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彼の方の、可愛い小さな化けたぬき  作者: サイ
下野国編

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6/20

 離れに戻った高国は寝床の着物をそっとめくってみた。

 まだ寝ているのかと思ったのに、そこはもぬけのからだった。

 帰ったのだろうか。

 兄とあんな話をした後だから、やはり化かされていたのかと思う。

 寝床はまだ温かかった。

「たかくにさま!」

 声がして振り返ると、シイは机の下からもぞもぞと出てきた。

「——どうしてそこに」

「だれかきた!って。びっくりして」

 高国の足音で咄嗟に机の下に潜り込んだのだという。

「朝餉が来るから、一緒に食べよう」

「あさげ……あさも、ごはん!?」

 シイが驚いている間もなく、すぐに朝餉の膳が運ばれてきた。

 昨日と同じ白い米に味噌汁、それから塩干しした小魚と漬物。シイが目を輝かせた。

 この白い米をシイは初めて食べたけど、本当に美味しかった。甘くてホカホカしていて、噛めば噛むほどに美味しい。

 食い入るように見ていると高国がシイの横に膝をつき、目線を合わせた。

「——米が気に入ったのか?」

「あさも、たべられるなんて……」

 既に涎が垂れそうになっている。

「朝と夕、しっかり食べて大きくならないとね」

 すぐ隣でそう言われて、シイはまた目を丸くした。

「あさと、ゆう……」

 それからハッとする。

「そか、ふゆにむけて、いっぱいたべないと!」

「……………」

 高国は何と言っていいのかと黙った。幸い、下女はもう立ち去った後だが。

 秋の内に食料を貯めることはするが、食べ溜めて脂肪を蓄えるのは森の獣たちだ。冬籠りの類は、人間はしない。

「まあ……秋は、お腹が空くからね」

「うん!」

 シイは分かっていないようで、何度もうなずいた。

 高国はシイを厠と井戸に案内して顔を洗ってやってから、二人でまた向かい合って朝餉を食べた。

「すごい、さかな……」

 シイにも高国にも、3匹ずつ乗っている。食べる作法も順番もなくて、シイはあっという間に小魚を食べてしまった。

 それでも、どのご飯もごちそうだ。

 白米に手を伸ばそうとしたら、高国の手が伸びた。いつの間にか向かいではなく、隣に座っている。

「これを使ってごらん」

 高国の手がシイの手を取って、箸を握らされる。指の一本一本、どこに置いたらいいのか誘導された。

 複雑な開き方に指がつりそうになったが、高国の大きな手がシイの手をすっぽりと覆って添えてくれるから、その動きに合わせて箸を持つことができた。

「こうして、挟むんだよ」

 そう言って高国は自分のお膳にある小魚を一つ、一緒に箸で取った。

「あっ、それは、たかくにさまの……」

「上手に使ってるから、食べていいよ。ほら、口を開けて」

「あ、あ……」

 そんな。高国の物を取るなんて。そう思うのに、高国の手に覆われた自分の手が、魚を挟んで口元まで運んでくる。目の前に来たらついかぶりついてしまった。

「っあ……!たべひゃった!」

 しまった。でも美味しい。すごく美味しい。

 高国はそのままシイの手を持って白米も何度か食べさせてくれた。

 シイが何とか掴めるようになって、離れていく。手が離れるとシイは途端に寂しくなった。

 もっと触れていたい。

 長らく誰とも触れ合っていなかったシイにとって、久しぶりの人の温もりはたまらなく心地よかった。限界まで渇いていた喉を潤す水のように、極寒の中の焚火のように。

 ばあちゃんを思い出す。忘れかけていた、抱き締められるとふわふわする、気持ちいい感じ。

 離れて行った高国をじっと見つめていた。

「——そんなに見なくても。ほら、もう一つあげる」

 高国がぽん、と小魚をもう一つシイのお皿に入れてくれた。

「——あ!だ、だめ!たかくにさまの、とっちゃだめ」

「いいんだ。私はいつもたべているから」

「いつも……」

 シイは驚いて、ぽかんと口を開けていた。

「あんなにすばしこいのに……すごいなあ、にんげんは——あ、ちがう。えと……」

「魚の獲り方を教えてあげようか?」

 どう言い訳をしようかと必死になったのに、高国は気にしていないようだった。

 聞こえなかったのかな。

 シイは胸をなでおろす。

 それよりも、魚の、獲り方?

「いいの!?」

 それが分かれば、シイでも魚を獲って食べることができるだろうか。

 興奮して中腰になった。

「朝の鍛錬が終わったら、連れて行ってあげるよ。だから、ほら、座って食べなさい」

「うん!」

 シイは嬉しくなって、ついウキウキと腰を揺らした。

「こら、じっとして食べなさい」

「へへ……うん。——へへ」

 返事はしても、まだ揺れている。喜びを隠すことなどできないようだ。本人も無自覚なのかもしれない。

 こんなに純粋で感情を隠せない生き物が……意図を持って近づいて来たとは思えなかった。




 高国が鍛錬に出かけ行き、昼前になって戻って来るまで、シイはこそこそと人目を避けながら屋敷内を探索した。

 本当にたくさんの人が出入りしていて、特に母屋には偉そうな人達が沢山入って行った。

 塀に沿って歩いていたらあまり人には出会わないので、建物の影や木に登ったりしてシイは屋敷を見渡していた。

 厩があって、馬もたくさんいる。鍛錬場のようなものが遠くにも見えるから、きっと高国はそこで鍛錬しているのだろう。抱き上げられたとき、がっしりとしていた。

 シイは自分の腕をにぎにぎと触ってみた。

 細くて、ひょろひょろしている。

 何とか木には登れるけど、森にいる猿みたいに木から木へ飛び移ることもできないし、狼みたいに崖を飛び降りることもできない。もっと力が付けば、森でも生ききやすくなるんだろうか。

「——あ、魚!」

 庭の池の中に、良く太った大きな魚がいる。

 あれは……何であそこにあるんだろう。いつでも食べらるように置いてるのかな。

 それとも、狩りの練習をみんなでするため……?

 シイはそっと池の側に近付いた。

 身を屈めて、茂みに隠れながらじっと魚を見つめる。黒くてがっしりとした魚だ。あれを捕まえたら、3日くらいかけて食べれるんじゃないかな。

 狙いを定めて……この茂みから一気に飛び込めば、捕まえられるだろうか。

 よし……。

「——お前、何してる」

 今まさに足で地面を蹴ろうとしたところを、ぐいっと引っ張られた。

「う、わあああ」

 びっくりしすぎて変な声が出る。

 帯を掴んで荷物のように浮かされた。目の前に紺色が飛び込んでくる。この顔は、高国の——。

「あ、あにうえ!」

 高氏はあからさまに不機嫌に眉を寄せた。

「誰が兄だ。俺をそう呼んで良いのは高国だけだぞ。又太朗様、高氏様、大輔(たいふ)さま、又は若様と呼べ」

「なんでそんなに、なまえがあるの」

「偉いからだ」

 あっさりと答えられて、へえ、とシイは感心したような声を上げた。

 偉いと名前が増えるんだ。

「ぼく、いっこ……」

 がんばったら増えていくのかな。高国はどうなんだろう。

 そんなことを思っていると、池の魚がすい、と離れて行った。

「あっ、いっちゃった!」

「何だ?魚を見ていたのか」

「うん。れんしゅう」

「練習?何の」

「たかくにさまと、さかなをとりにいく、れんしゅう」

「はあ?」

 高氏が大きな声を出した。びっくりしてシイは身を縮める。

 この男は高国と違って一々反応が大きいし、すぐに声を荒げるし。乱暴で、今だってまだ帯を掴んだままシイをぶら下げて離してくれない。——嫌いだ。

「は、なして!」

 ぶんぶんと体をよじってみても、掴まれた手は全く緩まなかった。

 抵抗しようと手足をばたつかせるのに、かすりもしない。

「ははっ、ちびだなあ、おまえ!」

 楽しそうに笑われる。——ああ、本当にこいつ、嫌いだ。

「——兄上」

 聞こえてきた声に、シイはぱっと顔を明るくした。

 高国の声だ。

 そう思ったら、ひょいっといつものように抱きかかえられた。

「どうしたんですか。シイが、何か」

「あ、おまえ、こいつと魚取りに行くんだって?」

 高国はたくさん汗をかいていた。片手でシイを抱えながら、もう片方の手で、手拭いを持って汗を拭きとっている。いつもの高国の纏う香の香りに汗のにおいが混じっている。

 高国の匂いだ。もっとかぎたくなって、シイは高国にしがみつく。

「——あ、ちょっと……シイ、私は汗をかいているから」

 離そうとされて、シイは益々しがみつく。

「すごい懐いてるなあ」

 高氏が感心したように言う。

 確かに、警戒心がないと思ったが、それは高国限定だ。他の者の事は相変わらず獣のように警戒している。ここまで懐かれると情も湧く。一人置いて長い間放っておいたのが可哀想だっただろうか。

「——シイ、着替えて来るから、少し待っていてね?そしたら、一緒に川へ行こう」

 優しい声で、耳元で囁かれて、シイはそっと離れた。

「私も行くぞ」

「ええー!?」

 高氏の言葉に、シイは不満を隠そうともせず顔を顰めた。

「何だその顔は」

「いひゃ、いひゃい……」

 頬をつねられてシイが涙目になる。

「兄上、明日の出立のご準備でお忙しいのでは」

「ちょっとくらい平気だ。川に魚獲りに行くのだろう?そんな楽しい事、私も入れてくれ!」

 高国は兄とシイの顔を見比べた。

「仲良くしてくださいね……」

「おう!」

「うー……」

 それぞれの反応を返しながら、川へはこの三人で行くことになった。

何故でしょう。

この話を書いていると、

一汁三菜の質素な和の朝食が食べたくなります。

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