美しき地の忌まわしき過去
「あなた方が来る前。……クローディア伯爵様がお亡くなりになった六年前から、つい去年まで。ここには二年ごとに王都から代官が赴任していやした…………」
そうして彼らが語ってくれた経緯は……その衝撃たるや、これまでに味わったことのない怒り、激情に全身を震わせるほどだった。
私自身はその被害になど遭っていないにもかかわらずだ。
若者たちの涙の訴えは、見てもいない光景を彷彿とさせ、その心に寄り添うのには充分すぎた。
◇◇◇
クローディア伯爵が病死された六年前。
領民の嘆き、悲しみは尋常なものではなかった。
徴収する税も必要最低限で、誰よりもこの地を愛し慈しみ、そして何より、平民に過ぎない自分たちを、家族のように大切にしてくださっていた伯爵様。
全ての領民にとって、もう一人の父のような人だった。
わずかなお金を皆で供出し、他のどんな高位貴族にも劣らないだろう立派なお墓を建てた。
葬儀には領民全員が出席し、神の国での安寧を朝に夕に祈った。
伯爵様にはご家族がいなかったために、お仕えしていた使用人たちは職を失い、やがて散り散りに。近郊の領地や王都へと移り住んだ。
エルトの森を突き進んだ先にあるシプラネ地区は、元々こちら側より物流や人の行き来が盛んであった、隣接するドートリシュ侯爵領へ。
ヴァーノン王国との国境に面するバレトノ地区は、人口の減少と伯爵の老衰により、領軍が解散していた元伯爵領に統治を任せ続けるのは危険だとして、実質的にその統治・管理を行っていたブルストロード辺境伯領に自然併合された。
伯爵様の面影が徐々に薄れ行き、その悲しみがやがて癒えるのを見計らってのことだったのか。
数か月が経った頃。
偉大な領主を喪った片田舎に、王都から代官が派遣されることが告知された。
まあ、税を集めるのにも、何か自分たちの嘆願を国に伝えるのにも、お代官という役職は必要だ。
どんな方が来るのだろう?
豊かな森や、どこまでも広がる沼、素朴でのどかなこの領地を気に入ってもらえるだろうか?
皆、顔を合わせればそんな噂話をするくらいには、新しい統治者に期待していた。
自分たちは――領主を継ぐ伯爵様が代々心優しい方ばかりであり、ろくでもない領主という存在を知らなかった。良くも悪くも世間知らずであったのだ。
最初に来た代官は、骨格と筋肉が目立つ大柄な体格に対し、淡く薄い水色の髪がなんだかミスマッチな風体の役人だった。
昼から夕方まで開いているテナーレの酒屋に席を設けてバーのように誂え、来れるヤツらは全員集まり、歓迎会を開いた。
第一印象は、よく言えば愛想の良い男。正直に言えば、社交上手を気取っている男だった。
妙に女達に気安いフシが鼻についたが、なんだかんだ言って、領地の男性陣はすぐに打ち解けた。
だが皮肉なことに、化けの皮が剥がれるまでにも、さほど時間はかからなかった。
彼が赴任してから一年が経った、ある日の昼下がり。
王都に嫁いだ娘のもとへ遊びに行くと、数日間留守にしていたヘイワーズ老夫婦が、茫然自失といった様相で帰って来たことがきっかけだった。
久しぶりに娘夫婦と孫に会えると、とても楽しみにしていた二人。
「クロエちゃんは元気にしてたかい?」
「孫のアイラちゃんももうだいぶ大きくなったべ」
最初は誰も何も気付くことはなく、集まってきた歳の近い者たちが二人を囲み、普段の調子であれこれ話しかけていた。
しかし二人からはどうもまともに返事が返ってこない。
具合でも悪いのかと心配の声が広がり、若い世代をも巻き込み、騒ぎになりかけた。
ところが二人が押し黙っている理由は他にあったのだ。
――数日前の王都。
二人は娘夫婦との待ち合わせ場所のパブに到着していた。
ちょっとした都会気分を味わいながらくつろいでいると、耳を疑う話が聞こえてきたのだという。
「…………だよなぁ。この仕事も楽なもんじゃない。俺ら都市部の徴税官はまだいいさ。金集めて回るだけで、ただの憎まれ役みたいなもんだけどよ。地方部にゃ派遣されたかねえなぁ……。領主代理まで兼ねると、愛想振りまくのも仕事のうちだろ」
「そうそう、地域派遣になった……西の伯爵領の代官のアイツ。俺は絶対やってらんねえわ。大変だよな、領民がどうしようもねえ奴らなんだろ? 納税は渋るわ、陰気で無気力だわ、挨拶してやってもシカトするわだ、って愚痴ばっかだもんな」
「どこまでマジの話なのかは知らねえが……鵜呑みにする分には最悪だよな。まあド田舎らしいし、夜遊び大好きなアイツにとっちゃ、辛い仕事なのは間違いないわな。だが、顔見れば愚痴聞かされる同僚の気持ちにもなってほしいぜ。それくらい領民と上手くいってないってことなんだろうけどよ」
……二人はあまりの衝撃に言葉を失ったそうだ。
そして、話を伝え聞いた領民もまた同様だった。
話題の人物は、間違いなくこの領地の代官のこと。
彼は領民の目に触れない場所で、全く事実無根の陰口を垂れ流していたのだ。
この領地では代官に統治権が移ったあとも、脱税や滞納をしたことは一度たりとてない。納税の時期になれば自主的に出稼ぎに行き、疑われるようなことをした覚えさえなかった。
すれ違えば挨拶をした。楽しく会話をした。良い関係を築けていた、そのつもりだった。
彼の流布していたことに心当たりがないどころか、むしろ彼はこの領地を気に入ってくれているとさえ思っていたのだ。
いきなり降って湧いた衝撃的な話は一瞬では信じがたく、戸惑うばかりだった領地の男たち。
……そう。裏切りに戸惑っていたのは、男性陣と老人たちだけだった。
思い返せば、その時点で受けた衝撃など、続く話の比ではなかった。
旦那が感じていた友情の念を壊すまいと、これ以上傷つけまいとしていたのか……固くこわばった表情で口を閉ざしていた女たちが、やがて懇願に負け、ぽつりぽつり告白してくれたのだ。
あの代官は……男たちと楽しそうに話していたかと思えば、女の前ではその悪口を展開する。
ただ嫌っているという種類のものじゃない。こちらに媚びているつもりのおぞましい口調。
しかも男が不在だとわかっている時だけわざわざ家にやって来るので、恐怖を感じていた。
嫌な思いをするのが自分だけならばまだいい。
子供をあからさまに邪険にするのが耐えられない。
あの薄ら笑いが恐ろしい、と。
――それからはもう、誰もが皆貼り付けただけの笑顔を浮かべ、当たり障りのない対応をし続けた。
自分を取り巻く空気がそれまでと変わったのを、彼も感じ取ったのだろう。
やがて視察の足は徐々に途絶え、徴税の際だけここに訪れるようになった。
とはいえ、別に奴は何かとんでもない不正をやらかしたわけではない。
二年の任期を満了し、何事もなかったかの如くその地位を降りた。
あとを置かずして赴任したのが、背は低く横にデカい、髪と同じくふさふさの茶色い口ひげを蓄えた二番目の代官。
彼は良く言えば熱血で仕事熱心。
悪く言えば自分一人の正義正論がどこでも通用すると固く信じており、何が逆鱗に触れるかわからない、激情型の男であった。
それからとにかく、金遣いが荒かった。
前任と違い陰でネチネチ嫌味ったらしい行為はしない反面、堂々と悪態をつく。
そして、領民の意見など聞いちゃくれない。
「この何にもない土地をまともに開発してやり、無気力な人間に都会で暮らすことの健全さを教えてやろう」という、実にはた迷惑な、崇高な目的を持って赴任して来たらしかった。
テナーレに集会所を作るとか、ここで熱く語らって領地を開拓していく気概を見せてみろとかなんとか言っていたが、そんなものは心底いらない。
しかもその財源は、領民があくせくかき集めてきた地方税から出るのだから、やっていられない。
この地の民は、毎日のどかに仕事をして、森の木漏れ日を浴びてのんびり暮らす。
それで十分すぎるほどに幸せなのだ。
でも、彼にはそれが理解できないようだった。
ここに常設の飲み屋はないのか、作る気はないのか。
日が沈めばすぐ寝るなどつまらないだろう、夜に遊べる場を作るべきだ。
開発によって発展し、人も金も集まる。良いことづくめじゃないか……。
奴の言う「開発計画」とやらは、大切な森の木々を片っ端から伐り倒して、バカスカ建物や飲み屋を建てまくることが大前提なのだ。
そんなもんに賛成して協力する者などいようはずもなかった。
前任のクソ代官のおかげで、領民は全員「大人の対応」ってヤツを身につけていた。
上手くいなしてやり過ごし、計画自体をなかったことにする。
酒を飲ませまくり、代官を褒め称え、まるで計画が大成功したかのような気分にさせる。
馬鹿にならない酒代と気力。
しかしそれが伯爵様の領地、愛する妻に子供たちを守れる代償だというのなら、随分安いもんだ。
あいつのやった功績は、言ってしまえば集会所を一つおっ建てた、それだけなのだが。
二番目の代官もまた、税を少々自由に使いすぎるだけに過ぎない、極めて優良なお役人さまであるために、きっちり二年の任期を終えて領地を去った。
そして、この地に次に派遣されてきたのが……無表情で感情の読み取れない青白い顔、それに対比するような黒い髪。贅肉も筋肉も見当たらない、骨ばった体格の男。
子供たちの殺害未遂を犯しやがった、三番目の代官であった――――。
奴が赴任して来た、最初の日。
彼は着任の挨拶だと言って、妻と娘を伴ってエルトとテナーレの家々に訪れた。
もうどんな奴が来ようと驚きもしないと考えていた、領民たちの誰もが仰天した。
連れられていたまだ幼い娘の姿にだ。
七~八歳くらいのその娘は、まるで王族のお姫さんが着るような、きらびやかなドレスを着せられていた。田舎領地の代官の娘だと一目で誰がわかるだろうか。
いわば、行き過ぎた愛情の化身だった。
娘が第一、大層甘やかされている様子が見るも明らかだったからだ。
しかし、仕事とは何の関係もないこと。実際に彼の領地運営の手腕は確かなものだった。
二人の歴代代官とは違い、彼は上級役人。官僚となるのも間近なのだという。
たまに領地にやって来ては、多くを語らず、てきぱきと仕事に静かに取り組む。
あれをこうしろ、これはどうだと難癖をつけてこない。無駄口を叩かない。根も葉もない陰口を流布しない。
他の者がいないところで、ナンパされたり蔑まれたり、嫌な思いをさせられずに済む。
急に怒鳴りつけられたりしない。森を伐採して無許可に開拓しない。
――全部、ごく普通の領主様がいる土地であれば、至極当たり前のことだ。
でもこの時の領民は感動すらしていた。なんて素晴らしい領主様が来てくださったのだろうと。
事件が起こったのは、心からそう思い始めていた時だった。
奴が赴任してから半年と少しが経って、国税の徴収時期が来た。
それはわかりきっていたことだが、この代官は同時に地方税も徴収すると言い出した。
地方税ってのは、極論を言えば貴族の勝手で徴収するもの。
それを領地運営のため、領民のため、飢饉があった時に備える貯蓄など、正しく使って下さる善き領主もいれば、上手いことご自分の贅沢に回す貴族もいる。
だが後者も「上手くやれば」の話だ。
必要のない地方税は、領民を困窮させるのみならず、領主自身の首を絞めることもある。
その時に地方税を集めるべき理由は見当たらなかった。
まともな産業のない元クローディア伯爵領には、国税と地方税の同時徴収はあまりに厳しかった。
当然理由を問うた領民たちに対し、いつもの無表情で、三番目の代官はこう言った。
「前任の代官が使い切った貯蓄を補給したいのだ。他の領地では、いざという時に地域が共有する薬剤があったり、診療所があるんだ。ここにはそれらがないだろう。貯蓄と薬代に全額を充てる。使用していない駐在小屋に、自由に使えるようにしておく」――と。
やはり素晴らしい御方だ。領地のことを真に考えてくださっている。
皆納得した。
男たちは、実入りの良い採掘や重工の仕事へ積極的に出稼ぎに行き、女たちは子育てと内職を両立して家と領地を懸命に守り、無事に全員が指定額を納税することができた。
熱病の魔の手が現実に襲った時。
大人たちが真っ先に代官の言葉を思い出し、駐在小屋へと走ったのも、アイツに対する信頼の思いからだった。
――そしたら。小屋の中には、薬などひとつもありやしなかった。
裏切られた? そんな考えが一瞬浮かんだが、頭を振ってすぐにそれを打ち消し、行動に走った。
体力のある男たちは子供を妻に託し、全力で丘を駆け抜け、考える前に王都に向かったのだ。
お役所の窓口で矢継ぎ早に告げた。
元クローディア伯爵領の領民であること。領主代理に取り次いでほしいこと。そして、子供たちを助けるために、一刻も早く医療費軽減許可書と薬が欲しいことを。
ずいぶんと待たされるな、嫌に冷たい態度を取るもんだなと訝しく思い始めた頃。
ゆったりとした手付きで、急ぐでもなく調べものをしていた役人はこう言った。
「元クローディア伯爵領の国税は、個人納税額も全体徴収額も、今年支払われた記録はない」と。
頭を覆い尽くす黒い靄のような絶望が、オレたちを包み込んだ。
滝の如く流れ落ちる涙を止めることもできず、ただその場で慟哭するばかりだった。
オレたちはまた同じ間違いを犯した。
代官をみすみす信用するという、どうしようもなく馬鹿な間違いを!
そのせいで今度こそ取り返しがつかないことに。子供たちの命が失われようとしている……!
お役所の奴らは、ただの義務違反者やクレーマーにしてはあまりに様子のおかしいオレたちを不審に思ったらしく、やがて背中を擦ってくれながら話を聞いてくれた。
その背後では、徴税官や代官の管理部署のお偉いさん方が「連絡がつかない! 逃げ出した……!」
「見てください! 宮廷楽団の使途不明金も、評議会の何者かがくすねた年間予算も……! 全部あいつの管轄だったヤツですよ!」と、何やら騒然とし始めていた。
……そこで初めてわかったのは、一番目の代官の野郎の言葉が、今の今まで「生きていた」ということだった。
つまり、元クローディア伯爵領の平民は、伯爵を亡くしてからろくすっぽ働きもせず、日々無気力で怠惰に過ごし、代官には反抗的。徴税命令にはいつも従わず、今回もまたまともに納税をしなかった。
それが王都からの共通認識になっていたのである。
だからこそ、言っても無駄だと判断し、納税されていないのは領民に原因があると信じ込んでいた。
王都役人も宮廷貴族たちも、「困った領民と健気に頑張る歴代の代官」と思い、その嘘や不正を疑うことはなかったのだ。
役人たちが「連絡がつかない」と騒いでいたのは、現在の代官のことらしかった。
もうこの時点で薄々勘付いていた。
薬を買うだの、貯蓄するだのというのはその全てが偽り。
領民が取り次ぎを求めて押しかけて来たのを知り、自分の不正の一部、もしくは全容がまもなく明るみに出ると判断し、行方をくらましたのだ。
最終的に、不遜な態度に対する謝罪を受けた。
追って軽減許可を出すため、しばらくは自費で持ちこたえて欲しいことを告げられ、馬車を数台貸し出してくれた。
処方せんがいらない軽い解熱剤をもくれた。
だが、これらはほんの気休めにしかならないことを、誰もが心の内で痛感していた。
王都の医師を呼び集めるから連れて来いとも言ってくれたが、馬車に乗せて王都まで往復するよりも、北部の侯爵領に向かった方が早い。
申し出を振り切り、やがてエルトの森の暗闇を全速力で突っ切り、その先にある元クローディア伯爵領、シプラネ地区へと急いで馬車を走らせた。
症状が重い子供たちは、すでにこの時意識が混濁しており、呼びかけにも応えてくれないほどに衰弱しきっていた。
シプラネの連中は、元々は同じ領地の仲間。
顔見知りの者も多く、ドートリシュ侯爵様という善良な領主に恵まれていた彼らは、自分たちの姿を見るなり子供たちの緊急看護を手伝い、医者を呼びに領都へと駆け出してもくれた。
その後は語るに及ばない。
代官は、一年にも満たずして罷免。
それまでの虚偽申告に、税金の着服。
国税という国王のための財産までも着服したことについては、反逆罪の判決も下され、数々の罪状により投獄。
もはやどうでもいい話ではあるが……後から聞いたところによれば、奴は遅くに産まれた愛娘のため、自らの手が届くあらゆる金を流用していたそうだ。
意識を失うところまで行った幼い子供たちの回復は遅く、一時はもうダメかと思う子もいた。
必死の看護、利益を省みない医師たちの献身的な治療により、笑って走り回れるようになったのは、本当にごくごく最近になってからのことだ。
ただ、金などいらないとは言われたが、ここまで侯爵領に世話になっておいて、治療費を踏み倒す気にはなれなかった。
納税したあの時よりも、皆懸命に働いて少しづつ払い、ついに完済した。
医療費の軽減が無事認められたのも大きいだろう。
後日、なんとわざわざ国を代表して、北部領主のドートリシュ侯爵様が謝罪に来てくださった。
「これまでの非礼を、代表してここに陳謝する。約束しよう。王宮一丸となり、そなたたちの名誉回復に努める。せめてもの詫びとして、この一年、この領地は一切の非課税とすることが決まった。一刻も早いご子息、ご息女の回復をお祈りする。どうか王国を広い心で許し、これからもずっと忠義の臣民であってほしい」
その言葉に、長い間ささくれていた心が癒やされ、溶かされていった。
伯爵様の面影をふと感じた気がして、自然と暖かい涙がこぼれていた……。
◇◇◇
「……そして……。あれから一年が経った。あなた方、アシュリー男爵家が越してきた!」
「あの日の朝、あなた方ご一家は『着任の挨拶回り』だとおっしゃって、領地を回っていた…………。男爵様と奥様、お嬢様の三人で。――あのクズ野郎と、ちょうど同じ顔ぶれに見えた!」
「今でこそわかりやす……あなた方は、アイツら家族なんかとは似ても似つかねえ。でも、あの時のオレたちはっ……! まるでまた娘のためだけに金を使い込む奴が来た感覚になっちまって!」
「……あんなことをしでかした罪、償っても償いきれやしねえ! オレたちが今日ここに来たのは、謝罪もそうですが、あなたがたに適切に裁いていただくためでごぜえます!」
……なるほどね…………。
年格好が似ていた前任の代官家族と、私達一家が被って見えてしまったわけか。
初日に私達が感じた、領民たちの凍り付いたような笑顔と、どこか悲しそうな微妙な態度。そして私達の後ろに、別の誰かを見ているような視線の理由もよくわかった。
代官のまとめた資料のひどさの理由も然り。
多分あれ、純然たる感想ではなく、逆恨みの私怨もおおいに混ざっていたんだな……。
新しい領主もきっと同意してくれるはずとでも思ったのだろうか。
きっと私達一家は、領民にとって最も警戒すべき恐怖の対象になっていた。
だからこそ無意識のうちに、女性は必死な顔つきで笑い、男性は遠巻きにして目も合わせなかった。
私達はそれに気付きもせず、無理な距離の詰め方をしてしまっていたのかもしれない。
……そしてある意味一番「行動的」であったのが、この若者たちだったということだ。
伯爵様のものである大切な領地と、家族や仲間を二度と傷つけさせまいと誓う気持ちは、皆同じ。
子供たちの死の淵をさまよう表情、これまで押し込めてきた苦難が一挙に思い起こされ、考えるよりも先に手が出てしまったのだろう。
うーん……。どこまでも悲しいだけの話だ。
またしても私は、どう反応していいものやらわからない。
しばらくの間、風の音だけが場を占める沈黙が続いた後に、父様が口を開いた。
「……なるほど。君たちの主張、これまでにあったことはよくわかったよ。私達を傷つけるつもりはなかったこともね。私達はどうやら無用な不安を与えてしまっていたようだ。無神経かつ迂闊に動いてしまってすまなかった。これからは私達が責任を持って、クローディア伯爵様が遺した土地を、そして領民の皆を守っていくと約束するから、安心してほしい。……だが」
若者全員と目線を合わせた父様の言葉を、頷いた母様が引き継いだ。
「それでもやっぱり、娘が危ない目に遭いかけたことについては、しっかり償ってほしいわ。あの場に私達しかいなかったのなら、うやむやにすることも考えたと思うの。娘に万が一のことがあった可能性もあるし、あなたたちのけじめとしても、こちらから出す処罰を受けてもらえるかしら」
「もちろんでさ! どんな厳罰でも構いやせん!」
母様の問いに食い気味に返答したのは、今日もこの前も五人の中心におり、常に真っ先に声を上げていた……おそらくリーダー格なのだろう、赤褐色の髪をした長身の男。
その声に他の四人も続いた。
「君たち自身から処罰の申し出があったのは、とても喜ばしいことだと思う。それじゃあ追って沙汰を出させてもらうから、今日のところは頭を冷やして――」
「は……? ちょっと待ってください!」
突如ハロルドが声を荒げた。
何事かとびっくりしている私をよそに、彼に同調している様子のロニーとジルも次々と口を揃え出す。
「大人しく聞いてましたけど、結局こいつらは誰で、そんでもっていったい何をしたんスか」
「聞き捨てならねえ話だった気がするんスけど。お嬢様に危害を加えかけたとかなんとか……オレらにも説明してください!」
「ああそれはね、この間私が歩いてた時によそみをしていて、うっかり肩がぶつかりかけ――」
「はい! オレたちはここの領民で、この間、男爵ご一家目掛けて石を投げた下手人でごぜえます!」
「後先考えねえオレたちのせいで、あわやお嬢様はおケガをなさるところでらっしゃいました!」
……こ……このバカ正直クインテット!!
せっかく父様も母様もぼかした言い方をしてくれていたのに!
せっかく今、人が穏便な方向に持っていこうとしていたというのに!!
もう後ろを見るのが怖い。
ギギギ、と硬直した首をゆっくり背後へ向けると――案の定、怒りの使用人トリオの瞳は、射殺さんばかりの殺気に燃えていた。
「んだとテメェら! おお!? ルシアお嬢様に、オレらの宝石であり、花であるお嬢様に……! 事もあろうに暴力だと!? ぜってえ許さねぇ!!」
「マジでざけんなよ! のこのこ来やがって、相応の覚悟はできてんだろうなぁ!?」
「イキってんじゃねえぞコラ! テメェら歯ぁ食いしばれや!!」
「はい! 煮るなり焼くなり、好きになさってくだせえ!」
いやちょっと、ちょっともう! 怖いわ!!
「いいから! お願いだから落ちついて! 血気盛んトリオはちょっとしばらく静かにしてて! そしてあなたたちははいじゃない!」
「っ、……ですがお嬢様!」
「ホントに何もなかったんだから! ね!? 大丈夫、私には考えがあるのよ。あと多分この人たち、あなたたちより歳上だからね!?」
懸命の説得により、肩で息をする猛獣……いや、使用人たちはなんとか矛を収めてくれた。
今のうちだ!
同様に安堵の息を吐く両親の腕を取ると、少し離れた場所で声をひそめる。
作戦会議の開始である。
「……それで、ルシアの考えというのはなんだい? さすがに無罪放免とはいかないよ。事情を知った今心苦しくはあるが、幼い少女に暴力が降り掛かってもなんの処罰もされない土地と見なされてしまえば、この領地全体のイメージダウンに繋がってしまう。ルシアが考えてくれた例の計画にも影響が出てしまうよ。もちろん、ルシア。お前自身も極めて危険になるんだ」
「わかっているわ! その処罰についての話よ!」
「……母様はね、罰金刑がいいんじゃないかと思うわ。話を聞けば、皆さん病み上がりのお子さんがいて、懲役や王都への引き渡しになってしまえば、家庭から大黒柱がいなくなることになるでしょう。反省もしていて、一番の被害者のルシアが許してあげるつもりの中で、それは厳しすぎると思うの」
「待って母様。私の考えは違うわ。これはいい機会よ! 私はね……労役刑をやってもらおうと思っているの。そう、アシュリー男爵領の主要産業でね!」
「! なるほど……! 刑罰として、この一大計画の労働力になってもらうということか……!」
意気揚々と殺気の輪の中に戻ると、今なお若者たち五人は何の抵抗もせずに拘束されていた。
「テメェら絶対動くなよ……逃げでもしたらマジでタダじゃおかねえかんな」
「わかっておりやす! 皆様方のお裁きを、大人しく待っております!」
「みんなお待たせ! 相談が終わったわ。……ちょっと固く縛りすぎじゃない? 多分逃げたりしないから、もう離しても大丈夫よ。緩めてあげて」
ケンカの方法などよくわからない私にも、今の体勢は最初に拘束を頼んだ時とは全然違い、動きを止めるだけではなく、痛みとケガを伴いそうなものになっていた。
五人のうちリーダーっぽい赤褐色髪の青年と、髪束が犬耳のようになっている茶髪の青年の二人は、ハロルドとジルよりも体格が良い。
力自慢のロニーにも張り合えそうである。
逃げ出すことはおろか、その気になれば反撃もできそうなもの。
おそらく今拘束を緩められるまで、相当痛かったはずだ。
しかしそれでも抵抗の素振りさえ見せなかったのは、きっと今日の謝罪と後悔が見せかけではない、心からのものである証左だと感じた。
「えーっと……ジェームス、バート、ラルフ、ヒューゴ、オリバー。あなたたちに受けてもらう罰が決まりました」
ごく、と固唾を飲む音が耳に届く。
他の領民から聞いた特徴を思い出しつつ、記憶から名前を探り出す。
五人のリーダー格に見受けられる、赤褐色の髪と夕日色の瞳を持つ青年は、ジェームス・バーキン。
クールで博識そうな印象を受ける、灰色の長髪に黒縁眼鏡の青年は、確かこの屋敷のご近所さんであるアーチャー家の長男、バート・アーチャー。
茶色い髪の房が犬耳さながらになっており、一部分クリーム色になった髪束がより犬耳っぽさを感じさせる、オオカミ獣人のようなワイルドな青年がラルフ・ウォルフ。
一見可愛らしいと感じてしまう、女性顔で小柄ながら恰好は無骨な、不思議なホワイトパープルの髪と瞳のヒューゴ・ユーリー。
太陽に輝くオリーブを思わせる黄緑がかった金色の髪に、緑色のややキツいつり目をしたオリバー・ハワード。
……だったはずだ!
正直あやふやだったものの、誰からも訂正が入らないところを見れば、全員正解だったようだ。
今こそ、満を持して発表するとき!
「あのね。実は私達、この領地で新たな事業を始めようとしているの」
「は……はあ、そうでしたか。オレらは今さら、皆様方に反対なんざ……」
突然何を言い出したのかと、五人の顔にそっくり書いてある。
私は静かに言葉を続けた。
「それでね。地元民の皆の中から、ちょうどなんでも親身にやってくれる、完全な協力者がほしいなと思ってたところだったの!」
「…………へ?」
「あなたたち、さっき言ったわね。『このままの領地が大好き』、『開発にも都会的な暮らしにも興味がない』って。そして、代官とうまく付き合うために『領民は皆、大人の対応ってやつを身につけた』ってね。今こそ、それが強みに変わる時! それを活用する時よ!」
意図が掴みきれていないのが手に取るようにわかる。今は刑罰の話をしているのでは、と。
「お……お嬢様、オレ達の刑はどうなったんで? それを活かすってのはいったい……」
「ふっふふ……よく聞いてくれたわね。私はね、あなた達を罰したりしたいわけじゃないわ。意味のない罰を受けてもらうくらいなら、むしろその分、私達に力を貸してほしいの!」
いやあ、良かった良かった。
私の意向を理解して動いてくれて、地元民の目線の意見をくれて。町の仲間に魅力を説明してくれて、内外に発信していってくれるような協力者、ほしかったんだよ。
自ら立候補して来てくれる人がいるとは思わなかった。
特に被害はなかったけれど、禍転じて福となすとはこのことだ。
貴重な人材。いや、「人財」たちよ!
せっかくなんだから、そのありあまる元気と地元愛は、魅力を発信していくことに使ってもらおうじゃないの!
「あなたたちには、労役刑を課します。反省してくれる気持ちをお仕事と働きで示すこと。仕事先と仕事内容は……アシュリー男爵家が運営する新事業、『ホテル』っていう場所の設営よ! 計画からオープンまで、ぜーんぶ付き合ってもらうわ。――今日からみっちり働いてもらうから、覚悟してね!!」
オープニングスタッフ、ゲットだぜ!