Day Dreamer & Over Thinker 5
5.
「いやあ、やっぱり、そんな話は、あたし、ちょっと信じらんないなー」
帰宅途中の道。
何度かした話を、今日も繰り返していた。
ハルカに、何度か、今まであったことを説明しても、全然信じてくれないことに、トオルは困っていた。
「いや、僕がハルカに嘘をついたことあった?」
「ないけど」
ないけど、さすがに荒唐無稽すぎるよねえ。
「じゃあ、何か他に説明できる?」」
「いや、それは無理というか、まあ、無理だけど」
やっぱり無理なんじゃないか。
トオルは脱力する。
と同時に、どこか可笑しい気もした。
「それに、なんかイツミちゃんと、最近、仲いいみたいだしぃ」
「いやいや、たぶん、ハルカが思っているほどでもないよ? っていうか、今の話聞いてた? 夢の中で助けてもらったわけだし」
「いや、だからさ、あたしとしてはそれが信じられないわけ。むしろイツミちゃんと仲いいことことを作り話でごまかしてるんじゃないのー、みたいな」
「いや、フツー、そこまで凝った作り話はしないでしょ……」
「まあ、それは、たしかに、そうなんだけどさ」
トオルは、あれから、眠ると、必ず、夢魔のいる夢に引き込まれることになってきた。
そのたびに、イツミやサトウと会うことになる。
確かに、夢で何度かイツミと会ってから、トオルとイツミは、学校でも、よく話すようになった。
「やっぱねえ、けっこう急に話すようになったじゃん? こう、すごく仲良くなってる」
「いや、だから、それは夢の中に入って会っているからでね? 言ったとおり、先生もバレー部の男も、あの病気になって、目が覚めたじゃないか。夢での記憶は全然ないらしいけどさ。なんなら、他の人のことについても話せるときは話すよ。今のところ、僕の知らない人ばかりが夢魔に襲われているけど」
「そうなんだよねえ、嘘にしては凝りすぎているけど、信じるにしては、荒唐無稽すぎるというか」
「まあ、マジで僕は嘘ついてないからね」
まだ納得していないような顔だったが、ハルカはしぶしぶうなづく。
「あ、じゃあ、僕はこっちだから」
「わかった。ばいばい。とりあえずは、信じといてあげる」
「はは、頼むよ。まあ、イツミさんとは何にもないから。別に彼女とかでもないし」
「うん……わかった」
ハルカの声が、少し低くなる。
トオルの遠ざかる背中を見つめながら、ハルカは思っていた。
でも、あたし以外に名前で呼ぶ女の子っていなかったじゃん。
今まで、ずっとあたしが一番仲良かったじゃん。
もしかして、あたしが嫌なのは、話が嘘がどうかわからなくて信じられないことじゃないのかもしれない。
じゃなくて、あたしが嫌なのは、トオルがだれか女の子と……。
そこで思考は止まる。
これ以上は、考えるのを、無意識に止める。
意識の表にのぼってこないように。
無意識はもう知っているとしても。
奇妙な夢を見ている。
トオルの父親が、DNA検査をしている。
一種の冗談のつもりだったのだ。
ちょっと面白そうだからやってみよう。
別に浮気を疑っていたわけではなかったのに。
結果。
父親の子供ではない。
トオルの父親は、トオルの父親ではない。
血がつながっていない。
父親は動揺する。
なんで?
いったい、だれの子供だ?
動揺して、母親に問いただす。
浮気相手は、父の弟だった。
結婚しているのに。
それを知った、父親の弟とその奥さんは、離婚する。
トオルは、自分の産みの親には、会ったことがない。
父親の弟は、離婚して、そのまま消えた。
母親は、ショックだったらしい。
もしかしたらとは思っていたけれど、それでも、基本的には、父親と自分の子供だと思っていたから。
父親は、母と離婚した。
母親を見ていると、つらくなるから。
慰謝料も、養育費も、母親に請求した。
母親は、心労と金銭的負担で、倒れてしまった。
それにしても、父親は、お人よし。
だって、そうなった母親をひきとって、ごはんを食べさせていたのだから。
でも、そのとき、すでにサナさんと父親は、付き合っていた。
サナさんもえらい。
それを容認したのだから。
「今すぐじゃなくていいから、あなたをふりむかせてみせる」
サナさんは、そう言った。
力強く。
今は、母に意識が向いていても。
母に情が移っていたとしても。
最終的に、父をサナに振り向かせてみせる。
そのとき、母は、父を取られると思った。
サナさんには、勝てないと思った。
そこまでされたら、どうしようもないと思った。
そのとき、母親の、父親とやり直せるという希望は、ぽっきりと折れた。
もう、無理だと思った。
どうして、時間は、巻き戻らないんだろう。
この世界が、まるで夢のような世界であれば、不可能だって可能になるのに。
失ったすべても取り戻せるのに。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
母の無念を感じる。
母は、発狂していたのかもしれない。
現実と空想の区別が、あいまいになっていた。
そのまま、母は死んだ。
眠るように。
眠ったまま、目覚めないままで。
特殊な症例。
夢を見たまま、死んだ。
僕は、そのときのことなんて、知っているはずがないのに、なぜか、そのときのことを、夢に見ている。
これは夢?
それとも、本当にあったこと?
母親の気持ちなんて、もはやだれにもわからないことなのに。
目を開けると、そこは自分の部屋で、トオルは天井を見上げていた。
「夢、か」
変な夢だった。
リアルではなかった。
でも、夢らしい夢とも思えなかった。
思い出を、思い出しているような。
だれかの思い出を、だれかの頭の中から見ているような、不思議な感じ。
朝。
「ねえ、サナさん」
「ん、なあに?」
「昔さ、『今すぐじゃなくていいから、あなたをふりむかせてみせる』って、お父さんに言った?」
あっはっは、とサナさんは笑う。
「あれ、恥ずかしいなあ。あれ、でも、それ言ったときって、トオルくんいたっけ? だれかから聞いた?」
「いや、聞いたわけじゃないけど、夢で見た」
「ふーん。だれかから聞いたのを思い出したのかなあ。恥ずかしいなあ」
サナさんは、顔を赤くして、もじもじする。
トオルは、現実とつながっている夢だったことを知って、微妙な気持ちになった。
自分は、昔のことを覚えていたのだろうか?
それとも。
それとも、何か別の……。
トオル。
あたしが初めて出会ったのは、いつのころだったんだろう。
もう覚えていない。
ただ、トオルの親が離婚したのは知っている。
近所でも、噂になっていた。
複雑な経緯を経て、お父さんの弟のお嫁さんと再婚したらしいという噂を聞いた。
そのころ、トオルは泣いていた。
そう、泣いていた。
今では、全然、そういう弱みは見せないけれど。
あたしがなぐさめて。
それでいろいろ話を聞いた。
それを覚えている。
それは特に助けたとかそういうことではなくて。
本当に何も考えずに、助けていた。
泣いているのは、かわいそう。
きっと、それぐらいの気持ち。
そのあとは、自然と仲良くなった。
ある人が弱みを見せて、それを受け入れたあとは、その人との距離が、ぐっと近くなることがある。
あたしとトオルの間に起こったのも、きっとそういう感じ。
トオルは頭がよかったから、あたしに勉強を教えてくれた。
あたしの成績が、そんなに悪くないままでいられるのは、トオルの功績も、絶対にあると思う。
あとは、つかず、離れず。
でも、一番仲がいい男の子は?と聞かれたら、トオル、と答えざるをえない。
もちろん、仲がいいとか、よくしゃべるとか、そういうことと、恋愛感情は、まったくの別だけれど。
別、なんだけれど。
なんだかなあ。
最近、イツミちゃんって転校生が来て、トオルと仲良くしているのを見ると、なんだか。
なんだか、こう。
気持ち悪い?
気分悪い?
モヤモヤする?
うまく言えない。
でも、なんだか、トオルが遠くに言ってしまったようで、嫌だな。
そうか。
嫌なのか。
嫉妬か。
かっこ悪。
「別に、かっこ悪くは、ないんじゃない」
だれ?
「わたしも、取られたくない人がいたんだけど、その人が、遠くにいっちゃって、すごくすごくつらかったよ」
そっか。
あたしもつらいなあ、トオルが遠くに行っちゃうと。
「でしょ。ね、わたしが力を貸してあげようか」
力?
いや、だれ、あなた?
「夢魔が増えてきたから、そろそろ、世界をひっくり返そうと思うの」
何を言っているの?
「現実が夢になって、夢が現実になったとき、もう一度聞くわ。その子を、取られたくなかったら、わたしが力を貸してあげる」
夢?
これは夢?
「そう、これは夢。どうする?」
これは夢?
そして、あなたはだれ?
「じゃあ、力を貸してよ」
だって、取られたくない。
そう、あたしは、それが不安だった。
「わかったわ」
そういう女の人の声は、どこか楽しそうだった。
「おはよ、ハルカ」
「あ、おはよう、トオル」
ハルカの声が、どことなく暗い感じがしたので、
「どうしたの、ハルカ。なんかあった?」
「え……」
虚を突かれたように、ハルカは目を見開く。
「そうかな。あたし、なんか変?」
「まあ、ちょっといつもと違うかな、って感じだね」
「そっか……」
あまり普段見せない、憂いをふくんだ顔で、ハルカは笑った。
「いや、なんか、変な夢を見て」
「変な夢? それってどんな夢?」
そこで、ちょっとだけドギマギして、
「い、いや、まあ、内容はよくわからないんだけど、自分の知らない人が、『力が欲しいか』みたいなことを聞いてきて、それが変な感じで……」
「力が欲しいか、って、どこかのRPGの魔王かなにかか!」
トオルには珍しく突っ込んでしまう。
「いや、ははは、言われてみればそうだね」
けれど、その珍しい突っ込みが功を奏したようで、いつもの笑顔が、少し戻った。
「まあ、でも、怖かったんだろう。うん、それは不安だよね」
「そうだよ。トオルの言うことが本当なら、今晩夢に出てきてよね」
今度は、トオルが虚を突かれる番だった。
「そうか。言われてみれば、そういうことってできるはずだよね。思いつかなかった。さっそく今晩やってみるよ」
「へー、ぜひとも期待してる」
期待半分、疑惑半分で、ハルカも答える。
今日、はじめに会ったときの暗さが消えていたので、トオルは安心した。
「そういえば、僕も今日は変な夢を見たよ」
「へえ、どんな夢?」
「昔の夢。離婚の頃の。でも、僕も覚えていないようなこととか、知ってるはずのない母親の感情とかが感じられてきて、びっくりした」
「そっか。夢だと、そういうことも起こるんだね」
「うん。でも、妙に現実とリンクしていた部分もあったから、過去の記憶が流れ込んできたんじゃないか、なんて思ったり」
「あはは。トオルの言う話が本当だったら、そういうことも、あるかもね」
「なるべくなら、もっとポジティヴで楽しい夢を見たいものだけどね」
「その通りだわ。ほんと、見るならいい夢がいい」
ハルカは、大きなあくびをする。
「昨日、寝たの遅かった?」
「うん、遅かった。こりゃ、午後の授業は睡魔に勝てないかも」
「食べると、眠くなるもんなあ」
「そうそう。ま、寝ないように努力するさあ」
いつもの会話。
いつもの笑顔。
トオルは、ハルカが、いつも通りになってきたのを喜んだ。
ハルカも、いつの間にか、気分が落ち着いているのがわかった。
トオルと話してよかった。
心の中に、あったかいものが広がっていくのがわかる。
そのまま、二人は、学校へと向かっていった。
昼休みが終わって、午後の授業。
突如、「それ」は起こった。
ごつごつした岩場。
そして、緑の多い草原と丘。
湖。
それらを見下ろしている幅がとても広い階段。
その階段の後ろにある、一階の天井までの高さが数メートルはある、冷たく黒い石の壁。
どう考えても、今までいた教室じゃない。
そして、トオルは、ここがどこだか知っていた。
「昼寝していたわけじゃないのに……これは、いったい……。ここは、まさに夢の中じゃないか」
夜にしか引き込まれない夢に、今来てしまったということ。
これは、間違いなく、異常事態だ。
「あれ、綺麗だねえ。みずうみ? あー、景色いいなあ。風も気持ちいい」
「ハルカ? ハルカなのか!」
びっくりして声を出す。
ハルカがここにいる、ということは、ここはハルカの夢の中なのか?
「あ、トオル。ここ、どこだろうね。すごくきれいだけど」
「ほんと、ここどこなんだろうね」
さらに奥から声がして、クラスメイトの女の子が顔を出す。
見れば、クラスメイト、いや、他のクラスや違う学年の人まで、ここに来ているようだった。
草原や、建物や、岩場のところにいる。
これは、明らかに、今までの夢と違う。
「ね、トオル」
ひそひそ声で、ハルカが聞く。
「ここってさ、もしかして、トオルの言ってた、夢の世界?」
ハルカは、時々、妙に勘がいいんだよな。
「僕が言っていたのに、似ているけど、こんなにいろんな人がいるのは、はじめてだよ」
「そっか。もしかして、夢魔っていうのが、襲って来たりするのかな」
「そうなれば、私があなたたちを守る」
イツミが声をかけてきた。
ハルカが、体を固くする。
「そう身構えなくてもいいよ。トオルくんから話は聞いているんだろう? 私は、君の味方だ」
それを聞いて、やや構えを解いたが、ハルカはまだ身を固くしていた。
「それにしても、これは異常事態だな。こんなことは、はじめてだ」
見ているうちに、どんどん人が増えていくように見える。
それだけでなく、この世界自体も広がって言っているようだ。
次の瞬間。
ぴしり、と亀裂が、空に走った。
「何か、来るぞ!」
イツミが、抜刀する。
そこから、舞い降りてくる女。
「お母さん……?」
呆然とするトオルの目の前で、女が大きく腕をふるう。
次の瞬間、吹雪のようなものが出てきて、それにあたった人間が凍り付く。
凍り付くというより、結晶になってしまったように見える。
「どうなっているんだ、これは」
「いや、私にもわからない」
「ひさしぶりね、トオル」
「本当に、お母さん、なの?」
信じられない。
もう、死んだはずなのに。
「そうよ。本物」
そう言って、また腕を振るうと、何人かが結晶化する。
「なに、やってるのさ」
「みんなに、永遠の幸せをあげているの」
「言っている意味が、全然わからないよ」
「トオル。すべての人が、みんな幸せになるためには、どうすればいいと思う? すべての人は、好きなものも違えば、耐えられないものも違う、幸せの形が、みんな違う。不幸な人はだいたい同じようなことで不幸になるけれど、幸福な人は、本当にいろいろなことで幸福になっているわ。そんなとき、どうすれば、みんなの幸せを両立できると思う?」
トオルはしばらく考える。
「それは、もう、みんながバラバラに幸せを追い求めるしかないんじゃないかな。お互いに迷惑をかけない範囲で」
母は、にっこりと笑う。
「半分だけ正解。みんながバラバラに幸せを追い求めて、それをつかめるのなら、それでいいと思う。でも、現実には、その幸せをつかめない人もいるし、だれかの幸せが別のだれかの幸せと両立しないこともある。そう、『現実』なら、ね」
そう言って、母は笑った。
凄惨な笑み、と形容できるような笑顔を、トオルは生まれてはじめて見た。
「それに気づいたのは、わたしがあなたのお父さんと離婚したときだった。ね、あのときのこと、あなたに夢で見せたでしょ?」
あれはやっぱり、ふつうの夢じゃなかったんだ。
「わたしは、お父さんと再婚したかった。でも、それは無理だった。それは無理だし、その幸せは、わがままな幸せで、他のだれかの幸せとは両立しなかった。わがままな願いだと思うかもしれない。でも、わたしはあきらめられなかった。そのときね。突然、不思議なことが起こったの。わたし、自分の夢の中で、自由に動くことができたの」
でもね、と母はつけたす。
「夢の中で自由に動けて、たぶんいろんな人の夢に入ることも出来たのに、なぜか、目覚めることだけは、できなかった。わたしは、そのまま死んじゃった。ううん、正直、最近までは、自分が死んだことさえ、気づいていなかった」
「最近?」
「そう。いろんな夢を渡り歩いてきた。どうやら、わたしが夢の中でひどい干渉をした人間は、つまり殺しちゃったりとかした人間は、夢魔になる、なんてことも、最近知ったばかり。わたし自身が手を下した人間は少ないけれど、そっちでは原因不明の病気になって、死者も出ているんでしょう? これは、わたしの責任よね。もう、まったく無自覚に、そういうことをやっていたの。でも、いろんな人の夢の中で、いろんな人に話を聞く中で、気づいた。そういう夢魔たちから人を守っている人がいること。わたしがその例の病気の第一の患者だとみなされていること。そして、夢の中をふらふらしていて、時間の感覚がわからなくなっていたけど、わたし、すごく長い間夢にいること。そして、わたしは、幸せになりたいんだってこと」
気づいたの。
思い出したの。
そういう母は、まるで、まだ夢の中にいるような表情をしていた。
指で、凍り付いたように動かない人たちを指さす。
「これはね、個人の結晶化なの。『固有幻想』とわたしは呼んでいる。わたしも、自分でやってみたことがあるから知ってる。この中では、自分の好きな夢が好きなだけ見れるの。これでじっくりすごして目が覚めたら、わたし、もう目覚めなくなってしまったから、わたしはこの能力のせいで死んだんだなって思った。まあ、でも、とにかく、世界中のみんなを結晶化しちゃえば、みんな幸せになれるじゃない?」
そう言って、母は無邪気に笑った。
「お母さん、むちゃくちゃだよ」
トオルは、思わず突っ込む。
「そんなことしたら、死んじゃうじゃないか」
死なないわ、と母は言う。
「だって、わたし、死んでないもの。だれの夢でもない領域だってあるの。世界中の人が結晶になって、だれも夢を見る人がいなくなっても、共通の夢の中で、わたしたちは永遠に精神として生きるの。大丈夫。永遠の命と永遠の幸せが、わたしたちには約束されているわ」
「いかれてんなぁ、あんた」
そう言って、猛スピードで突っ込んできたのは、サトウだった。
だが、次の瞬間、その攻撃ははじかれる。
「夢の中にいる年季が、違うのよ」」
そういうと、すぐにサトウは結晶になってしまった。
「うそ」
信じられない、とイツミがつぶやく。
あの、とても強かった、あの人が。
「夢魔が増えると、わたしの力も増えるみたい。ほら、どんどん結晶になっているのがわかるでしょう?」
見ると、見える範囲の人は、もうみんな結晶になっていた。
腕を振らずとも、自然と、結晶化しているようなのだ。
「これで、みんな、幸せね」
「あっ!」
そう声を出したのは、ハルカだった。
「あんた、あたしの夢に出てきて、力を貸そうか、って言ったやつじゃん! なに、トオルのお母さんだったわけ?」
「そ。大丈夫、約束は守るわ。あなたとトオルだけは、永遠に二人の世界に結晶化してあげる。もし、それが苦痛になるようだったら、別々に再結晶化すればいいしね。大丈夫、お母さんにまかせなさい」
「いや、ちょっと、お母さん、それ詐欺みたいなもんでしょ。やめて」
トオルが言うが、母は聞く耳を持たない。
「わたし、もう死んでるの。そっちの世界では幸せになれないの。だから、こっちの世界で幸せになるしかないじゃない」
「だからって、みんなを巻き込まなくても」
「もうね、力が強すぎて、みんなをこっちの世界に引き込んじゃうみたい。そんなこと、できるとは思ってなかったけど」
もう、手遅れなんだよ、わたしにも。
母は、どこか悲しそうな顔で言った。
「でも、方法はあるよ。その女の子を斬れば、ね。だって、わたし、その子に寄生しているようなものだから。その子が死ねば、わたしも死ぬわ」
そう言って、ハルカを指さす。
イツミが、剣をハルカに向ける。
そして、トオルが、イツミを守るように立つ。
「トオルくん、そこをどけ」
「どかない」
「世界の人の命がかかっているんだ。どきなさい」
「どかない」
「なぜ?」
「僕は、ハルカが好きなんだよ。この夢魔の問題がある程度、解決したら、告白しようと思っていた」
ぽかん、とするイツミ。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
ハルカが言った。
「あたし、あんたがイツミちゃんのこと好きだと思ったから、あの女の、イツミちゃんにトオルを取られたくなかったら手を貸す、っていう提案にのったんだよ? なに、それ、完璧無駄じゃん」
トオルがびっくりする。
「え、なにそれ、え、ハルカも僕のこと好きだったの? っていうか、母さん、そんなこと言ったのか。なんてことだ」
トオルは、完全に混乱していた。
「わかったよ。これはあたしのミス。他人に頼ろうとしたあたしが悪かった。ごめんね、イツミさん。切って。やっぱ、他の人たちを一生目が覚めないで、自分だけの夢の中に閉じ込めておくわけにはいかないや」
「了解した」
イツミが、ハルカの背後に回る。
思いっきり袈裟懸けに切り裂く。
だが、その刃は空を切った。
トオルが、ハルカを抱いて、空中を疾走したからだ。
「ちょ、トオル、飛べるの?」
「夢だからさ。不可能はない。ま、僕もはじめてだけど」
空から見ると、この世界がとても広大で、たくさんの人が結晶化しているのがわかる。
「でも、やっぱり、あたしが死ななきゃ、この問題が解決しないなら、あたし、死なないと」
「ここは夢の中なんだろう? だったらあきらめるな」
トオルは、いつになく強い調子で言った。
そして、母親を振り返る。
だが、そこには、もう母親はいなかった。
「つまり、だれかの夢の中に入り込んだ、ってわけか」
下を見ると、もうすべての人が結晶化していた。
イツミを除いて。
イツミは、走りながら、飛んでいる二人に言う。
「そこまでやったからには、責任をとってもらうからな! この世界の後始末、任せたぞ!」
そういうと、イツミも結晶化した。
そして、この世界には、トオルとハルカだけが残った。
「二人きりの世界だね」
「そうでもないさ」
キラキラと光る、人間の精神が物質化した、美しい結晶を見ながら、トオルは言う。
「二人きりの地獄みたいなもんだな。だが」
トオルはこの世界を観測する。
「僕は、あきらめないぞ。みんなを死なせるわけにはいかない」
「あ、あたしだって! イツミちゃんの言葉じゃないけど、あたしも責任を取る!」
そうして二人は、二人だけ夢から覚めたまま、これからについて話すのだった。




