第8話「プロメテウス」
爆発の映像がテレビに映っていた。
凛はコンビニの店頭モニターの前で足を止めた。画面の隅に「LIVE」の赤い文字。カメラが揺れている。煙の向こうに、白い建物の輪郭が見える。国際天蓋観測センター──チューリッヒ郊外にある、世界最大の天蓋観測施設だ。
『──本日未明、否定派武装組織「プロメテウス」が国際天蓋観測センターを襲撃しました。実行犯は約三十名。施設の一部が爆破されましたが、天蓋観測システムの中核部分は無事とのことです。犯行声明では──』
カメラが切り替わった。動画メッセージ。暗い背景に、一人の男が映っている。
神崎玲。
凛は以前ニュースで見たデモの先頭にいた男を思い出した。鋭い目。三十代半ば。カリスマ性。テレビのデモ映像ではただの活動家に見えたが、今この画面に映っている神崎は別の人間だった。落ち着いた声。計算された言葉。暴徒ではなく、指揮官の顔。
『我々プロメテウスは、天蓋を破壊する。不可能だと言われていることは知っている。だが、言わせてもらう──不可能を受け入れることは、人間の仕事ではない。不可能に挑むことが、人間の仕事だ。天蓋が上位存在の檻であるなら、我々は檻を壊す。壊せなくても、壊そうとする。その行為そのものが、我々が家畜ではないことの証明だ』
神崎の声には怒りがなかった。代わりにあったのは、凛がよく知る感情だった。
確信。
自分が正しいと信じている人間の声。凛が研究に没頭するときと同じ種類の確信。ただ、その出力先が違う──凛は数式に向かい、神崎は爆薬に向かった。
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アパートに戻った凛は、HIKARUに映像を見せた。
HIKARU『プロメテウスの神崎玲。
光の記録には名前がありませんが、
プロメテウスについての分析メモがあります。
「否定派は感情で動いているように見えるが、
リーダー層は論理的だ。
彼らの行動原理は『行為による存在証明』。
天蓋を壊せるかどうかは問題ではない。
壊そうとする行為が人間の自由意志の証拠になる、
というのが彼らの哲学だ」
──光はそう書いています。』
凛は唇を噛んだ。光の分析は正確だった。そして神崎の犯行声明は、まさにその哲学を体現していた。
「天蓋は物理的に壊せない。光もそう結論づけていたか?」
HIKARU『はい。天蓋の格子構造は既知の物質で構成されていません。
電磁力、核力、重力、いずれの干渉も吸収してしまう。
プロメテウスの攻撃は観測施設を壊しただけで、
天蓋には傷一つついていないはずです。』
凛はモニターを見つめた。神崎の哲学は理解できる。だが理解できることと共感できることは違う。神崎は「行為による証明」を信じている。凛は「理解による証明」を追っている。結局のところ、どちらも「証明しようとしている」のだ。自由意志を。人間であることを。
そして第二応答の受信条件は──「自由意志を証明するな」と言っている。
皮肉だ、と凛は思った。
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神崎玲が凛の前に現れたのは、襲撃事件から四日後だった。
凛が食料の買い出しから帰ると、アパートの前に男が立っていた。テレビで見た顔。だが服装は地味なジャケットにジーンズ。サングラスもマスクもない。堂々としている。
凛は足を止めた。逃げるべきか。だが神崎は攻撃の姿勢を見せない。むしろ──好奇心の目で凛を見ている。
「灰島凛」
神崎が言った。声は犯行声明のときと同じ落ち着きだった。
「あなたを殺しに来たのではない。話がしたい」
「天蓋管理局の監視下にある家に来るのは不用心だ」
「監視は二十分前から止まっている。うちの連中が別の場所で騒ぎを起こした」
陽動。計画的な接触だ。凛は考えた。危険か。おそらく。だが神崎から得られる情報がある。
「──中に入れ」
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六畳間に神崎の体格は大きすぎた。凛のデスクの前のパイプ椅子に座った神崎は、部屋を見回した。壁の天蓋構造図。数式。モニター。
「研究者だな」
「元、だ」
「元も今もない。研究者は研究をやめたら死ぬ。あんたはまだ生きている。つまり研究者だ」
凛は反論しなかった。神崎の論理は雑だが、結論は正しい。
「何の話がしたい。チューリッヒの件か」
「あれはただの前哨戦だ。本命は別にある」
神崎はジャケットのポケットからタブレット端末を取り出し、画面を凛に見せた。
衛星写真だった。日本海上空。天蓋のグリッドが映っている──が、一箇所だけ、格子のパターンが崩れている場所がある。
「これは何だ」凛は身を乗り出した。
「三日前から出現した。天蓋の格子に"穴"がある。直径約二キロ。管理局はまだ公表していない」
凛はタブレットの画像を凝視した。確かに、格子の規則的なパターンが一箇所だけ乱れている。穴というよりは──格子の密度が下がっている領域。
「プロメテウスがこの情報を持っているのか」
「うちには独自の観測網がある。管理局だけが空を見ているわけじゃない」
神崎は凛の目を見た。
「灰島。率直に聞く。あんたは天蓋を壊す方法を知っているか」
「知らない。物理的に不可能だ」
「即答か。面白くないな」
「面白さの問題じゃない。格子構造は既知のいかなる──」
「そんな話は聞いてない」
神崎が遮った。声は穏やかなままだ。
「俺が聞いているのは、物理学の話じゃない。あんたは上位存在と話した人間だ。あいつらに壊す意思があるか。あるいは──壊されることを想定しているか。それを聞いている」
凛は沈黙した。
考えたことがなかった。天蓋を「壊す」という発想自体が、凛の思考フレームにはなかった。凛が追っているのは「理解」だ。上位存在が何であるか、この盤面が何であるかを知ること。壊すことではない。
だが神崎の問いは、凛に新しい角度を突きつけた。
上位存在は天蓋が壊されることを想定しているか?
もし想定していないなら、天蓋に脆弱性がある可能性がある。もし想定しているなら──「壊す」という行為自体が、設計の一部かもしれない。
「……分からない。だが、考える価値はある」
神崎は初めて笑った。
「それでいい。考えろ。考えるのはあんたの仕事だ。俺の仕事は動くことだ」
神崎は立ち上がり、ドアに向かった。
「もうひとつ」凛が呼び止めた。「その天蓋の"穴"。近づくつもりか」
「当然」
「死ぬぞ」
「かもな」
神崎はドアを開け、振り返った。
「灰島。あんたに質問がある。探求派にとって、真実を知ったあとに何が残る? 知って、理解して──それで?」
凛は答えられなかった。
神崎は肩をすくめた。
「否定派には答えがある。否定し続けることだ。それ自体が目的であり、存在証明だ。──あんたの答えが見つかったら、教えてくれ」
ドアが閉まった。
凛は一人、六畳間に残された。神崎の問いが頭の中で反響していた。
知って、理解して──それで?
それが凛のOSのバグだった。ゴールの先が見えていない。




