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彼の方の、可愛い小さな化けたぬき  作者: サイ


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1/6

お読みいただきありがとうございます!


年末らしく、時代物を……


お楽しみいただければ幸いです

 キャイイィィィーーー!!

 森の中に獣の悲鳴が響いた。

 ——あぁ、やっちゃった!!鳴き声が出ちゃった!

 思わず口を押さえたものの、あまりの痛さに涙が滲んだ。

「いたいいたい、よぉ……」

 落とし穴——これは、獣のための罠だ。

 落ちた時に背中を打ち付けて、息が止まる程の衝撃と痛みに頭が真っ白になった。

 森を駆けていたら突然足を取られて落ちて、更に運の悪いことに、足を怪我してしまったらしい。荒い息を整えていると、次第にじんじんと足の痛みをはっきりと自覚する。

「ああ、いたぃ……うぅ……やっちゃったあ……」

 ぐすん、と洟をすすりながら痛む足をさする。小さな手でいくらそこを撫でたって、この落とし穴から抜け出す程には回復しないだろう。温かい血でぬるりと手が汚れると、情けなくてまた涙が出てきた。

 落とし穴には竹を削ってとがらせた、杭のようなものが刺してあった。目の前にそれが何本か見えて、肝が冷える。落ちた場所が悪かったら一突きで死んでいたかもしれない。足を掠っただけで済んだのは運が良かった。

 いや、これでは助かったとは言えないかもしれない。

「ばあちゃ……」

 声に出すと、寂しくてつらくて、胸がギュッと痛くなった。その胸を押さえながら目を閉じると、ばあちゃんの顔がはっきりと思い浮かぶ。


***

 

「いいかい、シイ」

 ばあちゃんはしわがれた声でそう言って、じっとシイの顔を覗き込んだ。

 シイはぱちぱちとまばたきを繰り返した。

「どしたの、ばあちゃ」

 ばあちゃん。

 シイはまだ3つで、まだうまく、ばあちゃんって言えない。

 ばあちゃんはたった一人のシイの家族だった。シイの記憶には、この小さな洞穴でばあちゃんと二人で暮らしている事しかない。ばあちゃんは白い髪に、ほとんど見えてない白く濁った目をしていた。足腰が弱ってもう狩りにもいけなくなって、最近ではシイがあちこちから木の実を採ってきている。

「たくさんご飯を集めれられるのは、すごいけどね。あの鳥居の向こうには、行っちゃならねえよ」

「とりぃ……」

 生い茂る木々をかき分けて山を下って行くと、一際大きな松の木があり、そこから鳥居が連なっている。

「なんで?」

「おそろしい、その先には恐ろしい奴らがいるからじゃ」

「うっそだあ!」

 シイは笑い飛ばした。笑うと、まだ乳歯が抜けたばかりの歯抜けが目立つ。

「おまえ……」

 しまった。

 シイは両手で口を押さえた。

「こら、シイ!おまえ、鳥居の向こうへ行ったね!?」

 小さなシイの手をぎゅっと握る手の、どこからそんな力が出ているのか。ものすごく強かった。

「い、いってないよ」

「ばあちゃんに嘘は通用しないよ?」

「う……でも」

「正直に言うなら、ばあちゃんが今朝見つけたアケビをやるのに——」

「いった!いったよ。でも……いっかいだけ、だよ?」

 ばあちゃんはすごく深刻な顔をして溜息をついた。

「……危ないからダメだって、ばあちゃん言ったろう?」

「でも、ばあちゃ。なにもなかったよ?」

「何もないように見せてるんだ。こっちの山に入られたら困るからね」

 一見すると、ただの打ち捨てられた山中の古い神社。しかし、その連なる鳥居は迷い道のまじないがかかっている。

「鳥居の外から覗くと、見えるだろ?人の世が。あっちからも見られたらどうする」

「みえちゃ、だめなの?」

「人間は恐ろしいものだ。近づいちゃ、ならねえよ」

 シイはじっと手を見た。

「これと、ちがうの?」

 シイは今、人間の姿をしている。ばあちゃんだって、どこから見たって人間に見えるのに。

 このまま人間の里に行ったって、ばれやしないと思うんだ。

「シイ。あいつらはね、自分達と少しでも違うものには、ものすごく敏感なんだよ」

「びんかん……?」

 難しい言葉がよくわからなくて、シイは首を傾げた。

 ばあちゃんはシイの頭をゆっくりと撫でる。すると、茶色い髪の毛の間から、ひょっこりと丸い耳が覗いていた。そこに当たる度、ぴょこぴょこと耳が動く。

 ばあちゃんは優しい顔で目を細めた。

「おまえはたぬきの血が半分こだからね。どうしたって、化けるのがうまくいかない」

 シイはむっと口を結んだ。

「ぼく、できるもん!」

 そう言って、集中すれば頭の耳は引っ込んだ。ばあちゃんは今度はつん、としっぽをつついた。

「あっ」

 シイのお尻からは茶色に黒い縞の入った太い尻尾が生えている。慌ててそれをしまうと、今度はまた耳が出てくる。

「ううー……」

 ばあちゃんはシイの手をそっと握った。

「ほら。この手だって、こりゃ、たぬきの手じゃないか」

「これが……?」

 手はうまくできていると思ったのに。

 ばあちゃんの掌に載せられた自分の手を見ると、確かに肉球が残って、ぷりぷりしていた。ばあちゃんの手はしわくちゃだけど、ちゃんと人の肌の色をしているのに。

「いいかい、一本松から向こうには行っちゃいけないよ。わたしらは、この森の中で生きていくんだ」

「でも……だったらどうして、ひとにばけるの?」

「この姿の方が、襲われないからさ」

 そう言ってばあちゃんはアケビをくれた。

 シイはそれを半分に割って、ばあちゃんと一緒に食べた。


***


 それが1年くらい前の事。

 シイはやっぱり、人里を諦められなかった。

 ばあちゃんの言いつけは守らなきゃと思ったけど、一人で過ごす森は寂しすぎた。少しずつ少しずつ山を下りて、鳥居を越え時々村を覗いては、また山に帰って行く。そんな日々を送っていたら、こうして罠にかかってしまった。

「ばあちゃ、ごめん。ぼく……」

 ぽたぽたと涙がこぼれた。

 言う事を聞かないからこんなことになってしまった。

 その時。

「おい、かかってるぞ!!」

 少し遠くから人間の声がした。シイは血の気が引いていくのを感じた。

 足音がどんどん近づいてくる。二人分の、走ってくる足音だ。

「ほら、痕跡がある!」

「——兄上、危険です」

「聞いただろ、さっきの獣の声!そんなに大きくないって——」

 ざっ、と落ち葉を踏む音。シイは身を縮めながらも上を見上げた。

 穴の上から覗き込む顔が二つ——。

「——あれ?」

 拍子抜けした、というようにそのうちの一人がシイを見た。

 兄弟だろうか。まだ若い年頃の二人だった。

 着ている衣服は、シイが知っている木綿や麻じゃなく、絹の直垂(ひたたれ)だ。しかも色は藍色と紅葉色で、明らかに高貴な身分の子どもが着る服だった。

 身を乗り出して覗き込むのは、兄上と呼ばれた方だ。体つきもがっしりとして良く日焼けした、いかにも若武士といった出で立ちだ。頭には折烏帽子(おりえぼし)を被っている。

 その手に持ってるのは、弓だ。あれはすごく危険だって、ばあちゃんが言ってた。

「あれぇ?鳴き声しなかったか?イノシシか何かがかかってるかと思ったのに」

 がっかりしながら、おおい、とシイに向かって声を掛けた。

「お前、大丈夫か?こんなところで何してんだ?」

 シイは慌てて頭を押さえた。

 耳——出てない。

 お尻も触ってみる。

 しっぽ——出てない。

 うまく化けられている。

「ぼ、ぼく……」

 はっきり喋らなきゃ。でも、何て言ったらいいのか分からなかった。

 時々人間の里に下りてみて、人々の話を盗み聞いて色々と勉強しているけど。シイはまだまだ、知らない事ばかりだった。何と言えば怪しまれないのだろうか。

「わかんない……」

「はあ?——ほら」

 手を差し出されて、咄嗟に身を引いた。

「どうした?手を掴め」

 差し出された手は、かろうじて届くほどの距離だ。ごつごつしていて、刀を良く握っている手だ。

 野生の中に生きてきたシイにとって、突然誰かの手を取るだなんて、かなり難しい。おろおろとしていると手の主がしびれを切らした。

「早くしろよ。置いて行っちまうぞ!」

「ひっ……」

「兄上。怯えています」

 助け舟を出してくれたのは、弟の方だった。

 先ほどから、この人は一度も声を荒げていない。一歩下がっていたところから兄と並んで穴を覗き込んだ。兄の方とは対照的に、色が白く、すらりとした体形で、公家(くげ)と言われても納得できる雰囲気だった。高貴な人の身に着ける藍色の直垂だから、余計に肌が白く見える。

「いや、だってこいつが……」

「まだ幼子ではないですか」

 言ったかと思うと、ひょい、とその人はシイの横に飛び降りた。驚くほど軽やかな動きで、上手に竹をよけて降り立つ。

「——怯えなくても、大丈夫だよ。助けてやるから掴まりなさい」

 すごく優しい声だ、と思った。

 シイはまじまじと相手を見つめてしまう。艶やかな黒い髪が緩く一つに結われているから、はらりと落ちて揺れている。涼し気な目元は、引き込まれるような雰囲気があった。

「ほら」

 目の前に膝を折って手を指し出される。シイはほとんど無意識でその手を取った。

 ぐい、と引っ張られて、あっという間に抱えあげられる。

「うわっ」

 持ち上げられたら、どこかおかしくないかな。シイは慌てて見を固くする。

「軽いな。——大丈夫、落とさないから」

 ぽんぽん、と背中を叩かれて、声が体から響いてくる。細いと思ったけど、この人もすごく鍛えている体だ。

 大きな体に抱き締められて、久しぶりの誰かの温もりを感じた。

 シイは何故だか泣きそうになった。

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