1話 初めての食欲
人間の目を毎日何時間も、痛みなく攻撃することが可能なブルーライト。
そんなパソコンから放たれる可視光線をまるで太陽の光の如く燦燦と浴びながら、俺は羅列されている『探索者』の名前の横に報告を受けた『モンスターの素材』とその数を入力していく。
もう30年ほど前になるだろうか、日本で『ダンジョン』という奇妙な場所が発見された。
洞窟のような階層、森のように木々が生い茂った階層、太陽に似た何かによって明るさが保たれた階層、様々な特徴を持ったフィールドが幾重にも重なりできたそこは多大な資源を有し、あっと言う間に人間を魅了してしまった。
そしてダンジョンを探索して資源を持ち帰る『探索者』とそれを『雇用する企業』、さらにはこれらに介入して経済を発展させようと『探索者協会』が政府によって設置されるまでに至った。
俺はそんな中でも探索者を『雇用する企業』に属して探索者たちに指定の素材を依頼、報酬の計算、モンスターや素材のデータの収集まとめ、探索者用のアプリ運営等々をこなす日々。
とりわけこのアプリを通じて日中問わず探索者から上がってくる報告をチェックするのは中々の作業で今日も今日とて残業中、というわけだ。
時刻は20時を回り、夜勤の社員たちで社内が賑わい始めている。
以前までならここから朝までコースもざらだったのだけど……。
――『イージス』
この名前、というか活動名がパソコンの画面から消えてからはそんなことはめっきりなくなった。
本名での公表がデータを管理する俺たちにさえなされていないにも関わらず、その名前の知名度と実績によって社内だけでなく世間からも絶大な信頼を得ている探索者。
最近では『スキル』をダンジョン外で悪用するような輩もいて、探索者の評判は下がりがちだってのに『イージス』だけは不動の人気なんだよな。
と、いうわけで毎度毎度モンスターの素材や採取物の報告を送ってくるその人の名前を見なくなってからというもの俺は終電に乗り過ごしたことがない。
それどころかシャワーだけでなく湯船につかる余裕さえ生まれる始末で、利益が減って悲鳴を上げる会社とは裏腹に俺はまあまあ安寧の日々を手に入れてしま――
「――『竜瀬君』、まだそれ入力し終わってなかったの?」
「……すみません。でももう少しで終わります」
「はぁ。この量くらいもっと早く処理できないと……。うちがブラック企業だって言われてたのは『イージス』による仕事量の増加が原因じゃなくて社員たちの能力が問題だったんじゃないかしら……」
今日の業務に終わりがみえて手よりも思考が働き始めてしまった頃、女性が俺に声を掛けてきた。
女性の名前は『衛藤一紗』。最近ここの部署に移動してきた女性の上司で部長だ。
綺麗で凛とした顔つきによって社内の男どもからそれなりの人気を獲得しているけど、俺はそのせいで余計に圧を感じてしまう。
その圧、というかストレスのせいなのか、たまに変な頭痛が起きることもしばしば。
なぜか衛藤さんは俺に対してだけこう小姑みたいで……安寧の日々の前にまあまあがついてしまうのはこの人が影響しているせいでもある。
さてと……。歯向かうと今度は何を言われるか分からないから、いつも通り適当に謝っておこうかな。
「……すみません」
「……。ずっと気になってたんだどけね……竜瀬君、謝ったらなんでもいいわけじゃないのよ」
……。選択ミス。まさかそこをつつかれるなんて……。
もういいや、この説教時間分残業代多くもらえるってプラス思考に切り替えよ。
「……そ、そいうえば今日は私もそろそろなのよね。だから、その……後でとことんお話しましょうか」
「……。はい」
お説教用に別枠を設けてきたか……。面倒なことを……じゃなくていっぱい儲けれてラッキーだな。
「……。そ、それじゃあ終わり次第会社の入口で。外はちょっと寒いけど一緒に部屋から出ていくのはちょっと目立つから。あ、大丈夫だと思うけど打刻忘れしないようにね」
「……え?」
衛藤さんは俺の口から漏れ出た声にさえなっていない音を無視、そのまま去って行ってしまった。
まさかまさかの会社外でのお説教だなんて……これももうサービス残業で違法だろ!
「はぁ……。ただでさえ女の人と話すの苦手だってのに」
まったく意識していないのに勝手に零れるため息。
余計に動きが鈍くなる俺の両手。
そしてそれを見かねてか、それとも揶揄ってなのか普段あんまり話しかけてこない夜勤の社員がニコニコとしながら残っていた仕事を代わってくれたのだった。
◇
「――いらっしゃいませ!!」
そうして1時間ほどが経ち、時刻は21時15分。
11月の初め、例年より温かいとはいえ衛藤さんはずっと外にいたからか俺の手を引いて急ぐように居酒屋の暖簾を潜った。
すると店員さんはとびきりの笑顔であいさつ。
俺たちをワイワイと楽しそうに騒ぐ大学生らしい人たちを背にしている席、バーにも似た雰囲気のあるカウンター席へ案内してくれた。
身体が触れ合いそうになるほど近くて、時々肩が当たって……顔も近い。
衛藤さんの整った顔が発生させるプレッシャーはいつもの倍、いやそれ以上。
酒を飲んだこともあってか今日はいつもより長く弱めの頭痛が襲う。
こんな状態の俺相手、それにお説教が主題じゃきっと衛藤さんもお酒を楽しむなんてことはできないだろう、と思っていたんだけど……。
「――竜瀬君! もう一軒行くわよ! おーっ!」
「酔い過ぎですよ衛藤さん!」
「いいじゃない! 明日は休みなんだから! 朝帰り上等っ!!」
お説教は最初の15分程度で終了。
衛藤さんのグラスは恐ろしい速さで空と満タンを繰り返し、その口からは愚痴と俺に対してのプライベートな質問ばかりに……。
そうして最早普段のクールな様子がなくなってしまって愉快な上司へと変貌してしまった衛藤さんを見かねると、俺はその肩に腕を回し半ば無理矢理店の外に連れ出したというわけだ。
「まさか衛藤さんが酒でこんな風になる人だったなんて……」
「竜瀬君顔が暗ーい! 折角の私とのデートなんだからもっと嬉しそうにしなさいよ!」
「デ、デート!?」
衛藤さんから想像の斜め上の言葉を聞いて驚く。
すると衛藤さんは軽く走って俺よりも前にでた。
そうやってくるりと振り返る衛藤さんの顔はお酒で火照り、やや赤い。
悪戯にわらう様子とその行動はとても幼く見え……つい『ある人』を思い描いてしまう。
あれは俺が子供の時……そう、まだ母さんも父さんも元気だった時――
「つっ……」
昔を思い出そうすると頭痛が強くなって足が鈍った。
そういえば俺もかなり飲んでたっけ。
あんまり頭を使うのは止めよう。衛藤さん相手にデートって気分じゃないけど、少しは気を抜こうかな。
「何やってるの早く来なさ――」
「ん?」
暗い空を見上げて一呼吸、前を行く衛藤さんに急いで追いつこうと正面を向いた時だった。
道歩くガタイのいい男性とそれに背中を向けていた衛藤さんが衝突。
男性がかけていた銀色のネックレスは街灯に照らされながら激しく揺れた。
そのネックレス、というか先端にあるあのリングは……。
「探索者……」
探索者である証拠のリング。その色はそのまま探索者の位を表していて、なぜかその位が高いほど傲慢な人間が多い傾向にある。
そしてぶつかった探索者の色は銀。シルバー級。普段あまり関わらないようにしている等級の人間。
これは……最悪の事態になったかもしれない。
「あら、ごめんなさい」
「……。いいんですよ、別に怒ってませんから」
探索者の男性はにんまりと口角を上げながら衛藤さんの謝罪を受けた。
あまりにも不気味な笑顔。
俺の脚は自然と早まる。
「それでは私は急ぎますので」
「これも何かの縁。今晩は俺が楽しいところへエスコートして上げますよ」
「……。結構です」
「そう言わずに」
「しつこい男性は嫌われますよ」
「大丈夫です。こうすればあなたみたいな気の強くてきれいな女性も……思いのままですから」
男が左手で衛藤さんの腕を掴み強引に引き留めた。
それだけじゃなく男性は空いた自分の左手の指をわざと噛み、出血。
その血を衛藤さんの口に突っ込もうとする。
「【血惚:極弱】」
男性が発したスキル名こそ、最近ダンジョン外で多用されて問題になっているもの。
巷では『血の惚れ薬』なんて呼ばれているとんでもないスキルだが、対象が同性などの場合は異なる洗脳効果が現れたりするらしい。
最悪の最悪。これを含んでしまえば衛藤さんは篭絡され、犯されてしまう。
怖い、怖い怖い怖い怖い。だけど衛藤さんの危機だから、それを『飲みたい』から俺は走る。
……ん。俺、今飲みたいって……。
「ん゛っああっ!!」
俺自身に疑問を抱くと、頭痛が強くなった。
唐突に激しく喚き声をあげてしまうレベルの痛みで直ぐにでもその場に倒れたくなったが……それでも俺は足を止めない。
「竜瀬君!?」
「ちっ、男がいたのか。まぁいいや、見られたからにはお前にも特別に飲ませてやる!」
衛藤さんを突き飛ばして俺は探索者の男性の前に立つ。
迫ってくる血の流れる指は多分避けれる避けれるけど……。
――ジュル。
溢れる涎と湧き出る食欲が俺にそうさせてはくれなかった。
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