五 反撃
いつの間にか年の暮れになった。が、依然として娘たちは容態が安定しない。それもそのはず、仁平が気を入れて治療をしていないからだ。あの状態では張り型での稽古が関の山、実物での稽古などさせられるはずがない。それにしても、よく二人をお払い箱にしないものだ。張り型が盗まれたのと娘が連れてこられたのが同じ時期だとすると、もう半年になろうとしている。教える側は梃子摺っていても、言いつけた者挙がらぬ成果にムカムカしているだろう。だったら別な者を連れてくるなり、代役を考えるなりするはずだ。こうして娘を来させるということは、ほかに使えそうな娘がいないということだろうから、もしかすると玄人女に代役をさせようというのだろうか。事もあろうに玄人女に代役を務めさせでもしたら、まかり間違えばお家同士の争いになってしまうのだが、きっとそこまで考えの及ばない者に頼んだのだろう。年明け早々に計画を実行に移すことはまずあるまい。仁平だって雪解けを待って子安方を始動させたのだから。
何かがおきるのは年が明けてから。仁平はそう思って様子を見守ることにした。
ところが、彼の予想を裏切って屋敷に忍び込んだ者がいたのだ。
それを報せてきたのは留十だった。仕舞い湯でしっかり温まって夜着にもぐりこんだ矢先のことだったそうだ。絢女の部屋で報せを聞いた仁平は、すぐに身支度を整え、どてらを羽織った。そして絢女には、他の者に被害がないか確かめ、心配せずに寝ているよう触れて回らせると、月明かりでほんのり明るい庭に降り立った。
師走の夜は冷え込みが厳しくなるので、家々は申し合わせたかのように雨戸をたてかける。それは仁平の屋敷でも同じで、それぞれの居室だけに止まらず、回廊にもおよんでいた。
空が澄んでいるぶん月明かりが煌々と照らしている。大きなものは薄ぼんやりと見ることができる。が、それは常人のこと。仁平の目には夕暮れ時ほどの明るさで見えている。門のそばに立つ人影は富永のようだ。素手ではないようだが、何を持っているのかまで見分けることができなかった。夜目が利かなくなってきたと仁平は思った。
やはり人影は富永だった。木剣の先で落とし穴を指している。何者かが侵入を企て、穴に落ちたのだろう。次いで富永が潜り戸を指した。半開きになったその先はぽっかりと闇が口を開けているだけで、特に人の気配はない。しかし、あまりに静かなことがかえって奇妙に思える。いくら静かであっても犬や猫がうろついたりするものなのに、まったくといっていいほど音がしない。時おり吹き抜ける風が、笛のように鳴るだけだ。
「誰か見張りがいるかもしれないねぇ。潜り戸から半身出して呼び入れおくれ、声はたてぬようにな」
留十の耳元で囁き、仁平は戸の陰に隠れた。
潜り戸から入ってきた人影は一つ。既に先回りした留十が早く来いとばかりに背を向けて仁平の寝起きする棟へ向かうと、遅れてはならじと後を追った。三歩、四歩と足を運び、五歩目にはいきなり姿を消した。まんまと落とし穴に落ちてしまったようだ。男が侵入するのに呼応するかのように、外塀のところで大きな水音がした。そっちへ駆け出そうとする富永を呼び止めて通りに出てみると、月明かりを浴びて男が一人、心配そうに中を窺っていた。
と、男は仁平たちに気付いて逃げ出した。富永には賊が這い出てこないよう監視をたのみ、仁平は男を追った。
男は暗闇の中を遮二無二駆けた。だが夜目が利かないのか道を変える余裕がないようだ。そんな相手に追いつくくらい造作もないこと。白壁が尽きて次の辻をすぎたところで仁平は男の襟首をつかまえた。
激しく暴れて逃げようとする男の胸倉を掴み、泳ぎたいかとぼそりと呟くと、男の抵抗が止んだ。
屋敷まで戻る間に、仁平は男の名を尋ねた。首領は誰かと尋ね、なんの目的で押し入ったのかを尋ねた。そして誰に指図されたかも。しかし男は不貞腐れたように一言も発することがなかった。
「言わないのだね、かまわんよ。そのかわり、絶対に言うじゃないよ」
仁平もその一言を最後に、男を引き立てたのだった。
捕えられた賊は、誰一人としてものを言おうとはしない。そして仁平も無理に白状させようとはしなかった。言いたくなければ黙っているがいい。だけど、役人に後を任せると後が面倒だから、泳いでもらうと告げた。ただし、ただ泳ぐだけでは面白くないので、手を使えなくすると宣言した。
「旦那様、どうしてそんなことをなさるのですか?」
蹴るなり叩くなりして白状させればいいと留十は考えたのだろう。しかし仁平の答は冷たいものだった。
「蹴っても叩いても跡が残ります。土左衛門に縄目がついていたら後が厄介でしょう。だからね、疑われない程度にやればいいのですよ」
「どうなさるので?」
「なに、この男たちは荒っぽいことばかりしているのでしょう。だったら、殴り合いをしても不思議じゃない。そのときに拳を痛めることはないですか?」
そこまで種明かしをしても留十には仁平の考えが理解できないらしく、それはそうだけどと首を捻るばかりだ。そこで仁平は、手ごろな石を持ってくるよう言いつけた。
しきりと首を捻りながら留十が持ってきた石を見て、もっとツルツルのものと取り替えるよう仁平が言いつけた。
富永に睨みつけられて不貞腐れている中から一人の男を引き摺り出すと、残った男たちが一斉にいろめきたった。しかし富永が木剣をふりかぶると、不満げに静かになる。中には懐に手を突っ込んでいる者もいた。
引き出された男は激しく抵抗した。隙あらば反撃しようと狙っているようだ。
「こいつは、私の屋敷に押し入って金品を奪おうとしたのです。でも、反撃されて手を怪我した。これはいかんと、慌てて逃げようとしたら足を酷く打ちつけた。まともな判断ができなくなって真っ暗な中へとび出したものだからたまらない。堀にはまってしまった。こういう筋書きにしましょう」
恐ろしいことを言っているのに仁平の表情は普段とかわらぬ穏やかなままだ。
「そんなことで全部が死んでしまったら何もわからぬままだが」
まさかとは思うが、仁平の腹の内がわからない富永がつぶやくと、仁平はこれまで見せたことのないような笑い方で応えた。
「なに、朝になったら噂が飛び交うでしょう。この者らの素性くらいすぐにわかります」
富永の疑問に答えている間に、男が匕首を掴み出した。それを構えてジリジリと出口に逃れようとしている。
「そんなもの、怪我をするだけですよ。逃げたいのでしょう? だったら私を突いて逃げるが確実。やってみるかね?」
仁平がわざと左胸を突き出してみせると、男の目がすぅっと細くなった。
匕首を突き出すために男の手が後ろに引かれる。その瞬間に仁平は男の膝を蹴っていた。うっと呻いて態勢を崩したところへ、続けて股座を蹴った。
股間をおさえて転げまわる男は、自分の手からこぼれた匕首の上でのたうった。
「これこれ、いまさら押えてみたって痛みは消えませんよ。どれ、少し手伝ってあげよう」
お園に注意するような穏やかな言い方だ。だけどしたことは、これが人間かというほど酷いことの連続だった。
こっちへ来なければ手当てができんと言いながら腕を強く引き、そのまま仁平自体がくるりと回ったのだ。肘の節が異様にゆがんでグリッという音をたてた。と、男の口から悲鳴が沸いた。うるさい奴だとぼやいて男の懐に残っている匕首の鞘を咥えさせ、金玉の痛みが和らいだだろうと男を覗き込む。そしてブラブラになった男の手を石の上に載せた。
「こうすれば、肘の痛みは消えるはず」
そう言うと、無造作にその上へ石を打ちつけた。
咽の奥から絶叫が迸った。咥えさせられていた鞘が三和土に転がり、男はヒーヒーいっている。
「嘘じゃないでしょう? 肘の痛みなど忘れてしまったでしょう。だけどなんだね、お前は堪え性がないようだ。そんなことでは女に負けますよ。子を産むときは、それは痛いそうだ。我慢しなさい、それくらい。我慢できないのかね?」
意地悪く男の顔を覗き込むと、どういうことか涙を流していた。
「泣けるほど嬉しいですか。なら、手の痛みを和らげてあげましょう」
そう言って指を砕いた石を膝に打ちつけたのだった。
仁平がそうしたことを他の男たちに見せつけながらやっていたので、次の標的になった男は最初から怯えていた。言わなくていいといわれているのに、ペラペラと知っていることを話しだした。が、男が白状しようとするたびに仁平は、いまさら言う必要はないと遮り、最初の男と同じように手と膝を使えなくしてしまう。その所業に他の者は声すら出せない。自分たちが町の者にしていることなど子供じみていると思えるほど凄惨な所業なのだ。しかも、次の標的は自分かもしれないと思うと、体の震えを抑えることができない。
三人、四人と拷問が続き、最後に残ったのは自分だけ逃げ出した男だった。
この男、他の者が一人残らず酷いことをされるのをずっと見せられ、ガタガタブルブル震えていた。そして、なんとか自分は助かりたいとして喋る喋る誰に指図されたのか、誰がそうさせたのか、知っていることをすべて喋り続けた。仁平が無関心を装っていることを疑うより、恐怖に押しつぶされたようだ。そして男は言った。子種屋の誰かを浚って物産方与力が画策した本多藩の子安方を仕立てるよう厳命が下ったというのだ。越前屋はほとんど女ばかりの所帯だから、七人もいれば何人か浚うことができると考えたのだそうだ。
莫迦が。好んで人の命を奪おうとしていないからこの程度ですませているのだ。姫路の地回りごとき、苦もなく皆殺しにできるのに。
男たちの中で一番の顔役はこの男だった。その顔役が仁平に媚を売り、恥ずかし気もなく失禁している。同情どころか、どう責めてやろうかとさえ仁平は思っていた。
頭立つ者の責任として、仁平は両手の指を潰すことで酬いた。
男は魚町の地回り、桶富の時造の子分だと言った。なかなか成果が挙がらないことに物産方与力の内藤が苛立っていることがそもそもの起こりらしいと男が言った。何に苛立っているのかなど男の知るところではないが、どうやら弓張りの伝兵衛という金貸しにすべてを任せているのだそうだ。せっつかれた伝兵衛は、老松という妓楼を急かせる。すると娘たちの体調が悪くてほとんど手付かずの状態だということがわかった。それでは内藤の立場がなくなるので荒業に出たということだ。それを持ち込んだのは女衒の長七郎。伝兵衛や老松との橋渡しをしているそうだ。それで仁平の屋敷を襲うよう、時造が手下に浚うよう命じたのだという。主人は世間から仁者と呼ばれるくらいだから臆病だと高をくくったのが間違いだった。
男は虚ろな眼をしてブツブツとそう繰り返した。
これで図式がわかった。手始めに桶富を潰そうと仁平は考えていた。
暮れも暮、今年も今日一日となった。越前屋でも片付けが終わり、蓬莱飾りがでんと据えられた。仁平は皆を集めて一年の労をねぎらい、給金を与えた。日ごろは入用なだけ渡している。とはいっても、使用人はほとんど外出をしないのだから、小間物屋に払うくらいしか使わない。だからこうして給金を払う段になると驚くほど溜まっている。世間の相場では、腕の良い大工ですら日当が三百文にとどかない。月に直せば二両ほどということだ。それなのに仁平は、子種屋の娘に一年に三十両もの給金を与えていた。遊女のような真似をさせている後ろめたさがあるのかもしれないが、住はもとより、衣食を負担した上での給金だ。それは賄い方に対しても同じだった。元はといえば食い詰め者を保護するのが目的だったが、食が保障されたことで健康になり、雑事をすべて片付けてくれる。それに仁平は酬いた。越前屋での新参者である富永にも、仁平は法外といえる報酬を与えた。同心の俸禄は三十両が通り相場だ。しかも富永が来たのは盆の頃だから、まだ半年にも満たない。なのに仁平は、三十両という金を惜しげもなく与えた。子種屋の娘や賄い方の者はそれを押し頂いたが、富永は驚くばかりで言葉が出ない。そんなことがあって大晦日の夜は更けていった。
正月元旦は主人の賄いに始まる。商家のありふれた行事だが、越前屋は初日を迎えるところから始まる。初日を拝んで後、最初の雑煮を食べるまで家人は一切手出し無用なのだ。それを考えると、今夜ばかりは早く床につく。誰にも邪魔されたくないからといって仁平は蔵に引き込んでしまった。
除夜の鐘が殷々と響いてくる。暗闇の中で仁平の目蓋が大きく開いた。鐘の音意外は何も聞こえない、風音すら聞こえない。二刻ばかり眠っただろうか、十分な仮眠で昼間の疲れはすっかり取れていた。
寝床を抜け出した仁平は、既に浪人者に身をやつしている。あとはニカワで作った傷痕を貼り、大きなホクロを額に貼るくらい。その前に仁平は、袴の裾を巻き込むように脚絆をしっかり巻き、そして草鞋を履いた。腰に大小を差し綿入れを着込めば立派な浪人にみえるはずだ。棒手裏剣を帯に、そして苦無いを二本、腰の後ろに差した。桶富にはいつも十五人ほどの男がいるというが、その半分は先日の怪我が癒えていないはず。骨を砕いたのだから生涯使い物にならないだろう。とすれば残りは十人足らず。男たちが逃げ帰って半月もたったことから油断をしているだろう。ましてや今夜は大晦日。まさかこんな日に襲われるとは夢にもおもわず夢の中。汚れた手拭いで口元を隠しながら仁平は薄気味悪い笑みを漏らした。
念のための小道具に、鱗を一枚とり左の目に貼り付けた。片目の男にみせるための忍の知恵だ。
蔵の奥の隠し戸を開けると、肌を刺す冷気が噴出してきた。狭い通路は肥取り船を着ける場所につながっている。堀との境に小さな階段が作ってあった。
あいかわらず鐘の音が響いている。闇に沈んだ町は、やかましいほどの音にあふれていた。
職人町にはそれぞれの匂いがある。飾り職なら鋳掛けの匂い、細工職なら木の匂い。この魚町には生臭い魚の臭いがこびりついている。桶富の家は、棒手振りが集まる一角にあった。屋号からして元は桶職人だったのか、軒下に交換用の箍がたくさんかかっていた。
桶屋にしてはめずらしく一軒屋だ。周囲を黒塀で囲って、裏口には小さな潜り戸が一つあるだけだ。もちろん外から開きはしないし、表には大戸が下りていた。これで戸締りをしたつもりかもしれないが、仁平にしてみれば衝立ほどの障害でしかない。都合の好いことに、塀の内側で何をしていようが、外の者には窺うことができない。
防火槽を使って塀を乗り越えてみると案の定、勝手口にまでは雨戸が立てかけてなかった。もちろんつっかえ棒はかかっているが、ただの障子戸だということを忘れているようだ。
室内には酒の臭いが満ちていた。干物を焼きながら呑んだのだろうか、生臭い臭いも満ちている。それと、大きな鼾がそこかしこから聞こえる。深酒をして眠りこけているのなら余計に好都合だ。が、念のためということもあるので、仁平は眠りこけている者の細紐で首と腕を縛ってまわった。そうしておけばもし正気に戻っても身動きできないはずだ。しかもその半数が右手を布でくるんでいる。あんなことになったというのに懲りない奴らだと哀れに思った。
端から順に部屋を確かめてきた仁平が、襖をそっと引いた。その部屋には神棚がしつらえてあって長火鉢に炭が熾っていた。出しっぱなしの膳に食べ残しがあり、酒を呑んだのか猪口も載っている。半分開いた襖のむこうに夜具があった。
どこの家でも蜀台の近くに経木を用意してあるものだ。それを探り当てた仁平は入り口の襖をぴったり閉じた。火鉢に経木を差し込むとパッと炎があがる。それを蜀台に移した。
小太りの男と痩せぎすの女がそれぞれ夢の中だった。
仁平はまず男の夜着を剥ぎ取った。しかし酔っているとみえ目覚める気配がない。であれば事は簡単だ。うつ伏せにさせて右手と左足、左手と右足をしっかり括った。女も同じように縛り、猿轡と目隠しをしたまではよかったのだが、相手が酔いから覚めない。それはそれで困ったものだ。
全員が眠っていることを幸いに、仁平は手桶いっぱいの水を汲んできた。それを男と女の背中に流し込んでやると、さすがの冷たさに二人が目を覚ました。しかしまだ朦朧としている。
二人を仰向けにして鼻と口に水を流し続けると、ようやく正気を取り戻した。
まず女が呻き声をあげた。酔いが手伝って大きな声を張り上げている。そこで仁平は、静かにしておれと言って更に水を顔にかけた。
男も、はっきり事態がのみこめていないようだが、見知らぬ者が見下ろしていることは理解したようだ。
「だれだ、てめぇ。ここをどこだと思ってんだ、サンピンがぁ。おいっ、だれかいね……」
酒の酔いもあるだろうが、大声で喚きたてる。しかしそれは仁平が注ぎ込む水で中断された。
「大声を出すな、煩くていかん」
顔をしかめた仁平が女の髪から簪を取った。そして男の口をこじ開けると舌を引きずり出した。ぐいぐい引きずり出した舌に簪をぶすり、根元まで貫いてしまった。
男の目がまん丸に見開かれ、何か叫ぼうとしたようだ。しかし舌が動かないでは言葉にならず、口を閉じられないのでまともな声にもならない。それどころか、溜まった唾を飲み込むこともできない。男は手足を振り回そうとしたのだろう、だが、手足の自由を奪われていることをようやく理解したようだ。
「何度も言わぬゆえ、よく聞け。年の暮にあたり金子が入用になった。それゆえ、恥を忍んで無心に参った。金を差し出せばなにも手荒なことはせぬ。出してくれるな?」
咽をつめた、ゴロゴロと気味の悪い声であった。
「うがぁっ……」
男が精一杯の抵抗を試みたが、手足が自由にならないではどうしようもない。
「其の方、儂の頼みをきけぬというのか、それとも耳が聞こえぬのか、どっちだ? 聞こえぬ耳など飾りにしかならぬ、無用なものだな?」
脇差を抜いた仁平は、男の耳に刃を当てた。スイッと滑らせると耳の上のほうに切れ込みが入った。男の咽から声にならない叫びが湧き上がった。そして、ブルブルと顔を左右に振った。しかしそうすれば余計に切れ込みが深くなる。
「どうしたというのだ、耳は聞こえるのか?」
そう尋ねるとこんどはガクガクと頷き、それがまた傷口を深くした。
「聞こえるのか、では何故手向かいしようとした。なら、どうすれば良いかわかるであろう」
仁平が手を離すと、男の耳たぶは穴の下のあたりで後ろへ垂れる。その瞬間、男がきつく目を閉じた。
男がもがいた。金のありかを素直に教えねば次は何をされるかわからないと、恐怖にかられたのだろうか。しかし口で言おうにも言葉にならず、指差そうにも手が利かない。まして仰向けにされたまま起き上がることもできない。仁平は、使えぬ奴だとつぶやいて女の目隠しを取った。そして耳をほとんど削がれた男を見せてこう言った。
「聞いておったであろう。すべきことはわかっておるな」
すると女が激しく首を縦にふった。仁平は、女の片手を自由にした。そのとき、なにを思ったか足首をきつく締め直した。もう片方の手も自由にするかわりに、やはり足首をきつく締めた。
女が差し出したのは、箪笥の小引き出しである。その中にはビタ銭が半分ほど入っていた。銀貨もあれば銀の玉もあり、両替商にもちこめば五両か六両くらいにはなるだろう。男の着物を持ってこさせた仁平はそれを縦に裂き、それで引き出しをくるんだ。
「女、儂はなんと言うた。金子を無心に参ったと聞こえなんだか。銭を差し出してなんとする。あのようになりたいのか」
すると女はガタガタふるえて神棚の下から小さな箱を持ってきた。ざっと四十枚の小判が入っていた。
「このような小金で帰れというのか、話にならん。博打の元手があるであろう、素直に出さぬというのなら」
仁平が女の髷を掴んだ。そして額の生え際に脇差を当て、ジョリジョリと髪を切り始めた。女がヒーヒーと息をうわずらせ、激しく首を振った。置き場所を知らないとも、口が裂けても言えないともとれるほど必死な様子だ。
「この女は、これ以上のことは言えぬようだ。そこで尋ねるが、出すか?」
そう言いざま、仁平は切り落とした髷を男に放った。
博打の元手は、長火鉢の脇に隠してあった。床の羽目板を外すと、そこが一段高くなっていて、土を払うと分厚い蓋だ嵌めてあった。そこから小さな壷を取り出したとき、男が振り向き様に斬り付けてきた。どうやら壷といっしょに匕首を隠していたらしい。が、妙に手間取っているのを不審に思った仁平は、十分な間合いをとって身構えていた。まだ完全に酔いが抜けていないのに加え、自由に動けないよう足を縛ってある。男の抵抗は実を結ばないどころか、更なる苦痛となって戻ってきた。
匕首を取り上げた仁平が、男の親指をおもいきり捻ったのだ。絶対に曲がらない方向へぐっと捻ると、あっさりと節が外れた。つまらぬ気を起こさせないよう、中指も節を外した。
男が仰け反って手を庇った。するとこんどは、仁平がより恐ろしいことを呟いた。
「その姿、まるで土壇場に据えられた罪人のようだな。そうか、痛みに堪えられず、いっそ首を刎ねてほしいというのだな」
男の息が止まった。そして聞き違いではなかったと悟るとまたしても叫び声をあげた。
「たっての願い、叶えてつかわす。であれば、作法に従うことが肝要。髷など落としてやろう」
仁平は男の髷を掴み、脇差で乱暴に切り始めた。力任せにゴシゴシやるものだから切るというより毟るにちかい。が、哀れにも髷が落とされ、青い地肌がザンバラになった髪の間から除いていた。
男がもう一つの壷を取り出したのは、それからすぐのことだった。赤く変色し始めた指は使えぬはずなのに、重い壷を男は必死の形相で取り出した。明かりをかざしてみても、もう穴の中には何も残っていない。
仁平は女を来させ、裂いた着物の袖で半分づつくるめと言いつけた。
「しっかりくるめ。無粋な音がせぬようにせよ」
そう言いつけ、再び男に向かった。
「其の方らは、貸した金の取立てをしておると聞く。なかなかの実入りだそうではないか。今もその証文があるであろう。それを持ってまいれ」
さすがに死ぬ恐怖が続いたからか、男は素直にそれを持ってきた。中を検めて仁平が頷く。
最後に仁平は、二人をうつ伏せにさせ、手をしっかりと縛った。その背に夜着を掛けてやる。
「今夜は殊のほか冷える。風邪をひかぬよう用心いたせ」
そう言って柄杓の水を足の裏に流した。
「寒い夜は気をつけぬと足先が凍るものだ。朝になってどす黒くなっていなければなによりだが、もしそうなら足先から腐ってくると覚悟せよ。心配せずとも、役に立たぬ手下が助けてくれよう」
裂いた着物の半身で小判の包みを巻くと、いったん綿入れを脱いで襷にかけた。その上から綿入れを羽織り、小銭の包みを提げた。
「では、かたじけなく合力にあずかる」
無慈悲にも、勝手口を開けた。
除夜の鐘が殷々と鳴っていた。