病ンデレは気から
ちょっと怪我してます。流血表現ありです。
愛していた。
それだけのつもりだった。
日常とは、薄い、オブラートに包まれている様なものでふとした瞬間一変してしまう。
私が、人生の中で一番最初にそれに気がついたのは小学三年の頃、図工の時間に彫刻刀で指を切ってしまった時だ。
縫うような怪我では無かったが、血が止まらず周りが慌てている最中、筆箱のウサギの絵はいつもと変わらない笑みを浮かべていたから、私は違う世界に跳ばされてしまった様に感じた。ウサギは変わらないのに、私はその一秒前とは違う人間に、日常とは逸脱した私になってしまったのだ。
現実という重々しい響きがのしのしとこちらに向かってくるのが恐ろしかった。日常はなんと平和で、退屈で、大切なのか、そのときに見えた気がした。
そう、今この瞬間も。
今私の前には、現実が立ちはだかっている。あの頃と変わらない重々しい雰囲気で。現実と絶望は似ているのかもしれない。
「なに笑っているの?」
現実と化した彼が口を開く。日常とは違う少し高い声で。
私は辺りを見回した。全てがガラリと変わり果てた部屋の中に居た。
中途半端にひっくり返ったテーブル、逆さまになったマガジンラック、大量に撒き散らかした頭痛薬、ビリビリに破れた彼のいらなくなったシャツ、シャツを破った包丁、包丁が刺さっているティッシュボックス、…怪我をして血が出ている指。そうだ、包丁で切ってしまったんだった。自分は変わらず不器用らしい。目の前の彼は、怯えている。
「ごめんね」
この状況になると彼は決まって謝る。自分が悪いとは少しも思ってなさそうなのが伝わる。言葉は謝っているのに、なぜそう感じるんだろう。喋りたいことはいっぱいあるのに喉の奥が重くて声が出ない気がした。彼は私を抱きしめようとするから私は振り払う。
「ごめんね」
彼が悪いんだ。もっと謝って、もっと私に降伏すればいいのに。
「ごめんね」
私がこうなったのも彼のせい。私は普通の子だったのに、彼がいけないんだ。私は暴れるような人間じゃなかった、彼が私を不安定にさせるからこうなるんだ。当然の報いだ。
「ごめん」
もっと苦しめ。もっともっと。私と同じくらい苦しめばいいんだ。
「それでもちゃんと好きだよ。俺裏切ったりしないよ。勘違いなんだよ、ほんとに、ほんとに…」
彼は泣き出す。悔しそうに泣いている。他人の言葉をどうやって信じればいいのか、今の私にはわからない。
彼の涙は濁っていた。ほんとに勘違いだとしたら、取り返しがつかない。だから信じたりできない。これは、保身の為だ。私はずるい奴だ。
「愛してるよ、大丈夫だから」
彼は私を抱きしめる。体温が伝わる。まず抱きしめてくださいってCMがあったのを思い出す。
愛してるって何だろう。何が大丈夫なんだろう。疑問ばかりが頭を擡げてきたが、日常の空間が、色が戻ってきた。部屋はめちゃくちゃだが、ここは私たちが住んでる部屋だ。
「…お部屋の片付けどうしよう」
私の声は、普通に出た。