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この話は十八禁の同名小説を書き換えたのではなく、娯楽時代劇として書いきました。

 その日は朝から雨が降っていた。徐々に雨足が弱くなり、上がるのかと空を仰いでみると西の空には真っ黒な雲が渦をまいている。その奥で仄かな光が瞬いていた。この数日、こんな日和が続いている。はるかな山奥でも降っているようで、市川(いちかわ)の水嵩は増していた。

 一人の大柄な男が通りを歩いてゆく。それに付き従うのは四人の女。もうすっかり雨はあがったというのに、五人とも傘を手にしいた。水溜りに店の軒がゆらゆらしていて風情がある眺めだ。一団は、その鬱陶しい水溜りを楽しんでいるかのように、グルグルと避けながら通りを歩いて行く。チリン、チリン。微かな鈴の音がいくつも重なって聞こえた。

 通りのずっと先で木の枝が激しく揺れた。裏返るほどの揺れだ。すると、あっという間に彼らは突風にあおられた。

 ポツ、ポツポツポツポツ、ザザァーーーー

 いきなりの豪雨である。通りを歩いていた人々は蜘蛛の子を散らすように近くの軒先へ駆け込み、店々は大慌てで商品を中へしまう。雨宿りのために、通行人も商品をしまうのを手伝うくらい激しい降りだ。そんな周囲の騒動を尻目に、男は傘を傾げたまま歩いてゆく。女たちは裾をつまみ上げただけで、やはり男に従って歩みを止めない。

 いくら上等な傘を差したところで、腰から下は見る間にずぶ濡れだ。裾がまとわりついて歩き難そうな様子だが、雨宿りをする気はないようだ。

「だんな、雨宿りしておゆきなさい。なぁに、少しづつ詰めればどうにでもなりますから」

 方々から親切な声がかかるが、店はもうそこですからと言って、男は歩くのをやめない。軒先から滝のように水が落ちてくる中、声をかけてくれた者に会釈をするばかりだった。

 外堀川に行き当たった一団は、川沿いに海の方へ向きを変えた。正面から降りつける雨が、こんどは男の右側を濡らす。川面が飛沫いていることからもその激しさがわかるというものだが、男は傘を傾げただけだ。そして、人目が疎らになったところで歩を止めた。

「なんだか、子供の頃に戻ったような気分です」

 ここまで濡れてしまえば、水溜りくらいどうということはない。男はわざと水溜りに足を浸けて笑いころげている。人目がなくなると開放的になるのは女も同じのようで、遠慮なく裾をたくし上げ、白いふくらはぎをさらして水溜りでピチャピチャやって楽しそうに笑った。二十歳から二十五歳くらいの四人だが、こうして子供に戻ることが楽しそうだ。

 ひとしきり遊んだ五人は、そのまま白壁に沿ってゆっくり歩いた。右へ左へ視線を移している姿は、この激しい雨の中にあっては場違いな感じがする。急ぎ足になるのが当然なはずで、のんびり歩く姿は異様にさえ見えた。

 白壁の塀は、跳び上がったくらいでは中を窺うことができないような高さがあり、贅沢なことに瓦葺きになっている。これは商家ではなく、間違いなく武家屋敷である。塀は次の辻まで、およそ三十間も続いていた。途切れたところを左に曲がるとそこから更に二十五間ばかり塀が続き、その先は北条八幡宮の境内。屋敷は、境内とほぼ同じ広さがあるようだ。

 南に面した塀の中央に、通用口を備えた立派な門がある。が、そこにあるべき看板はなく、門柱に名残が残っているだけだ。じっと門を見上げていた男は、当たり前のようにその門をくぐった。

 男の名は、越前屋仁平。薬種問屋の越前屋を無理やり隠居させられた男である。とはいっても大きな失敗をしたわけではなくて、使用人だった咲を孕ませてしまったというだけのことだ。仁平自身は咲を気に入っていて、きちんと女房にしている。一方で、好いた女房に不満などないくせに、歳若い妾を三人も囲う艶福家でもある。

 それはさておき、越前屋から身を引いた仁平は、一風変わった治療をほどこす施療院を始めた。施療院と称しているように世間でいうところの医者ではなく、もっぱら通じの改善のみの施療だ。人は必ず飯を食い、そして排泄する。食うから排泄するのか、排泄するために食うのか、あらためて考えると訳がわからなくなってしまうのだが、稀に排泄できずに困っている者がいる。出すことができなければ食うこともできず、当事者にとっては深刻な問題だ。しかし世間はそれを病だとは捉えない。仁平は、そんな者の手助けをしていた。やり方は少々荒っぽいが、どんなに頑固な便秘でもたちどころに開通させると隠れた評判を得ている。また、子宝に恵まれない者の子作りを手伝っている。子が授からないことの原因を、とかく女におしつけるのが世間だが、そうとばかりはいえないと仁平は考えた。荒れた畑で作物は育つまい。しかしどんなに肥えた畑でも種が悪けりゃ芽は出ない。種が腐っているかもしれないのだ。そこで、毎日欠かさず種付けを続けるという治療を考えた。常軌を逸していると誹りを受けるかもしれないが、患者の半数以上を見事に懐妊させたという実績を積み上げている。並みの医者には思いつかない方法のため、世間でいうところの医者ではない。といってずぶの素人というわけでもなく、採薬や調薬の知識にかけては並の医者に引けをとらない。

 しかしその施療院と子作り治療は、もう店仕舞いした。今日は、世話になった屋敷に別れを告げに来たのだ。

 案外早く表に出てきた仁平は八幡様にお参りし、小雨の中を歩き去った。

 五月はじめ、昼下がりのことだった。


 市川は、丹波山地に源を発する比較的大きな川である。生野(いくの)銀山の近くをかすめて、それは激しい蛇行を繰り返しながら急峻な山を駆け下り、姫路の東外れで播磨灘に注ぐ。丹波から福崎までの蛇行のしかたは、狂っているかのようだ。西に東に鋭く曲がるだけでは飽き足らないのか、来た方へ取って返すという離れ業さえしてのける。福崎をすぎて播州平野にさしかかると川幅が広くなり、さすがに流れは穏やかになる。が、海に注ぐその寸前まで大きくのたうつこの川は、性悪な暴れ川なのだ。最近こそ鉄砲水に襲われるようなことは少なくなった。とはいえそれは姫路でのこと。生野の近辺では、二年に一度はどこかで山津波がおきている。それが急な出水となって、姫路の町でも堰堤が切れそうになることが珍しくはない。そんな困った市川だが、肥沃な土地と豊富な水をもたらしてくれる。そのおかげで姫路は播州最大の城下町として栄えたといっていいだろう。

 河口から少し遡ったところに大きな橋が架かっている。誰が名づけたか、阿呆橋という。その上手には大橋。西国街道の重要な橋で、そこから程なくして大手前に達する。

 激しい蛇行を繰り返してきた川は、大橋の(しも)で最後の悪足掻きをみせる。平仮名の〈ち〉の字のようだ。交わる横棒が西国街道というわけだ。

 街道を行く旅人は、橋の下流に多くの船が(もや)ってあるのを目の当たりにするだろう。沖係りした廻船からの瀬渡し船なのだが、内陸部の産物を集めてくるのにも重宝されている。堤の上には大店が競って蔵を構え、専用の船着場すらある。ところが自前の船を所有している店は少なく、舫ってあるのはほとんどが船問屋のもち舟だ。その中に、他を圧するような大型の舟が二艘あった。とはいっても所詮は高瀬舟であるから三十石か、せいぜいあって五十石。しかしその船には、立派な帆柱が備わっていた。舳先で(のぼり)が雨に打たれている。薬研をかたどった船形の上に(こし)の一文字。薬種問屋、越前屋のもち舟だ。自前の船をもったことで越前屋は飛躍的に商いが大きくなった。店構えは変わらずとも、人や荷の出入りが激しいのが何よりの証だ。


 市川端の桜が散って一ト月。山々が鮮やかな緑にすっかり覆われた、端午の節句を目前にひかえたある日のことである。

 陽が落ちるとすぐ、越前屋の船の舳先にポッと明かりが点された。同の(どうのま)(とも)にも明かりが点されると、荷の積み込みが始まった。行李、長持、菰掛けされた木箱などとりどりだ。まさか御禁制のものを扱ってはいまいに、遠巻きに点々と提灯が点り、結界を張っているようだ。

 荷の積み込みが終わったというのに提灯の数が減ることはなく、それどころか小船が水面を警戒している。それほど大切な荷だというのか、それとも本当は御禁制の荷なのだろうか。遊郭や色街ならばいざ知らず、そろそろ町の衆は床につく頃合い。このところの長雨もあって、五月闇はいっそう濃くなっている。

 闇を透かしてほの白く浮かぶのは越前屋の蔵。薬問屋にしては壮大な蔵である。そのすそにポツンと灯りが点った。と、それを追いかけるかのように次々と灯りが列をなし、明かりは船着場までつながった。

 蔵の陰からたくさんの提灯が湧き出てきたのは、七人ほどの者が船に乗り込み、方々に散ってからだった。恰幅の良い武士が先頭にたち、その後に小さな荷物を抱えた者が続いた。荷物持ちは胴の間に置かれた箱の中にそれを収めると船着場に並んだ。最後に四角い箱が二つ、それぞれ二人掛りで納められ、箱の蓋が閉じられた。箱の前に陣取った武士が高々と手を挙げると、続々と人影が湧いてくる。仄かに足元を照らす線に沿って進む提灯は、さながら狐の嫁入りのようだ。三十を優に超える一団が乗り込むと、次の船には十人ばかりが乗り込んだ。

 艫綱が解かれ水夫(かこ)がぐっと竿を入れる。大きいだけに動きは鈍いが、岸を離れた船は徐々に川の中ほどへ出た。

 岸で提灯が揺れ、それに応えるように船上でも灯りが揺れる。去る者、残る者、提灯を揺らしての別離であった。


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