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第3版  作者: 八雲 辰毘古
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序.まどろみの中に消ゆ

 その風は〈竜の息吹(いぶき)〉と呼ばれていた。

 母なるセラトの山から吹き下ろすその風は、秋も深まる頃だというのに、生温かく鼻をくすぐるのだという。

 しかし、その風が吹いた日は用心せよ。

 魔性の目覚めが近づいているからだ。

 それがアデリナのいる村に伝わる古い言い伝えだったが、じっさいにこの風に出くわしたとき、彼女は盛大なくしゃみをするだけで、大して気にも留めていなかった。


(なんだ……このごろよく冷えるのかなあ)


 広いタケダカソウの原っぱの中だった。

 黄金(こがね)色に染まった細長い葉が、風に揺られてさざ波を立てている。


 アデリナは先ほどまで、冬越し支度のあまりの退屈さに、(たきぎ)拾いと言って昼寝をしていたのだった。

 そのためか、日に焼けた肌や、(くせ)のついた金色の短い(かみ)には枯れ草がこびりつき、ふだんは精力あふれる青いひとみも、焦点が合っていない。おまけにぼんやりした視界の中で、(かたむ)きつつある日差しを見つめて、さらにくしゃみをする始末だった。

 寝ぼけまなこをこすりながら、周囲を見回すと、草むらの向こうに、小道を走る藍色の衣を見つけた。


「おおい、ルゥ」


 彼女は双子の弟を愛称で呼ぶと、タケダカソウを()き分けはじめる。

 ルゥと呼ばれた長い黒髪の少年は、アデリナの声を聞いて立ち止まった。そして、むしろ少女と言っていいくらいの愛らしい顔をむっつりと(ふく)らませて、アデリナのもとへ向かった。血はつながっていても、髪の色といい、性格といい、彼とアデリナとはまったくと言っていいほど対照的だった。


「どうせそんなことだろうと思っていたよ」

「はは、ごめんごめん」


 頭を()きながら、アデリナは力なく笑う。

 ルゥは──ほんとうはルートという名前だったが、そんなアデリナの髪にくっついた枯れ草を、丁寧(ていねい)に取り払ってくれた。

 細くて色白な指先が、アデリナのくすんだ金髪に触れる。農作業や山狩りを知らない手だ。アデリナはそんなルートの手を見ていて、なんだか気恥ずかしくなった。ぷいとそっぽを向こうとする。


「ダメだよ、リナ」


 優しく(さと)す口ぶりに、アデリナはどきりとする。途端に、祈りの時間に()かれる薫香(くんこう)の柔らかい匂いに包まれて、彼女は(ほお)を赤らめた。

 それをいいことに、まるで赤ん坊でもあやすかのような手つきで、ルートは彼女の見た目をきれいにしてしまった。


「行こう。さっき交易旅団(キャラバン)が来たって村じゅうお祭りさわぎなんだ」


 アデリナはゆっくりうなずいた。

 その様子を見たルートは、少しけげんな顔をした。いつもならもっとはしゃぐのに。けれども、それも寝ぼけているせいだろう、とひとりで合点した。

 それもそのはず、アデリナは、まだ心ここにあらずと言った風で、あたりをじっと見回していた。まるで現実と寸分(たが)わぬ夢を見ているかのようだった。


「ほら、いつまで寝てるの。早くしないと置いてくからね」


 そう言って注意を()くと、ルートは傾き始めた日に向かって走り出した。光の中に吸い込まれるその背中を見つめて、アデリナはようやく我に返った。行かなきゃ、という思いが無意識に身を()り立てる。

 ところが、いざ戻ろうか、となった時、アデリナは、自分の(ほお)から流れ落ちる透明な液体に気がついた。あれ、という間も無く(したた)るそれは、涙だった。


(どうして──)


 少女の心の問いは、風の中に消えた。



     †



 ふたりが住んでいるのは、聖女王国の東の辺境、地図の上ではメリッサと呼ばれている村であった。

 おおよそ人が立ち入らないとされる雲海(うんかい)山脈のふもとを最初に(ひら)いたのは、もう百年前のことだ。かつて人類の罪を浄めたという聖女アストラフィーネの教えを広めんと、教導会の修道僧たちが土地を開墾(かいこん)したのが村の始まりだったと言われている。


 その証拠に、村の中央には教導会の記憶(きおく)堂がたたずんでいる。各集落における人界の象徴として造立(ぞうりゅう)されるこの石の建物は、人びとの祈りの場であると同時に、折々に触れて集まる生活の場でもあった。

 とくにこの時期は里麦(さとむぎ)の収穫が終わり、その取れ高を見積もりに商人たちが集まる。


「見て、ほら、すぐそこ!」


 二重に張られた柵を回り込むと、ふたりは旅商人たちの一団に出くわした。木製で簡素な造りの門をくぐったところで、小さな市を開いているのだ。

 長い毛を垂らしたガルロフの荷運び馬の周囲には、ルガの毛織物から、アンサグの蹄鉄(ていてつ)、グラーフの葡萄(ぶどう)酒に至るまでのさまざまな品が、所狭しと広げられていた。


 その中で、村人たちは今年の穀物(こくもつ)の代金と引き換えに、ああでもない、こうでもない、と怒鳴るような声でやり取りをしている。

 加えて、交易旅団(キャラバン)に同行した旅芸人の一座が、子供たちを喜ばせようと()し物を始めており、めいいっぱいの人だかりとなっていた。こんなに騒がしいのは、たしかにルートの言った通り、再誕のお祭りのときぐらいだろう。アデリナはそんなことを思った。


 と、そのとき人混みからひとりの男が抜け出した。禿頭(とくとう)で、左胸を守る革製の胸当てをまとったその男は、村を外敵から守護する騎士のひとりであった。

 その片わきには毛織りの外套(がいとう)を抱えている。先ほど買ったばかりのようだった。


「ジンガルさん」


 と、ルートが男の名を呼ぶ。

 呼ばれた男は無精(ぶしょう)ひげを生やした顔をにやりと歪ませ、ふたりのもとに近づいた。


「おお、良いところに戻ってきたな。いまならリナのサボりもおとがめなし、だ」


 この茶目っ気たっぷりの口調に、ルートは()き出した。アデリナはこれが面白くない。


「ちぇっ、なにさ。いいじゃんかよ、少しぐらいは。だいたいなんだよ。あんただって仕事が終わった途端に、もそもそ買い物だなんてしやがって。昔から英雄譚に名を(とどろ)かせてきた騎士の名折れじゃんか」


 そうぶっきらぼうに言い張ると、なおのことルートの笑いを誘った。アデリナはますますへそを曲げた。

 ジンガルは苦笑すると、


「仕方ないだろう。というか、おれたちの仕事がないほうが平和で幸せだって言うじゃないか。

 現に、この辺りの魔物の出没も年々減りつつある。辺境伯の統治の仕方が良いんだからな。英雄の出番なんてねえよ。必要なのは真面目でお調子ものの兵隊だけさ」

「けっ、いいよ。言ってな。そうのらくらしてるうちに、アタシが騎士になって、その鼻明かしてやるからな」

「おお怖っ。血気盛んな若いのはちがうね」


 ジンガルは大げさに肩をすくめると、ふと神妙な顔になった。


「まあ、それはいいとして。ちょうどリナを探していたところでな」

「え、なんでさ?」


 ジンガルはすぐには答えず、あごでくいっと記憶堂のほうを指した。


「導師さまがお探し、だそうだ。また何か悪さでもしたんじゃないのか?」

「えっ、いやべつに」


 そう言いつつ、アデリナにはなんとなく思うところがあった。農作業をずるで休んだこと、お祈りの時間に寝坊したこと、そのくせそこらの少年たちよりもわんぱくで、あちらこちらに繰り出しては、生々しい傷を全身に付けて帰ってくること……

 比べると、同じ十一の年でもルートのほうがずっとおとなしい。もともとからだが強くないこともあるのだが、それよりも、頭が良かった。物ごとの本質を見抜き、もの覚えが早い、と導師さまに才覚を認められ、その手伝いをしながら、日々勉学に(はげ)んでいるのだ。


「ああ、お前たちは同じ父と母を持つ双子であるというのに、どうしてこうもちがうのだろうな」


 と、導師さまに嘆かれたこともある。


 いずれルートは、導師さまから大学都市セレス・アーカムへと推薦(すいせん)を受けるだろう。そしてやがては教導会で〈司祭〉や〈導師〉の位階(いかい)を授かり、村の出では想像もつかない立身出世を遂げるのだろう。

 それは生まれた時から一緒にいるふたりが、遠からぬうちに離ればなれの人生を送ることを意味していた。


(なら、アタシはどうする?)


 アデリナは自問する。


(アタシは書物を読み解き、学問を修められるほど頭良くないし、農作業なんて退屈で嫌だし、ルゥほど美人じゃないし……)


 騎士になる、という夢が出てきたのは、破れかぶれにならないための口実でしかなかった。どこからともなく現れ、人を襲う魔物を退治する日常の英雄──誰かの役に立てるそんな役割を、いつか自分が担えたら……きっとルートと並んでも恥ずかしくない存在になれるはずだったのだ。

 しかし、そんな夢を持ったところで、ほんとうになりたいわけでもない。結果として生活は相変わらずで、どう生きたらいいかもろくにわからないまま、ただ嫌で面倒な日常だけが目白押ししたのだった。


「まあ、行けばわかるさ。そんなにしょげるんじゃねえって。べつに怒ってたわけじゃないんだから──なあ、ルゥ?」


 ジンガルは、あわててそう付け足した。

 唐突に話を振られたルートは、きょとんとしたが、すぐにこくりとうなずいた。


「大丈夫だよ、リナ。行こう」


 けれども、アデリナには、そう落ち着きを持って話せるルートが(うらや)ましくてならなかった。


 ふたりがそのまま記憶堂に向かうと、両開きになった扉から、導師さまが出てくるのを見つけた。あごひげを伸ばし、太い(まゆ)を持ったその老人は、いかにも村の秩序を守り、人々を教え導くに足る存在に見えた。

 彼がふたりを見つけると、目を見開いた。


「おお、ふたりとも。無事でよかった」


 まるで心の底から安心したかのようなその口ぶりに、ふたりは顔を見合わせた。

 先にルートが口を開く。


「導師さま、いったいどうしたの?」

「いや、なに。お前たちに対して変な客人が先ほどやってきていてな。『ラストフはどこだ、この村にいるのは知っているぞ』と厳しく問い詰めおったのだよ」

「ラストフ? 誰それ」とアデリナ。

「わしも知らんよ。それで、正直にそう言ってやった。すると、その男、いろいろ喋った挙げ句に『また来る』とだけ言ってどこかへ行ってしまったのだ」


 ここで、ルートは線の細い眉を、片方だけ上げた。出たな、とアデリナは思う。不思議なことがあると、いつも彼はこうなるのだ。


「導師さま、それとボクたちにどんな関係があるんですか?」

「それについてだが、わしにもよくわかっておらん。なぜなら……」


 と導師はひと呼吸置いてから、ためらいがちに、こう言った。


「そいつが言うに、ラストフとはお前たちの父親の名前らしいからな」


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