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【右右右右~~~そして上に一個飛ぶ! はい、そこ!】
ノアの掛け声に合わせて浮遊術を使いながら本を棚に戻していく。元々浮遊術も索引術も得意だったけど、ノアは私が思うことを違う脳で同時に行ってくれるので今までの二倍仕事の効率が上がった。
【次はカタリナ斜め上の緑の本。左に二つ】
「は~い」
自分と一緒に浮かべている本から緑のカバーのものを掴み、言われた場所に差し入れる。膨大にあった返却の本もこれで最後だ。
【はい、完了――! お疲れ様です】
「ふふ、お疲れ。ノアありがとうね」
【どういたしまして。カタリナ今日はあとは?】
「シフトの時間いっぱい受け付けにいて終わりかな」
【じゃあ僕はちょっとカタリナ愛しのリシャルド様を見に行こうかな】
心で感じるのはわくわくとした好奇心。半身の好きな相手のことが気になって仕方がないらしい。その気持ち、分からなくはない。
「もう、いたずらはしちゃダメだからね!」
【しないよ~契約したからにはカタリナの許可なしに他の人間の前で可視化できないしね】
そう言ってノアはいつもリシャルド様がいる席の方へ向かっていった。
私は気にはなるものの、一階受付へと戻る。今日は、オルガは早朝番で私は午後番なので違う先輩と仕事だ。棚戻しも終わったし、本の補修は先輩がしてくれている。他に今日しないといけない仕事はなかったはずなので、貸出のクライアントを待ちながら今月の新刊を読むとしよう。
私は新刊を集めているコーナーからお目当ての本を選んでから貸出を行う席に着いた。今日も図書館は資料を探しに来ている人ばかりで入荷はされるものの小説を貸し出す人はいない。寂しい限りだ。私の好きなシリーズの新刊は急展開になっていて、仕事の合間に読んでいるにも関わらず、引き込まれてしまった。ああ、王様が妾にばかり構うから王妃様が……!
「あの、すみません」
「……はい」
急に現実に引き戻されてぼうっとする。目の前にはリシャルド様、そしてその後ろで額に手を当てて呆れているノアがいた。
「本を借りたいのですが」
「あ、はい! 貸出カードはお持ちですか?」
差し出されたカードを受け取り、必要情報を書きとっていく。何月何日何時に誰が何の本を借りたのかを記録しておき、期日を過ぎても戻さない人には後で連絡を入れるのだ。
それにしても、リシャルド様がこんなに近くに来ているのに気が付かないなんて!
今までも何度かこうして貸出と返却の手続きをお手伝いさせて頂いたことはある。だけどぼけっと間抜けな顔で見上げてしまったのは初めてだ。恥ずかしい。
「先週だったかな、聞こえたのですが、誕生日だったのですか?」
「は、はい。そうです」
オルガの馬鹿! やっぱりリシャルド様まで聞こえていたじゃないか。しかも気にされている。……そこは少し嬉しいけど。
「おめでとうございます。二十歳になられたんですよね」
「はい、そうですけど……」
なぜリシャルド様は私の年齢まで知っているんだ。リシャルド様は有名人だから私が知っているのはおかしくない(と思う)。けれど、私は有名でもなんでもないのに。
「あ、ストーカーじゃないですよ。学校で見たことがあったから。一つ下の学年でしょ?」
不思議そうな顔をしてしまっていたらしい。ふわりと微笑まれて、自分の顔に熱が上がるのを感じる。うわーうわー。リシャルド様が私に微笑みかけてくれるなんて。
「そうです。私は魔術科でしたが」
「天才的な索引術と空間認識力を見込まれて三年間も図書委員長を務めた有能な方だから、剣術科でも有名でした」
確かにオルガが卒業した後の三年間、普通最高学年生がするはずの委員長を他にやりたがる人がいなかったので押し付けられる形で務めたけど……、剣術科の方々はあまり図書室にはいらっしゃらなかったのに。噂とは知らないところで流れているものというのは分かるけど、真実とはかけ離れた情報が伝わっていそうで怖い。
「いえ、ノヴァック先輩こそ学園中で知らないもののいないほど有名人ですから」
「オレの名まえ知っているんですね」
彼が驚いたように言う。でも、それは当然です。だって。
「貸出カードに書いてあります」
「あ、そうか」
「あ、いえ、学生時代から先輩のことは当然知っていましたけど!」
あまりにもな言い分だったかと慌てて付け足す。それもまた真実であって、学生時代から彼のことは知っていた。家名は図書館で働き始めて彼のカードを見てから覚えたけれど。
「あはは、別にオレはそこまで有名じゃないし、貸出カード見て名まえを覚えて貰えたならそれで十分ですよ」
ああ、また恥ずかしいことをしてしまった。なぜこうも私はコミュニケーション能力が足りないのだろうか。
「あの、その、す、すみません……」
兎に角仕事を終わらせてリシャルド様にはお帰り頂こう。私の心の安寧のために。
それに本来私はこんな風に恋の幸せを感じることは許されない立場にある。ノアをちらりと見ると、私の思いを感じたのか不機嫌そうにこちらを見ていた。でもだって、私はノアを得て幸せで、それで十分なの。リシャルド様とお話しできて嬉しいけど、近づくべきではない。契約する前でも妖精とパートナーの人間のつながりとは強いものだ。いつ私がリシャルド様の妖精であるとばれるか分からないし。それに、罪悪感は付き纏う。
「貸出の手続き終わりましたのでこちらどうぞ。返却日は二週間後の雨の月の十三日です」
事務的に説明しなくてはいけないことをつらつらと並べる。返却日過ぎても返却が確認されない場合は連絡する、故意に本を傷つけた場合弁償してもらわなくてはならない、等。何度も借りている方には申し訳ないけれど、毎回伝えなくてはならない決まりだ。
「ありがとう」
「いえ、またいつでもお越しください」
これも決まり文句である。リシャルド様が何度も来てくださるのは本心からとても嬉しいのだけれど、それを喜んではいけないという気持ちもあって。どちらにしろ、どの利用客にも言っていることだけど。
リシャルド様が立ち去ったらまた本の続きを読もうと思った。それなのにリシャルド様は立ち去らず、私のことをじっと見てくる。まだ何かあるのだろうかと首を傾げると、リシャルド様が口を開いた。
「今日は何時に終わるんですか?」
「えっと? ……なぜですか?」
なんとなく嫌な予感がする。これはちまたでいうナンパというものでしょうか。だって、このありがちな誘い文句……。
「妖精との契約の話を聞きたくて。もしお時間に余裕があったらオレに食事をおごらせてくれませんか?」
ナンパではありませんでした。期待していたのでがっかりしたような。いや、私に必要以上に興味関心を持って頂いても困るので、誘って頂いた理由が“妖精との契約について知りたいから”だったのは良い事なのかもしれないけど、それも私の罪悪感刺激ポイントであるのは間違いなく。
断りたい。断りたいけど……。
「あと三十分で今日の仕事は終わりなのですが、その後なら」
どうしたら、好きな人に食事へ誘われて断ることができるというのでしょうか。
「よかった。それじゃあ三十分後に迎えにきます。ふふ、図書室の妖精と食事なんて、学生時代の同期に知られたら羨ましがられるだろうなあ」
機嫌よさそうに手を振って、リシャルド様は図書館を出て行った。
私の心の中は穏やかじゃない。図書室の妖精って、まさか。
「なんで私が妖精だと知っているの!?」
【いや、そういう意味じゃないと思うけど、僕は】
ノアが私の肩に乗りながらリシャルド様の言葉を解説し始める。
【カタリナが彼のことを心の中ではリシャルド様って呼んでいるのにノヴァック先輩と本人には呼びかけるようなものじゃないの? カタリナは学校で図書室の妖精と噂されていたんじゃないかなあ】
「ど、どっちにしてもそんなの困る! だって、いつだれが私のこと気付くか分からないのに」
【いや、普通目の前にいる人間が半分妖精かもなんて思わないから大丈夫じゃない? カタリナのお父さんもお母さんのことを『女神のようだ』なんて言ってたけど、カタリナはお母さんのことを女神かもしれないなんて疑わないでしょ】
年中仲良しな両親を思い浮かべる。お母さんが少し変わった髪型をすれば「僕の女神がオシャレをしている! まさか神の国に帰ってしまうつもりかい」などと本気で喚きたてるお父さんは、私に頭のねじのゆるい人認定されている。教師をしているのだけれど、学校で会ったときなどは知的で穏やかな雰囲気で生徒にも人気があって自慢の父親なのだが、お母さんのことになるとどうしてああもおかしくなるんだろうと思わずにいられない。
「そうね。冷静になって考えたら何もうろたえることないわね」
【……リシャルド様が不憫にはなるけどね~】
「それはないと思う。ただ単に、本当に私が有名人だったのではないかしら? 私だってかの優秀なノヴァック先輩と食事に行けるなんて、友達に自慢できるもの」
ノアが思い浮かべたのはリシャルド様にその気があって私を誘ったのではないかということ。だけどそれはないだろう。
「半年も休職されて、追いつめられているのに、そんな暇ないと思うし」
【ふ~~ん? 一度シンクロしたことのあるカタリナがそういうならそうなのかもね。まあでも良かったじゃん。愛しのリシャルド様とディナー楽しんできなよ】
「……はっ! 食事行くのに、こんな普段通りの格好でいいのかしら」
自分の服装を見下ろす。普段から浮遊術を使って仕事をすることが多いので細見の黒いパンツを履き、作業効率のために女性向けの華やかなブラウスではなく男性向けのデザインのシャツを合わせ、腰のあたりに仕事に便利なので小さ目のポーチを付けている。帰りはこれに淡いパープルのカーディガンを羽織るだけだ。
「女性らしくもなく、華やかさもないんだけど」
【自分でデートじゃないって言ったくせに、気にしてるんじゃない】
「彼にとってはただの食事会でも、私にとっては一段イベントだもの。私がデートだと思えばデートでしょう?」
そう、デート。デートだ!
嬉しい。だけど、不安も同時に膨れ上がる。仲良くなりたいけれど、仲良くならないように気を付けなければ。
私はそっと銀縁の眼鏡に触れた。この眼鏡はただの眼鏡ではなく、チェンジリング後変わってしまった私の容姿を元々の色に変化させてくれる魔法がかけてある。妖精の専門家の魔女が私のために作ってくれたもの。これで力や気配を抑えることで、学校や職場では怪しまれずに生活できているのだ。
父は木の妖精と契約していて髪は新緑の色で瞳は榛色、母は水の妖精と契約していて空のような青の髪と瞳を持っている。髪の色や瞳の色は魔力によるのだけれど、魔力の系統は遺伝するし、その魔力は契約する予定の妖精にも影響を受けている。
母から受け継いだ魔力の系統は水、それに水の妖精のノアと契約する予定の私は生まれたとき水色の髪を持っていた。瞳は濃い青。しかし今は燃えるような鮮やかな赤に、高温の炎のような透き通った青の瞳だ。キャサリンの色が入ってそう変化したので、家族と違っても自分の容姿を嫌っているわけではない。だけど、やはり悪意を持って色々言ってくる人というのはどこにでもいるから、こうして元々の色で生活している。
やってみないと分からないことだけど、たぶんこの眼鏡を外したら、リシャルド様は気づく。それだけ契約する妖精と人間の絆は強い。生まれたときからお互い影響を受けているのだから当たり前といえば当たり前のように思う。
つまり、この眼鏡は生命線だ。絶対に彼の前で外すことはできない。
直ぐに外れることのないように魔法もかかっているし、今まで体育の授業でも落としたことはない。食事をするぐらいならば問題があるはずはない。
【なーんか心配しているみたいだけど、カタリナは考えすぎだって】
ノアにそう言われて私は大人しく頷いた。うん。そうだよね。
「食事を一度するぐらいで何が起こるわけでもないしね。リシャルド様モテるし」
気負いすぎているのは分かっている。そうよ、気軽に。オルガと仕事帰りに食事に行くのと何ら変わりはないわ。