1-5 ホーム
時間は少し溯り、真一とカレンが公園で出会う少し前。
「ええ。じゃあ、龍二はそのまま市街地を中心に、見回りを続けて。梓さんから連絡があったら、即応出来るようにお願い。―――ええ、じゃあね」
櫻澤御幸は仲間たちとホームと呼んでいる、六階建てマンションのペントハウスの一室で、電話を終えると眼鏡を押し上げ、飲みかけのコーヒーを一口啜る。
「はぁ、週末は動きが無かったけど、カレンが被害者の生存を確認してるし、早々に動くと思ったんだけど、当てが外れたわ。このまま金曜まで動かない気かしら」
マグカップをデスクに置くと、豊野市の地図が表示されたPCに向き直り、ワンレングスの黒く艶やかな髪を掻き上げて、ため息を吐く。
地図には所々、バツ印と日付が表示されており、その一つは真一が赤い女に襲われた公園に付いていた。
「カレンが何か掴んでくれるといいんだけど……」
御幸が独り言を呟いていると、携帯電話が着信を告げる。
「噂をすればカレンからだ。―――はい、もしもしカレン?」
「うん、実は例の男子に接触したんだけど」
通話が繋がるとカレンは前置きも無く、予定にない行動報告を切り出して来た。
声の調子は苛立っており、予定外の行動と共にあまり良い状況に無い事がわかる。
「直接接触したの?」
「うん」
「駄目でしょ。何て説明するつもりよ」
「でも、アタシが見た感じだと生きてるはずなかったわよ? なのにピンピンしてるし、それって真夜から自力で戻って来たって事でしょ? 越境者じゃん」
思わず、軽率な行動を咎める言い方をしてしまった為、カレンから反論された。
カレンは相手の感情に引きずられてテンションが上がりやすい。御幸は一呼吸置き、なるべく落ち着いた口調を心がけて諭すように続ける。
「私もそうだと思うだけど、会議では接触は慎重にって決まったわよね? それに、越境したからって全員戦わなきゃいけないわけではないし、戦わないなら知らない方がいい事ってあるでしょ?」
「そう? コイツも混乱してるし、本当の事知りたいでしょ」
どうやら、相手は近くにいるようだ。
カレンはまだ御幸のいう事に不満げで、これまでの経験からここでカレンを落ち着けないとより状況は悪化するなと思い、御幸は眉間に皺を寄せる。
「カレン。私たちはどうしようもなかったりしたけど、それでも自分の意思で戦うって決めたわよね」
「ええ」
「でも、本当に戦いたかったわけじゃない」
「……そうね」
「本当の事を知って戦う事を選ばなかった場合、きっとすごく怖いと思う。きっと耐えられない。私が耐えられるのはみんなが居るから。一人だったら、きっと無理だった。だから、今は混乱しても、知らないで居られるなら知らない方が良いと私は思う」
「そう。その考えは変わらないのね」
「ええ、付き合わせて悪いとは思うけど、これは譲れないの」
「別にいいわ」
納得はしていないが、カレンは御幸に合わせてくれるようだ。
しかし、カレンはまたとんでもない事を言い出した。
「じゃあ、コイツは何も知らないみたいだし、このまま放っておけばいい?」
「いや、駄目でしょ。放っといちゃ」
「何で? 知らない方がいいんでしょ?」
「だから、それは接触する前の事。ていうか、カレンじゃなかったら、まだやり様はあったんだけど、接触したのがカレンだったら、もう誤魔化せないでしょ」
「それどういう意味よ!」
やはりカレンは自己評価に難がある。
御幸は額を抑えて、カレンが理解出来る様に、気を付けて説明を始める。
「だって、カレンは有名人じゃない」
「は?」
「ティーンズ誌のモデルやってる有名人でしょ?」
「高校に入ってから仕事してないわよ。てか、それって関係あるの?」
「あるに決まってるでしょ。その人が本当に真実が知りたいと思って、その手掛かりを持ってるっぽい人が居たら聞くでしょ? それが何処の誰だかわからないならまだしも、有名人で何処の誰かわかるんだったら聞きに行くわよ。絶対」
「な、なるほど。……え? じゃあ、アタシ結構マズイ事した?」
「ええ」
ようやく理解してくれたようだ。
絶対に説明してはいけないというわけでは無い。ただ、御幸としては非日常に巻き込まれる人は、一人でも少ない方がいいと思っているし、知るだけでも巻き込まれた内に入ると考えているだけだ。これは御幸個人の考えで、カレンがしたように、強引でも情報収集を優先して、少しでも早く解決するという方法が間違っていない事もわかっている。
素直なカレンにこういう言い方をして行動を誘導する時、御幸はまるでカレンを洗脳しているようで、いつも自己嫌悪を覚える。
「御幸」
「何?」
「どうしたらいい?」
「説明するしかないでしょ」
自己嫌悪から素っ気ない言い方をしてしまい、更に自己嫌悪が募る。
御幸は無理矢理に気持ちを切り替えた。
「誤魔化すってのは?」
すぐ近くに相手が居るのに、誤魔化すなどと、平気で言えるカレンに、御幸は頭痛を覚える。
「カレン」
「何?」
「真夜を体験した相手に、納得出来るような嘘、考えられるの?」
「……」
「絶対色々聞かれるわよ? ちゃんと辻褄合わせて説明できる? 無理でしょ? カレンには無理だよね?」
「ええ、無理ね」
カレンの潔い返事に、御幸は頭を抱えた。
「だったら、説明するしかないでしょ。取りあえずホームに連れて来て。でも、どうなるか分からないから、接触する人数は最小限に抑えたい。今、こっちは私しか居ないから、みんなにはホームに来ないように言ておくわ。カレンも途中で誰かに遇っても声かけたりしないでよ? あと、その人は何も分からくて不安がってるはずだから、優しくするのよ?」
「わかってるわよ!」
接触して御幸に電話をしてくるまでに何があったかは分からないが、あの調子ではカレンが手を出さないか心配だった。
「じゃあ、待ってるからよろしくね。―――さて、みんなに連絡回して、見られちゃダメな物は片づけなきゃね」
御幸は通話を終えると、真一を迎える為の準備に取り掛かった。
◇◇◇
カレンが真一をホームに連れて来たのは、御幸が予想した時刻を大分過ぎてからだった。
そして、頬を赤く腫らした真一を見て、御幸はカレンをじと目で見る。
「カレン」
「何よ」
「私、優しくって言ったわよね?」
憮然としたカレンと、それ以上に不機嫌な真一を交互に見て、御幸はため息を吐く。
「何で頬がこんなになってるのよ?」
「コイツが!」
真一の頬は明らかに誰かに殴られたもので、この様子では、その誰かは聞くまでも無い。これはきちんと冷やさないと、明日にはもっとひどい事になるだろう。
結局、本題に入る前に、真一の治療の為に、時間が使われる事となった。
「ごめんなさいね。カレンも悪い子じゃないんだけど、感情に素直な所があるから」
「いえ、大丈夫です」
真一は六人掛けの、大きなダイニングテーブルにセットされた椅子に座り、御幸が用意してくれたアイスノンで、頬を冷やしながら答える。
真一から見た御幸は、年上の美人で、親切にされるとどぎまぎしてしまう。
「アンタ、私とずいぶん態度が違うじゃない」
「そりゃ、話を全く聞かない上、いきなりぶん殴る奴とは違うから、当たり前だ」
「フン!」
カレンは御幸の前だからか、それ以上何かを言う事は無く、真一から一番離れた席に座ると不貞腐れたように明後日の方を向き、ロボはその足元に伏せの姿勢で控える。
真一はカレンから視線を外すと、部屋の中をぐるりと見回した。
どんな所に連れて行かれるのかと思ったが、普通のマンションの一室だ。ただ、通されたリビングの壁際に二つあるデスクそれぞれにPCが設置されており、その横には大きなスチールキャビネットが並んでいて、何かの事務所のように見える。
一方、広いリビングの中、真一とカレンが座るダイニングテーブルとデスクとは反対の壁際に設置されているソファーには生活感がある。もしかしたら事務所兼誰かの自宅なのかもしれない。
真一が一通り部屋の中を観察し終える頃、席を外していた御幸が、人数分の飲み物を持って、戻って来た。
御幸はそれぞれの前に飲み物を配り、真一の向かいの席に腰を降ろす。
「落ち着いたところで自己紹介から始めましょうか。―――私は逢坂御幸。あるチームのまとめ役みたいな事をしていて、カレンもそのチームに所属しているわ」
「高坂真一といいます。豊ヶ原高校一年です。……あの、俺は先週金曜の夜に、変な連中に襲われて、その事を立華さんが何か知ってるみたいで、説明してもらえるっていうから、ついて来たんですけど……」
「ええ。私たちが知ってる範囲の事は、話してあげるから安心して」
緊張した面持ちの真一を安心させるように、御幸は柔らかく微笑んでみせる。
「まずは、真一君がわかってる範囲でいいから、何があったか話してくれないかな」
「は、はい。……信じて貰えないかもしれないですけど、―――」
真一の話は、紅子と下校途中だった事から始まり、異常な連中に襲われて喉に大けがを負った話へ、襲撃の内容も思い出せる範囲で詳しく語った。
話し始めるまでは本当に話して良いのか不安だったが、大きすぎる不安は誰かに聞いてもらうだけでも軽くなるものだ。真一は堰を切ったように話し続ける。
御幸は行ったり来たりして、纏まりの無い真一の話を途中で遮る事無く、最後まで根気よく聞いた。
カレンは真一の話に興味は無いようで、用意された飲み物を飲み終えるとロボにちょっかいをかけて遊び始めた。
やがて、真一の話は紅子が現在行方不明となっており、今日も学校を欠席していた事で締められた。
「―――それで、少しでも何か分からないかと思って、公園に行ったら立華さんと会ったんです」
「そう。大変だったわね」
話し終えた真一を御幸が労う。
普通に考えればとても信じられない話なのは、真一自身が一番よくわかっている。だから警察にも言わなかった。
それでも、一人で抱え込むには耐えられず、何か知っているだろうカレンと御幸に縋ったのだ。
結果、思いつくままに話した上、内容は話している本人も半信半疑のものだったが、遮る事も否定もしない御幸のおかげで、真一の心はずいぶんと救われた。
「いえ、ただ言った通り怪我は無くなっているのに、制服は血まみれだし、あれが本当にあった事なのか、俺の妄想か何かなのか、全くわからなくって」
話した事と否定されなかった事で、真一の不安は随分と解消されたようで、苦笑いで言うものの、口調は随分と軽やかだ。
しかし、ここでカレンの横やりが入る。
「アンタ、そんな事で悩んでたの? 会った時からカリカリした奴だとは思ってたけど、バッカじゃないの?」
それまで、話に興味の欠片も見せなかったカレンが発したあんまりな言葉に、真一は唖然とし、御幸は頭を抱えた。
「お、おま―――!」
「妄想なわけ無いじゃない。アンタは死にかけたのよ。てか、ほとんど死んでたのに、何で生きてんのよアンタ」
「え? 妄想じゃない?」
「そうよ。あんな目に遇っといて現実か妄想かの区別もつかないなんて、鈍感っていうか、バカっていうか」
「……お前、何でそんな言い切れるんだよ?」
妙に断定的な物言いをするカレンに、真一は恐る恐る問いかける。
「そんなの、この目で見たからに決まってるじゃない」
この目で見た。
つまり、カレンはあの場に居たという事だ。
警察に通報した人? カレンの性格だったら、通報する前に自分でたたき起こすだろう。
あの赤い女? あの艶然とした仕草の女とカレンでは共通点皆無だ。
だったら、カレンは何処に居た。
あの場に居た他の人間は―――
「あー! あれお前か!」
街灯の下、スポットライトを浴びる主役のように、無数の黒い獣を従えて昂然と立つ少女。
その姿と目の前で腕を組み、胸を逸らすカレンの姿が重なり、真一は言葉を失った。