柒
川は屋敷を出てしばらく歩くとすぐに辿り着いた。
高氏も高国も着替えて、動きやすい小袖になっている。
きらきらと光って眩しく反射する川に目を細めつつも、シイはそのままバシャバシャと水に入って行った。
「シイ……寒くないの?」
「つめたい!きもち!」
シイはそう叫びながら、きゃっきゃと喜んで水遊びを始めてしまった。
山の中ではなかなかこの水量の川がないから、見つけたらつい入ってしまう。泳ぐことはできないけど、水浴びは大好きだ。
水の中に飛び込みながら口を開けて、そのままがぶがぶと飲んでみる。冷たくて、美味しい水だ。
「——あいつ……大丈夫か」
「そうですね、足の傷もあるので、安静に、と昨日言ったところなんですが……」
「いや、傷じゃなくてさ。なんか……」
「……………」
確かに、違和感は凄まじい。
今の所耳も尻尾も出ていないが、格好がちょっとおかしい。犬のように四つん這いになって、顔から水に口を開けて突っ込んでいる。楽しそうなその様子は、確かに、異様な光景だった。
「犬みたいになってるぞ」
犬ではなく、たぬきではあるが。同じようなものか。
高国は何とも言えなくて黙ってその様子を見ていた。
しばらく見守っていると、ようやく満足したのかシイは水辺に上がり、石の上でごろんと仰向けになった。
激しく遊びすぎて息が荒い。
二人が近づいて来たのでシイは飛び起きて、体を激しく揺すった。水の飛沫が飛び散る。
「——っあ、よせよ、犬みたいに!」
「い、いぬじゃない!!」
高氏の台詞にどきっとして、シイは慌てて否定する。
犬じゃない、たぬきだ。——いや、たぬきじゃなくて。
「にんげんだもん!」
「分かってるよそんな事」
ずぶぬれになったシイを見下ろして、高氏が呆れた声を上げる。
「水遊びしに来たのか?お前は」
「はっ。そだった!」
シイははっとして辺りを見渡した。自分が暴れたせいで、水はすっかり濁って茶色くなっている。
これではそもそも魚を見つけられないんじゃないだろうか。
高氏は呆れたようにシイを見ているし、高国は——よくわからない。いつもの無表情で何も言わないから、怒っているのかもしれない。
シイはぽたぽたと雫を垂らして立ち尽くした。服の裾をぎゅっと握れば、そこからまた水がぼたぼたと落ちていく。
「ご、ごめんなさい……」
じゃりじゃりと小石を踏む音がして高国が近づいてくる。かと思ったら高国も水の中まで入って、シイを抱き上げた。
「——どうした?急に元気をなくして」
「っあ、たかくにさま、ぬれちゃ……!」
「川に来るんだから、濡れてて当たり前だ」
高国の小袖がすっかり濡れてしまっても、言った通り気にしていないようだった。
シイをしっかりと抱えて顔を覗き込む。
「傷が痛むとか?——痛いはずだよ。ざっくり切れてるんだから」
そう言われると、怪我をしたところがずきずきと痛みだした。興奮して意識していなかった。包帯に少しだけ血も滲んでいた。
高国がまだ濡れていない袖でシイの顔を拭った。
「水は冷たかっただろう。痛むのなら、今日はもう帰ろうか」
シイは目に見えてショックを受けた。愕然として口を開けたまま、明らかに落ち込んでいる。
「——ぼく、ぼくが……」
「シイ?」
「ぼくの、せいで……みず、きたなくなっちゃったから……さかな、とれない?」
「違うよ。姿が見えなくったって魚は獲れる。シイの元気がないから——」
「ぼく、げんき!!」
魚が獲れると聞いて、シイはすぐに元気になった。目を輝かせている変わり身の早さに高国は口元を緩ませた。
——あ、たかくにさまが、わらった。
高国は表情があまり動かないけど、こうやって笑うんだ。
それが分かるとシイは何だか嬉しくなった。
にこにこと見つめ合って笑い合っていると、高氏がやれやれと言うように袖を折った。
「早くやろう。とりあえずこっちに上がって来い」
「はい」
高国はシイを抱いたまま川辺まで移動した。それから岩の上にシイを降ろして座らせると、高国も袖を折って準備をする。
「——よし、あのあたりでどうだ?」
「はい。やってみましょう」
二人で相談している。何かを始める雰囲気に、シイはふと人間の漁を思い出した。
「あ、ぼく、みたことある。あみ、なげるの」
「それは猟師だろ?私たちはそんなことはしない」
高氏はそう言って、裾をめくって水に入って行った。高国もそれに続く。
「おい、シイ、やるぞ!」
やると言われても何をしたらいいのか。首を傾げるシイに高国が水面を指さした。
「いいか、そっちからこっちに向けて、魚が他に行かないように岩で壁を作るんだ」
そう言いながら持っていた簾を川に沈めて、三角に設置する。あれは、吊り下げて虫よけや日よけにするものだと思っていた。どうして水の中に入れるんだろう。
不思議に思っていると高国が手際よく、ごろごろと岩を動かして、簾から川を横断するように石を並べていった。
「大きい石は私と高国が運ぶから、シイは小さい石を並べろ」
高氏が命じ、シイはモクモクと作業した。
人に命令し慣れてる言い方だ。癪だけど、高国も従ってるから、同じように取り敢えず従う。
あっという間に川の中に岩の壁が出来上がった。
「これで、向こうから追い立てたら、この簾の中に魚が入ってくる」
「ふわああああ」
シイは感動して目を丸めた。
これならシイでもできそうだ。どうして考えつかなかったんだろう。ついでにコツを聞いて、魚が入りやすく出にくい簾の設置の仕方を教えてもらう。
「——よし、後はできるだけ向こうから、魚を追い立てるだけだ。三人でやるぞ」
「はい」
「うん!」
「はい、だろ無礼者」
高氏に頭を小突かれて、シイはむっと口を結んだ。
「——兄上。シイは家臣ではないので。まだ子供ですし」
「誰かが教えてやらねば、いつまでも分からぬままだ」
高氏は引かなかった。
シイを庇ったせいで高国が怒られたら大変だ。
「はい!!」
そう思って、シイは大きな声で返事した。
「さかな、はやくやりたい!」
「……………」
「よし、行こう」
高国がそう言って手を繋いでくれた。
三人で遠くの方からバシャバシャと魚を追いかけて、簾に向かって歩く。魚の姿は見えなかったけど、ただ川を遊びながら移動すればいいだけだから、すごく楽しかった。
途中は普通に遊びながらで、シイはまた水遊びに夢中になった。
「——よし、そろそろ見てみるか」
高氏がそう言わなかったら、魚の事を忘れていたくらいだ。
三人で頭を寄せて、そっと簾を開いて中を覗く。
「う、うわぁぁぁ」
シイが歓声を上げた。
そのにはいきのいい川魚が3匹、元気に動いて光っていた。
「おいしそう……」
既に涎を垂らしているシイを高氏がまた怪訝な目で見た。
「生でおいしそうって、思うものか?」
「たべていい!?」
高氏の言葉など耳に入っていないようだ。シイは目の色を変えて、目の前の魚を掴んだ。
「は?」
高氏が信じられない、と言うように声を上げて初めて、だめだったのかとシイは止まる。
「みっつ、あるから……ぼく、いっこ……かとおもって」
だめなんだろうか。
耳があったら間違いなく垂れていただろう。
「——そうだな、三つあるから、一人一匹ずつ食べよう」
高国が優しい声で、シイから魚を受け取った。
「でも、生では食べられないから、焼かなくてはいけないよ。——兄上、どうしますか」
驚いていた高氏だったが、高国の問いには、にっと笑った。
「そりゃ、獲れたてをすぐに焼いて食べてこそ、だろ」
二人は手慣れているようで、すぐに川辺で火をおこした。
枯れ枝を集め、火打石で火をつける。
ここからは、何をどうすればいいのかわからず、シイは見ているだけだった。
着物が濡れているから焚火が温かい。シイは何もせず火にあたりながら、魚が焼けるのを見守った。この日食べた魚は、今まで食べたどんな食べ物よりも美味しかった。
美味しすぎて、食べながらシイはぽろぽろと涙が溢れて、止まらなかった。
熱々で、ほくほくして。そういえば、ばあちゃんが言ってた。火を使えばもっといろんなものが美味しいんだって。
僕が、もっとしっかりしてたら、ばあちゃんはもっと長生きできたのかな。美味しいもの、たんと食べて……。
ばあちゃんに食べさせてあげたかった。そう思うと、余計に、どうしても止まらない。
「——お、おい、どうした?そんな、骨ごと食べる奴があるか!」
高氏に驚かれて、シイは首を振るしかできなかった。
骨を喉に詰めたんじゃない。
「お、おいしくて、おいし、くて……ううぅ」
「そんなに言うなら……ほら」
高氏が、食べかけだった魚を全部くれた。高国もまだ数口しか食べてなかったのに、全部シイにくれた。
おかげでシイはおなかがいっぱいになった。
人間って、シイには無関心なんだと思ってたけど。こんなに優しい人たちもいるんだ。
「ありが……ありが、とう」
そう思ったら、シイはありがたくて切なくて、また涙がこぼれた。




