壱拾陸
厳しい冬に入り、そうして年が変わる頃には、シイはすっかり元気になった。
高国は15になったから、もうすぐ元服する、と言って以前より少し忙しそうにしている。離れに戻ってこない時間も増えた。
シイは人間のように、年が変わると一つ年を取るという数え方をしないから、6月になったら5つになると思っていた。でも、人間のふりをしているから、ぼくも5つになった、と言うようにしていた。
「——五つになったお祝いをしないとね」
「いつつの……?」
一緒に夕餉を食べている時だった。高国は忙しそうにしているけれど、夜は必ず一緒に寝てくれたし、夕餉も2日に1回は一緒に食べてくれる。
「本当はね、袴着の儀といって、五つになるとお祝いをしたりするんだよ」
「はかまぎ……?」
「髪も切りそろえて」
髪を切ると言われて、シイは自分の前髪を見上げた。
「それって、えらいひとのはなしでしょ?」
普通の村の人達はしていなかったと思う。
「それでも、5歳は一つの節目の年だから。大業な事をしなくても、無事にここまで育ったことをお祝いするんだ」
「ふうん……」
そう聞いても、シイにはピンとこなかった。
一日一日生きるのに必死で、気が付いたら年を一つ取っている——それが森の獣たちの普段の姿だ。
人間と一緒にいてシイも随分余裕な暮らしをさせてもらっているけれど、だからといって儀式の事を言われても、そうなんだ、くらいにしか思わなかった。
「お祝いに、何か買いに行かないか?」
高国の提案は突然だった。
「なにかって……?」
「市場に。今日は市場が開かれる日なんだ。シイはまだ、行ったことないだろう?」
「いちば……」
シイは、通り抜けた賑やかな街の広場を思い出した。
沢山の人が行き来して、商人が軽快に声を上げて物を売り、活気に満ち溢れていた場所。
人間だらけの、賑やかでとにかくやかましい場所だ。
「ぼく……いちばは……いい」
「市場、行ったことないだろう?」
「ぼく、おるすばん」
「美味しい物、沢山あるよ」
「うん」
シイは視線を落とした。
人は、屋敷の人達でもまだ少し苦手だ。ほとんど会うことがないようにしている。
「おるすばん……」
高国がシイをひょいっと抱き上げた。抱かれるのにも慣れて、シイはすとんと高国の膝に収まる。
「こうやって、抱いて行こうか」
「えっ……たかくにさま、つかれちゃうよ」
「平気だ」
高国がそう言って軽々と立ち上がる。
ほら、と言うように抱っこしたまま部屋の中をぐるりと一周した。
「シイは軽いよ」
いつもは一度断ったらすぐに引き下がるのに、今日の高国はやや強引だ。
そんなに行きたいのかな。
だったら。
「——いく」
シイが返事をすると、高国は優しく笑った。
「よし、行こう!」
屋敷から出て少し歩くと、すぐに市場の喧騒が聞こえてくる。
角をいくつか曲がると次第に商店が見えてきた。
冬だというのに、どこから仕入れて来たのか沢山の食べ物が並んでいる。食材もあれば、すぐに食べられるものも。
客寄せのために商人があちこちで声を上げる。
見たこともない楽器で音を立てているから、笛だか何だか、打ち鳴らす音や大きな音も時々するし、歓声も合わさって、騒々しい。
シイはずっと高国に抱かれたままだった。約束通り、高国はシイを屋敷からずっと抱っこしてくれている。片手で抱かれているから疲れてしまうんじゃないかと思うものの、市場に着くとあまりの騒々しさに、降ろしていいよとも言えなくなった。
「シイ、これを食べてみないか?」
高国はそう言って、たくさんの珍しい食べ物を食べさせてくれた。そのどれもが美味しくてたまらない。
「シイ、これをつけてごらん」
そう言ってしっかりと編まれた笠を被せてくれる。きっとこれがあれば、雨が降っても濡れないだろう。
高国に抱かれている安心感で、少し怖くても大丈夫だった。しっかりと抱きかかえられて、それにしがみつきながらあれもこれもと目移りしてしまう。
「——あれが気になるのか?あれは——」
きょろきょろしていると、シイの視線の先を見ては、高国はそれが何なのか説明してくれた。
遠い領地から運ばれてきた物も多く、高国の説明を聞くだけでも楽しい。
周りが騒がしいからか、それともいつもは冷静な高国がいつもより沢山話してくれて、声も大きくて。高国も楽しいのかと思うと、それが嬉しかった。
シイはあっという間にお腹がいっぱいになって、買った物で両手がふさがった。
少し休憩しようかと、人ごみを離れて小道を歩く。
「すごいね、ひとが、たくさん。ものも」
「うん、人も物もうまく動くように、努力してる。色々と恵まれて、ここは良く栄えているんだ」
そう話す高国の顔はどこか誇らしげだった。
そうか、高国の家はあの屋敷だけじゃない、この場所もなんだ。市場に来て、たくさんの人から丁寧に頭を下げられているのを何度も見かけた。若様と呼ばれて、昔から知っている人達みたいだ。
人の身分制度はよくわからないけれど、これだけ大きな群れの頭なんだから、そうとう強いんだろう。
高氏があれだけ偉そうにしているのも納得だ。
「私も、少しでも早く兄上をお助けしたいんだ」
「それって——」
その時。
突然、高国が方向を変えた。
「たかくにさま……?」
高国の肩越しに後ろを見れば、笠を深く被った男が3人、こちらを見ている。
「だれ……?」
「さあ。見かけない者達だ。——そろそろ帰ろうか」
別に声を掛けられたり、追いかけられたわけではない。それでも何か嫌な感じがして、高国は足を速めた。
市場周辺は屋敷の目と鼻の先だし、周囲を見れば顔見知りも多い。日常的に出かけていく場所だから、普段から護衛などもつけていない。
少し市場から離れたから人通りのない小道まで来ている。
高国は、迂闊だったろうかと考えた。
とにかく足早に立ち去ろうとしたが、その男達はすぐに追いつき、高国を取り囲んだ。
「……………」
高国の、シイを抱く手に力が入る。
「——足利の子息だな。我らと共に来ていただきたい」
物言いは比較的丁寧だったが、高圧的だ。
「……得体の知れぬ相手について行くと思うか」
「ふむ……手荒な真似はしたくないのだが」
平静な高国の様子に少し驚きつつも、男は腰の刀に手を当てた。明らかに脅しのつもりだ。
「身分を明かせ」
「名乗った所で、分かるまい」
「たかくにさま……」
びりびりと闘気のようなものを感じて、シイが不安げな声を上げた。
「シイ、降ろしてあげるから、先に屋敷に戻っているんだ」
「え!?でも——」
「お前を抱いたままでは素早く動けないから」
そう言ってそっと地面に降ろされる。高国の表情は固かった。
「たかくにさま……」
高国を置いてだなんて。そんな事、とてもできなくて、なかなか走り出せない。
「邪魔だ」
男のうちの一人が突然シイの脇腹を蹴った。
「シイ!」
悲鳴を上げることもできず、道の端に転がる。
蹴られた腹と、擦りむいた手足が熱くなるが、そんなことを構ってはいられなかった。急いで高国の方を見るが、屈強な男たちに囲まれて、見えなかった。
「たかくにさま!!」
男のうちの一人に噛みつく。
「——っいってえ!この、クソガキが!」
今度はもっと強く蹴り飛ばされた。
キャイイイィン——獣のような泣き声が出てしまう。
「シイ!屋敷に帰っているんだ!」
高国の強い口調に、シイははっとする。
——ぼくがいても、たすけられない。
シイは振り切るようにして駆け出した。




