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第3版  作者: 八雲 辰毘古
第一部
19/19

十八.世界の始まりの雑談

 シュヴィリエールは目の前にいる老婆が明かした正体──〈魔女〉という単語に、身構えずにはいられなかった。

 しかし老婆はその行動は予想済みだと言わんばかりに呵々(かか)大笑した。むしろ予想通りすぎて笑いが止まらないようでもある。


「焦るでない、英雄家のせがれ。第一おまえたちは〈魔女〉というのを誤解してるよ。本来的に〈魔女〉ってのは賢い女のことなんだ……女神の代理人として聖女様が出現してから、それは聖女に対立する業魔の遣いのような位置付けになってしまったけどねえ」

「賢い女?」とシュヴィリエール。

「ああそうとも。女神が創造した世界の秘密を知っているってことは、賢いってことさ。それは女だけが知っているんだよ」


 そう言うとユリア婆さんは不気味な笑みを浮かべて、イチイの杖に頭をもたせつつ、木の根に腰かけた。


「ユリアさん、さっき、アタシが魔法を使ったって言ってたね……しかも、ルゥと一緒にって。どういうことなんですか」


 アデリナがようやく口を開く。その右目に浮かんでいた星の刻印は、もう消えていた。彼女は身を乗り出して、ユリア婆さんのほうを向いている。


「だから、焦るなとあれほど言うただろう。そもそも最初からその話をするつもりだったんだ。ちったあ黙って、わたしの話を続けさせておくれ」


 そこまで言って、ユリア婆さんは一旦深呼吸する。


「まず、あんたたちがこの世界──〈叙事詩圏〉についてどれだけ知っているか、というところから始めなければいけない。でも改めて問うまでもないようだね。なにせ英雄家のせがれと〈星室庁〉の連中だ。この世界の秘密なんて知らんで歴史なんて編んでいられるのかい?」


 ユリア婆さんは挑戦的な眼差しでシュヴィリエールとガーランドを見た。しかし、ふたりは首を振るばかりだった。


「残念ながら、全てはわかりません」


 答えたのはガーランドだった。


「私のいた〈星室庁〉は、あくまで賢人会議の命令のもと動いている。その目的は、人界の秩序たる領国統治に関わる掟──〈白紙(タブラ・ラサ)の盟約〉の履行(りこう)だ。ただ私のような人間はその末端に位置するばかりで、その真実を全て知っているわけじゃない。ただ、政治には必ず後ろめたいものがあるってことを、身を以て理解しているだけです」

「それだけで充分さ。〈魔女〉はもともとそうして無かったことにされたことを記憶し、語り継ぐためにいたんだからね」


 ユリア婆さんはフンと鼻を鳴らした。


「いわば、闇の歴史さ。どうせお前さんたちは、『神聖叙事詩』に描かれた通りの世界の成り立ちに、軽く枝葉がついたぐらいのことしか知らないのさ。それでいいと思われてるんだ。実際それでいいのさ。〈叙事詩圏〉と言われるぐらいなんだから、この世界のほとんど全ては『神聖叙事詩』の物語によって成り立っていると言っていい。

 だがね、聞き伝えを繰り返してゆくうちに、最初に話されたことが別のことばになっているということがあるだろう? ああいうのが積み重なって、すっかり伝説になっちまったものが沢山あるのさ。英雄家の、あんたの祖先の〈竜殺し〉アスケイロンとかね」

「バカな」


 言われた途端、シュヴィリエールはふと胸の内側につっかえるものを感じて、思わず声を上げた。

 しかしユリア婆さんは笑っていた。その反応まで予想済みだと表情が物語っていた。


「いつのまにかそうなっているものなのさ。あんただけじゃない。リナも、〈星室庁〉の若造も、そこのお嬢ちゃんも、みんな大きな物語に心の一部を支配されているんだ。だから『神聖叙事詩』のことばは力を持っているし、その内容に批判を加える人間は、世界そのものから反撃を受けるようになっている。魔法ってのは、そういう物語の力を借りてくるか、もしくは物語の根本に疑問を投げかけ、ひっくり返してしまう行為なんだよ」


 アデリナは理解に苦しんだ。ほかの三人も同様だったかもしれないが、彼女からしたら魔法がどうのこうのというより以前に、知らないことが多すぎたのだった。

 ユリア婆さんはそんな様子を察してくれたのか、ゆっくりと落ち着いた声で続ける。


「まあ、知ろうと思えば、いずれはわかる日が来るさ。問題なのはここから。お前さんたちが〈魔女〉と呼んでいる連中──確か結社と名乗っていたが、そいつらが何をしようとしているのか、ということさ」


 と、ここでユリア婆さんは柳じじいのほうを見た。話の接ぎ穂はこの不可思議な老爺が引き継ぐようだった。


「ありがとう、語り部にして森の友よ。さてさて、どこから話したものかねえ。有り体に申し上げてしまえば、いま彼女たちがしていることは世界そのものの破壊だよ。〈竜〉を(よみがえ)らせ、セラトの山の近辺にある人里を駆逐(くちく)し、毒気と酸の雨で自然すらも壊している。どういう意図かは知らない。だけどおかげでこの世界のあちこちを作っている物語が大きくほころび始めているんだよ」


 その影響は、特に世界に縛られているわれわれに大きく作用しているんだ、と柳じじいは付け加えた。

 ここでアデリナが質問する。


「どういうことなんだ? さっきから小難しくて付いて行けないよ」

「フム。例えば……そうだねえ」と、柳じじいは近くの木の根元にある多年草を引っこ抜き、全員の前に見せた。「この植物は、人間たちの世界ではリュウゼンモウと呼ばれている。〈竜の(ひげ)の毛〉という意味らしい。ではどうしてそんな名前が付いたのかというと、書いて字のごとく、〈竜〉の髭の毛に似ているからだと、わしは聞いているよ」


 柳じじいは表情の見えない顔で、さらに続ける。


「だが〈竜〉なんて、誰がいつ見たんだろうねえ。その存在は『神聖叙事詩』という書物にのみ記されているはずで、実際のところいつ、どこで生息していて、その由来がどこからきたものなのか、誰も(おぼ)えちゃいないはずなんだよ。強いて言うなら、最初に〈竜〉を見た誰かの説明が書き写されて、それをもとに別の誰かが絵を描いたのかもしれない。しかし記録が残っていないから、確かにこうだとは誰にも決めつけることはできないんだ。

 それでもこの世界には〈竜〉が実在していて、〈竜殺し〉の英雄は代々血と歴史を連ねていて、〈竜〉の髭に形が似ているとされる植物が生えているんだよ。そういう風にみんな、無意識に信じ込まされているし、信じていることを前提に世の中というのは出来上がっている。わしらの議論の的である〈世界〉というのは、そうした無意識の約束ごとの積み重ねや、その歴史を指しているんだ」


 ここで、彼はユリア婆さんを見る。


「〈魔女〉──賢い女はそういうことをよく知っている。難しいことばを使えば、名前の本質と呼ばれているできごとを、ね」

「名前の本質!」とニースが驚いて割り込んだ。「〈魔女〉崇拝者や異端の用いる邪術に、そうした技があると聞いています。名付けの背景を知り、本質を掴んだうえでその名を呼ぶと、その人の心や、物を自在に操ることができる、と」

「そうそう。それだ。わしら森人(もりびと)もな、そうやって〈魔女〉からことばと知恵を与えられて、育ってきたんだ。ずうっと昔に、ね」

「そんな……強い力を持った〈魔女〉が?」


 と、シュヴィリエール。


「なに、驚くことはない。きみたちもよく名前を知っている女性だよ。アストラフィーネさ」


 これには一同が絶句した。


「おっと、いまのは刺激が強過ぎたかの」

「別に良いさ。それぐらいがつんと真実を言わなきゃ、いまどきの若いのは考えもしないのさ」


 ユリア婆さんがいじけたように答える。

 それを見透かしたように、柳じじいは微笑んだ。


「つまり……こういうことか、聖女アストラフィーネは、〈魔女〉の力を持っていて、それが世界を始まりに関わっていたのか?」

「おお、リナ。わかってきたようだね」


 嬉しくなってユリア婆さんは元気付いた。


「まあアストラフィーネが〈魔女〉だからってどうってことはないのさ。だけど、そのことを知って世界まるごとひっくり返そうとする奴らがいる。〈魔女〉崇拝者というのがそれに当たるかどうかは知らん。ただ、相当に危ない連中なのは確かだよ。

 なにせアストラフィーネはあの『神聖叙事詩』の重要人物──〈白紙(タブラ・ラサ)の誓約〉に関与したとされている人間だ。どんな奴かは知らないが、同じ力を使って世界の始まりに手をつけようって(はら)なんだろうよ。なにせ〈竜〉を甦らせたほどだ。相当な力の持ち主だと推測できる」


 ここで柳じじいが再び話を戻した。


「まあ、わしらはその誰かさんの策謀とやらに対して、ちょいとばかり手を打たんとならんのだ。始まりの〈魔女〉であるアストラフィーネの古き誓約に従って、ね。

 ──それには、アデリナ、あんたの力が必要なのだよ」

「えっ、アタシ?」


 アデリナが驚いて、自分を指差した。

 柳じじいはうなずいた。


「理由はふたつある。ひとつは、あんたが特別な教養を持っていないからだ。(くも)りなきひとみだけが、この世界の真実を見て聞いて、伝えることができるのだよ。こればかりは大人たちにはできないことだからねえ。

 もうひとつは、あんたがエスタルーレの娘だからだ」

「エスタルーレ……母さんが?」

「彼女はあたしの弟子だよ。つまり〈魔女〉さね」

「ええッ!」

「なにさ、まだ驚き足りないのかね」


 アデリナはすっかりしどろもどろになってしまった。そのせいでより一層周囲の注目を浴びてしまう。実はその時シュヴィリエールが眉間にシワを寄せていたのだが、アデリナは気付く余裕がなかった。


「だって、ちょっと、アタシ、頭いっぱいいっぱいだ……」

「まあ、整理は後でするが良いさ」とユリア婆さん。「〈魔女〉を(かた)る連中が、この世界をひっくり返す前に、あたしらはあたしらなりに対抗する術を考えなきゃいけないんだ。そのためにはリナがエスタから受け継いだ〈魔女〉の素養を、なんとしてでもモノにしてもらわにゃならんよ。さいわい一回成功体験があるみたいだからね」

「ま、待って。せめてその大事なところは明日にして、今日は休ませてくれないか? せめて整理させてくれ!」


 ユリア婆さんはそれでもなお迫ろうとするが、柳じじいに肩を叩かれて、止まった。


「まあ、あの子の言う通りだ。時間はないが、いま詰め込んでも元も子もない。わしらも支度が必要だろうよ」

「……まあ、そうだねえ。仕方ない。今日はここまでにしようか」


 残念そうに首を振る。心なしか、ユリア婆さんの背丈が縮んだかのようだった。

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