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第3版  作者: 八雲 辰毘古
第一部
13/19

十二.その手はきっと血と名誉に汚れていた(上)

 馬を起こして振り返ると、竜が再び記憶堂の残骸を破壊していた。大樹の幹のごとき太い脚部が、石ころでも蹴飛(けと)ばすかのようにやすやすと建物を崩壊させている。

 シュヴィリエールはその行動の中に、泥山で築いた城を踏みつぶす子供のお遊びと同じものを感じた。いや違う、と彼女は思いなおした。まるで焚き火の跡を踏み消すかのように、破壊の繰り返しが徹底していたのだ。


(あれは、激昂(げきこう)しているのか?)


 しばらく考えてみたかったが、そんな余裕はなさそうだった。

 ガーランドの声が聞こえる。早くしろ、と言っているようだ。シュヴィリエールは首を傾げながら、(にら)むように彼を見た。だが、ガーランドも非情な顔だった。


「わかってる。わかってるんだ」

「なら急いで。記憶しているのなら、あとで考えることもできるでしょう。大事なのはまず生き延びることです。さあ、早く!」


 シュヴィリエールは渋々馬に乗った。そしてエレヴァンやニースと言った面々の騎乗を確認すると、再びメリッサを出る方向に疾駆させた。リナと呼ばれていた少女は、意識を失ったまま再びエレヴァンの庇護下にあった。


 炭と化していたボロボロの柵を通り抜けると、〈風の平原〉の茫洋(ぼうよう)たる光景が視界いっぱいに広がる。この時期は空気が乾燥しているため、常に身を切る寒さを感じる。黄昏時で闇が辺りを覆うときはなおさらだ。

 おまけに視界も悪い。さながら黒く染めた絹の(とばり)を眼前に垂らしたかのように、ぼうっと先が見えない。いまは何時だろう、とシュヴィリエールは思った。おそらく午後三課か四課に差し掛かる頃だろう。いまからフェール辺境伯の城館に戻るとしても、一晩過ごす場所が必要だった。


(夜通し駆けるのはあまりにも危険だし、わたし自身、肩の傷を放置するわけにはいかない……)


 足場の悪い中を、ひたすら駆ける。その間一同は、次第に日が傾き、世界が致命傷を負った戦士の傷痕のように赤黒く染まるのをただ見ていた。時折振り返って他の友軍や、聖殿騎士、あるいは竜の追跡を確認していたが、見かけなかった。無事逃げられたのだろう、とその時は思った。

 やがて、薄暗くなった平原の中に、石を積み上げた大きな壁を見つけた。〈叙事詩の時代〉よりも年月を重ねた、古い文明のものだった。ニースの言に拠ると、それは『神聖叙事詩』で記された暗黒時代の産物で、人類が自分たちの力を誇示(こじ)しようと建てた塔や殿堂の一部であるとのことだったが、本当のところはよく知らない。ただシュヴィリエールにわかったのは、それが雨風をしのぐにはうってつけの屋根付きの壁であるということだけだった。


 ここで休もう、と彼女はガーランドに提案した。彼はしばらく考えたが、シュヴィリエールの肩の傷を見て頷いた。全員に休息が必要だった。まだ月は昇っておらず、馬たちもぜえぜえと息を荒くしていたのだ。

 車座になって火打ち石を打ち付けると、暖かな光がゆっくりと(ふく)れ上がった。火口は平原で採ったタケダカソウの枯れ草だ。そこに粗朶(そだ)やら何やらを掻き集めて火を焚いたが、あまり長持ちはしなさそうだった。そもそも薪がないのだ。


 しかしガーランドは遺跡の石を次々と持ってきて、火の周囲に積み上げた。それから小さなかまどのような形にすると、乳白色の結晶をその中に放り込む。途端に甘やかな薫香(くんこう)の匂いが(あふ)れ出した。ガーランドがそのまま二、三の聖句を唱えると、火は安定した。まるで民家のかまどでも見ているかのような心安らかな火だった。

 シュヴィリエールは顔を上げる。


「まさか、〈結界〉を……」

「本当はしちゃいけないんだけど、緊急時ってことで、あとでフェール辺境伯に弁明しておいてくれるかな」


 ガーランドは泣きぼくろにシワを刻んで微笑んだ。そして、すぐに傷の手当てを、と言った。シュヴィリエールは頷いて、騎士装束を肩口だけ開いた。


「……貴殿、〈星室庁〉の密偵だな。なぜわたしを助けた」

「いまその話をするのかい?」

「あまり余裕がないものでな。〈魔女〉のことを含めて、全て話してくれ」


 ガーランドは直接は答えずに、エレヴァンに向かって水を得るよう依頼した。彼は状況を察すると、頷いて立ち上がる。ついでにニースにも手伝いを頼もうとしたが、彼女はこの子の容体を見ると言って隅の少女を示した。エレヴァンがひとりで行った。

 ガーランドはその背中を見送りながら、ぽつりと独り言のようにシュヴィリエールに告げた。


「簡単な話だよ。〈星室庁〉は──フォルスナードは、〈魔女〉の結社と手を組んだんだ。教導会の勢力を威圧するためにね。竜の出現は、彼女たちの仕業だ」

「なんだと?」


 これにはシュヴィリエールも驚いた。聖女アストラフィーネに対立する〈魔女〉の存在は、よく知っている。〈白紙(タブラ・ラサ)の誓約〉における秩序に適応できなかった人たちが、業魔(ごうま)の強大な力を正義と考えてしまうのだ。その考えは聖女王国の建国時から存在しており、教導会は長らく異端として認定していたのだ。

 だがいくら政敵を抑え込むためとはいえ、賢人会議の議長が異端の教えに手を染めるなどあってはならないことだった。


「堕ちるところまで堕ちたか、賢人会議は」

「まあ、そういうことだね。メイヤー大司教がどこまで把握していたかは知らないけど、間違いなく魔女崇拝者たちの関与は読んでいたんだろう。だから〈結界〉の使用に踏み切ったんだ」

「貴殿はそれをいつ知ったのだ?」

「ほんの二、三日前のことだよ。それまではセージ僧院の惨劇から生き延びて、命を繋ぐので精いっぱいだった」


 水が来た。思ったより早かったな、とガーランドが言うと、エレヴァンは、少し先に行ったところに小さな池があったと答えた。ガーランドはすぐに騎士の傷を洗い、自分の衣の袖をビリビリと破いて包帯代わりにした。

 その間シュヴィリエールは眉ひとつ動かさなかったが、処置が終わるや否や、振り返って尋ねた。


「竜が襲来したあの夜、貴殿は僧院に?」

「その通り。わたしはラストフを探していたんだ」


 その名前を聞いて、シュヴィリエールは思わず立ち上がった。途端に西風が荒れ狂い、彼女の金色の綱の髪を横に(ひるがえ)した。さながら蛇がのたくるような荒々しさで、忌まわしいものを吐き出すかのように、彼女は言う。


「ラストフ、だと?」

「まあ、あの男に用がある人間は、この〈叙事詩圏〉では両手で数えて余るぐらいいるだろうね」

「当然だ。あの下郎、騎士道に泥を塗ったのだ。捨て置けるか」

「……気持ちはわからないでもない。しかし興奮しないでほしい」

「わからないでもない? ほう、貴殿に何がわかるというのだ。父親を、家の誇りを奪われ、踏みにじられた苦しみを」


 ほら、言ってみろ、とシュヴィリエールはあごでしゃくった。その顔は先ほどの冷静さをものの見事に失っていた。ガーランドは少女の溢れ出さんばかりの怒りの気を目の当たりにしながら、少しもびくともしなかった。むしろ青いひとみに冷たい光をたたえて、これに応えた。


「〈思いやりと慈悲の心を〉、と聖人スーティルナーガは言った。あなたがしていることは、その説話と同じことだ。憎しみをぶつけているその相手にも、妻と子供がいる」

「知ったふうな口をきく。したり顔で説教する輩ほど過去の偉人の言葉を使うものだ」


 しばらくふたりは(にら)み合っていた。だがその沈黙はエレヴァンのゆっくりとした動きで破られた。青年騎士に注目が集まる。この無口な若者は、静かにガーランドに対して頭を垂れた。


「主君に代わって、御詫び申し上げます」

「エレヴァン、貴様……!」

「いけません。シュヴィリエール様。あなたは何も知らない。あのリナという少女は、ラストフの娘なのですよ。彼女自身がそう言っていたのです」


 シュヴィリエールは後頭部を槌矛(メイス)で殴られたような心地になった。


「……いつ、そう言っていた」

「記憶堂から水車小屋までの道のりです。彼女は私を騎士だと認めると、楽しそうに父親のことを語ってくれましたよ。

 ただ、彼女は父親のことをよく知らない、憶えてないとも言ってました。行方知れずなのです。彼女ともうひとり、双子の弟御──確かルゥと言いましたか──とふたりで父親を探していた、と」


 エレヴァンはそこまで言って、ガーランドを見た。


「あなたのことも言ってましたよ、ガーランド殿。ということは、あなたもわかっているはずだ。全て知っていて彼女に教えなかった。なぜですか。真実が子供たちを苦しめるからですか?」

「それは……」

「答える必要はないです。しかし問わねばなりません。なぜあなたは隠したのか、を。あなたが、あなた自身に」


 ガーランドはエレヴァンのひとみの中に、とても悲しげなものを見いだした。それは自分で唱えた主張を、自身で信じていない悲しさだった。ガーランドはそこに奇妙な親近感を覚えた。それは正義や信念よりも大切だったはずなのに、いまでは正義や信念という形でしか語れなくなった何かなのだ。

 エレヴァンは俯いて、背中を向けた。


「出過ぎたことを申しました。すみません。見張りに行ってきます」


 そのまま行ってしまうと、あとには静寂が残された。しばらくふたりは黙りこくっていた。これ以上言葉を交わしてもなんら益のないことのように思えたからだった。そして、ガーランドも立ち上がると、エレヴァンとは反対方向に去っていった。

 ニースがやってきた。先ほどまで少女の容体を見ながら、遺跡の奥まったところで休んでいたのだった。


「辛気臭い話は、終わった?」


 シュヴィリエールはただ頷いた。そう、とニースが呟くと、シュヴィリエールの隣に座った。それからほうっとため息を吐くと、両手で包み込んで温もりを擦り合わせていた。シュヴィリエールはその何気ない仕草の中に、友人の非を問いたださない心遣いを読み取って、急に虚しい気持ちになった。


「……ごめんなさい」と独りごちる。

「謝らなくていいのよ。誰にだって怒りや悲しみがあるもの。英雄家に生まれたからって、あなたも物語の中の人みたいに強くたくましくあるべきじゃない、と思う」


 まるで塩でも擦り込むかのように、彼女は手首をしっかり()んでいた。

 シュヴィリエールは耐えきれなくなって、言葉を漏らした。


「わたしは間違っているのだろうか。友軍の安否も知らない指揮官など、史上でもまれに見る愚かものだろうに」

「んー、そこはフェール辺境伯がどうにかしているわ。もともとこの領地は伯に統治権があるわけだし、騎士団も彼の署名で契約してるしで、あなたが背負うことじゃないわ」

「でも」

「あなたは昔からそう。自分を責めるのにも理由が必要なの?」


 ニースは顔を横に傾けて、シュヴィリエールを見た。怒ってはいなかった。ただ妹を諭すような眼差しがあるだけだ。


「ねえ、憶えてる? まだセレス・アーカムにいたとき、わたしが駆け落ちしていなくなってた日のこと」

「……ああ。よく憶えてるよ」


 いきなり何を言い出すんだ、とシュヴィリエールは思った。しかしニースのしみじみとした表情を前にして、なにも言えなかった。


「同年代の女の子たちが教養を修めて次々と結婚してゆく中で、わたしは自分の道を進みたいと思ってた。そういう意気に共感してくれた神官くずれの男と、わたしは飛び出したのよ。

 でも、ろくなことにはならなかったわ。男はわたしじゃなくて、わたしの所属する騎士団の地位と財産が欲しかったのね。月が一巡してからようやく気づいたわ。そのときわたしはなにもかも失って、身売りさせられそうになっていた。ボロ布一枚包まって、都市の城壁の中をさまよう乞食となんら変わりがなかった。あなたが探しに来てくれなかったら、街角で花を売っていたかもしれないわ」


 ニースは淡々と続けた。


「んでね、あのときわかったのは、世界はちっとも優しくないってこと。思い上がると付け込まれるし、身を固くすると何もできないまま時間が無駄になる。自分に降りかかる理不尽に理由を求めても、答えなんてちっとも返ってこない。自分が腹の底で溜め込んだ怒りや悲しみに、納得いく理由や答えを与えるなんて誰もできないみたいなの。

 だから、その謎が知りたくてわたしは業魔学を志した。わたしを苦しめるものの正体や、世界に害を及ぼす魔物の名前を知ってみたいっていう欲求がわたしの中に生まれたわ。知れば少しは楽になれると思ったから」


 ただ、結局何もわからないままなんだけどね。ニースはそうちょっと恥ずかしそうに自嘲してから、言葉を再開した。


「業魔を学問の対象にするってことはそういうことなのよ。正解のない問いを延々と繰り返し、ままならない世の理や、人間の不条理と向き合い続けること。だから、おいそれと『わかる』なんて言えない。言えないけど、聴くことはできる。友達だもん。そう名乗っていいなら、の話だけど」


 ニースはにかっと笑った。シュヴィリエールはその笑顔に大学都市で肩を並べた少女時代を見た。先ほどまで感じていた虚しさがいっそう深くなる。俯いて、自分の内側に眠っている言葉を掘り起こす。ようやく何かが見つかりそうだとわかったとき、彼女は口を開いた。


「わたしは……」


 ところが、シュヴィリエールの言葉は唐突に駆け付けた一声で、霧散した。エレヴァンの声が、竜の到来を告げたのだった。

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