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男爵令嬢の領地リゾート化計画!  作者: 相原玲香
第一章 〜リゾート領地開発編〜
12/91

波乱は、まるで沼の水面のように


 小高い丘に朝日が顔を覗かせる。

 それを合図に、木々の隙間や、あるいは沼の水面にいた鳥たちは雄叫びにも似た鳴き声を上げる。

 それは朝の訪れを告げると共に、新しい一日を迎える喜びを高らかに表現しているように聴こえた。


 月を拒絶するようにその光を遮っていた森の緑葉は、一筋、また一筋と日光を歓迎して、柔らかな芝生を照り映えさせる。

 太陽がアシュリー男爵領を丘から完全に見下ろす頃には、沼がその姿を克明に映し取り、この地においてだけは、対比する日輪が二つ存在している。

 沼の深緑に染まる日は、毒々しげで底知れぬ恐ろしささえ感じさせる。

 だが、見る者によっては、それは何よりも美しい芸術でしかない。

 あまりに神々しく、人智を超越した光景に惹き込まれるばかりであった。



「きれい……!」

「本当ね。こんな素晴らしい景色、他では絶対に見られないわ」

「ああ。いつまでも守っていきたいな。この美しさを守るのは、私達の役目だ。今日から頑張ろう!」


 私達アシュリー家一同は、起床してすぐに廊下の窓へと集合していた。


 鳥の鳴き声が目覚まし代わりになり、夜明けと同時に起き出してしまったのだ。

 王都では時間の区切りごとに聖会堂の鐘が鳴るのであるが、このあたりには聞こえて来なかった。

 聖会堂はおろか、代役となる分役所も存在していないようだ。


 機能性や利便性とはかけ離れた土地。

 しかしこちらの方がより自然に溶け込んだ感じがして、私達家族の性にとても合っている。

 きっと領民の人々にとっても、自慢するほど気に入っているような土地の魅力の一つなのだと思う。

 今後は鳥が起こしてくれる生活が待っている。

 なんて素敵な、心豊かな暮らしなのだろうか。


 私達は感動の光景にただただ恍惚とし、純粋で柔らかな義務感、決意を感じていた。



 今までであれば、この時間帯にこんなにも呑気にしている場合ではない。

 今日も一日頑張るために、エネルギー補給は必須。

 本来家族で協力して朝食を準備しているべき時間だ。

 だが今日からは、それは義務ではなくなろうとしている。


 私達がこうも余裕をかまして景色を眺めているのは、これから来てくれる予定の来訪者を待っているからだった。


 やがて赤褐色に光る朝日が優しい金色の光輪に変わる頃。


「皆様! おはようございます。ただいまお見えですよ!」

 侍女の一人であるユノーが、私達を呼びに来てくれた。

 待ちわびた人物が無事に到着したようだ。

 すでに玄関を通し、彼がいるべき場所へと案内してくれているらしい。


 石造りの階段を降り、ユノーと一緒に私達もその場所へ向かう。

 これから彼の仕事場となる場所――厨房へと!


「いらっしゃい! よく来てくれた」

「ここまで遠かったでしょう。お疲れさま。これからよろしくお願いね」

「アシュリー家にようこそ! よろしくね、料理長さん!」


  ◇◇◇


 国王陛下より、アシュリー家は褒美と褒賞金をも戴いた。

 私達一家は叙爵式の後、城から遣わされた高級官僚の方に訪問を受けていたのだ。


 しかし……正直なところを言えば、どちらも必要ではなかった。


 先祖代々の遺産の積み重ねや、少しずつ増やしてきた貯蓄も保有しており、また、商会と家を売ったお金も入った。

 俸給がもらえるのは来月になるが、使用人への給料なども含め、うちには十分な余裕をもってやり繰りできる資産があった。


 褒美の品もまた、私達一家には魅力を感じることができなかった。

 特に欲しいものがないのである。

 一応考えてはみたのであるが、候補に上がったのは本や絵画、工芸品に家具。

 どれも今すぐ欲しいわけでも、わざわざねだるほどのものでもない。

 口に出す前から、家族各々の脳裏に「いや、自分で買え」との言葉が浮かんだ。


「他の人はどういったものを望むのですか」と参考程度に何気なく訊いた父様。

 官僚様の返答に私達一同は目をひん剥いた。

 色とりどりの宝石。次いで、人気の仕立屋に作らせた特注のドレス。領地の拡大や、土地の名義。

 だいたいそういったものが好まれるのだそうだ。


 ……冗談ではない!

 さらなる領地や栄誉、別に着ていく場所もない宝石やドレスなど、私達には欲しいとは思えない。

 特に装飾品の類である、外に出ること前提のものなど絶対にごめんだ。


「格式高い御家のパーティーに着ていけるものがございませんので」という手が使えなくなる!

「行けない建前」「断る理由」が一つ減ってしまうじゃないか……!

 褒美どころか、私達にとっては自らの足をすくう悪手でしかない。


 それに心底興味がない。

 キラキラ光るだけの石に使う予算は、王都の人々や王族のために活用していただきたい。

 喜んでくださる方が身に着けるのは良いことだと思う。

 ただ、私達にはまさに豚に真珠なのだ。

 予算も宝石そのものも、必要とする方のために使われるべきである。


 よって、一度はお断りした。

「あ、いりません。権利を返上いたします。街の整備ですとか、王族の方々のために使ってください」と軽く手を振って言い、自分の紅茶を飲もうとカップに口を付けた父だったが、身を乗り出してその両肩をガッと掴んだ官僚様の手によって、紅茶を勢い良く吹き出すことになったのだった。


「そんな! 困ります! これには救国の恩返しとしての役割もございますから! なんとしてでも受け取ってもらわねば、私の進退に関わります!」

 悲痛な叫びを上げながら、父をガクンガクンと揺さぶった。


 事が人ひとりの進退に及ぶというのならば、無下に追い返すことは流石にできなかった。

 とりあえず、全く使い途の見当たらない褒賞金は全額受け取ることで同意。

 褒美の品については「これはどうです!? ではこういうものであれば!?」と、官僚様による決死の協議という名の聞き取り調査が行われた。



 その結果。

 今まで平民だった私達一家が持っていない、「貴族」として実用的なもの、必要なものを「支給」してもらうという話で最終的に落ち着いた。

 体面上は、アシュリー家の強い意向で望んだ品という扱いにして。


 私達一家に褒美として与えられることになったのは以下の通りだ。


 まずは、アシュリー男爵家の紋章が刻印された指輪である。

 正式な手紙を出す際に、垂らした蝋に押し付け封緘したり、書類の末尾にハンコ代わりとして使ったりするのだそうだ。


 次に、馬が一頭と馬車が一台。

 馬車の両側面には、アシュリー男爵家の紋章が透かし彫りに象られている。

 これは結構助かる。

 父様が出仕に利用するのはもちろん、領地の視察やいざという時の緊急救助にも利用できるだろう。


 これらの褒美は指輪を乗せた馬車と共に、馬を操れるとある人物によって、一度にお届けしてもらえることになった。


  ◇◇◇


 そして、その人物とは。

 今回褒美として賜った、これまでアシュリー家には存在していなかった役職。

 その腕確かなプロの料理人。

 私達にとっての最大の褒美こそ、男爵家専属の料理長シェフ。彼その人であった。


「ギリスと申します。これまで二十八年、修行を積んで参りました。国王の勅令、貴族様方の満場一致で爵位を得たという、アシュリー男爵家で腕をふるえるとは恐悦至極です! どんな高位のお客人が来ても、必ずやご満足いただける料理、皆様のお顔に泥を塗らないもてなしをしてみせましょう! どうぞこれからお願い申し上げます!」


 ギリス・ブルーベル。年齢は三十六歳だという。

 彼はなかなか見ない男前だ。キリッとした海色の瞳が、その精悍さを引き立てている。

 ザン切りにされた短い金髪は、コック帽トックブランシュを被ると完全に見えなくなる。


 数々の屋敷や食堂でまだ幼い頃から修行をし、ついに師匠と慕う人物からお墨付きをもらった。

 独立することを認められ、自分の店を出すか、どこかかつてのゆかりがある貴族邸に、料理長のポジションを用意してもらうかで迷っていたところに、王宮からお声が掛かったらしかった。


 ……ただ非常に申し訳ないが、このお屋敷に賓客を招く機会は、多分ない。


 おそらく、そういう歓待が貴族家なら当然あるだろうと見越しての、今回の采配なのだということはわかってはいる。

 だが両親はそういった事態になりかけても、まずのらりくらりと断ることは目に見えている。

 そして私には。……実はお客様が来ても、うちに呼ばなくても済む秘策があるのだ。


 ここでは彼の期待しているような仕事はきっとないし、彼の理想の職場ではないはず。

 そんな私が言えることではないけれど、それでも我が家を気に入ってくれて、仲良くなれることを願いたい……。


 その場に使用人も揃っており、全員で自己紹介をした。

 新たな仲間を受け入れ、皆の顔は優しく穏やかであった。

 案外すぐに打ち解けられそうで何よりだ。



 食卓は、主人である家族三人が使用する長机と、離れた位置に使用人用の少し小さめのテーブルがある。

 とはいえ、私達家族に区別する気は特にないため、全員いるならば一緒に食べればいいだろうと同じ机席に座らせた。


 全員が顔を突き合わせているならちょうどいい。

 ギリスが厨房へ入った後、待っている時間も活用しようと机に資料を広げた。

 領主貴族代わりにこの領地の統治業務を担っていた、歴代の代官がまとめた資料だ。

 このたびのアシュリー家の赴任に伴い、所属部署長を経由して父様に提出されたものらしい。



 しかしそこで、私達は目を疑うことになる。

 資料に並ぶ言葉はネガティブなものばかりであった。


「労働人口が少ない」

「開発の余地が多くあるのに、誰も手を付けようとしない」

「住民たちは異常なほど朝早くから起床し、夜は月が出るとすぐ就寝する。遊びを知らない。よって、遊ぶ場所も当然皆無のつまらない土地」

「主要産業なし。林業を提案するも拒絶。エルトは沼地、テナーレも湿地質につき農作には不向き」

「建物よりも、うんざりする量の木々が土地を占める。鬱蒼とした森と沼ばかり。気味が悪い」

「仕事だから来ているが、住みたくはない」

「都会で一旗挙げ、豊かに暮らそうと普通思うはずの若者たちに、なぜかその気がない。無気力で意欲のない住民だらけだ」



 ……これはひどい……!


 地域出張型の役人というのは、その地域や住民にある程度愛着や親しみを持って接するものだ。

 当初その気がなく、しぶしぶ受けた仕事であっても、時間が経ち人々と関わるうちに魅力に気付き、多少の愛情を感じるようになるだろう。


 だが、仮にも領主一家に提出する資料がこれである。

 概要と年表が内容の主を占めていた、本来微妙に管轄外らしい案内役の役人さんがまとめてくれていた資料の方が、よほどこの領地と領民に寄り添っていた。

 今までこの地を担当してきた彼らが、表面的にしか仕事をして来なかったことを全員が痛感した。


 それに、こんなに自然あふれる素敵で美しい土地に対し、この言い草。

 歴史・文化的事情を鑑み、領民の声や反対意見をも含め、相関的な実態を列記したうえで、こうした自分の所感を述べる分にはいい。

 しかしこの資料は、あまりにも主観と偏見に満ちている。


 ……田舎暮らしののどかさや、家でのんびりすることをつまらなく感じ、遊び運動し飲み歩くことを愛する都会志向の人の捉え方は、こんなものなのだろうか?

 そんなことはないはず、と自問に反論する気力も沸いてこない。

 彼らの目には、さぞや何も面白味のない無価値な片田舎に映ったことだろう。


 案内をしてくれた役人さんが言っていた、「陛下も長い間ここを心配していた」「ここを気に入ってくれた皆さんでしたら……」という言葉の真意が、今なんとなくわかった気がした。



 家族の表情、纏う空気は重く硬い。

 使用人の皆は主人たちの思いを共有しているからこそ、なんと口を開けば良いかわからない様子で押し黙ってしまっている。


 領民の皆、天国のクローディア伯爵様が感じたであろう怒りや悲しみを、同調して味わっていた。

 この目でしかと見て歩いた、魅力満載のアシュリー男爵領。それが暗に罵倒されている現実。

 そのショックは計り知れない。

 私の受けた衝撃も、とても言葉では言い表せないものだった。


 でも…………。

 私は同時に、「痛いところを突かれた」という感覚もあった。


 無論、ここがつまらないとか、領民が無気力であるとかの部分ではない。

 細々と作物を育てて、自分たちが食べる分だけを確保している様子のことでもない。

 農業を主体産業として確立させようとしないのは、おそらく野菜や穀物が育ちにくい地質であり、ノウハウもない。安定して生産を続けるのが難しいからだろう。

 それは責めるべきことでもなんでもない。

 また、同様に知識のない私達に責める権利もないことだ。

 仮にそこを開発しようとしても、大した成果も上がらず、領民のモチベーションにも繋がらないだろう。


 私が思うもったいなさとは……「開発の余地があるのに」。

 この領地の観光リゾート地としての大きな価値。

 ここは、本当にもったいない。


 王都に住んでいた私達は、叙爵され領地が決まるまでこの場所を知らなかった。

 ここを素晴らしいと思うのは、何も私達だけではないはずだ。


 ここを、アシュリー男爵領を、他の人にも知ってもらいたい!


 太陽と月を映す、雄大な沼の美しさを。

 森が優しく語りかけてくるような、木漏れ日と木々のざわめきを。

 自然と共生する生活の穏やかさを。


 都会にはない楽しさがあるとわかれば。

 素敵だと思ってくれる人がたくさん訪れるようになれば。

 きっとここは、誰もが魅力を感じる唯一無二の楽園になるだろう。



 ――本当は。この提案は先程思ったように、「この家に客を招き入れなくて済む」ようにするために考えていた、秘策のはずであった。


 しかし。今私は領主の娘として、領民のために提案する。

 まだショックを完全には振り切れずにいるが、気持ちを奮い立たせた。

 俯いたままの皆を見渡し、全員に言葉が届くように意識して声を張る。


「ねえ、みんな聴いてくれるかしら。私に提案があるの」


 そう! 農地開発がダメなら。接待をしたくないなら。

 リゾート開発をすれば。ホテルを作れば良いじゃないの!


第一次産業(農業)がないなら、第三次産業(観光業)をすればいいじゃない!!」



「…………観光業? ここを、観光地として開拓していくってことかい?」

「そう。ここの良さに気付いてくれる人たちは、私達だけなんかじゃない。きっとたくさんいるわ! 魅力が知られていないなら、領主である私達が発信していけばいいのよ!」


 領民の皆が豊かに、幸せに生きる方法。

 それは都会に暮らすことでは叶えられない。


 きっとこれまで貶められ、理解しがたいものと扱われてきた、静かでのどかな暮らし。

 口に出せずにいた、愛する故郷の魅力。

 それを伝えることが仕事にもなる、お金を稼ぐ手段にもなるのだと。

 それだけの価値がある場所なのだと、領民に再認識してもらおう。


 その手段こそ、観光リゾート業!


「新しい産業ができれば、領民皆の仕事にも繋がるわ。出稼ぎに行くより稼げるお金も増えるし、危険なお仕事を選ぶ必要もなくなる。何より、大好きな地元でお仕事ができるのよ! ……この地に住む皆は、きっと私達とおんなじ考え。都会に出ていこうとか、ここがつまらない場所だなんて感じていないわ。このアシュリー男爵領で幸せに暮らしたい、そう思っているはずよ」


 他でもないこの地の領主、私達アシュリー家が主導し創生する新事業。

 領民は愛する故郷で安全に、かつ儲かる仕事ができる。

 なおかつその仕事を通して、この地元こそ、領主貴族ロード・ノビリティまでもが自信を持って勧める立派な資産なのだと、たくさんの人々に知らしめられるのだ。


 私は力の限り力説する。


「皆が誇りをもって取り組めるお仕事の創出。『俺はこんなにも素晴らしい場所に住んでいるんだぞ』って自慢できるような土地づくり。……これは私達アシュリー男爵家が最初にやるべき、ここに住まわせてもらうために必要な、第一歩だと思うの」



 両親は視線を彷徨わせ、手指を顎にあてて何かを考え込んでいる様子だ。


 使用人の皆の表情は、二人に比べると明るい。

 おそらく私の話に何か感じ取ってくれるものがあったのだと思う。

 私の提案を踏まえた上で、自分なりの考えがまとまったように見える。

 それでも忠実で実直な彼らは、主人である二人の意見を訊くまで、息を潜めて待とうとしているようだった。


 暫しの沈黙の後、両親は静かに口を開いた。

「新しい仕事ね……。確かに良い手かもしれないわ。私達には、農業や林業に関する知識が全然ないもの。例え湿地や沼地に適した作物が見つかったとして、私達にはその育て方や、まして立派な産業に確立するような指導なんてできない。ルシアの意見は的を射ているわ。領地運営によって左右されるのは、私達の生活じゃなくて領民の生活なんだもの。より皆さんのためになる産業をしていきましょうよ」


「そうだな……今のまま特に手を出さずにいるか、もしくは農地としてある程度に開発し、常に食糧を自給できるように、と考えていたんだが――これは、私達家族が趣味で始める菜園じゃない。領民の方々が食っていける術を見出すのに、知識のない分野に無責任に手は出せないな」


 両親ともに、呟くことで意見を固めていったようだった。父の鳶色の瞳が光を帯びる。


「うん、ルシアの言う通りかもしれないね。税を徴収して、屋敷でのほほんと暮らすことが貴族の仕事じゃない。領民の皆が自信を持って働ける仕事の提供と、ここでずっと生活するための基盤づくり。きっとこれは、私達にとっても大きな意義になる。領地のためにできる最善手になるだろう!」


 両親の目が、商人の目に変わった。

 まだ世に出回っていないヒット商品候補を発見した時の顔。


「あたしもお嬢様の意見に賛成です!」

「自然を自然のまんまで終わらせるんじゃなくて、それも価値に変えて仕事にしちゃうってことですよね。なんでもビジネスにするあたり、やっぱさすがです!」

「全く新しいものが生まれるのを待つのではなく、既存のものに新たな価値を見出す。これは商売の基礎基本ですからなぁ」


 使用人たちも、両親に続いて口々に賛同の声を挙げてくれた。

 どうやら皆の商人根性に火がついたようだ。


 私達は新参者のよそ者に過ぎない。

 しかもその共通認識は、今日明日で劇的に変化するようなものではないだろう。


 それでも、いつか「この人たちが領主ならばまあいいか」「まあ勝手にマーシュワンプに引きこもって暮らしてりゃいい」と思ってもらえる日がきっと来るはずだ。

 そのためにやるべきことが見つかった。

 いつか訪れるその日のためにも、のんびり豊かに暮らせる領地――それを作っていくのが私達一家の仕事だ!


 私達の努力の先は、ゴールはそこにある!


「みんなありがとう! わかってもらえて嬉しいわ。でもね、名案はまだあるのよ! 領地にひとつ、あるものを建てるの。それは―――」



「……お話中、申し訳ありません。朝食が出来上がりましたのでお持ちしました。話の合間で構いませんから、できれば温かいうちに召し上がっていただければと」


 私の考える最大の目玉。いざそれを説明しようと、自然と語気に力がこもったその時。

 いかにも申し訳なさそうな表情のギリスが朝食を運んで来てくれた。


「ギリス! ありがとう、うるさくてごめんなさいね。私の話なんてあとででいいのよ。みんな、一回中断! まずはごはんにしましょう!」


 申し訳ないのはこちらの方だ。

 朝食を作ってもらっている。その事実がすでにありがたく贅沢なことだ。それがヒートアップするうちに念頭からすっかり抜け落ちてしまっていた。

 誰かがせっかく作ってくれた美味しそうな料理を放って、なおも私の取り留めのない話を展開することなどできやしない。


「そうね。さあ皆食べましょう。ルシア、配るのを手伝ってくれるかしら」

「もうやってるわー」

「ギリス、君も食事が終わったら会議に参加するといい」


 朝食と言うには豪華すぎるプレートを、両親と共に全員の席にてきぱきと手際良く置いて回る。


「ちょっと! いいですって、それ俺たちの仕事なんですけど!」

「なんでそんな当然のように配膳なさるんですか! 皆様は席に座っててくださいよ!」

「貴族様なんだってご自覚あります!?」


「「「え?」」」

 使用人の悲鳴ともつかないお叱りが聞こえた頃には、私達はすでに全ての皿を配置し終えていた。

 いや、ごめん。なんかふんぞり返ってるのは性に合わないんだ。


 ギリス謹製、本日の朝食。

 メインのチーズオムレット。牛ヒレとにんじんのやわらか煮。バターホワイトブレッドに、えんどう豆とミントのスープだ。

 口に運んだ瞬間、あまりの美味しさに驚愕した。


「お……おいしい!!」

「私が同じものを作ったとしても、絶対にこの味や食感は出せないわ……!」

「これがプロの腕前なのか。料理人が作ってくれた料理など、今初めて食べたよ。いや、素晴らしい! ギリスが来てくれて良かった!」


 身に余るお言葉です、と謙遜しているが、こんな美味しいものを作る人がへり下る必要なんてない。

 その場の全員が、感嘆の声とフォークを動かす手を止められなかった。


 チーズは卵の味を殺さず口当たりなめらか。オムレットはふわふわで食べ応え抜群。

 牛肉にナイフを入れた瞬間、ほろりと崩れる。口の中で優しく溶けていく食感がたまらない。

 互いを引き立て合うのが、牛ヒレ煮とこの魔力さえ感じるスープである。牛肉のあとのスープ一杯、スープを飲んだあとの牛肉一切れ。交互に食べ進めるだけで、あっという間になくなってしまった。

 パンは今まで主食として、腹を満たすための穀物として食していた私達だが、ギリスが種をこねるところから作ったというこのパンは全くの別物だ。

 カリカリ、サクサク、ふんわり。

 いくらかじっても飽きない、まさに「主となる食べ物」だ。


 全員、大満足である。

 とても会議や会話をしながら、片手間に食べられるものではなかった。

 これからはこんな美食が毎食食べられるのか……そんなことが許されてもいいの……?


「ごちそうさま」と「ありがとう」がこだまする食堂。

 難しいことを全て忘れさせてくれるような、美味しい癒やしだった。



 そして、食事と後片付けが済み、再び会議を始めようと資料を広げてくれた使用人たち。

 しかし「いや……やはり、まずは領地を見て回りたい。どこをPRすべきか、私達自身がわかっていなければ話にならないからな。エイミー、ルシア、いいね? 領民の皆さんに挨拶に行こう」という父の一声で、ひとまずその開催を見送ることになった。


 そうだよね。まだ私達は領民との面識すらない状態だ。

 それに領民の理解を得なければ、そもそも開発事業などできないだろう。

 私と母は二つ返事でそれを了承し、パッと身支度と準備を整えた。

 馬車を出しましょうかとギリスが申し出てくれたが、考えた末お礼を言って断った。

 今回は引っ越しのご挨拶に近い。領民の方々と同じ目線で会話がしたいのだ。

 そのためにも、じっくり自分たちの足で歩いて視察したいというのが私達の総意だった。

 ギリスには改めてお礼を伝えたうえで「使用人の皆で休憩しつつ親睦を深めていてほしい」と言い残し、屋敷を後にしたのであった。


  ◇◇◇


 とりあえずこの屋敷をスタート地点として、エルト地区を一通り歩く。その後道なりに南側のテナーレ地区へと向かう。

 道で行き逢った人には必ず声を掛け、挨拶をして回ることが今日の予定となった。


 なお、今日のところは領地運営に関する話はしない。

 私達の存在と顔を認識してもらうことが最大の目的である。


 沼の周辺に青々とそびえ立つ木々や、都会では見ることのない種類の大きく珍しい花々。

 屋敷から一歩出ただけで、壮観の美景。

 さながら、美しい植物たちは緑のアーチ、鳥の涼やかな鳴き声は凱旋のファンファーレのよう。


 この屋敷は、本当に領地の最奥部に建つ。

 クローディア伯爵様のお墓以外には存在しない人工物。

 領民の民家も、小さな畑も何もない。

 きっと晩年、闘病と療養のためだけに建設された、大切なお屋敷なのであろう。


 ――どうかご安心を。貴方様の大切な領地と領民を、私共にお任せください!


 伯爵様の墓前で深く頭を下げ、出発の挨拶をしてから人里へと歩き出した。



 ……のは良かったのだが、私達は「人里」を舐めてかかっていたようだ。


 民家のある方角まで歩くのでさえ意外と距離があった。引きこもりにはキツい道のりだ。

 もはやちょっとしたハイキングに近い。

 沼の奥の、そのまた奥。

 ここから数戸がぽつぽつあるところに向かうだけで、横断方法のない大きな沼をぐるっと迂回しなければならない。

 これは……この先外出や出仕の機会があれば、今度こそ馬車が必要不可欠だな……。


(……これ本当に村の方に向かってる? 本当に? 実は森の奥深くにどんどん進んじゃってるんじゃないの?)


 一抹の不安がいよいよ現実味を帯びてきた頃、地図は正しかったと証明された。

 しばらく歩いていると、結局ここまで一人として人間に出会うことはなかったものの、ようやく周辺に家や畑が見えてくるようになったのだ。


 そして、ついに。

 ――第一村人、発見!


 おそらく自宅敷地内の小さな畑。

 農業の知識がない私には、それが何の植物なのかが残念ながらわからない。

 しかしとにかく何らかの作物の調子を見ているっぽい、五十代くらいの夫婦と二十代半ばに見受けられる娘さんと思しき人々がそこにいた。


 人間だ!!

 三人が一様に同じことを考えた。


 そして誰からともなく、早速近付いて声を掛ける。

「どうも! こんにちは。ご精が出ますね」

「こんにちはー!」

「……? ……こんにちは」


「こちらは何を育ててらっしゃいますの? 見たところ、もうすぐ実がつくようですわね」

「んだ。これはブルーベリーで、こっちがラズベリー。泥の土でもおがってけるもんですから、うちはこれやってるんですわ」

「芋とかにんじんば作ってる家もあるんでね。物々交換っちゅうやつです。北の侯爵領の方でも食わねっつっから、んとにちょっきりここらだけなんだかもしんねけど、ベリーのパイがこの辺の主食なもんですから。あんたら、都会の人かい?」


「まあ。それは素敵ですわね。申し遅れました。失礼を。私共、この度エルト地区とテナーレ地区の統治を任せていただくことになった、アシュリー家と申します」

「皆さんにぜひご挨拶がしたくて。不出来な者でご迷惑をおかけするとは思いますが、これからよろしくお願い申し上げます」


「や……やんや、領主様だったんですかいな。こりゃどうも失礼しました……おいお前、新しい領主だってよ」

「領主様方、ご丁寧にあんがとございます。まあなんもねえとこですが、こちらこそよろしくお願いしますねえ。……しっ! やかましいわ! あとにしな!」


 動揺というより、怪訝な表情を全く隠し切れていないご主人。声もひそめているつもりなのだろうが、正直丸聞こえである。

 奥さんもまた然りで、ご主人をたしなめているつもりのところ、声色に本音がにじみ出ている。


 そんな二人を両肘でドンと押し退けた娘さんが、おそらく精一杯の笑顔で挨拶をしてくれた。

「領主様ご一家の皆様、ようこそ。ここは静かで過ごしやすくて、本当にいいところですよ! ……なんにもなくて、気味が悪いかもしれないけど……きっと! 住んでいるうちに、きっと領主様方にも好きになってもらえますから!」



 ――改めて一礼して、別れの挨拶をしてその場を去った。

 しかし手を振って見送ってくれたのは若い娘さんだけだった。

 奥さんはぎこちない顔で微笑んでくれてはいたが、ご主人はもうこちらに視線を向けることはなかった。


 手痛い洗礼。

 こうも歓迎されていないことを、空気で感じ取ったのは初めての経験だった。


 そして、このなんとも言えない雰囲気は……


「新しい領主様? ……あんた方がどったらことで貴族様になったんだかは知らねえが……ハズレば引かされて、まあお気の毒なこった。俺たちゃこの町も、沼も森も好きだがな」

「お達もどうせ、王都の役人達とおんなじクチなんだべ。……このつまんねえところさ割り当てられたんだば、さぞ残念だったべさ」

「皆様方、男どもになんか嫌なことば言われませんでしたかい? お気になさらないでくださいね、あい達だばちょっとよそ様を信じられなくなっとるだけなんですわ」

「きっと皆様が良い方なんだってこと、あたしらはわかってますからねえ。皆さん、よろしくどうぞ」

「あなたがたがご領主のみなさんですか。いやあ、町のみんなが噂してるもんでね。よろしく頼みます。したっても……悪いことは言わねえけど、税収なんぞは期待されねえ方がいいですよ」

「お貴族様っつうのは、良い暮らしできるもんなんでしょうけどねえ。ここで贅沢したりできるような税収は、申し訳ねえけど用意できませんで」


 その後エルト地区をまるまる周回して出会った人々、テナーレ地区に繰り出した後に挨拶ができた人々の間でも、基本的に同じものであった。



「……いやあ…………。な、なかなか手厳しいわね……」

「ええ……。身体だけじゃなくて、精神的にも少し疲れてしまったわね……」


 私の頭を励ますように何度かなで、母様は自分の弱気を振り切るようにこう続ける。

「でもきっとこれは、領民の方々が今まで溜め込んできた意見そのものなのよ。ずっとモヤモヤした思いだけを抱えて、傷付いたまま暮らしてきたんだわ。だから……」

「わかってるわ。これは私達が受け止めるべきこと。落ち込むようなことじゃないって話よね!」

「その通りよ。それに何もご挨拶して回れるのは、今日だけじゃないわ」


「――皆が心を開いてくれるその時まで、私達の戦いは続く! ――のよね。ね、父様」


 信頼度がマイナスから始まってしまった、私達の領地生活。

 それを肌で実感した今も、くじけている場合ではない。

 笑って会話ができるくらいの信頼関係を築いてみせる。

 そして、いずれは領民と私達の共同作業として、皆で観光産業を切り拓いていくのだ。


 そう決意を深め、同意が得られるはずと思って話を振った父から返答がなく、覗き込んで見上げる。

「父様? どうしたの……もしかして、元気がない?」


「! ……あ、ああごめんよルシア。落ち込んでいたわけではないさ。ルシアとエイミーの言う通り、領民と心を通じ合わせるための、これは第一段階なんだ。私が今考えていたのは別のことでね。……少し難しいな、と思って…………」


 ヒュオッ!!

 父様がそう言い切るよりも一拍速く、私達三人の背後に何かが投げられる音がした。

 振り返って確認してみれば、――……それは、石。



 視線を戻した前方には、憤怒になのか、畏怖になのか。震える手に揺らめく瞳。

 それでもこちらを敵意のこもった目で睨み付ける、五人の若者の姿があった――……。

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