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第3版  作者: 八雲 辰毘古
第一部
9/19

八.討竜対策会議

 正午三課の鐘が鳴るころには、すでに食堂は会議を開ける状態になっていた。そこではフェール辺境伯を始め十数名が立ち話をしており、シュヴィリエールは着席をすることをためらってしまう。

 ニースは一緒ではなかった。彼女は調査内容をまとめてからこの部屋に来る予定だった。


「ごめんねー、汗流したばかりで資料の整理つけてないのよ」


 彼女はシュヴィリエールの居室で、騎士団の服に着替えながらそう言っていた。だらしのなかった上衣の(ひも)を結びなおし、動きやすい細袴(ズボン)に履き替える。そのまま立ち上がると、筋肉質の細長い脚がしっかりと輪郭(りんかく)を持ち始めた。ちょっとキツいかも、とニースは愚痴(ぐち)をこぼした。

 時間に余裕がないなら悠長に昔話をしている場合ではないのに、とシュヴィリエールは思ったが、すぐに考えを改めた。何せ三年ぶりの再会なのだ。業務を後回しにしてでも会いたい、という彼女の気持ちを無下(むげ)にはできなかった。

 ニースとは、大学都市セレス・アーカムに入学したときに出会った。丘の上に立つ学院の講堂への道が分からず、一緒に迷子になったから印象は強い。


(あのときからニースは導師連に説教されっぱなしだったな……わたしより二年上の先輩だったくせに、どこか抜けてて、序列を意識させない為人(ひととなり)だった)


 騎士団に属するものは、なんであれ序列には厳しくなる。ニースだって、当時は従騎の身分でしかなかったはずだ。しかし彼女は先輩後輩や家格の位置付けは気にせず、人柄で相手をしてくれた。それがシュヴィリエールには嬉しかったのだ。


(それが今や北方辺境の守護騎士団のひとりで、竜討伐軍の調査部隊長か。時間は矢のように素早く、過去は懐かしいものなのだな)


 思わず笑顔が込み上がる。エレヴァンがやって来るのを感じて、真顔に戻った。それから間も無く、食堂の扉が開くと、潮が引いたように雑談の声が消えていった。

 その名残を踏みしめるように、扉からニースがやって来る。ブーツの(かかと)を鳴らし、革の帯から細剣(レイピア)提げている彼女は、先ほどとは異なり、威風堂々とした印象を受ける。しかしその亜麻色の髪は高いところで束ねられ、おまけに眼鏡を掛けている。まるで別人だ、とシュヴィリエールは思った。


 ニースは小脇に抱えていた巻物を、テーブルの上に置くと、腹から出した声を響かせた。


「討竜調査部隊長のニース・フェストルドです。早速ですが二週間に渡る〈竜〉の生態調査の報告会を始めたく思いますが──(よろ)しいでしょうか?」


 最後のひと言はフェール辺境伯に向けたものだった。相手の頷きを確認すると、ニースは一拍おいて、全体に話し始めた。


「では、アスケイロン総指揮官殿を始め新規の方々もいらっしゃるため、まず竜の生態の概説を振り返ってから、新規の発見内容を報告致します。

 こちらの図をご覧ください」


 そう言って羊皮紙の巻き物を開いた。テーブルいっぱいに竜の図版が展開する。首が長い、翼を持った(おお)きなトカゲ。それが第一印象だった。


「これがわれわれが遠眼鏡で観察した竜の資料です。体長は尾を含むと二五・五ヤール(約二〇・五メートル)ほどの大きさですが、直立したときの高さはだいたい十五ヤール(約十二メートル)になります。体重は依然不明。しかし足跡の深さから、相当なものと推測はできます。

 竜の特性は、概ね『神聖叙事詩』に(うた)われている通りです。つまり自重を無視して空を飛び、火炎を噴きます。自然法則に反するこのふたつの特性ゆえに正式に『魔物』と認定され、現在に到るまでの調査が展開されてきました。ちなみに叙事詩写本によると、飛翔のほうは不明ですが、火炎噴射の特性はこの世の開闢(かいびゃく)のとき、女神のかまどから天上の火を盗んだ罪を呪われたためだと言われています」


 ですが、とニースはここでもう一枚の巻物を開いた。それは〈叙事詩圏〉北東部を描いた地図だった。セラト山やメリッサ村、〈風の平原〉を始めとする地域の描写の中には、大きな円や、無数の赤い十字印が付いていた。


「詳細はわかりませんが、その呪いのために竜は自らの体内から瘴気(しょうき)を吐き出すようになりました。毒気は周囲の樹々を枯死させ、水を汚染し、酸の雨を降らせます。

 この地図上にある印は、特に汚染が酷い領域です。ここに比べればメリッサ村の惨状も可愛く思えるくらいですよ。正直われわれも長居できず、逃げ出したほどです。うっかり迷い込むと身を内側から焼かれるような痛みを受けることになるでしょう」


 ここで彼女は一旦話をやめた。その一瞬にごくり、と誰かが生唾(なまつば)を呑む音が聞こえる。竜の縄張りの空気を想像してしまったのだろうか、とシュヴィリエールは思う。


(その想像ができるのであれば、人喰い植物や気化生命を相手取った経験の持ち主がきっといるはずだ。ならば対策も立てやすい)


 そう考えたとき、ニースは話を再開した。


「以上が過去二回にわたる調査の結果です。ここからが、今回の調査で判明した内容になります。再び地図をご覧ください」


 彼女は地図の上にある大きな円を示した。セラト山を中心として囲まれたその地域を見て、シュヴィリエールはすぐさま竜の縄張りを示していることを直感した。


「これは予測しうる範囲の竜の縄張りです。竜がこの領域内を定期的に『見回り』しているのは第二回調査の際に判明していたことですが、今回はその『見回り』の周期・法則を裏付けることに成功しました」


 このひと言で、周囲がどよめいた。

 あまりに騒がしくなったため、フェール辺境伯のほうから注意する必要があった。再び静まり返った中で、ニースは続ける。


「結論から申しますと、三日に一度です。竜が自らの縄張りの境界線を飛び回り、その安全を確かめるのは、三日に一度の周期であることがわかりました。ほかのは全て『見回り』を装った別の行動だったんです」

「そりゃいったいなんだね」と、フェール辺境伯の隣りに立っていた老人が尋ねる。「『神聖叙事詩』にも記載されなかった魔物の特性が存在する、とでも?」


 ニースは一礼した。


「はい、その通りです。しかしそれは先ほど申した、瘴気と深い関係があります。

 竜はセラト山七合目のあたりにある洞穴を巣としています。が、定住しているわけではありません。ほぼ毎日、何かしらの形で外出しています。

 当初われわれは捕食行動だと思いました。しかしかの巨体を維持するために必要な食事は、あの環境汚染の中では限りなく難しい。じっさい調査期間中、ヤツヌジカやイッカクイノシシと言ったけものの亡骸に出会いましたが、群れ単位で死んでいたにもかかわらず、そこに食事があった形跡がありません。獣骨も存在しませんでした。以上のことから、竜は食事をしないと結論付けてます」


 なんだと、と複数の声が上がる。思わず出てしまったものだろう。シュヴィリエールだって驚いていた。彼女自身、〈黒狼〉を退治したとき、その魔物が持つ捕食行動を逆手に取った罠を用いたからだ。

 自然法則に反すると言っても、魔物は本質的に生態系の一部だ。だから弱肉強食の論理に則るし、独自の習性や食生活を有している。ただその内訳が人類にとって未知なだけなのだ。ゆえにその特性は「神秘」として扱われ、多くの人びとの畏怖や誘惑の情を掻き立てる。


(何かを脅威と感じるのは、そこに「謎」があるからだ。謎は全てを神秘に包み込み、自然に反した業魔の法──「魔法」に通ずる。ゆえに魔法に属するけだものは、真っ先にその食餌や巣を調査し、「謎」を解き明かすことが先決となる。しかし……)


 これはあまりにも桁違いだ、とシュヴィリエールは感じた。食事をせずとも巨体を維持し、領国ひとつ分の地域を縄張りとする。なるほど『神聖叙事詩』の中で「国そのものに匹敵する災厄」と謳われるだけはあった。

 しかしニースは冷静だった。まだ話は終わっていません、と但し書きを述べてから、彼女は話した。


「確かに何も食べないで生きていられるなんてことは、これまでの魔属(まぞく)研究史の中でも極めて異例です。しかし創世神話から名だたる魔物だと思えば、ある意味当然でしょう。何を慌てているのですか。調査していたのは私です。私が落ち着いて話しているのを、お信じになられないのですか?」


 ニースはフェール辺境伯を、シュヴィリエールを、そして面々をひとりひとり見た。眼鏡の内側からハシバミ色のひとみを光らせた彼女は、まるで彼らを教え導く司教のようだった。


「……では話を戻しますわよ。竜がほぼ毎日外出するのは食事のためではありませんでした。では何が目的か? 申し上げた通り、瘴気です。自らの体内から発する瘴気を中和させるためなのですよ。正確には、その瘴気を生み出す『天上の火』を、制御するためだと推測されます」


 彼女はそのまま地図を指し示す。


「印の多くは、この地域の水場でした。竜が飲み水として使っていた可能性も考えましたが、先日何度か汚染の過程を直接観測できたので、別の事実がわかりました。竜が身を浸したんです。飽くまで推測の範囲ですが、竜は自らの体内にある『天上の火』を制御しきれず、常に冷却させなければいけないのでしょう。

 つまり、それこそが弱点。竜の体内を長時間冷却()()()におけたなら、かの魔物は自らに掛けられた『呪い』に耐えきれず自滅するはずです。勝てない戦さではないのですよ、皆さん。順当に支度をしてゆけば、倒せることがわかったんです」


 ここで場が盛り上がるかと思われた。しかし、先ほどの老人が冷静に質問する。


「なるほどわかった。ではどれほどの時間、奴を抑えておけば良いのだ?」

「正課の鐘が一周する程度(訳註:約六時間のこと)です。そのうち三分の二の時間で竜は自らの体内の異変に自覚します」


 フェール辺境伯が割って入る。


「ならば四課分の時間竜を取り押さえろ、ということか。(じい)、作戦立案と人員の手配を頼む。それからシュヴィリエール殿は私とともに……」


 しかし、ここで彼は押し黙った。その異様な沈黙はただならぬ事態が起きつつあることを予感させた。

 やがてフェール辺境伯は窓の向こう、〈風の平原〉のほうを見やった。その視線の遥か先には、メリッサの村があるはずだった。なんてことだ、と彼は呟く。


「いまの命令は取り消しだ。第一、第二部隊を除いて、動けるものは取り急ぎメリッサに()け! ついに聖殿騎士団が動き出した。奴ら〈結界〉を展開しているぞ!」


 その場の全員が血相を変えた。城館内はさらに慌ただしい空気に包まれることになったのだった。

※訳註:〈叙事詩圏〉の時間制度について

 この世界〈叙事詩圏〉における時間は、日照時間に基づく相対的時間です。具体的にはその時期の平均日照時間(統計的な観測に基づく)を十二分割し、そのひとつひとつを「一課分」としています。そのため作中時期の日照時間に合わせての換算になることをご承知おきください。

 ちなみに「三.記憶堂の闇の奥」の回で言い習わされた〈滅びの鐘〉というのは、上記の十二分割された「正課」ではない、存在しない時刻=非常事態を知らせるものとして作中時代では普及された時間制度だったようです。

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