1-1 慣れない日常
本日より、作品投稿始めました。
初投稿ですので、拙い部分はご容赦願います。
一応、ストックが続き限り、毎日投稿で頑張ります。
よろしくお願いします。
高坂真一は、がやがやと騒がしい教室の中、学習用具を机から学生カバンへ移し、帰り支度をしていた。
5月も後半に入った放課後の空はまだまだ明るい。窓から差し込む日の光が、解放感にあふれた教室を照らし出す。
部活に所属していない真一はこのまま帰っても暇を持て余すのはわかっていたが、勉強も含めて、何かをしようという気が沸いてこなかった。
真一は今月頭に、ここ県立豊ヶ原高校へ転校して来たばかりで、放課後を共にするような友人も居らず、辺りの地理にも詳しくない。彼には時間はあっても、それを有効活用する気持ちも、手段も、持ち合わせが無かった。
ただ、いつまでも教室に居ても仕方がない。
真一はため息を一つ吐き、支度を終えるとさっさと下校する事にした。
「大きなため息ね」
「えっ?」
急にかけられた声に慌てて視線を声の方へやる。
視線の先には艶やかなストレートの黒髪を背中まで伸ばした女子が、微笑みを浮かべ、立っていた。
「何か悩みでもあるの? 困ってる事があるなら力になるよ? 何でもってわけにはいかないけど、ね」
「委員長」
彼女は榊原紅子。真一のクラスのクラス委員長で、変な時期に転校してきた真一の事を何かと気にかけ、何くれとなく声をかけて来るクラスメイトだ。
「いや、帰っても暇だなって思ってただけ」
「高坂君、暇なんだ。よかった」
「いや、よかったって」
真一は妙な返事に困ったように笑う。
「この後、今度のオリエンテーション合宿のしおりとか、細々した準備を実行委員と有志でやるんだけど、高坂君もお手伝い出来ないかな?」
「ああ、そういう事」
「うん。ごめんね。高坂君は班決めとか役割分担とか勝手に決められて、あんまりいい思いしてないと思うんだけど、課題忘れとかのペナルティがある子以外、有志の集まりが悪くて……。高坂君が手伝ってくれるとすごく助かるんだけどな。どうかな?」
豊ヶ原高校では、五月末に一年生のオリエンテーション合宿という行事があり、例年、市内にある公営の合宿所を利用して、二泊三日の合宿が行われている。
今年の三月に家族を失い、父方の叔父を頼り豊野市に越して来た真一は諸々の準備が間に合わず、五月からの転入という形になった。
その為、四月中に行われた班決めも、役決めにも参加しておらず、班は委員長の班に、役は不人気なものが自動で振り分けられた、というわけだ。
そんなわけで、真一にとってオリエンテーション合宿はあまり楽しみな行事とは言えない。
しかし、普段お世話になっている紅子の頼みだ。真一は恩返しの意味で頼みをきく事にした。
「別にいいよ。どうせ暇だし手伝うよ」
「本当! 助かるわ!」
紅子は胸の前で小さく手を合わせ、本当に嬉しそうに微笑んだ。
◇◇◇
「おーい、お前らそろそろ帰れー。後30分で校門閉めるぞー」
「「「あ、はーい」」」
真一と紅子を含め、教室に残っていた連中は見回りに来た教師に向かって、声を揃えて返事を返す。
実行委員二名以外、ほとんどペナルティで強制的に居残りさせられた連中のはずだが、腐った様子も無く、この居残りも一つのイベントとして楽しんでいるようだ。
効率的とは言えないが、わいわいと賑やかに散らかった教室の片づけが進む。
オリエンテーション合宿の目的は、新入生同士で共同作業をする事による親睦だと言うが、まだクラスに馴染めていない真一も自然に輪に入る事が出来たので、その効果は確かにあるのだろう。
ほどなくして、散らかった教室は元通りに片づいた。
全員で教室を出ると、紅子が施錠する。
「じゃあ、私職員室に鍵返してくるから、みんなは先に帰ってて」
「え? 待ってようか?」
「大丈夫、大丈夫。パッと行って、パッと帰るから。じゃあ、また月曜にね!」
「あ……」
紅子は一方的に言って、走って行ってしまった。
「あー、行っちゃった……。どうする?」
「本人が帰っててって言うんだから、帰っていいんじゃない?」
「そうかな……」
「そうだよ。帰っててって言ってみんなが待ってたら、逆に榊原さんが気にするよ」
結局、真一達は紅子を待たずに下校する事にした。
「それにしても、榊原さんは頑張るよね」
「うん。委員長だからって、私たちに付き合って居残りだもんね」
「他の時も残ってるんだって~。知ってた?」
「え~? マジで? 真っ面目~」
「ね~」
「「アハハハハッ」」
真一は後ろから聞こえてくる女子グループの会話の中に、嘲るような色が感じられて、少し眉を顰める。
確かに、紅子は真面目で頑張り過ぎている部分があるのかもしれないが、それに助けられている真一としては、そんな風に言う事に対して良い感情は持てない。
「なぁなぁ、この後どうする? どうせ明日は土曜なんだから、カラオケとか寄ってかね?」
校門を出た所で、お調子者の男子からそんな提案があり、話題はそちらに移る。
「高坂はどうする?」
真一以外はほとんど参加するようだ。
「あー、俺は止めとくわ。晩飯の準備とか、色々あるし」
「そういやお前、一人暮らしだって言ってたもんな」
「まぁ、そういう事。じゃあな」
クラスに少しでも混じれたと思い、ほっとした気持ちに水を差された気がしていた真一は誘いには乗らず、早々にクラスの連中と別れて帰路についた。
真一は少し萎んだ気持ちで、慣れ始めた帰り道をゆっくり歩く。
家族を失い、叔父が保護者を買って出てくれた時、真一は彼の家で同居する事を拒んだ。同い年の従妹がいた事もそうだが、弱った気持ちのまま、他人の家に居候するという状況に、自分が耐えられるとは思えなかったからだ。
幸い、両親が残してくれたお金と事故の賠償金は、真一一人が大学を出るまで生活に困らない程度あったので、金銭的な問題は発生しなかった。
少し沈んだ気持ちのまま、まだ馴染んでいない一人暮らしの部屋に帰るのは気が重かった。
空を見上げれば街灯のせいで星は見えず、寂しげに月だけがぽっかり夜空に浮かんでいるのが見える。
このまま部屋に戻って夕食を自分で用意する気にもなれず、帰り路のどこかでコンビニに寄り、夕食を調達する事にした。
真一が帰り道に幾つかあるコンビニのどこを利用しようか考えていると、後ろから最近聞きなれた声が聞こえてきた。
「あっ、高坂君、やっと追いついた!」
振り返れば、そこには膝に手をつき、弾んだ息を整えようとしている紅子の姿があった。
「委員長……」
「あー、やっと追いついた。ホントにさっさと帰っちゃうんだもん。焦ったよ~」
「いや、それは」
「あははっ、ウソウソ、冗談だって。私がそうしてって言ったんだから、帰ってくれてよかったんだよ?」
「でも、俺くらいは待っててもよかった、よな」
「何で?」
本当に冗談だったのだろう。紅子はきょとんとした表情を見せる。
「だって、俺は委員長に世話になってるし」
「世話って、何それ?」
「俺はまだクラスに馴染んでないからさ。委員長みたいに声かけてくれる人が居ると色々助かるっていうか……」
「そんな事~? 別にお世話してる気は無いんだけどな~。私が好きでしてるだけだし」
「でも」
「はいはい! この話はお終い!」
下校時に聞いたクラスメイトの心無い言葉のせいで、真一は紅子に必死で感謝を伝えようとした。彼女がその場にいて傷ついたわけでもないのに。
「そ・れ・よ・り。ここで合流出来たんだし、一緒に帰ろ?」
「あ、うん」
紅子は真一の一方的なフォローを強引に打ち切り、横に並んで歩き出す。
「でも、委員長は俺と一緒でいいの?」
「? うん。私もこっちだし」
「いや、走って来てたみたいだし、急ぎじゃないの?」
「あ~、それは高坂君追っかけてたんだよ。走れば追いつけるかな~って思って。たぶん高坂君は気づいてなかったと思うけど、私は何度か登校中に高坂君見てたんだ。だから、家がこっちなのは知ってたんだ」
真一は登校中、近くに紅子が居た事など全く気付いてなかったので驚いた。
しかし、それでわざわざ追いかけて来る意味が分からない。
「それって―――」
「あ~、走ったらのど乾いちゃった。さっき自販機あったよね? ちょっと何か飲み物買って来るから、そこの公園で待ってて。少しお茶しようよ」
「え?」
「入ってすぐにベンチあるから、待っててね~。今度は帰っちゃダメだよ!」
真一は追って来た理由を聞こうとしたが、紅子は真一の言葉を遮るように、一方的に言うと元来た道を駆けて行ってしまった。
真一の、中途半端に上げた手が降ろされる。
呼び止める事が出来なかった真一は、そのまま帰るわけにもいかず、公園の入り口へ向かった。