二.家族の手がかり
ところが、いざ探そうと言っても、どこから手がかりを得るべきなのか、ふたりにはまるでわからなかった。
ただわかるのは、父がラストフという名前を用いていること、この村の近辺に隠れ住んでいるだろうということ、そして自分たちはおろか、誰もその人のことを憶えていないということの三点しかなかった。
「ラストフ? んー、そんな人がいたかもしれねえが、よく憶えてねえなあ」
「ジンガルさんでも、そうなんですか」
ルートがうつむきがちに、言った。
村の守護騎士ジンガルは申し訳なさそうに頭を掻いている。
「ああ。俺ァたしかにここいらの警備任務についてから五、六年は経ってるし、もう生まれ故郷同然に思い入れがあるけれど、そんな男がいるって聞いたことがねえんだよ。
──名前以外に、なんかほかにわかることはないのか?」
「ないんです。強いて言うなら、ボクたちの生みの親だから、たぶんリナかボクに見た目が似てるはず……」
ジンガルは眉をしかめた。
「なら、なおさらだ。ルゥみたいな美人はいたら憶えてないはずがねえし、金髪の男なんてそんな珍しくもなんともねえよ。おれだってそうだったさ。もう何も残っちゃいねえがな」
「……ですよね」
万事がこういう調子だった。それから同い年の遊び友達や、名主のノイス、村の知恵袋であるユリア婆さんにも尋ねてみたが、無駄足に終わったのだ。
結局、流れ落ちるように日が沈むのを眺めることしかできないままだった。
「そもそも、ボクたちはラストフがどういうひとなのかってことすら、あのガーランドさんの言った通りのことしか知らないんだね」
もはや夕暮れどきだった。ふたりは記憶堂の手前にあった切り株に腰掛けながら、いままでの聞き込んだ内容を整理していた。だが成果は全くと言っていいほどなく、改めて現状を確認することしかできなかった。
ルートは悔しそうに言い足した。
「おまけにボクたちのほうが出遅れてる。仮に何か手がかりが見つかったとしても、ガーランドさんが知らないわけがないでしょ?
だとすると、いっそ村を出て……」
「ルゥ、それはダメだ」
アデリナはルートの手を抑えた。
だがルートは振り向いて、喰ってかかった。
「どうして? だってこの村にいないなら、早く外に出て探しに行かないと。ずっと前からいなくなってるひとなんだから、会うんだったらそれぐらいの覚悟を決めなきゃ」
「いや、それはそうだけど」
まるで立場が逆だな、とアデリナは感じた。普段なら、こうして村の外に出たがるのが自分で、止めるのがルートの役割だったはずだ。
ルートは何かを焦っている。それはアデリナでもわかった。しかし何をだろう? ラストフのことを聞いて頭痛を起こして以来、ルートは明らかに感情的になっていた。
「ルゥ、お前落ち着いたほうがいいぞ」
「落ち着く? 落ち着くだって?」
ルートは立ち上がる。
「落ち着いてられるか! お母さんどころか、お父さんまでどこかに行ってしまうのを黙って見過ごせと言うの?」
アデリナは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
(ルゥは母さんのことを思い出していたのか……!)
十年前に亡くなった母親は、名をエスタルーレと言う。身寄りのない女性だったと聞いている。髪の色が異なる幼い双子を抱えて、この村の記憶堂に駆け込んだとき、その身元は誰も知らなかったのだ。
そんな彼女は、村の暮らしに馴染めなかったようだ。美しかったと聞いているが、再婚せずひとりで暮らし、そのまま流行り病に斃れたらしい。あとに残された双子は、導師の手によって育てられたのである。
これはすべて導師からの聞き伝えだった。
アデリナ自身に母の記憶はない。なぜなら母が亡くなるときには、まだ物心がつくかつかないかの年齢だったのだから……
しかし、ルートは憶えているらしい。
ある日彼はこう言ったことがある。
「お母さんは死んだんじゃなくて、どこかに行っちゃったんだ。ボクたちの知らないどこか、遠いところに。ボクたちは、お母さんに置いて行かれちゃったんだよ」
物心がついたばかりのころだ。
幼いアデリナはルートのその言葉を信じることができず、反論した。しかしルートは悲しげに、しかし落ち着きを払って、答えた。
「いなくなっちゃったんだよ。ボクは見た。それを憶えているんだ。忘れられないんだ」
この記憶が正しいかどうかは、アデリナにはわからない。ただ、ルートはこれを固く信じているようだった。
(いなくなった母さんや、父さんのこと……アタシはよく憶えてないけど、もし父さんに会えるんだったら、会いたいな)
心のうちに、ほんの燠火のような気持ちがくすぶった。
だが、アデリナは落ち着いて答えた。
「でも、ルゥ。もうじき暮れだ。魔物には会わないかもしれないけど、暗いうちに村を出るのはよくない、と思う」
そのときアデリナはゾクッと悪寒を覚えた。言ったそばから自分の言葉が本当なのだろうか、と疑わしい気持ちがいっぱいになった。なぜそうなのか、理由がわからないからこそなお気持ちが悪かった。
「だから、いったん戻ろう」
ルートは納得していないようだったが、アデリナの表情を見て、言うのをやめた。
そのとき、きゅるきゅると掠れるような弱い音が、アデリナの腹から漏れ出たのだった。
あまりに唐突に起きたそれは、ふたりのあいだの緊張感を破ってあまりあった。くすり、とルートが笑う。アデリナは顔を赤らめる。こうすると止まらない。ふたりは笑いころげて、夕食の支度をすると決めた。
ふたりは記憶堂の近くの母屋に入った。元は納屋だったその住居には、簡素なかまどと、普段使いの衣を仕舞った長持ち、そして藁に敷布を被せた寝台ぐらいしかない。あとは鎌だの鋤だの、農作業に必要な道具がやたらと立て掛けられているぐらいだった。
ふたりはその中を、それぞれ火を起こしたり、水を汲んだりで慌ただしく動き回った。やがてできた食卓には、堅焼きのパンと、豆と野菜のスープが並んでいた。ふたりは聖女アストラフィーネへの祈りをささげると、食事を始める。
「そういえば」とルートがパンを飲み込んだとき、ふと思い出してつぶやいた。
「導師さまは、いまどうされているのだろう。さっき見たとき、記憶堂に灯りは入ってなかったけど」
「さあ。もう寝てるんじゃないのか?」
「だといいけど」
ルートは立ち上がって、窓を開けた。
そこには、だんだんと夜に近づく空が見えた。山の端からスミレ色に染まり、星々がチラチラと輝き出している。ルートはその景色の向こう側に、ふと揺らぎのようなものを見かけたが、瞬きをした途端に見失った。
(なんだろう。セラト山のほうに何か……)
と、そのとき、アデリナが話しかけた。
「そういえば、今日は〈時の鐘〉が鳴らなかったな。僧院のやつ。だから危うく暮れの時間を忘れるとこだったし……」
「ん。ああ、言われてみれば。いつもは朝と昼と晩でそれぞれ鳴るはずだよね。丘のほうから、ゴーン、ゴーンて響いてくるやつ」
「そうそう。昼のときも、それが鳴ったら起きようと思ってたのにさ。ついうっかり寝過ごしちゃったんだ」
「何それ」
ルートはくすりと笑う。
「リナってふまじめなのか、まじめなのか、わかんないよね」
「うっせえ」とアデリナも笑ってパンを飲み込んだ。浸したスープの滋味が口いっぱいに広がる。「アタシはアタシなりにまじめだよ。そりゃ、ルゥほど頭は良くねえけどさ」
「買いかぶり過ぎだよ。ボクはただいろんなことが知りたいだけ」
そう言って、ルートは灯りをかざした。ろうそくからほのかに光った火明かりに、病弱なまでに白くて美しい面持ちが映える。
彼はそのまま火を、近くから取ってきた龕灯に点けると、ろうそくをフッと吹き消した。
「さて。そろそろ行こうか」
「へ、どこに?」
まだアデリナは食事中だった。両の頬いっぱいにパンが詰まってる。
ルートは眉をひそめた。そして心底呆れたと言わんばかりに、こう続ける。
「呑気だなぁ。記憶堂に決まっているでしょ」