地べたに頭を付けて許しを乞……わないでくださいませ!
――早いもので、私達一家が領地に来てからもう半月が経った。
あれから毎日、引きこもり一家のなまった身体に鞭を打って、領民の皆さんに声を掛けて回る日々が続いた。
子供たちや女性はどこかよそよそしいものの、わりと最初から友好的であったが、おそらく未成年の子供がいる年齢くらいであろう男性陣は、なかなか頑なな態度を崩してくれなかった。
ご老人は、私という「自分たちの新たな孫娘」的存在が可愛いのか、おばあさんだけでなくおじいさんもはじめから優しくしてくれた。
最近ではもう、こちらが挨拶をする前から近付いて来て、採れた果物やら手作りのお菓子やらをくれるくらいである。
今日において、もはや大多数の領民とはだいぶ打ち解け、仲良くなれた自負がある。
三人でまとまって行動するのみならず、日々個人行動をして挨拶に回り、それぞれの交友関係を開拓できつつあるのだ。
あとはまだまだ遠巻きにされている青年、中年の男性の心を開くだけだな……。
なぜ私達に一歩引いたような態度を取るのか?
私達の性格や人間性が何か気に食わないというのならどうしようもないが、やはり初日に感じたように、過去にあったことが気にかかり、「領主という役職の人間」を警戒しているように思える。
私は結構直球で、会う人会う人に訊いて回った。
両親もまた、仲良くなれた方に遠回しに訊いてみたらしい。
「この領地で、過去に何か嫌な出来事があったのですか?」といった内容を。
しかし全員、「いやいや、なんでもないんですよ。ただねぇ、今までのお代官様方が、あんまりお優しい方ではなくってねえ……」と、これまたぼかした回答しか得られることはなかった。
でも。まあいいか、というのが今の私達の気持ちだ。
無理に聞き出すことではないだろう。
もっと今よりも領地に溶け込んで、私達を本当の仲間だと認めてもらえる日が来たら。きっといつか、自然に教えてくれる時が来るだろうから。
今はまだ、その時ではない。それだけのことだ。
◇◇◇
「……さて。今日の掃除は、ここまでにしようか。そろそろ挨拶回りに出かけるとしよう」
「随分綺麗になってきたわよね。毎日少しずつでもやると違ってくるものね!」
「クローディア伯爵様、それではいってきます。また明日、綺麗にお掃除しますから!」
すっかりここ最近の日課となっている、クローディア伯爵様のお墓掃除に区切りをつけた私達。
商会の在庫として残っていた重曹や洗剤を利用し、毎日掃除を続けていたのである。
苔むしたお墓もそれはそれで情緒があったが、私達はここに住まわせていただいている立場。伯爵様が安らかに眠れるように、やるべき最低限の礼儀だろう。
挨拶回りに行く直前の朝方と、日が沈む前の一時間程度。お墓を覆う苔も、少しずつ綺麗になってきた。ピッカピカの新品同然になるのももうすぐだ。
使用人の皆も、お花やお菓子を供えたりして、アシュリー男爵家のちょっとした憩いの場になりつつあるのだ。
いつか領民の皆にとっても憩いの場になればいいな。気軽に立ち寄れるような、地域の団らんの空間に。
きっとクローディア伯爵様もお喜びになるだろうから……。
いつの間にやら、朝日は丘の遥か上から私達を眺めている。
優しく照り映える日の光は、私達三人に物言わぬエールを送ってくれているように思えた。
――そうだ。今日はラードナーのおじいちゃんとおばあちゃんに、この前もらった差し入れのお礼をしなくちゃ。
ついに昨日三十メートル先から会釈をしてくれたダンナムのご主人とは、今日こそ会話ができるだろうか。
各々の思いを胸に、呑気な笑顔で敷地の外へ一歩踏み出した……その時だった。
ザッ!
複数の人影が木々を抜け、一瞬にして私達を取り囲む。
あまりにも突然のことに面食らい、理解できないものを前にした恐怖すら感じ、固まってしまった私達。
その心境を知ってか知らずか、目の前に立ちはだかる人影たちは、森を突き抜けてテナーレ全域にまで響き渡りそうなほどの大声で、こう絶叫した。
「「「アシュリー男爵家の皆様! この前は、いえ先日はっ……大変な無礼を働き、申し訳ありませんでしたぁあっっ!!」」」
そこには――スライディング土下座の要領で、額を泥に擦り付けて頭を下げる、見覚えのある五人組の青年たちがいた。
間違いない。半月前、挨拶回りの初日に投石をしてきた若者である。
私達の出てくるタイミングを分析していたのか、屋敷の敷地内に無断で踏み入ることはためらわれたのか。
どうやら一家の外出の時間を見計らい、早朝から出待ちしていたようだ。
いや、そんなことはこの際どうでもいい。
何? なにが!? 土下座やめて、やめてったら……ちょ……やめ、やめろ! 頼むから頭を上げて!
「君達! いいからまず頭を上げなさい! 確かに娘に謝れとは言ったが、そこまでしろとは言っていない!」
「いいえ! オレたちの誠意を伝えたいんでさ! どうかこのまま謝罪を聴いてくだせえ!! ……実は、前までいやがった代官、つまりあなたがたの前任の野郎は…………」
「だから、ひとまず土下座をやめてちょうだい! ね!? 話はそれからよ! あなた、協力してこの人たちを起こしましょう!」
「オレたちにゃ、皆様がたと同じ目線で話す資格なんかねえんです! 特にお嬢様、貴女さまにはさぞ恐ろしい思いを……」
「な、なんということだ……! てこでも動かない! 私の力では一人を支えるのでやっとだ! 五人全員を起こし続けていることなどできやしない……!」
何この状況。何この事態!?
「ロニーー!! ハロルドー! ジル――! ちょっと来て! 早く来て――!!」
「お呼びですか、お嬢様……え? 何? なんスか、これ」
「いいから! おねがい、この人たちを全員支え起こして!! 後ろ手を固定して! 二度とその頭を下げることのないように、しばらく押さえていてほしいの!」
「なんか久々に力仕事かと思えば……何この意味わからん仕事……仕事っていうか、謎命令」
「つーかまず、こいつら誰なんですか」
「説明はあとよ! そのまま、そのままよ! 父様が力尽きるのはもうすぐだわ! 私達が話をしている間!ずっとそうやって姿勢を固めていてね!」
「何が起こってんのかわかりませんけど、傍からはこれ、逆に拘束してるみたいに見えません?」
その後、男性使用人たちの尽力によって、反乱分子ならぬ謝罪分子をなんとか沈静化させることに成功した。
後ろ手を縛られ、背中をまっすぐに押さえつけられた彼らから落ち着いて話を聞き出せたのは、実に一時間以上が経過した後のことだった。
「ハァっ……ハァ……そ、それで……君たちの言う謝罪、事情とはいったいなんだい……?」
息も絶え絶えのその問いに答えたのは、父様とは裏腹に早々と息が整ったらしい、犬耳のような髪束が特徴的な茶髪の青年だった。
「はい! どうかご説明させてくだせえ。まずオレたちは、アシュリー家の皆様を完全に誤解してやした。どうせあいつらと何も変わらない、オレたちを見下してだまくらかす、搾取するだけの連中だと思っていたんでさ」
それに続いたのは、この中でも一番小柄な白髪……一概に「白」とも言い難い、紫と白が混じり合った髪を持つ青年。
「したけどそれは間違いでした。この数日、あなた方を見てわかりやした。あなた方はあいつらとは違う……。見せかけや打算でねく、真にオレ達とこの土地を想ってくださる方々なんだと。よりにもよってあいつらと重ね合わせて見てたたぁ、なんてとんでもねえ無礼だったんだと……!」
「……あいつら?」
私の呟きに、五人全員が頷き返した。
気が付けば皆、私にしかと視線を合わせていた。
自然と代表となった様子で口を開いたのは、完全に主観ながら……なんだか最も頭の切れそうな、灰髪で黒縁の眼鏡をかけた一人の若者。
やはりこの中で一番話が得意なのか、やがて彼は慎重に言葉を選びながら、この美しい地にまつわる忌まわしい過去の経緯を聴かせてくれた。
「あなた方が来る前。……クローディア伯爵様がお亡くなりになった六年前から、つい去年まで。ここには二年ごとに王都から代官が赴任していやした…………」