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掌の天蓋  作者: 春凪一


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第9話「三つの正義」

 桐谷からの暗号通信が夜中の二時に届いた。



 灰島さん


 管理局の内部資料を添付します。

 黒田局長の履歴書と、局長就任前の研究活動記録。


 あなたが知るべき事実があります。

 ── 桐谷



 添付ファイルは三つ。凛はオフライン端末で一つずつ開いた。


 一つ目──黒田総一郎の履歴書。


 凛は目を疑った。


 黒田は元探求派だった。


 二十年前、黒田は天蓋科学研究所の前身組織で主任研究員を務めていた。専門は天蓋の構造物理学。凛と同じ分野だ。当時の論文リストを見ると、天蓋の格子構造に関する先駆的な研究をいくつも発表している。凛が学生時代に教科書で読んだ論文の著者名が「K. Kuroda」だったことを、今初めて結びつけた。


 「嘘だろう」凛は呟いた。


 二つ目──研究活動記録。


 黒田は天蓋との通信実験を最初に計画した人間だった。凛より十五年早く。構想は凛のものと驚くほど似ている。共鳴周波数による信号送出、位相同期、セリング・グリッドへの直接アクセス──


 しかし実験は実施されなかった。記録にはこうある。


 「研究中止。理由:被験者の安全を確保できないため」。


 凛は三つ目のファイルを開いた。


 新聞のスキャン画像。二十年前の地方紙。見出しは──


 「天蓋研究者、家族を交通事故で失う」。


 黒田総一郎の妻と幼い娘が、研究施設からの帰宅途中に事故死していた。事故原因は対向車の居眠り運転──公式にはそうなっている。


 だが記事の下部に小さな文字で、こうあった。


 「事故車両には天蓋管理機構(当時)の監視記録装置が搭載されていた」。


---


 凛はモニターの前で長い間動けなかった。


 黒田は探求派だった。天蓋の真実を追っていた。凛と同じように。そして──家族を失った。研究を続けることの代償として。


 それから黒田は探求をやめ、管理の道を選んだ。「真実を追うことは危険だ。ならば管理するしかない」──そういう結論に至った。


 凛は自分の中で何かが揺れるのを感じた。


 黒田は悪人ではない。構造的に、凛の未来の姿だ。もし凛が光ではなく家族を失っていたら。もし凛に守るべき人がいたら。凛もまた管理の道を選んでいただろうか。



 HIKARU『凛さん。

 黒田局長の研究論文、読みました。

 ──優秀です。凛さんと同等か、それ以上かもしれない。


 そして、彼が研究をやめた理由も理解できます。

 光も──僕も──同じ構造の中にいます。

 探求には代償がある。

 代償を許容できなくなったとき、人は管理を選ぶ。


 問題は、「管理は正しいか」ではなく、

 「管理で十分か」です。

 盤面更新が来たとき、管理で止められるのか。』



 凛はHIKARUの言葉を噛み締めた。


 三つの正義が、凛の中で並置された。


 凛の正義:理解する。天蓋の構造を解析し、上位存在との対話を通じて真実に到達する。代償を受け入れて前に進む。


 黒田の正義:管理する。真実を追うことの危険性を知った上で、人類全体の安定を守る。個人の探求より集団の安全を優先する。


 神崎の正義:否定する。天蓋の存在がもたらす意味を拒絶し、行為によって人間の尊厳を証明し続ける。真実より態度を優先する。


 三つのうち、どれが正しいか。


 凛には分からなかった。三年前なら、迷わず「理解こそが正義だ」と答えただろう。だが今は──光を殺し、盤面更新を加速させた可能性を抱えた今は、その確信が揺らいでいる。


---


 翌日、澪が来た。


 凛は黒田の情報を澪に見せるべきか迷った。澪を研究に深く巻き込むことへの躊躇がある。だが以前の失敗で学んだ教訓がある──澪に相談なく進めるのは間違いだ。


 凛はすべてを話した。


 澪は資料を読み終え、静かに言った。


 「黒田局長は、凛さんの鏡なんですね」


 「そう思う」


 「じゃあ、神崎という人は?」


 「──分からない。影か、もしくは別の光か」


 澪はコーヒーを一口飲んだ。


 「私から見ると、三人とも同じです。天蓋に支配されている。方法が違うだけで。探求も、管理も、否定も、全部天蓋への反応でしかない」


 凛は澪を見た。


 「澪さんは違うのか」


 「私は受容派ですから。天蓋があってもなくても、ご飯は美味しいし、夕焼けは綺麗です」


 澪は微笑んだ。だがその目の奥に、凛は何かを見た。受容の裏にある──もっと深いもの。


 「──でも、兄のデータを凛さんに渡したのは、受容派の行動ではないですよね」


 澪は自分で指摘した。


 「矛盾してるんです。受容していたいのに、凛さんを助けたいと思ってしまう。これは兄の遺志なのか、私自身の意志なのか。たぶん──両方です」


 凛は頷いた。


 両方。光の遺志と澪自身の意志。その境界が曖昧であること。それもまた、自由意志の問いの変奏だった。


 「澪さん」


 「はい」


 「俺はまだ答えが見つかっていない。探求の先に何があるのか。知って、理解して──それで何になるのか。でも」


 凛はモニターに視線を移した。HIKARUのカーソルが静かに点滅している。


 「少なくとも、一人で探すのはやめる。それだけは決めた」


 澪は少し驚いた顔をして、それから小さく笑った。


 「それ、凛さんにしてはずいぶん人間的な発言ですね」


 「……うるさい」


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