秘境温泉ライターのとある一日
私は秘境温泉ライター、スプリング・ヌク。
記事にすべき秘境温泉を探して日夜様々な秘境を渡り歩いている。
私は昨日から、秘境温泉を求めて山深い村に来ている。
本来であれば今日の内に下山する予定だったのだが、二つの予想外の事態が発生したため、今日もこの村に宿泊することにした。
昨日の朝早くに、私はこの山に入った。
季節が冬ということもあり、道には雪がまばらにあった。
だがその程度、秘境温泉ライターたる私の歩み止めるものではない。
しかし道中、とある危険な魔物を見つけてしまったのだ。
その魔物とは、その狂暴性で有名なマーダーグリズリーだ。
そして先ほど言ったように、現在は冬である。
つまり、奴は少ない獲物を求めてより狂暴性が増しているのだ。
数々の秘境を旅した私でも、流石に今の奴との接触は避けたい。
ここは別の道を行くのが得策だろう。
一度引き返し、別の道を使って村へと行くことにした。
結果として、かなりの遠回りとなってしまったが、奴とは接触することなく村へとたどり着くことができた。
遠回りしたこともあり、着いた頃にはかなりの疲労であった。
そのため、温泉を探す前の休憩のつもりで宿のベッドで横になった。
だが、それが迂闊であった。
気づけば次の日の朝になってしまっていたのだ。
まず、これが一つ目の理由だ。
さらに、目の前の光景を見て欲しい。
いたる所に雪の壁ができている。
これが二つ目の理由だ。
どうやら、私が眠っている間に大雪が降ってしまったようだ。
「おう、お前さんか。昨日は疲労困憊に見えたが、今日は元気そうだな。しかし、この雪だ。今日の下山はやめておいた方がいい。幸い、明日は雪に慣れた行商が来ることになっている。彼らに同行し下山するのがいいだろうな」
なんて、朝起きた時に宿の主人にそう声をかけられ、追加で一泊することに決めたのだ。
うん?
秘境にはもっと雪深い場所もあるのに下山ができないのか、だって?
私は秘境”温泉”ライターだ。
この村に来た目的である温泉に入らずして、下山はできない。
決してこの雪で移動できない、ということはないので勘違いしないように。
しかし、この雪で肝心の温泉を見つけられるのだろうか。
そんなことを考えていると、急に村が騒がしくなった。
遠くから、ゴブリンが来たぞー! と声が聞こえて来た。
これは村の危機ではなかろうか!
しかし、安心してほしい。
秘境温泉ライターたる私には、魔物退治の心得がある。
ゴブリンごとき、瞬く間に我が愛剣で切り伏せてやろう!
……決して、助けたお礼に予定外の宿泊料を安くしてもらおう、などとは思ってはいない。
颯爽と声のした方に駆けつけてみると、なんとゴブリンは既に退治されていた。
村のおばちゃんたちが手に持った棍棒で。
「おや? あんた、旅の者かね。騒がしくてすまないねぇ」
「いや、それは構わないが……。おば、ごほん、ご婦人方はゴブリン退治には慣れているので?」
「冬のこの村では、ゴブリンが出てくるなんて日常茶飯事だからねぇ。ゴブリン程度は誰ても退治できなきゃ、やっていけないのさ」
確かに、こんな場所にある村だ。
麓の街にある冒険者ギルドに依頼するにしても、かなりの時間がかかってしまう。
できるだけ自分たちで対処できるよう、日々訓練などしているのだろう。
「な、なるほど。しかし、ゴブリンをそのままにするのはまずいのではないか? 私には魔法の心得もある。よろしければ片付けを―」
私がゴブリンの処理を引き受けようとしたが、
「ああ、それもそうだね。どっこいしょっと」
おばちゃんは、村の外に向ってゴブリンをぶん投げてしまった!
それを見た他のおばちゃんたちも、次々に外に投げていった。
「い、いや、そうではなく! ゴブリンをきちんと処理しなくては、それを目当てに魔物が集まってしまうぞ!」
「ああ、あんたは村の者じゃないから知らないのも無理はないか。この村ではな、そうして食料を確保するのさ」
「え?」
なんて会話をしている内に、ゴブリンの匂いを嗅ぎつけたスノーウルフが、群れを成してでやってきてしまった。
こ、これはまずい。
一匹や二匹であれば簡単に仕留められるが、奴らは集団になると統率された動きをしてくる。
群れのボスさえ討伐してしまえばそれもなくなるのだが、どの個体がボスなのかを見分けなくてはならない。
村を守りながらとなると、流石の私でも難しいぞ……。
と私が手をこまねいていると、なんと村の子供たちが飛び出していった!
「あ、危ない!」
「あの程度の集団であれば余裕だわ。さあ子供たち! 一匹も逃すんじゃないよ!」
その声に反応したのか、スノーウルフが一人の子供に対して三匹で襲い掛かった。
しかし襲われたはずの子供は、一匹、二匹とウルフの爪による攻撃をかわしつつ、三匹目のウルフに対して動きを合わせ、首元にナイフを差し込んだ。
「おお、すごい……」
「やっぱり子供はすばっしこいねぇ。あたしらにはあそこまで身軽な動きはもう無理だわ」
そういう話のレベルではないと思うのだが……。
視線をずらすと、他の子どもたちに対しても同じように襲い掛かっていたが、こちらも同じように対処されていた。
その様子に、数の減ったウルフたちは逃げ出そうとするが……。
「子供たち! ウルフが逃げるよ! その前に退路を塞ぎな!」
おばちゃんの指示に反応した子供たちは、ウルフが逃げ出すであろう方向に素早く陣取った。
退路を断たれたウルフは、なんとか逃げ出そうと子供たちに襲い掛かるが、そのすべてが捌かれていた。
……こちらの群れのボスはかなり上手だったな。
おばちゃんは狩られたウルフたちを見て
「毛皮に大した傷もなし。お前たち、今日も良くやったね! これなら、村長からお小遣いをたんまり貰えるさ」
その声に子供たちは、やったー! とか、何に使おうー、なんて口々に喋っていた。
……この子供たちがウルフの群れを簡単に討伐していたなんて、違和感がすごい。
と、その成果に喜んでいた時だ。
おそらくウルフを追いかけて来たのだろう。
スノーベアがやって来た。
べ、ベアだと……。
道中であったマーダーグリズリーほどではないが、危険な魔物だ。
毛皮が分厚くて力も強いベア相手には、流石の子供たちも危険だろう。
「ほらあんた、出番だよ! 今夜はご馳走さぁ!」
おばちゃんが声をかけた先には、槍を持ったおっさんがいた。
「おう! そんじゃ行くぞ!」
と言うや否や、手に持った槍をスノーベアに投げると、見事頭部に命中。
あっという間にスノーベアを倒していた。
「か、彼はこの村のハンターなのか?」
「いんや。うちの旦那はこの時期仕事がなくてなぁ。他にも、仕事のない男衆が持ち回りで見回りの当番をしてるのさ。その途中で討伐した魔物の肉は優先して貰えるから、今日は運がよかったねぇ」
麓の街ではスノーベアが出たら大騒ぎになるというのに、それを運がよかったなんて言うとは。
いやはや。
どうなっているんだろうな、この村は……。
先ほどの出来事を文章に残すべく、私は一度宿へ戻ることにした。
◇
「おお、丁度いいところに戻って来たな。実はお前さんに教えたい場所があってな。この村には、ちょっと離れたところに温泉があるんだ。なんでもお湯には魔力がたっぷり溶け込んでいるみたいでな。入れば疲れも一発で吹き飛ぶってものさ」
おお! それこそ私が今回探していた温泉ではないか!
「一度魔物が襲ってきた後では、あの辺りまでは安全になることが多いんだ。先ほど娘が温泉の様子を見に行ったのだが、今なら足跡が残っているだろうから、それを辿れば迷わず行けるだろう」
「なるほど、せっかくだし入っていこう。情報提供、感謝する」
「っと、そうだ! その温泉は混浴でな。うちのやつらは気にせんが、外部から来た宿泊客の為に湯浴み着を用意しているんだった。ちょっと待ってな」
そう言うと宿屋の主人は湯浴み着を取りに行った。
……なんですと?
つまり、様子を見に行った宿屋の娘さんが入っているかもしれない、ということか!
混よ、ごほん、村の若者と交流をするというのも悪くはないな。
宿屋の主人から湯浴み着を受け取ったら、すぐに温泉に急ぐことにしよう。
でないと足跡が消えてしまうかもしれんからな。うむ。
◇
雪に残った足跡をたどりしばらく歩くと湯気が見えて来た。
その手前には小屋が二つ建っており、どうやら脱衣所のようだ。
私はさっそく中に入り、湯浴み着に着替えた。
ふむ、混よ、ではなく若者との交流とあっては何を話そうか。
やはり、私が今まで経験してきた秘境温泉について語るのがよいだろうな。
しかし、どのエピソードがよいか……。
とある孤島にあった七色に光る温泉がよいか、いやいや、龍が住む谷を抜けた先にある温泉がよいか……。
む、悩んでいたら寒くなって来たぞ。
建物の中とは言え、湯浴み着では流石に寒い。
ここで悩んでいても冷えるだけだ。
それに、実際に会ってから決めてもよかろう。
なんならどちらも話してもよいしな。
うむ。そうと決まれば早く温泉に向かわねばな。
私は脱衣場を出ると湯煙へと向かっていった。
段々と近づくにつれ、その先に人影のようなものが見えて来た。
ふぅむ、やはりこの寒さだ。
様子を見に行った後で、温まってから戻ろうと考えるのは必然であるな。
では、混、ではなく、若者との交流をしに、いざいかん!
◇
温泉に近づくと、段々と人影がはっきりとしてきた。
そこにいたのは……
「ゴブ?」
……ふむ。
私としたことが、こ、ではなく、若者との交流に積極的になりすぎて幻想を見てしまったらしいな。
話は変わるが、子供のころというのは無性に石を投げたくなる時があるだろう。
かく言う私もそうであった。
どのくらいかというと、あまりに石を投げすぎて投擲スキルが出てきたほどだ。
それが母にバレた時は、しばらく石投げ禁止! と怒られたものだ。
しかし、たまには童心に返って石を投げてみる、というのもいいだろう。
丁度よく、目の前にはこぶし大の石が落ちているしな。
さて、石を投げる場所であるが、丁度目の前に見えないはずの人影があるではないか。
せっかくだし、それに向って石を投げるとしよう。
振りかぶって、ふんぬっ!
「ゴブ!?」
おお、見事にゴブ、ではなく人影の頭に当たったぞ!
なんだかすっきりしたな。
さて、すっきりしたことだし温泉に入ろうか。
ややっ!?
温泉の中でゴブリンがのぼせているぞぉ?
さすがに魔物と一緒に入るのは遠慮願いたいので、上に引き上げておくか。
どっせーい! っと。
さて、これでやっと温泉に……。
……ゴブリンが入っていたからか、温泉が汚れている。
やれやれ、また一仕事やらなくてはいけないか。
秘境温泉ライターをやっていると、見つけた温泉が汚れている、なんてことは良くあるのだ。
そんな時はまずお湯の湧き出る場所を確認。
次に、結界魔法でその場所を塞ぐ。
お湯を止めたところで、湯舟にあるお湯を水魔法で操り外へ排出。
一度結界魔法を解除しお湯を入れる。
再度同じことを繰り返し、空になった湯舟にクリーンの魔法を発動。
最後に湯舟にお湯が満ちれば一丁上がりである。
ふっふっふっ。
秘境温泉ライターである私にかかれは、この程度のことは楽勝である。
さて、ある程度お湯が入ったことだし、念願の温泉に入るとしようかね。
……あ゛ぁ゛~、いぎがえるぅ~。
流石は魔力が多く溶け込んだ温泉だ。
今までの疲れが、お湯に溶け出すようにしてなくなっていった。
これは、いい記事が書けそうであるな。
しばらく温泉を堪能していると、雪を踏みしめる音が聞こえて来た。
……そういえば、ここに来るまでに宿屋の娘を見かけなかったな。
もしや、この足音の主は!
私は足音のした方向に目を向けると、そこには宿屋の……
「おや? 娘から聞いて来てみましたが、ゴブリンはいませんし、お湯も濁ってはいませんね」
主人がいた。
……まあ、そんなことだろうと思っていたさ。
宿屋の主人が言うには、娘が温泉に入ろうと近づくと、ゴブリンが入浴しているのを確認。
すぐに脱衣所に引き返して服を着ると、急いで宿屋の主人へ報告に戻ったという。
つまり、私が脱衣所でのんびりしている時にすれ違ったということだろう。
……もう二三回、石を投げておけばよかった。
おっと、思考がそれてしまった。
宿屋の主人はゴブリンを温泉から引きずり出す武器と、温泉を清掃するための道具を持って来た、というわけだったみたいだ。
「ご主人、それなら安心してほしい。見ての通り湯舟は綺麗にしておいたし、ここにいたゴブリンはそこに放り投げておいたよ」
私が放り投げておいたゴブリンを指さすと、宿屋の主人はすぐに様子を見に行った。
ちなみに娘は温泉に入れず身体が冷えてしまったとのことで、今は宿で温まっているそうだ。
宿屋の主人はゴブリンをロープで縛り戻って来た。
「お客人。まずは温泉を綺麗にしてもらい感謝する。それと、もしよろしければこのゴブリンを譲ってはくれぬだろうか? 代わりに、今晩の宿代は無料にするという条件でな」
む? 口調が少し丁寧になった気がするな。
それにしても、冒険者ギルドに持って行っても二束三文にしかならぬゴブリンを宿代を無料にしてまで欲するとは、どいうことであろうか?
考えてもわからないが、宿代が無料になるのであれば譲らない理由はないな。
「もちろん構わないが、利用方法を聞いてもいいかね?」
「ふむ……。いや、今夜をお楽しみにしていてくれ。その時に提供できるはずだ」
提供?
そういえば、温泉に卵をつけておくことでおいしいゆで卵ができるが。
……いやいや、まさかな。
◇
宿屋の主人がゴブリンを持って帰ってからも、しばらく温泉を堪能した。
十分に満足したところで宿屋に戻ると、宿屋の主人が
「おお、お客人。あのゴブリンのおかげで今日はいい獲物が手に入ったよ。今晩の食事に出すから楽しみにしておいてくれ。それと、その時に娘がお礼を言いたいそうだ。獲物の件と、温泉を綺麗にしてくれたことでな」
と言ってきた。
そういうことか。
温泉に浸かったゴブリンは、他の魔物にとってはご馳走ということなのだろう。
それに、その時に宿屋の娘がお礼を言いに来ると。
それならば、秘境温泉ライターとして温泉のよさを存分に説いてみようではないか。
そして明日の朝は混浴、ごほんごほん、ここの温泉のよさについて語り合おうと提案するのだ!
さて、そうと決まれば今晩が楽しみであるな。
◇
宿屋の主人から夕食の準備が整ったとのことで、食堂に向かうとそこには、
「おう! あんたが温泉を綺麗にしてくれたんだってな! それに、あのゴブリンのおかげでマーダーグリズリーを仕留められたぞ! ありがとな!」
筋肉隆々《りゅうりゅう》な女性が立っていた。
しかも今、あのマーダーグリズリーを仕留めたと言っていたような……。
「娘に先に言われてしまいましたな。本日は、お客人のおかげで娘がマーダーグリズリーを仕留めることができました。ささやかなお礼ではありますが、マーダーグリズリーのステーキを用意させていただきました」
か、彼女が宿屋の娘であったか。
しかもマーダーグリズリーを……。
「それとな。そのステーキはあたしが焼いたんだ! じっくり味わってくれよな!」
そう言われステーキをよく見てみたが、とてもおいしそうに見える。
肉にナイフを入れると驚くほど柔らかく、スッと切れた。
一切れ口に運んでみると、柔らかくもジューシーで、それでいて噛むほどに旨味が出てきた。
「こ、これはうまい」
「そうか! それはよかったぜ!」
その後も彼女との会話が弾んだ。
私が秘境温泉の話をすれば、よいリアクションを見せてくれ、あちらの話には大いに笑わせてもらった。
しかも温泉の話をした時には、明日の朝一緒に入ろうぜ! なんて約束までしてしまった。
思っていたのとは違い……、いいや、当初の予定通りここの温泉の良さを語るとしますか。
当初の予定通りね。
そして次の日、彼女にここの温泉の魅力を存分に語ることができた。
彼女もこの温泉を気に入っているらしく、大変感動してもらえた。
うむ、秘境温泉ライター冥利に尽きるというものだ。
それにしても、鍛え上げられた人の肉体美というのはすごいものであったな。
……私も少し鍛えてみますかね。
最初はどうなることかと思った今回の秘境温泉への旅、最終的には大満足で終えることができた。
さてさて、次の秘境温泉ではどんな出来事が待っているのだろうか。
今から楽しみである。
設定
・主人公
かつて冒険者で依頼をこなしている最中、ターゲットの魔物を追いかけて見つけた温泉に入り、秘境にある温泉の素晴らしさを知った。
現在は冒険者として依頼をこなしつつ、日々秘境温泉の噂を集めている。
なお秘境温泉ライターは自称であり、毎回記事を出版社に送っているが却下されている。
つまりは仕事ではなく完全な趣味である。
・雪深い村
冬は食料が足りなくなるので、だったら村を襲ってくる魔物を食料にすればいいじゃん! となったちょっとあれな村。
なお、この村では強い獲物を仕留められる人物が男女共にモテる。