ミナは真実の愛を得た
ミナは男爵家の長女として生まれた。
ふんわりした巻き毛の、愛らしい少女だった。
父母に愛され、使用人たちにも大切にされ、
輝くような毎日だった。
ミナは庭でお茶会をするのが好きだった。
ガゼボの大きすぎるテーブルで、母さまから賜った熊のシュミット氏と共に、貴婦人の真似事を楽しんだ。
5歳になると、馬車に揺られて王都に行った。
洗礼を受けるためだ。
ミナは有頂天だった。
おしりが痛いとべそをかいたら、父さまが特別にお膝に乗せてくれたからだ。
ほんとうを言うと、硬いお膝の乗り心地はよくなかったが、
このまま王都に着かなくてもいいとさえ思った。
「わあ……」
ミナは歓声を上げた。
男爵領とは違って、王都は人も店もぎゅうぎゅうにひしめきあって忙しなく、
まるでおもちゃ箱をひっくり返したようだ。
「おひめさまになったら、こんなところで暮らせるの?」
でも、お庭もぎゅうぎゅうだったら、シュミット氏とお茶会ができないわ。
悩む姿に、父さまと母さまは目を細めて笑った。
ミナは洗礼で魔法を得た。
指先に小さな光が灯る魔法だ。
なんとなく、がっかりしたような気配を感じて、ミナは司祭さまにたずねた。
「ゆびさきが光るまほうでは、おひめさまになれないの?」
母さまはこれ、とたしなめたが、司祭さまは屈んでミナの頭をなでてくれた。
「聖エメル様の絵本を読んだんだね?」
うん、とうなずくと、司祭さまはミナの目をじっとのぞきこんだ。
「聖エメル様は魔法があるから妃になられたわけではないよ。
神から授かった尊い使命を持ち、ひたむきに励む姿が王の心を打ったのだ」
司祭さまの言葉は難しくて、ミナにはちょっとわからなかった。
「あなたは妃にはならないが、真実の愛を得るだろう。
ありふれて転がる路傍の石かもしれないが、何物にも代えがたい宝物だ」
しんじつのあい。
まんまるの目がこぼれそうに瞬いた。
「父さまと母さまはわたしを愛してくださるけど、それはしんじつの愛ではないの?」
司祭さまの頬もついほころんだ。
「もちろんそうだ。父母からの愛も、神からの愛も。たくさん愛されたら、次の人に渡しなさい。
それがあなたの真実の愛だ」
いまいちな魔法と真実の愛の予言を得て、ミナは男爵領に帰った。
行きと変わらず父さまの膝は硬くて温かかった。
洗礼を済ませたミナの貴婦人ごっこの相手は、シュミット氏ではなくガヴァネスになった。
クリノリンで膨らんだ後ろ姿がアヒルみたいな、いかめしい老嬢だ。
ふざけると時々ピシャリとやられるので、ミナはこの人は真実の愛ではないな、と思った。
6歳になると、ノーマンが産まれた。
母さまの胸はノーマンのものになった。
屋敷じゅうが浮き足立って、ないがしろにはされないまでも、すうとすきま風が吹き抜けた気がした。
ノーマンが産まれたので、ミナはいつかお嫁に行くらしい。
旦那さまになる人は真実の愛だろうか。
王子さまみたいな人だったらいいな、とミナはお気に入りの本を眺めながら思った。
母さまにぶたれた。
ミナがノーマンをぶったからだ。
それというのもノーマンがシュミット氏をかじったからで、シュミット氏は何もしていない。
母さまは「お姉ちゃんなんだから、譲ってあげなさい」と言った。
ノーマンは家族だから、真実の愛だ。
父さまもミナが産まれたとき、母さまの愛を分けてくれたはずだ。
だから、次はミナが渡す番。
でも、
「母さま、真実の愛を分け与えるのって難しいわね」
戸惑う母様の前で、ミナははらはらと涙をこぼした。
難しい子。
ミナはそう呼ばれるようになった。
真実の愛という難問に向き合うほど、
愛が指の間からこぼれ落ちていく気がするのはなぜだろう。
ミナはシーツをかぶって指先に灯る光を見つめながら、出会うべき真実の愛に思いを馳せた。
ガヴァネスだけがミナの探究心を評価した。
「若さも容色もいつかは色褪せる。しかし、身につけた教養は何者にも奪えない」
ぴんと伸びた背筋が美しい老嬢は、令嬢としてのあれこれだけでなく、
さまざまな知識をミナに詰め込んだ。
ふわふわの巻き毛の愛らしい少女は、頭でっかちなのにどこか夢見がちな、上目遣いの少女になった。
15になると、ミナは家を出た。
王立学園に進学するためだ。
貴族の息女は嫁入りまでを家で過ごすことが多かったが、
学園に新しく淑女科が設置されたので、ガヴァネスが是非にと推したのだ。
ミナはトランクにシュミット氏をぎゅうぎゅうに詰め込むと、あのぎゅうぎゅうの王都を目指した。
王子様はいなかった。
学園へ通うのは、下級貴族やジェントリの子女で、せいぜいが伯爵家でも嫡男でない方くらい。
上級貴族の皆様は、もっと上等の学院へ通うのだ。
ミナがお姫様になれないことはもう知っていたが、一度くらいは見てみたかったな、と少し残念に思った。
淑女科は退屈だった。
鳴り物入りで出来た淑女科だが、要は花嫁学校だ。
マナーや話術。刺繍に裁縫。それと、家計を預かるための簡単な計算。
しかし図書室は圧巻だった。
授業では完全に隔離されていたが、図書室は殿方と共有だったのだ。
天井まで届く書架にぎゅうぎゅうに詰め込まれた本、本、本。
こ難しい領地運営の本から、外国語の教本。それに、物語の本まで。
ミナが図書室に入り浸るようになるのは自明だった。
昼休み、ミナが誰もいない図書室で頁を繰っていると、
開け放たれたサッシ窓の薄いカーテンが、パンと乾いた音を立てた。
カーテンは一度ふわりと膨らみ、それから何かが部屋に転がり落ちてきた。
ミナが拾い上げると、それはクリケットのボールだった。
「悪い」
窓の外から金髪の青年が声をかけてきて、ミナはその手の上にボールを落とした。
「……危ないわ」
それだけ言うと、騎士物語の続きに戻った。
それからクリケットのボールがたびたび図書室に飛び込むようになった。
ミナは、この人はクリケットがあまり上手くないのかしらと思った。
クリケットの下手な彼の名はアルバートと言った。
コートネル伯爵家の次男で、ミナのひとつ上。
王子様みたいなさらさらの金髪で、ちょっと軽薄な感じがする青年だ。
本など読みそうもないのに気やすく声をかけてきては、ついには図書室内まで入りこみ、
ミナの隣に陣取って何くれと話しかけてくるようになった。
アルバートにふわふわの巻き毛を泡立てたメレンゲと言われて気分を害したミナは、
こういうのは真実の愛ではないと結論付けた。
ボールの代わりに本人が図書室に来るようになってしばらくして、
アルバートに縁談が舞い込んだ。
ミナがあまり聞いていないのもお構いなしでアルバートは愚痴った。
嫡男でないアルバートが貴族で有り続けるためには総領娘との婚姻が不可欠だ。
親心を慮ったミナは嗜めたが、アルバートは不貞腐れた。
「だって、貴族でいたいからって一生の相手を決めるなんて、真実の愛とは言えないだろ」
しかも、5 つも年上で、鳥の巣みたいなゴワゴワの髪なんだぜ。
あとのほうの言葉はミナの耳にはほとんど届いていなかった。
「貴方も真実の愛を探しているの?」
翡翠色の瞳に初めてまっすぐ見つめられて、アルバートは真っ赤になった。
「そりゃ、そうさ。……誰だってそうだろ」
17でミナは平民になった。
アルバートの卒業に合わせ、1年残して学園も辞めた。
伯爵家の次男と男爵家の令嬢の婚姻であれば、
本来なら貴族にはなれないまでも、ジェントリとして不自由なく暮らせるはずだったのに、
せっかくの縁談を反故にしたことで彼の父親の不興を買ったのだ。
ふたりは王都にほど近い小さな町で家を借り、
ささやかに暮らし始めた。
ガヴァネスの言う通り教養は武器になった。
立ち居振る舞いが美しいのでちゃんとした店の女給として働くことができたし、
妊娠しても帳簿係として置いてもらうことができた。
代書の内職も請けることができた。
アルバートの好きなふわふわのメレンゲは引っつめられ、
指先は荒れてカサカサした。
ミナは働くことに否やはなかった。
差し出す暮らしも嫌ではなかった。
ランプの代わりに指先で灯りをともしながら、
ミナは身の内に向かって絵本を読み聞かせた。
しかしアルバートはそうではなかった。
少し軽薄なところがある陽気な青年には、つましい暮らしは向いていなかったようだ。
仕事が忙しいと、帰って来ない日があった。
それが2日になり、3日になり、
そのうち帰って来なくなった。
ミナはひとりで子を産んだ。
それからはもう、どうにかこうにか。
ほんとうに大変な時は、嘆いている暇すらない。
それがミナを助けた。
サミュエルは3歳になった。
ランプのいらない満月の夜に、ミナが帳簿をつけていると、
寝ていたはずのサミュエルがシュミット氏を引きずって部屋に入ってきた。
「サミー、どうしたの。目が覚めちゃったの」
声をかけると、寝ぼけまなこのサミュエルが膝によじ登ってきた。
「母さま……」
ふたりまとめて抱きとめたとき、わかった。
ああ。
これだ。
ありふれて転がる、しかし何物にも代えがたい。
——これこそが。
またこの子に出会うためならば、ミナは何度だって愚かな行いを繰り返すだろう。
ミナは手に入れた真実の愛をぎゅうぎゅうに抱きしめた。
お読みいただきありがとうございました。
活動報告に挿絵と余談を置いておきますので、よろしければお越しください。




