壱拾伍
朝食後に高国がお粥を持って離れに入ると、シイは着物にくるまったままだった。
気配で、何となく起きているのが分かる。高国が入ってきたことが分かっているはずなのに、身動き一つなかった。
「シイ?」
声を掛けるとやっと、もぞもぞと顔を覗かせる。
「朝の粥を貰って来た。食べられそう?」
「……ん……」
あれほど食事好きだった子とは思えない反応だ。
傷の治りも良く、随分と回復したものの、シイはすっかり意気消沈していた。そろそろ動き出してもいいだろうに、布団から出ることもせずにいる。
痛むのか、と聞いても。しんどいのか、と聞いても。
はっきりとした返事は帰ってこない。首を微かに振るだけだった。
漢方の入ったお粥は、薬草の香りがしている。味の強いものは入れていないし、それが不味いというわけではないと思うのだが、食もすっかり細くなってしまった。
盆を置いて布団をそっとめくる。
シイは丸まったまま、更に丸くなって身を固くした。
「——起きてごらん。食べさせてあげるから」
シイは首を振って、起き上がった。
「——じぶん、で」
「そう?」
のろのろと器を受け取って、匙でゆっくりと口に運ぶ。
怪我をする前まではあっという間に食べつくして足りない様子だったのに、今では無理やり食べているように見える。時間をかけて咀嚼し、嚥下して。
「シイ……なかなか元気にならないね」
まだ半分も減っていない器を見て、高国がそっと話した。
「めん……なさい」
「怒ってないよ」
カタ、と匙が器に当たって、止まる。食べようとしても、欲しくないのだろう。手が止まってしまった。
高国がそっと器を取る。まだ温かかった。
シイはこの数日でもともと痩せていたのに、もっと痩せ細ってしまった。触れた手が骨だけになってしまったみたいだ。
「このままでは心配だ。どうして元気が出ないのか、私に話せないか?」
「え……」
「傷が痛むとか、体が重いとか」
本当は、そうじゃないとわかっている。気持ちの方が落ち込んでしまっているようだった。
一体この小さな体で何を悩んでいるのか、教えてもらえないだろうか。
「ぼく……へいきなの」
しばらく待ってようやく出てきたのは、そんな呟きだ。
か細すぎて消えてしまいそうな声だった。
そうは見えない——思い詰めた様子に、そうとも言い難く、沈黙が流れる。
「へぃきじゃないと、だめなの」
ぼそ、とまた呟く。
「どうして」
「ひとりで、ちゃんと、いきてくんだって。シイはもう、いちにんまえ、だろって。ばあちゃが」
ばあちゃんの、死に際の言葉だ。
——いいかい、シイ。お前は一人でやっていくんだ。つらくても、苦しくても、痛くても、腹が減っても。何とかして、歯ぁくいしばって、踏ん張って生きていくんだぞ。
……ああ、心配だよ。お前は泣き虫で、寂しん坊だから。
そう言って、棒切れみたいになった手で、ばあちゃんはシイを抱き締めてくれた。
そうして抱き締めたまま、ばあちゃんは少しずつ冷たくなっていった。
一人前になって、一人で生きて行かないといけない。そう言われていたのに。
去年の冬ごもりは本当に悲惨だった。
十分に食料を蓄えることもできず、穴も一人では凍えてしまって。寒さと飢えで、何度も死ぬかと思った。雪を食べ、木の皮をかじりながらずっと丸まって耐え忍んだ。
空腹も、寂しさも耐えられなくて。だから春以降は、危険を承知で人里の方へ足が向かった。
そうしたら結局、こんなことになって。
「たかくにさまに、あまえちゃったから、だめだったのかなあ」
だから、ちゃんとシイも恩返しをと思って、椎の実を採りに行ったのに。
「ぼく……だめだった」
声が掠れている。
「何が?」
「たかくにさまに……おいしいみ、あげたかったのに」
怪我をして、それもできなくて。
迷惑をかけてしまった。こんなに世話をかけてしまったら、いくらお金持ちで優しい高国だって、きっと面倒に思う。嫌になってしまうだろう。
そう想像すると心底恐ろしくなる。
一人に戻る事がつらいと思っていたけれど、それよりもずっと、高国に嫌われることが怖い。でもどうしていいかわからなくて、食欲もなくなり、ただ丸まって怯えて過ごすしかなかった。
「私は、お前が帰ってしまったのかと思って、実は少し寂しく思ったんだ」
高国はシイの前髪を少し掬い取った。俯いて表情が見えなかったから気になって少しかき分けたものの、固く閉ざされたような睫毛しか見えない。
「シイ。——信じてやれなかった、私も未熟者だ」
「みじゅ……?」
「半人前、って事」
「たかくにさまは、すごいよ!ぼくとはちがって……」
やっとシイが顔を上げた。高国は苦笑して見せた。
「布袋なら、ちゃんと持っていたよ」
そう言って高国はすっと立ち上がり、部屋の隅にあった桐箱を開けた。
中から黒ずんだ袋を持って戻って来る。じゃら、と音がして、中に木の実のようなものが入っているのは分かっていた。
「それ……」
「血だらけになっていたけど、離さなかったから、そのまま置いておいたんだ」
本当は、人の姿に戻っても食いしばって離さなかった。何度も抱き締めて撫でて、声を掛けてようやく力が緩んで離した。
「っそ、それ、しいのみ!」
シイの目に久し振りに光が灯った。
「すごく、おいしいの。たかくにさまに、たべてほしくて」
「これを……?」
少し血で汚れてい入るが、中からは茶色く光沢のある実がごろごろと出てきた。よく里山に転がっている、どこにでもあるような実に見えるけれど。
ドングリを食べるという発想がなかった。
「食べたことないな」
「ひにいれると、もっとおいしいって、ばあちゃんがいってたの」
「ああ、栗みたいに、炒ったらいいのかな」
少しだけ元気になったシイを見ると、それだけで安堵した。
「——ねえ、シイ」
高国はそっとシイの手に布袋を乗せて、その上からシイの小さな手を握った。
「ありがとう、シイ。でもね、シイは何も気にしなくていいんだよ。私は、シイがここにいてくれたら、それだけで嬉しいんだ。シイに何かあったらと思うと、その方がとても心配する。今回みたいに、怪我をしてしまうと。迷惑とかじゃなくて、ただ、心配なんだ」
「——————うん」
心配は、分かる。
シイもばあちゃんがどんどん弱っていくのを見るのは本当につらかったから。
「めいわくじゃ、ない?」
「ああ。ただ、すごく心配した」
迷惑でないと再度聞いて、ほっとするよりも、申し訳なく思った。すごく、心配をかけてしまったんだ。
「きをつけるね。ぼく、だいじにする」
その言い方に、高国はふっ、と笑いを漏らした。
「そうだね。大事にして」
片手に持ったままだった粥の器をシイの前に見せる。
「——どうかな、もう少し食べられる?」
「うん」
シイは今度は少しずつ、それでもしっかりと完食した。




