壱拾参
幸い、シイの傷は出血が多かったものの致命傷には至らず、呼びつけたお抱えの医者の適切な処置により、止血も行えた。
ただ、これまでの栄養不足と小さな体に対して、傷と出血が大きすぎた。
青白い顔で死んだように意識を失ったままのシイに対し、医者は「おそらくは」回復するだろうと診断した。
「傷自体は、ふさがれば致命傷ではありません。あとは、この子の体力生命力によるものかと」
「そうか……」
「ご回復をご祈念申し上げます」
そう言って深く頭を下げ、医者は薬を置いて部屋を後にした。僧侶でもあるから、その言葉通り祈祷を行ってくれるのだろう。
高国はお礼を言って医者を見送った。
シイの一番ひどい傷は、肩から腰に袈裟懸けとなった爪の跡だ。鋭利な爪で深くえぐるように傷ついている。逃げながら背後を襲われたのだろう。元々足を怪我していたから、いつもほどは素早く逃げられなかったはずだ。それでも足を止めず走り続けられた。
今は薬を塗られ、しっかりと布で抑えるようにして包帯が巻かれている。
「——よくやった」
そう言って、痛々しい包帯をそっと撫で、シイの小さな手を握る。
迷わず自分の腕に飛び込んできたシイを思うと、少しでも疑っていたことを後悔した。
「う……うぅ……」
シイは苦痛に顔をしかめ、夢うつつにうめき声を上げていた。額に浮かぶ玉のような汗を拭い、そっと撫でる。
こんな小さな体で、こんな大怪我をして大丈夫なんだろうか。シイは傷の痛みに鈍感なところがあるから……だから余計、ここまで苦しんでいるのを見ると、たまらない。
「シイ……」
ただの日常の膳にあれほど感動するなんて、きっとろくなものを食べられてこなかったんだろう。着物もこんな寒い秋口に薄手の襤褸を着て。やっと温かい寝床と着物を得て、毎日食べれるようになったというのに。こんなところで死んでしまったら、あまりに可哀想じゃないか。
止血したものの油断すると包帯はすぐに血で染まる。高国は三日三晩、ほとんどと寝ずに看病した。
三日経った早朝、鳥の鳴き声に起こされるようにして、ようやくシイは目を覚ました。
全身が重く、瞼を持ち上げるのさえ難しい。
——熊に追いかけられて、必死で逃げているところまでは覚えている。
狭い木の間を選んで逃げていた。それが、熊の腕の一振りが、思っていた以上に威力が大きすぎて、 かわして潜り込んだ木の幹ごと抉られた。飛ばされたままにまた駆け出し、逃げるのに必死で痛みを感じる暇もなかった。
今は傷口が燃えるように熱い。
いつもの、高国の部屋だ。
その天井を見るだけでほっとする。ほっとすると更に、ずきずきと全身が痛むようだった。
「シイ——目が覚めたか」
天井をみつめていると、すぐそばで声がした。体がうまく動かなくて視線だけ移すと、高国が見下ろしていた。
「た……」
たかくにさま、と言いたいのに、喉が渇いてしまってうまく言えない。
「しー……話すのはまだ早いよ」
高国が水を含ませた布で口元を拭ってくれた。それに触れる高国の手も冷たくて、気持ちいい。
「火のように熱い」
そう言って心配そうにしている。
「ぼく……」
ちゃんと人間になれているだろうか。心配なのはそれだった。けれど、高国は特に何も言わないから、大丈夫だったのかなと思う。
「何も心配はいらないから」
不安そうにしていたのが伝わったのだろうか。高国の静かな声が響いた。
「ゆっくり、治すことだけを考えたらいい」
どうしてこんなに優しいんだろう。
今まで、優しくしてくれた人間なんていなかったのに。高国だけは、シイに優しくしてくれる。たくさんのものを食べさせてくれて、獲物の獲り方も、他にもたくさんの事を教えてくれて、助けてくれる。
シイは目頭が熱くなって、ぎゅっと目を閉じた。つ、と涙が落ちる。
「——シイ……どうして泣くの?痛いの?」
「ぼく……」
少しもうまくできなかった。
木の実を拾うのは得意分野だと思っていたのに。だから、こんな高貴な身分の高国でも食べたことがないって言う椎の実を贈りたいと思ったんだ。
おいしいね、すごいねって言ってもらいたかった。こんなおいしいもの知らなかったよって、きっと言ってもらえる、喜んでもらえるって思っていたのに。
それすら、できなくて、余計に迷惑をかけた。
1年前とおんなじだ。
次第に弱っていくばあちゃんに、柔らかくて栄養のある食べ物を採ってきてあげることができなかった。木登りすら上手にできなくて、熟れた実も見つけられず。
あの時、魚の獲り方を知っていたら、ばあちゃんはもう少し長生きしたんじゃないだろうか。
ばあちゃんが死んだ時から、結局、何一つできるようになっていないんだ。そう思うと、情けなくてたまらなかった。
体中が熱くて、うまく話すこともできない。
意識がもうろうとして、シイはそのまま眠った。
シイが気が付いてからも、熱はなかなか下がらなかった。
熱が上がるとしっぽや耳が出てくるから、高国は相変わらず離れで自分一人でシイの看病をした。
小さな体で必死に痛みと熱に耐えている姿は、ただただ可哀想に映った。
「——おおぃ」
離れの入り口の方から呼ばれて、高国ははっとした。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。夢か現か、頭が働かなくて、聞き慣れた声が夢だったろうかと思う。
「高国ー?」
——いや、現実だ。名前を呼ばれて飛び起きた。
目の前のシイは、まだ熱が引かず、赤い顔で眠っている。
「ただいま参ります」
返事をして入口まで歩いて行き襖を開けると、高氏が立っていた。
今帰り着いた所のようで、旅装のまま。編み笠を肩に掛け、直垂の上に布袋も背負って降ろしていない。草鞋も足袋も土で汚れていた。
門をくぐって、そのままこの離れまで来たようだった。
「兄上……!」
そう言えば、先ぶれが来ていただろうか。いつもならいつ帰るか聞いて、出迎えの準備もしっかりと行っているのに。——今回は、余裕がなくてまったくその準備にも、出迎えにすら参加できなかった。
情けないことに、ほとんど忘れていた。こんなことは初めてだ。
「申し訳ありません……」
頭を下げると、目の前に立つ高氏の腹の辺りが見える。顔を上げるより前に高氏の手がポン、と肩に乗った。
「いいんだって。気にするな。母上から、医者を呼んだと聞いたぞ。——あのちびか?」
「はい……」
後ろを振り返ると、シイは人の姿を保っているようだった。眠ってはいるようだが。
草履を脱ぐのは面倒なので、高氏が背を伸ばして中を覗き込んできた。
「何があった」
「熊かと思うのですが……山で、襲われたようで」
「怪我、ひどいのか?」
「傷自体は致命傷ではないと……ただ、元々小さくて弱いので」
「そうだな、ガリガリだったもんな」
高氏が入り口の縁台に腰掛けた。濡れ布巾でも——と思って立ち上がる高国だったが、片手で制止される。
「いいんだ。茶もいらない。これを渡したかっただけで」
そう言いながら、高氏は肩に掛けていた布袋を外した。口を開くとごろごろと紙に包まれた色々なものが出てくる。
「どれだったか……あ、これだ」
ごん、と置いた包みには、陶器で造られた壺のようなものが入っていた。開けてみると、ぷんと薬草の匂いがする。
「万能薬だって。擦り傷、切り傷、火傷、凍傷、それから……なんだったか、とにかく傷と言う傷に効くって言う」
鎌倉には珍しいものを売る商人が集まっている。中には詐欺まがいのものも多いのだが、まさか。
そう思った高国の心を読んだのだろうか、高氏が明るい声で笑った。
「ここまで言われると怪しいなって思うだろ?でも、本当に私の打ち身が綺麗になったんだ」
高国の手に、その壺を乗せた。
「これを塗ってやれ。傷も綺麗に治るだろうさ」
「ありがとうございます……」
「あとは——」
置物や本といったたくさんの土産の中から、もう一つ紙袋に入っていたものを渡される。
「本当は、こっちをちびにって思って」
「これは……」
「滋養強壮にいい漢方だって」
軽い包みを開くと、独特の匂いのする乾物がたくさん入っていた。漢方とは、随分と高価なものだ。
「何かの根っこだの、実だの、有名なニンジンと……あ、これは熊の肝って言ってたかな」
「……………」
元々そういうものがあるのは知っていたが、ちょっと抵抗がある。
「粥に混ぜてやれ」
「ありがとうございます」
「半分悪戯心で買ってきたんだが。こんなことになってるとはな」
「はい……」
高氏はじっとシイの顔を見て、それから高国を見た。
「回復してきてるんだろ?お前の方が顔色が悪いくらいだぞ」
確かに、もう峠は越したのだと思う。なかなか良くならないのは、元々の体力のせいなだけで。
高氏はやれやれ、と言うように立ち上がった。
「それにしても、面倒見がいいじゃないか」
「そうでしょうか」
「ああ。拾い猫にしても、迷子にしても、すぐに誰かに託していた奴が」
確かに、シイもすぐに寺に預けようかと思っていた。
けれど、あの様子を見ていると。
布団の中で、寂しい、と泣きそうなシイの様子を見ていると。
今日まで放ってはおけなかったのだ。
「——まあ、私はお前の方が心配だ。お前もしっかり休めよ」
そう言って高氏は母屋の方へ立ち去って行った。
高国のシイへの感情は、今の所は同情に近いです
いつもありがとうございます。
更新頻度がすこし落ちます。すみません。




