オリオンに啼く
ドーナツショップが何時に閉まるのか。
そんな事は問題ではない人の方が多い。
だけど今の私には結構大きな問題だったりする。
仕事が忙しかった日は体が甘いモノを欲する。
そしてその甘いモノを具現化した物が、今日の場合はドーナツだ。
仕事を終えて助手席にバッグを投げ出し、そのまま駅前にあるドーナツショップへと車を走らせた。
カーナビの画面にタッチしてお気に入りのオリオン・サンの曲を流す。
私は昔からあまり有名な曲に興味が無い。
学生時代に付き合っていた彼に、
「流行とかって興味ない訳……。それじゃ、友達との会話にも付いていけないだろ」
と、一言言われて別れた事があった。
その彼の言う流行が、私の聴く音楽の事なのか、服の事なのか、見ているDVDの事なのか、今でもわからないのだけど。
まあ、その彼と別れた事も今となっては良かった。
おかげでちゃんと勉強に集中出来て、国家試験にも一発で合格した。
良かった。
まだ開いてる……。
駅前に見えるドーナツショップの明かりが見えて私はホッとした。
勿論、ドーナツの種類なんて贅沢な事は言ってられないと思うけど、とにかく、今晩はドーナツを食べる事が出来そうだ。
私はドーナツショップの前に車を横付けにして、助手席のバッグを取りドーナツショップへと入った。
もう客もショーケースの中のドーナツも疎らだったが、とりあえずトングとトレイを取り、これでもかと言わんばかりにドーナツを買った。
一箱に収まらないが良いかと声の小さな店員に言われたが、そんなモノは良いに決まっている。
一箱に収めるためにドーナツを買う人の方がおかしい。
食べたいから買うんだから、何箱になろうが良いんじゃないかと思う。
とりあえず、それを部屋に帰って全部、一人で食べる事がバレなければそんなに恥ずかしい事でも無い。
電子マネーで支払いを済ませると、私は店を出た。
店の前に停めた車も心配だったし、それ以上に早くドーナツを食べたい。
店員のマニュアル通りの「ありがとうございました」の声を背中越しに聞き、店の外に出た。
その瞬間に何かが私にぶつかり、袋に入ったドーナツの箱は見事にアスファルトの上を滑って行く。
「気を付けろ」
私の頭上からそんな声が聞こえ、初めて人とぶつかった事を認識した。
私はゆっくりと立ち上がり、とりあえずドーナツの箱を拾った。
良かった、中身は無事な様子。
「居たか」
「いえ、向こうですかね……」
私にぶつかったと思われる男はもう一人の男と話をしている。
アスファルトに手を突いたの何て何年振りだろう。
しかし、男はそんな私の事など気にも掛けていない様だった。
「とにかく見付けろ。鉛食らってるんだ。そんな遠くには行っていない筈だ」
ん……。
鉛……。
私は文句の一つも言ってやろうと思い、その男に近付いたが、そんな言葉を聞いて怒りを飲み込んだ。
ヤクザか……。
私はスカートに着いた汚れを手で払い、路肩に停めた車に乗り込んだ。
バッグとドーナツを助手席に置いて、エンジンを掛けた。
車窓から二人のヤクザが走って行くのが見える。
「あんな奴ら、この世から居なくなれば良いのに……」
私はそう呟いて、車を走らせた。
そんな事より早く帰ってドーナツを食べたい。
多分、私は何時もより深くアクセルを踏んでいたと思う。
国道に出る手前の信号で止まり、ウインカーを出しながら右折レーンで停車した。
直ぐに信号は変わり、前を走るバスの後ろをついて行く様に国道へと出る。
ドリンクホルダーに置いている電子タバコを手探りで取り、ボタンを押した。
十秒程で電子タバコのデバイスは振動して吸える様になる。
私はサンルーフを少し開けて、タバコを吸う準備をした。
デバイスが振動し、私はタバコを咥えた。
「タバコは百害あって一利無しだぜ」
そんな言葉と同時に私のこめかみに硬いモノが押しあてられた。
「そのまま走らせろ」
ルームミラーを見て、後部座席に座っている男と私のこめかみに当たっているモノが拳銃だという事が確認出来た。
残念ながら、突き付けられている拳銃が本物なのかどうかまではわからなかった。
しかし、後部座席の男がさっきの二人と同類の人種だというのは身形で判断出来た。
そして、男の額には汗が浮いていた。
「何なの……」
私は何を訊けば良いのかわからず、とりあえずそんな言葉を発する。
「黙って運転しろ……」
男はそう言うと私のこめかみから銃を離したが、銃口はまだしっかりと私の方を向いていた。
私は無言で頷き、電子タバコをドリンクホルダーに戻した。
カーナビからは静かにオリオン・サンの歌声が流れている。
「オリオン・サンか……」
私は男の口からオリオン・サンの名前が出た事に驚いた。
「良い趣味してるじゃないか」
私は嬉しくなった。
「あの……」
そんな言葉を絞り出す。
「何だ……」
男は痛みを堪える様な声で答える。
「ど、何処に向かえば……」
私は、ルームミラーを見ながら訊いた。
男は銃を構えたまま、シートに背中を付けた。
腹部を押さえているのが見えた。
それでようやく理解出来た。
ドーナツショップの前でぶつかったヤクザが言っていた「鉛を食らっている」という男がこの男だという事。
「お前、家に誰かいるのか……」
男は苦しそうに私に訊いた。
私は無言でゆっくりと首を横に振る。
「一人にしてはドーナツの量が多いな……」
男は鼻で笑っていた。
そしてゆっくりと身体を起こす。
「お前の家に行け……」
そう言うと助手席のドーナツの袋に手を伸ばし、袋ごと後部座席へと持って行く。
ちょっと……。
それ私の……。
そう思ったが、声にはならなかった。
男はガサガサとドーナツの箱を開けて、食べている様だった。
「あなた……。撃たれたの……」
銃口がこっちを向いていない事をルームミラーで確認し訊いた。
「さっきぶつかったヤクザが言ってたから……」
男は口の中をドーナツでいっぱいにしながら、
「そんな事、お前に関係ないだろう」
そう答えた。
「黙ってお前の家まで行け。後の事はそこで考える……」
出血量から見て、多分、この男は一晩で死に至る。
「あなた、死ぬわよ……」
私は信号で止まった。
男はニヤリと笑い、
「何でそんな事わかるんだよ……。お前死んだ事でもあるって言うのか」
男は食べ掛けのドーナツを箱に投げ入れる様に戻すと、また私に銃口を突き付ける。
私は突き付けられた頭を傾けながら、
「医者なのよ……。私……」
と答えた。
「悪い事は言わないわ。このまま病院に行きましょう」
突き付けた銃口で更に私のこめかみを突く。
「馬鹿言うな……。そんな事したら警察に連絡が行くだろう……」
男は口の中のドーナツを飛び散らせながら言った。
私は溜息を吐き、
「死ぬよりは良いかと……」
と言い、また車を走らせる。
「お前には治せないのか」
男は苦しそうにまた後部座席のシートに沈む。
「道具と薬があれば出来るけど……」
「そうか。じゃあお前がやれ……」
男は銃口をまた私の方に向けた。
「馬鹿言わないでよ。道具も薬もコンビニでは売ってないわよ。それに多分、輸血も必要だと思うし……」
男は銃を持った手を下ろした。
そして、項垂れて、目を閉じた。
私は、岬の傍にある診療所の前に車を停めた。
そして、その診療所の戸を叩いた。
暗い診療所に明かりが灯る。
「はいはい……。どうした」
中からそんな声が聞こえ、建付けの悪い戸が開いた。
「何だ。玖瑠美か」
父は、下着の上にだらしなく白衣を羽織った姿でそう言った。
「どうしたんだ……、こんな時間に」
父は診療所の外を見渡す。
「説明している暇は無いの……。ちょっと手伝って」
私は、車を指差して父に言う。
父は既に酔っている様子で、白衣の前を閉めながら車の後部座席で気を失っている男を覗き込んだ。
「おいおい。うちは野戦病院じゃないぞ」
父は後部座席に上半身を突っ込んで言う。
「いかんな……。こりゃ急がないと……」
父は私に診療所から車椅子を持って来いと言い、男の身体を車から引っ張り出す。
私は古い車椅子を押して、父と二人で男の身体を乗せた。
私は男の血の付いた上着を脱いで、待合の長椅子に投げ捨てる様に置いた。
「とりあえず、止血だ」
父と二人で、手術台に男の身体を乗せた。
思ったよりも出血は無く、太い血管は傷付いていない様だった。
「お父さん」
私は、止血をしようとする父の腕を掴んだ。
父は振り返った。
「後は私がやるわ……。お父さんは関係ない事にして」
父は私の顔を見て微笑む。
「そんな事出来る訳無いだろう」
「私が勝手にやった事にして……」
「出来る訳無いだろう」
「お願い……」
「出来る訳無い」
父は声を荒げる。
「良いか玖瑠美。お前も、俺も医者だ。法律がどうとか、患者が誰だとか、そんな事は後で考えれば良い」
私は、真っ赤に染まった両手を握る。
「まずは目の前の消え掛けている命を救う事……。それが医者の仕事だ」
父はそう言うと微笑み、頷いた。
男の身体から弾を抜き、傷口を縫合するまで、父は十分程で終わらせた。
父の助手をした事など初めてで、その手際の良さに私は圧倒された。
一部屋しかない病室に男を移し、血で汚れた診療所の掃除をした。
私は車に戻り、後部座席の男の血液を拭き、ドーナツの箱を持って診療所に戻った。
父は既に焼酎のお湯割りを飲みながら。
静かな診察室で寛いでいた。
私がその様子を部屋の外から見ていると、父は私の姿に気付き、手を上げて微笑む。
私も微笑み、手に持ったドーナツの箱を見せた。
「ドーナツ食べる……」
そう言って父の前にその箱を置く。
父は無類の甘党で、私が甘いモノを強烈に欲する事があるのはそのDNAが原因なのかもしれない。
父はドーナツの箱を開けて、中を覗き込む。
父は箱の中の男の血の付いた食べ掛けのドーナツを摘まむ様に手に取ると苦笑して、ゴミ箱に捨てた。
「ドーナツに罪は無い」
父は箱からドーナツを取ると美味しそうに食べ、焼酎のお湯割りで流し込む。
昔から変わらない。
甘いモノを食べながら酒を飲む父を見て、私は患者用の椅子に座った。
今まで気付かなかったが、診療所の外から微かに波の音が聞こえている。
「こんな町で医者をやっているとな、保険に入っていない患者や、今日みたいに、警察に届ける義務のある患者もやって来る。それでも同じ様に治療をする。それが町と生きるって事なんだよ」
父は二つ目のドーナツに手を伸ばす。
机の上に男の持ち物が置いてあった。
私はそれに視線をやった。
父は私の視線に気付き、
「拳銃は玉無しだった」
玉無しとは弾が入っていないという事の様だった。
私は胸を撫で下ろし、静かに頷く。
「名前は折尾健司。三十七歳。免許証の住所は都内だな……」
父は男の免許証を見ながら言う。
俯いて聞いている私を見て、父は男、折尾の免許証を机の上に置いた。
「まあ、お前を傷付けるつもりは無かったんだろうな……」
父は私の肩をポンと叩き立ち上がると、冷蔵庫から缶コーヒーを出して机の上に立てた。
「飲め……。酒が良いか……」
父は冷蔵庫の上に伏せてあったグラスを取る。
私は首を横に振り、缶コーヒーを手に取った。
正直、喉はカラカラに渇いていた。
父と母は私が中学生の時に離婚した。
私は母に引き取られ、父とは疎遠になった。
しかし、母は私が大学に入り、家を出ると同時に再婚し、私の戻る家は無くなってしまった。
医者になった私が、父が今、どうしているかを調べるのは容易い事で、海しかない田舎町の診療所に居る事は直ぐにわかった。
それから何度かこの診療所には来ていた。
「まあ、お前に会えるのは嬉しいが……」
父は三つ目のドーナツを物色しながら言う。
「危ない事には首を突っ込まないでくれ」
父は顔を上げて微笑んでいた。
朝方、私は自分の部屋に戻り、熱めのシャワーを浴びて仮眠する事にした。
本来の休日ならば夕方まで寝ている事、寝ないまでもゴロゴロしながらテレビを観ている事もあるが、今日はそうもしてられず、少し眠ると着替え、又、父の診療所へと向かった。
診療所に入ると、年中日に焼けた老人を診察している父の姿があった。
父は私に気付き、微笑むと、折尾の居る病室を顎で指して合図をする。
私は頷いて、病室へと向かった。
病室を覗くと上半身を起こし、窓の外の海を見ている折尾の姿があった。
「起きたのね……」
私は折尾に声を掛け、病室へと入る。
折尾は私を見て、
「ああ……。オリオン・サンの先生か……」
と言う。
私は微笑み、折尾のベッドの横に椅子を出して座った。
折尾はバツの悪そうな表情で顔を伏せる。
そして、
「昨日は済まなかったな……。お陰で助かった」
静かにそう言う。
私は何も答えず、窓の外を見た。
すると折尾も私の視線を追う様に窓の外を見た。
「良いところだな……」
折尾は眉を掻きながら呟く様に言った。
「俺の生まれた町もこんな風に海の見える町だった」
冬の荒い波の向こうを見ている様子は、昨日の折尾のイメージとは全く違っていた。
「海しか無い町が嫌で嫌で仕方なくて、いつの間にか東京に来て、ヤクザもんになってた。その結果がこの様だ」
そう語る折尾の横顔がとても切なく見え、ただじっと見つめる事しか出来なかった。
折尾は私を見て不器用に微笑む。
そして、
「ヤクザになってどれだけ強がっても、撃たれりゃ血も流れるし、痛てぇし……。こんな風に迷惑もかける……」
腹に巻かれた包帯を見ながら俯く。
私はあえて何があり、追われていたのか、撃たれたのかを訊くのをやめた。
「とりあえず、傷が完治するまで此処でゆっくり休んで……」
私は立ち上がり、窓の傍に立った。
「あなたを追ってたヤクザもこんな所に居るとは思わないでしょう」
私は白い波を見ながら折尾に言った。
「いや、動ける様になったら出て行くよ。奴らの情報網は半端じゃない。此処くらいなら直ぐに見つけ出す筈だ。これ以上迷惑は掛けたくない」
折尾の声が背中越に響く様に聞こえた。
「生まれ育った町に似てて好きだけどな……」
折尾は笑っている様だった。
私は振り返り、窓に背中を付けて折尾を見た。
折尾は目を伏せて、故郷の風景を思い出している様だった。
「凪の夜には静かな波の音が聞こえ、満天の星が見える。その星が凪いだ海に降り積もる様に見えるんだ。キラキラと輝いて……」
折尾が生まれ育った町を愛して止まない事が伝わる。
私は微笑みながら頷いた。
「もう帰る事も出来ない町だけどな……」
折尾は由布の尖った光の差し込む、海の町の窓の外をじっと見つめていた。
私は病室を出て、父の居る診察室の前を通りかかった。
もう患者の姿は無く、父は老眼鏡をかけてカルテを書いていた。
私の勤務する大学病院などと違い、まだカルテは手書きだった。
父は私の姿に気付き、椅子を回すと眼鏡を外した。
「玖瑠美。帰るのか……」
私は診察室に入り、父の向かいに座った。
「彼の服なんかを買って来ようと思って」
父は頷く。
「しばらくは動けんだろう。まだ良いんじゃないのか」
父は机の上に置いた湯飲みのお茶をすすった。
「色々と調べたが、警察の情報には彼の名前は無かった。事件にはなっていない様だ」
私は頷き、昨日見る事の無かった診察室を見渡す。
昔ながらの病院の風景がそこにはあった。
「警察には追われてないのね……」
父はコクリと頷く。
「しかし、ヤクザもんの方が面倒だ。警察に保護してもらう事も考えた方が良いのかもな」
私は立ち上がり、スカートのポケットに手を入れた。
父は立ち上がった私を見上げる。
「その辺は彼に任せましょう。動ける様になったら出て行くって言ってるわ」
「そうか……」
父は湯飲みを取りまたお茶をすすった。
「彼の服は今朝、裏で焼いておいた。他の持ち物は隠してある。服も俺ので良ければ少しはあるから……」
私は父に礼を言い、診療所を出た。
どうせこの町で折尾が着る服を売っている筈もなく、一度都内へ戻る事にした。
色々と買い込み、それを車のハッチバックの狭いトランクに放り込む。
そして昨日食べ損ねたドーナツショップへと向かった。
既に日は翳り始め、ドーナツショップの前に車を停めた時には街の看板には明かりが灯り始めていた。
私は昨日と同じ様にドーナツショップに入る。
昨日より時間が早いせいなのか、休日のせいなのか、昨日よりショーケースに並ぶドーナツの種類は多かった。
適当にドーナツをトレイに乗せるとレジで支払いを済ませる。
昨日と同じ小さな声の店員がドーナツを箱に詰めた。
私はドーナツを持って店の外に出る。
車のドアを開けて、ドーナツとバッグを助手席に置いた。
その時、コンコンと窓を叩く音が聞こえ、外を見ると昨日見たヤクザがそこには立っていた。
エンジンを掛けて、ウインドウを開けると、その男は、身を乗り出す様にして、
「お前、昨日も此処に居たな」
その顔は間違いなく私にぶつかった男だった。
「だったら何……」
男は一度周囲を見渡し、ポケットから折尾の写真を出した。
「昨日、この男、見なかったか」
私はじっとその写真を見た。
顔色を変えない様にして、
「知らないわ……。この男がどうかしたの……」
と答えた。
「いや、知らないなら良いんだ。忘れてくれ」
男はそう言うと車道の向こう側へと小走りに渡って行き、そこに停まっていた黒塗りの高級車に乗り込んだ。
私はその様子を見て車を走らせた。
父の診療所の前に車を停めると、トランクから折尾の服を出し、ハッチバックを閉めた。
今も海は凪いでいて、水面がキラキラを光っていた。
私は目を閉じて胸いっぱいに汐の香りを吸い込む。
此処も悪くないわね……。
私は大学病院の忙しい仕事よりも、父の様な医者になりたかったのかもしれない。
父の仕事を見てそう思った。
空を見上げると満天の星が輝き、唯一知っている正座、オリオン座が真上に陣取っていた。
ふと、我に返り、明かりの消えた診療所のドアを開けた。
中に入ると父が慌てて出て来た。
私はその父の形相に何かあった事を悟る。
「変な男から電話があった」
父は小声で言う。
「折尾という男が来なかったかと訊かれたよ」
私は険しい表情で、折尾の居る病室へと入った。
そして買ってきた服を折尾のベッドの上に置くと、
「着替えて……」
と言った。
折尾も何かあった事を悟ったのか、黙って病衣を脱ぐ。
傷口が傷む様子で、私は折尾の着替えを手伝い、買ってきたワイシャツを着せた。
ゆっくりとベッドから降りて、父が焼いたモノを同じ様なスーツを着せる。
「ヤクザの情報網を舐めるなと言っただろ」
折尾はニヤリと笑うと、その黒いスーツに袖を通した。
「世話になったな……」
折尾は靴を履きながら言う。
病室の入口に父が折尾の物を持って立っていた。
「どうせ、お前も一緒に行くんだろう」
父は微笑み、折尾の物を私に手渡す。
「言い出したら聞かない事は私が一番良くわかっている。私の娘だからな」
父は私の肩を叩いた。
「とにかく急げ」
父はそう言って病室を出て行った。
「お前にこれ以上迷惑を掛ける訳にはいかない」
折尾は左足を引き摺りながら歩き出す。
私はその折尾の腕を取った。
「馬鹿言わないで、そんな身体で何が出来るのよ」
私はそのまま折尾に肩を貸して病室を出た。
診察室の前に来ると、父が薬の束を私に渡した。
「これでしばらくは持つだろう」
私は頷いて、
「ありがとう」
と父に礼を言う。
折尾も父に頭を下げていた。
折尾を車の助手席に座らせて、私も運転席に乗り込んだ。
父は車の傍に立ち、昔の様にニコニコと笑いながら私に手を振っていた。
「オリオン座が見えるな……」
折尾は空を見て言った。
「オリオン座しか知らないんだけどな」
私はクスクスと笑った。
「私もよ」
そう言うとエンジンを掛けた。
そして一気に走り出した。
「俺は名前が折尾だから、ガキの頃オリオンって呼ばれてた。だからオリオン座くらいは知ってないと恥ずかしいだろ」
折尾は痛む腹を押さえて、色の無い顔で微笑んだ。
岬の向こうに父の診療所が見える。
そこに黒塗りの車が入って行くのが見えた。
「何処に向かうつもりだ……」
折尾は息を吐きながら言った。
私はカーナビから聞こえるオリオン・サンの歌声を聴きながら、
「あなたの言う星の降り積もる海が見たいわ……」
と言い、アクセルを踏み込んだ。




