は私に耳を傾け、続く言葉を期待と興奮のもとに待ちわびている様子。
まるでわくわくという効果音が実際に聞こえてくるかのようだ。
そう。この領地には何もない。
だからこそ存在する、ここの唯一無二の魅力。ここにしかない、他には真似できない観光資源。
それは――
「領主の娘、ルシア・アシュリーが自信を持って打ち出す、ここでしかできない体験! アシュリー男爵領、絶対不動・唯一無二の観光資源! それは――……『何もなさ』よ!」