捌
魚を食べ終わった頃には、少し日が傾き始めた。
シイはすっかり満足して岩にもたれてうとうとしていた。満腹になったし、水遊びの後の疲れた体に、焚火の温かさが心地よかった。
高国が火の始末をし始める。
「——兄上、後は私が片付けておきます。そろそろ屋敷へ戻られた方が」
「ああ……気が進まないが、そうするか……」
高氏はそう言って、魚を刺してあった棒を折った。ぱきっ、と音がして折れたそれを、火の中に投げ入れた。そのまま、その棒が燃えて炎をあげ、黒くなっていくのを見つめている。
「——兄上……」
そうするか、と言ながらもなかなか動こうとしない高氏に、高国が遠慮がちに声を掛ける。
余程明日からの仕事が憂鬱なのだろうか。高国は黙って高氏の言葉を待った。
高氏は消えそうな火を見つめながら、やがて長い溜息を吐いた。
「はあ……」
「鎌倉行きは、気が進みませんか……?」
「仕事自体はいいんだ。ただ、あっちにいくと、こそこそと……」
「こそこそ……?」
「近頃は、いつも父上に隠密な来客がある」
高国のが形の良い眉を寄せる。
領地での来客は、意外と人目につく。御家人が多く屋敷が密集している鎌倉の方が、密会には向いているのだ。
「隠密ですか……」
「ああ。夜遅く、顔も身なりも隠して、私も誰かは知らない。嫌な感じだ——あ、これは内緒だぞ」
「はい」
シイは満腹になって、温かい岩にもたれてまだ微睡んでいる。泣きながら食べたかと思ったら、今度は本当に満足そうにして、忙しい事だ。
体は痩せ細っているものの、桃色になった頬が緩んでいるのは何とも愛らしく見える。
こちらの話など聞いてはいないようで、二人でちらりと見た後、またお互いに視線を戻した。
「父上はあまりいい顔をしていない。その客が来るたびご機嫌も悪い」
「……………」
高国は考え込んでいる。
「鎌倉で、身分を隠して会いに来る、しかも断れない相手と言えば……誰かは大体想像がつきます」
「それ以外にも、金の無心にくる者も増えているぞ。御家人のほとんどは借金だらけで……ここからどう持ち直していくのか、全く想像がつかないよ」
領地にいるよりも中央に行った方がそれが良くわかるのだろう。政府は明らかに傾き始めている。
立ちこめる暗雲に、中央にいても手立てを見出せないでいるのは、重臣の家系の嫡男としても不安だ。
「父上は、何と……?」
「父上はさ。兄上が亡くなってから、もうずっと元気がないだろう」
高国と高氏の兄には、年の離れた兄がいた。
仲は良くなかったし、後継者であり唯一の本妻の子だったから、二人はよく側室の子と馬鹿にされていた。高国はいつも高氏に庇われて、その背中越しに自分たちを蔑む兄の顔を今でも覚えている。
それでも、父にとっては可愛い息子だったのだろう。突然の兄の死以降明らかに意気消沈し、4年経った今でも時折ふさぎ込んでいる事がある。
「とにかく争いごとを好まれない。早くも引退をお考えなんじゃないか」
「そうかもしれませんね」
だから余計に、積極的に何かをする事はないだろう。中立を保ち、争いは避けるはずだ。
ただ、避けるだけで済まない程の立場でもあるし、いやがおうにも巻き込まれるだろうとは思うが。
「お前も、他人ごとではいられないだろう」
難しい顔をしている高国に高氏が言った。
「私ですか……?」
「高国も、来年には元服だ」
「私は……官職は頂かないと思います」
頂けない、ではなく、頂かないという。
確かに、御家人らへ満足に恩賞を与えられない幕府が、重臣とはいえその三男に、頼まれもしない官職も位階も与えるとは考えにくい。打診しなければ授けられることはないだろうが。
しかし……。
「そううまくいくものか?」
問題は家の人間たちだ。家臣らがそれで納得するだろうか。
「この情勢では、少なくとも上杉は賛同してくれると思います。なにより……私は、もう少し、この下野国で……やりたいことがあるんです」
高国は遠い目をしていた。
それを見て高氏はそうか、と呟いただけだった。
高国は高氏よりはるかに多くの書物を読み漁り、いつの間にか自分よりずっと難しい事を言うようになった。どちらかというと勉学よりも武芸の方が性に合っている高氏は、だからこそ、高国を無二の存在として心底頼りに思っている。
高国がそれがいいと言うのなら、きっとそうなのだろう。
「一緒に鎌倉へ行く日も近いと思っていたが。仕方ないか」
「あ……すみません」
「いいさ。——さて、そろそろ本当に行かねば。明日の見送りはいいから、ゆっくりしていろよ」
「そんな。もちろんお見送りいたします」
高氏は笑って立ち上がり、屋敷へと帰って行った。
「——っは!」
うとうとしていたシイは、バチっと火の弾ける音ではっとした。
いつの間にか高氏はいなくなっていて、高国だけになっている。
「あれ……?たかうじさまは?」
「先に戻られたよ」
そう言いながら、高国は火の始末をしていた。砂利をかけている。
「いつまでもここにいたら風邪をひいてしまう。私達も帰ろう」
消えていく焚き火を見ると、シイは名残惜しかった。
川遊びも、魚獲りも、それからあっという間に火を起こして食べた焼き魚の美味しかった事。高氏が意外と優しかったし。
「あしたも、くる?」
「毎日というわけにはいかない」
高国は優しい声で、諭すように言った。
「殺生は最小限にと教えられているからね」
「あ、おしょさんも、いってた」
「おしょ——和尚さん?」
シイは大きく頷いた。
向こうの村の、お寺の和尚だ。和尚はお寺に一人だけだけど、他にも何人もの孤児が共に暮らしていた。
その中にシイは時々紛れて、ご飯や着物をもらったりしていた。
お寺だったら身寄りのないシイでも、紛れ込んで住めるかと思ったけど、子供達の中には勘が鋭いものがいて、ずっといるとバレそうになったり、仲間外れにされていじめられたりする。だから、時々、どうしようもなくお腹が空いた時だけ行くようにしていた。
やっぱり、ばあちゃんの言う通り。人間は少し違う違和感に敏感だった。
それに、お寺はじっとして和尚さんの話を聞かないといけなかったり、あちこち掃除をしたり、畑をしたり、大変なことも多い。
「そうか、寺にいたことがあるのか」
「うん」
「お寺に戻りたかったら——」
「ないない!」
高国の言葉を、シイは慌てて遮った。
「あそこは、だめ」
似たような子供がいるのだからと、もっと勧められるかと思ったけど。高国はそうか、と言っただけだった。
シイはほっとして、そのまま高国と共に屋敷に戻った。




