1-4 暴力少女
「な、んだって―――?」
少女の普通なら、とんでもなく失礼な発言に、真一は驚愕で声を掠れさせる。
存在の全否定のような質問だったが、ついさっきまで、あの夜の事を考えていた真一は、少女が言う意味を正確に理解していた。
「何よ。変な顔して」
「いいから! 今、何て言ったんだ?」
「はぁ? アンタ、耳悪いの?」
「『何で生きてんの?』って言ったよな!?」
「聞こえてんじゃない!」
「確認だよ!」
それはつまり、死んでいるはずなのに『何で生きてんの?』という事だ。
怒鳴り合う二人の雰囲気に険悪さを感じたのか、少女の横で犬が身構え、真一に向かって唸り声を上げる。
「うっ」
大型犬が身を低く構え、敵意むき出しに唸る様は、非常に迫力がある。一説には一般的な成人男性が、無手で相手取れる動物は、中型犬が限界だそうだ。
真一はその迫力に怯んだ。
「で?」
「え?」
「え? じゃないわよ! 何で生きてんのか聞いてんでしょ! 答えなさいよ」
「……わかんねぇよ」
「はぁ?」
自分でもそれが知りたい真一は、不貞腐れてつぶやくように返す。あの夜の出来事が夢や妄想でなく、本当にあった事であるならば、真一こそがその理由を教えて貰いたい。
「わからないって、アンタ。自分の事でしょ?」
「だから、わかんねぇんだよ。てか、お前そんな事聞くって事はあの夜、ここであった事知ってるんだよな? あの夜あった事は本当なんだよな? 俺が妙な連中に囲まれて、あの女に首喰いつかれて、血がいっぱいで出て―――」
「あーっ! うるさい、うるさい、うーるーさーいっ!」
怒涛のように質問を溢れさせる真一を、少女は大声で遮る。
「ちょっとアンタ、黙んなさいよ」
「なっ」
「あー、ったく予想外だわ。妙な様子もないから、直接聞いてみたけど、何にも知らないなんて」
真一を大声で黙らせた少女は、顎に手を当て、ぶつぶつと独り言を呟くと、じろりと真一を睨む。
「ちっ、使えない奴」
舌打ちをして暴言を吐いた。
「お、おま―――」
「あー、ほんと使えない奴。何も知らないなら、ちょっと黙って待ってなさいよ。―――あ、もしもし。御幸? うん、実は例の男子に接触したんだけど―――うん―――でも―――そう?」
少女は更に追い打ちをかけると、スマホを取り出し、誰かと電話で話し始めた。
真一の事は放ったらかしだ。
一方的な少女に、何か言ってやりたかったが、どうやら電話の内容が、自分に関する事のようで、真一はじっと電話が終わるのを待つ。
相手の声は拾えないし、少女の口からは、知らない単語が出たりして、話の内容は全く想像できない。
「分かってるわよ! ―――はいはい、じゃあ後でね」
結構な時間待ち、ようやく電話が終わる。
「おい、待てっつーから黙って待ってたんだ。説明してくれるんだろうな?」
「そう言ってんでしょ」
(言ってねぇよ)
本気でぶん殴ってやりたくなったが、ここでまた言い合いになっても意味は無い。真一は黙って耐える事を選んだ。
「ったく、待てなんてロボだって出来るわよ。それくらいで偉そうにしてんじゃないわよ」
「くっ―――」
「じゃあ、今度は黙ってついて来なさい。出来てもご褒美はあげないけどね」
(こ、こいつ……)
どうやら黙って耐えても、何も言われないわけでは無いようで、真一は一方的に我慢する無意味さを痛感した。
しかし、何はともあれ説明する気にはなってくれたようだ。
どこに連れて行かれるのかは、分からないが、折角の手掛かりだ。このまま逃がす手は無い。
真一は覚悟を決めて少女について公園を後にした。
夕暮れ時に始まった言い争いが終わり、二人と一匹が公園を出る頃には、空には月が昇り、立ち並ぶ街灯や家々の電灯が灯る。
真一は少女と犬についていく形で、下校して来た道を引き返す。
豊ヶ原高校は郊外に校舎がある。どこに行くつもりか、目的地は分からないが、駅から遠ざかる道を進んでいる以上、徒歩で行ける距離のようだ。
黙ってついて来いと言われた後、真一は不毛な会話を避け、本当に黙ってついて行っていたが、そろそろ我慢の限界だ。
少女は何も気にしていないようだが、真一は初めから気になっていたし、時折すれ違う通行人の中でも、気が付いた人間はぎょっとしたり、眉を顰めたりしている。
「おい」
遂に黙っておれずに声をかけた。
「何よ」
「お前さあ、公園でさえどうかと思ったけど、普通に道で犬を放し飼いにするなよ」
「はぁ?」
そう。少女は未だに犬を放し飼いにしているのだ。確かに、犬は行儀良く少女の横に並び、歩幅を合わせて歩いている。
しかし、相手は動物だ。完全に思う通りにはならない。
「だから、危ないだろ。誰かに怪我させる可能性だってあるし、道に飛び出したりしたら、そいつだって可哀想だろ。ちゃんとリード付けろよ」
「はっ! ロボがそんなヘマするわけないじゃない」
「いや、ヘマするとかじゃなくて、それがマナーだろ? お前はいいかもしれないけど、犬が苦手な人だっている。お前みたいな奴が居る所為で、マナーを守って犬を飼ってる人が迷惑するんだよ」
「アンタ、さっきからお前お前って馴れ馴れしいのよ! 私には立華カレンって立派な名前があるんだから、名前で呼びなさいよ!」
「今、関係ねぇだろ! それに、お前だって、俺の事アンタアンタって名前で呼ばないだろうが!」
「アンタの名前なんて知らないわよ!」
「高坂真一だよ!」
「アンタの名前なんて興味ないわよ!」
「コイツ……」
やはり不毛な言い争いになってしまった。
しかし、真一は自分の主張が間違っているとは思わない。なので、話を元に戻し、更に言い募る。
「じゃあ、カレン」
「呼び捨てにすんな!」
「立華さん」
「何よ」
「リード持ってないの?」
今度は言い争いにならないように、落ち着いた会話を心がける。
「無いわよ」
「じゃあ、今は仕方ないけど、やっぱり周りの迷惑になる事もあるし、今度から、きちんと用意した方がいいと思う。じゃないと、立華さんだけじゃなくて、ロボも嫌な目で見られる事になるよ」
「迷惑って何よ」
この試みは成功したようで、答えるカレンの口調も落ち着いて、きちんと会話になっている。
どうもカレンは相手が強く出る場合は、それ以上の反発を返し、落ち着いて対応すれば、段々落ち着いて行くようだ。
「そりゃあ、犬が苦手な人にじゃれついちゃったり、道に飛び出しちゃったりするかもしれない。そうなったらすごく迷惑だとおもうよ」
「だったら、大丈夫よ。ロボは頭いいもの」
「いや、そういう―――」
「見てなさい」
真一はカレンには、大型犬が繋がれていないというだけで、十分な迷惑という事は、わかって貰えないと思い、なるべく具体的な例を挙げたのだが、それが裏目に出た。カレンは真一の前で、いかにロボが頭がいいのか、披露し始める。
「ロボ! ジャンプ。はい、回って」
ロボはカレンの指示に従って、跳んだり跳ねたり回ったりは勿論の事、並んで歩きながら右に付いたり、左に付いたり、先行したり、完璧にコントロールされた動きを見せる。
「最後は定番のやつね。お手! お代わり! 伏せ! ―――良く出来たわ」
カレンはロボをわしわしと撫で回し、ロボも満足そうに目を細める。
軍用犬のように従順で、サーカス犬のようにアクロバティックな技も、平然と熟すロボに、真一はなんと言うべきか分からず、取りあえず拍手をしておいた。
「どうよ!」
「うん。凄いな。凄い」
「でしょ! ロボは最高に賢いんだから!」
カレンはロボの凄さが認められてご満悦。しかし、ロボが賢いからといって、放し飼いが許される訳では無い。ただ、ここまで賢いと、それをカレンに納得させるのは難しいだろう。
いっそもう諦めた方がいいのかもしれない。
取りあえず、説得する言葉が見つからない真一は、素朴な疑問を口にした。
「でも、最後の定番って、『お手、お座り、ちんちん』じゃないの?」
「バッ―――!」
胸を逸らして得意げだったカレンは、突然顔を真っ赤にし、言葉を詰まらせる。
顔を伏せ、ぷるぷると震え出すカレンに、真一は訳も分からず慌て出す。
「いや、別にいいんだけど、定番っていうから、ちょっと気になっただけで、そこまで気になるってわけじゃなくて―――」
真一の言葉の途中、カレンは赤いままの顔を勢い良く上げ、同時に渾身の右ストレートを、真一にお見舞いした。
「バッカじゃないの! 変態! スケベ人間! 死になさいよ!」
不意打ちに放たれた右ストレートは、見事に真一の左頬を抉り、完全なダウンを奪った。意識こそあるものの、いいのをもらった真一は、地面に倒れ込んで悶絶した。
そんな真一をカレンは罵倒する。
「何て事言うのよ! ……ん…ん、なんてさせるわけないでしょ! ロボはアンタと違って紳士なのよ! この変態!」
「お、おま―――」
「ホントに死んでよ! てか、殺すわよ!」
確かに年頃の女子の中には、犬の芸とはいえ、言葉の響きで嫌がる者もいるかもしれないが、突っ込みが渾身の右ストレートでは、どう考えても過剰反応だ。
顔を赤らめて、恥ずかしがるくらいなら、真一もギャップで喜んだかもしれないが、そこに暴力が加わっては台無しだ。
真一は痛む左頬を抑え、若干ふらつきながらも立ち上がる。
「何も殴る―――」
「黙れってのよ! 次口開いたらホントに殺すわよ!」
カレンの声に本気を感じ、真一は両手を上げて無抵抗を主張した。
「ふん! 今度こそ、黙ってついて来なさいよ!」
恥ずかしさが去ったのか、カレンは顔色を戻し、不機嫌そうに言うと、背を向けて歩き出した。
もうリードがどうとか、言い出せる空気は微塵も無い。
真一は主張を引っ込め、慌ててカレンを追うのだった。