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第3版  作者: 八雲 辰毘古
第一部
16/19

十五.闇の底に眠るもの

 夜の空に朝焼けの光が差し込むと、メリッサの廃墟が再び明るみに(さら)された。


 竜による二度の破壊を受けたその地は、瘴気(しょうき)の影響か、鼻をつく臭いが漂っている。瓦礫(がれき)の中にところどころ横たわっているのは、騎士たちの亡き骸だった。教導会の導師も混ざっている。みな、竜と魔女との激戦に巻き込まれ、それぞれの運命に導かれたのだ。

 その死屍(しし)累々(るいるい)の中を、藍色のローブをまとった影が歩いている。頭巾を目深(まぶか)に被っているため、その顔は見えない。死体のひとつひとつを検分し、胸の手前で祈りを捧げると、ローブの人物は揺れるような足取りで歩を進める。まるで何かを探しているようでもあった。


 やがて記憶堂の跡にたどり着くと、影はぽつりと呟いた。


「もう百日経つのか……」


 全くの独り言のつもりだった。しかしそのひと言に対して、誰だと尋ねる声があった。かすれた男の声だった。影は頭巾を揺らすと、声のしたほうをゆっくりと歩いて行く。

 壊れた石床のすき間から(のぞ)いてみると、地下室の書庫がある。竜の脚で踏み抜かれた、巨大な穴だ。差し込んだ日光が気だるい眼差しで見下ろしており、(ほこり)が舞っているのがよく映っていた。その端の方で、ガラガラと音を立てて動く人物がいる。どうやらそれが呼びかけた当人であるらしかった。


 影はためらわずに穴から飛び降りた。自身の頭身の三倍近くはあるはずの落下だったが、着地は穏やかだった。まるで麦藁(むぎわら)の山に降り立ったかのように、一瞬だけ浮遊し、ゆっくり足をつけたのだ。

 そのままゆっくり歩み寄ると、男の顔がわかってきた。灰色の髪、黒いひとみ、彫像のようなきめ細かな顔しているが、ひたいから流れる血で台無しだった。男は何かを言いかけたが、言い切る前に咳き込んだ。影はすぐさま男の背中に手を当てて、さする。


「大丈夫?」と尋ねる。

「ああ、平気だ」


 そこまで言って、男──レアンドルは、自分を助けてくれた存在を、頭からつま先まで見つめる。表情はぴくりとも動いていないが、無言で疑念を表していた。

 影はそこでようやく気がついて、自身の頭巾を取った。背中に降りたそれとともに流れたのは、肩まで届く(つや)やかな黒髪だ。


「ああ、自己紹介をし損なったね。ボクはルート。このメリッサのもと住人だよ。いわゆる生存者ってやつさ。あんまり信じてもらえてないみたいだけど……」


 レアンドルはルートを見た。右目は青藍石(ラピスラズリ)を埋め込んだような美しい青色だったが、左目は鮮血のごとき赤色だった。彼はただちにその両目の意味を理解した。


「おまえ、片目を対価に払ったのか」

「知ってるんだね、この世界の理を」


 ルートはとっさに頭巾をかぶりなおした。再び目もとが見えなくなる。レアンドルはその一連の流れの中で、ひとりの人間の中にいるふたつの顔を見て取った。ひとつは年相応の無垢(むく)なる少年、もうひとつは……


「〈魔女〉の一派なのか」

「まあ、当たらずとも遠からずだね。訳あって行動をともにしている」

「何をしにきた」

「ひとを探していたんだよ。あれだけの破壊の後だから、ちょっと不安になって」

「誰を探している」

「姉。双子の。アデリナって言うんだけど」


 癖っ毛が特徴的でね、と彼は両手の人差し指でくるくると円を描く。

 レアンドルはその仕草に対して微苦笑で応じた。


「あいつはアデリナと言うのか。見たぞ」

「えっ、ほんとに?」

「おれの婚約者に石を投げた。ルゥはどこだと叫んでいた」

「あちゃー、ごめんなさい。礼儀知らずの姉さんで」

「別にいいさ。あれはひとを見下して楽しむ(さが)があるからな。いい薬になっただろう」


 そういうレアンドルの表情には、どこか遠くを眺める趣きがあった。ルートはそこからなにか話題を汲み取ろうとしたが、レアンドルが先んじて話し始めた。


「おれは竜を殺しにきた。だが、どうもそれをよく思わない連中がごまんといるらしい。邪魔されてばかりだ。全く雲上人(うんじょうびと)の考えはわからないな。ああしろと言うくせに、真逆のことをしてのける」


 彼は立ち上がった。左手は神弓アントワイヤーズを握りしめていたが、そのこぶしは固く石のようにほどけなかった。仕方なく弓をぶら下げるように歩くと、陽だまりの方に身を晒し、自分の現状を把握した。

 ルートはその背中に話しかける。


「あなたの婚約者さんは──グリンダ・エドワーズはまだ生きているよ」

「……なんだと」


 振り向いたレアンドル。表情が自分でも驚くほど強張っている。


「誰かが(かば)っていたみたい。そのひとは酷いやけどで死んでいたけど、婚約者さんはかろうじて生きていたんだ。だから、処置をすれば助けられる」


 しかしレアンドルは、そうか、とひと言だけだった。それから虚しく周囲を見回すと、壁の方に歩み寄った。書架だった。彼はそのまま壁一面の書架をにらみつけると、二冊、三冊と右手だけで抜き取って、陽だまりに投げた。それぞれの表紙には、聖典文字で『魔女の系譜』、『業魔学新論』、『魔術年鑑』と銘打たれている。


「処置、というのは、これか? おまえがその片目を代償としたように、おれも然るべきものを世界に支払えば、あれが助かる、というわけだ。なるほどよい人質ってわけだな」

「ちがう、レアンドル、そんなつもりで言ったんじゃ……」

「なぜ貴様はおれの名前を知っている。そしてグリンダのこともだ」


 レアンドルは不敵に笑った。


「少々素直すぎたようだな。悪意がないのはわかった。しかしおまえが触れた世界の(ことわり)は、おれたちには禁じられた遊びだ。ひとの身分で触れるには、あまりにも過酷な狭き門なのさ」

「でも……」

「わかっている。グリンダが死にかけていることも、それを庇ってカッサが死んだことも。ビランがどこに行ったかは知らんが、まあ要するにおれたち聖殿騎士は、おまえの庇護者の策にハマって完敗した。弱いものが、強いものに負けて死んだ、それだけだ。

 なのになぜおまえはそれに抗おうとする? 大したことではないはずだ。星霊がしかるべきところに御魂を導いてくれるだろうに」


 レアンドルはここまでまくし立ててから、血の気を失って、膝をついた。ルートが慌てて近寄るが、彼はわなわなと震える手で、それをさえぎった。


「おまえの姉は……公領主同盟の連中に拾われて、行ってしまったよ。だから、ここにはいない。きっと無事だろう。アスケイロンの女主人は愚かだが莫迦(ばか)じゃない」

「そう、」と言いかけたルートは、レアンドルの内心を悟って黙った。「……ありがとう。わかればいいんだ」


 そう言ってルートは背を向けた。壊れかけた石段を一歩一歩登っていって、地上に出る。


「王子サマの放浪癖には困ったものね」


 ヴェラステラだった。彼女は黒染めされた騎士装束に身を包んだまま、記憶堂の残骸に腰掛け、ルートを見下ろしている。

 ルートは赤くなった左目で、冷ややかに彼女を見つめ返した。


「……そっちだって、ボクの頼みごとを反故(ほご)にしたくせに」

「あ、あれは、想定外の事態だったのよ。まさかあの男、辺境伯のほうに手を貸すとは思わなかったのよね」

「まあ、いいよ。リナの無事はわかった。これでボクは約束通り、あなたたちの計画に協力する。

 ──ただ、追加の条件がある。あのひとたちを、助けて欲しい」


 ヴェラステラは立ち上がった。そのひとみには相手の正気を疑う眼差しがあったが、彼女はあえてそれを口に出して問わなかった。

 言うまでもなく、ルートにはわかっていたのだ。彼は首を振って、答えた。


「あなたたちはボクとの約束を果たさなかった。謎を解いてくれたのは、彼らなんだ。だとしたら、真実の回答者として、ボクはあのひとたちに報いる必要があるんだよ」


 ヴェラステラはため息を吐いた。


「まあ、負い目があるのはこちらだし? 仕方ないといえば仕方ないかしらね。わたしはそれで結構だわ。

 ──お義姉さまも、呑み込んでくださります?」


 最後の言葉は、誰もいない虚空に向けて放たれた。しかし次の瞬間、空気が揺らいで、半透明の影が現れた。まるで風景そのものを一枚の絵として切り取って、立体化したかのようだった。

 影は女の形をしていた。一歩一歩前進するたびに、つま先から少しずつ、色を取り戻してゆく。長いブーツに真っ黒に染められた騎士装束、鈍色の鎖帷子をまとったその姿は、戦さに出陣する将のいでたちだ。

 それから明らかになるのは、驚くほどの銀色の髪と、紫水晶のひとみだった。凛々しいというよりは鋭利というべき怒気をつねにはらんだ表情によって、美貌は凄絶(せいぜつ)な炎のごとき風格を宿していた。


 彼女の名はイシュメル。〈冬将軍〉の二つ名を持つ、〈魔女〉崇拝者のひとりだった。


「どの口がそれほどの物言いを可能にするんだ、ヴェラ」

「……申し訳ありません」と、ヴェラステラは恥ずかしげに俯いた。

 しかしイシュメルは容赦なく間合いを詰めると、ヴェラステラのあごを指で持ち上げ、面と向かわせた。

「ヴェラ、おのれの失敗は、おのれ自身の目で向き合わねばならないよ。どんな言葉で上塗りしても、その事実は変わらない。それができなかったからこそ、この世界は腐敗してしまったのだからね」


 おまえもあの騎士どもと同じになりたいの? とその紫水晶のひとみは問う。ヴェラステラはジッと見上げることでこれに答えた。

 ならば、とイシュメルは続けた。


「間違いを認めなさい。そして奴らに自らの犯した過ちを、もう一度思い出させてあげましょう。それが我ら〈魔女〉崇拝者の本願なのだから」


 イシュメルはそこまで言うと、ヴェラステラから離れた。そしてルートと記憶堂のほうを交互に見やると、苦々しいものを噛むような複雑な顔をして、話した。


「良いだろう、姫御子よ。一度刃を交えた相手を助けるなどとは奇妙な話だが、貴殿の頼みとあらば従おう。ただし、〈鍵〉の在り処は嘘偽りなく答えていただく。よろしいか」

「構わない。ただひとつだけ、母さんの二つ名をボクに使うのはやめてほしい」

「ほう」

「ボクは〈魔女〉の崇拝者になったわけじゃない。あくまで母さんとリナを助けるためにあなたがたの力を借りただけだ。借りたものは返す。魔法に触れてしまった以上、ボクはそうした世界の理から外れるわけにはいかないんだよ」


 イシュメルは声を上げて笑った。見下すような含みと、相手の気持ちを心底面白がっているような笑い方だった。


「助ける、だと? おまえの母親も、双子の姉も? 冗談も休み休み言うんだな。おまえはただ誤魔化しただけだ。現実を認めたくなかっただけなのだよ。だから魔法などというものに縋ったのだ。われわれと何も変わらないさ。

 ──だが、面白い。あちら側に魂の(くさび)を打ち込まれたまま、どうするというのか。なおのこと興味がある」


 ルートはあきれて首を振った。


「いいよ。好きにして。ボクはもう帰るから。頼みはきちんと果たしてくれ」


 そう言って歩み去ると、あとから入れ違いのように、黒いローブに身を包んだ女たちが粛々とやってきた。〈火の娘〉、と呼ばれる魔女結社の術使いたちだった。彼女たちはイシュメルの命のもと、メリッサの廃墟を調べまわって、生存者を手当てし、連れ去った。

 太陽が空に高く昇るころには、もう誰もいなくなり、メリッサは再び静寂の中に沈んだのだった。

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