誰よりも生きた機械
作風ぶれぶれヒューマンです。
色んなこと試したい。
貴方は今、高い高い空の上にいるのでしょう。
人は死んでしまうと雲の上にある天国へ行く。そう貴方は教えてくれました。
貴方が遺したものは、私を錆から守る防錆ポリエチレンからできたレインコートに、予備のバッテリーが三つ。機体の自己修理キット一式と、実験用のノートとペン。そして大きめのスコップです。
そして、部屋の隅に可愛らしく佇む、貴方が大事に育てたガジュマルの木。
やがて電気も止まりますから、この家に留まったっていつかは充電切れです。予備のバッテリーを三つ使い切るまでが、実質的な私のタイムリミットとなりました。
そこで私の頭に、ある一つの命令がプログラムされます。誰に与えられたわけでもない、私オリジナルのプログラム。
タスクその一。私はこの家を発ちます。
その前にいくつか準備をしましょうか。もうここに戻ることは無いのですから。
まずは荷造りです。私はレインコートを着て、バッグに予備のバッテリーに修理キット、ノートとペン、スコップなど、あるものは全て詰め込みました。ガジュマルの入った鉢はバッグに入れる訳にはいかないので、これだけは手荷物です。
次に、貴方に手紙を書くことにしました。ただ手紙を書くだけでは空まで届かないので、風船に括り付け、飛ばすことにします。
最後に、貴方と私のお墓を建てることにしました。私達のお墓を建てる人はもういませんから、自分で建てます。
お墓、と言っても簡素な物です。土を盛って、石を並べて、その上に木片で作った墓標を刺しました。中に入れる死体はスペアパーツで代用します。
こうやって人々の慣習を行う度に、つくづく非合理的な生物だと実感します。いづれ土に還る物体の上に石や土を乗せても、何も変わりません。
何はともあれ、これでこの家にもう用は無くなりました。もう二度と、この階段を下ることも無いのでしょう。
タスクそのニ。山に登ります。
貴方は外に出てはいけないと口を酸っぱくして私に言いました。しかし、貴方が旅立った今、威権順位は私が上です。最後くらい、機械だって我儘になりたいのです。
アスファルトを初めて踏みましたが、これほどまでに安定性の高い素材があるとは思いもしませんでした。現に火の粉が降りかかっていても、びくともしません。
しかし、辺りは酷い火事でした。火は轟々と燃え上がり、既に数台の消防車で消火できるレベルを遥かに超えています。
更には幾つもの爆発音が空気を裂いています。一体何の事件か事故か……ここから先は気をつけて進むことにしましょう。
そこから数時間ほど歩いたでしょうか。予備のバッテリーを一つ使い切り、残りは二つとなりました。にも関わらず、未だに爆発音は鳴り止みまず、炎は勢いを増すばかり。
そんな状況下ですが、なんとか山の麓に到着しました。幸いにも、ここまで火の手は回っていません。
山に一歩足を踏み入れた、その時です。
『人間を発見しました。迎撃プログラムを起動します』
音声が流れてきました。私が人間の姿に似せて作られているからでしょうか。いずれにせよ、あまり好ましい状況でないことだけが明確です。
一秒後、鉛の塊が一瞬にして私の肘あたりを貫通しました。配線が飛び出て、プラスチックの外装が飛び散ります。幸い、片手でもガジュマルを抱えることはできました。
しかし、困りました。PC部分に異常は無いとはいえ、重心がずれ、バランスを取ることが圧倒的に困難です。
それでも行動不能にはならなかったため、登山を再開しようとしました。すると、前方から何か物陰が近づいてきました。
私は警戒レベルを高めました。しかし、出てきたのは私と同じフォークリフトに似た機械でした。
『大変申し訳ありません。迎撃システムが誤認を起こしたようです。山中の基地まで運搬します』
そう言ってフォークリフトは安堵した私を乗せて山の奥に入っていきます。しばらくすると、ツタや背の高い草に覆われた鉄製のゲートが見えました。
「すみません、このゲートは何ですか」
私が尋ねると、フォークリフトは答えます。
『ここは軍の第三基地です。あなたは何者ですか?そんなに大きな植物を抱えて戦場を呑気に歩くのは、理解に苦しみます』
「そうですか、ここは戦場だったのですね。すみません。世間知らずなもので」
『……ひとまず中にお入りください。機械である以上、あなたも我々の同胞ですから』
第三基地という建物の内部は、私の知らない物で溢れていました。鉄の長筒に、ピンの付いた黒いボール。感圧センサーの取り付けられたディスクなど、用途不明の物体が所狭しと並んでいます。
山の中とは思えないほど無機質な空間で、フォークリフトとヒューマノイドが話します。
「招いていただいたのはありがたいのですが、私はもう行かなければなりません。この山の山頂に用があるのです」
『戦時中にハイキングに出かける機械なんて、きっとあなたぐらいでしょう。しかし、システムの誤作動のお詫びをしなければなりません。山頂までなら送っていきましょうか?』
「では、お言葉に甘えて」
山道は進めば進むほどぬかるんで、その分機体も揺れました。しかし、確実にバッテリーの消耗を抑えられています。これだけバッテリーが残っていれば、最後のタスクも無事に消化できそうです。
タスクその三。ガジュマルを山頂に植林します。
山頂に着くと、私はすぐさまスコップで穴を掘り、ガジュマルを鉢から慎重に取り出して、そこに植え直します。こんなに簡単に終わるとは計算外でした。
その一部始終を見送ったフォークリフトはまた私に聞きます。
『あなたの目的は何なのですか?行動の全てが理解できません』
「……私の開発者は、先日死に、雲の上の国へと旅立ちました。きっと彼は、このガジュマルが元気に育っているかを心配するので、見やすい場所に植え替えました」
『非合理的ですね。生物が死ねば土に還るのみだというのに』
そう言ってフォークリフトはどこかへ行ってしまいました。これ以上私といても時間を浪費するだけですから、それが一番合理的です。
私は最後に彼が言い残した言葉を反芻します。非合理的……確かにそうです。今日の私の行動において、一つでも合理的な判断を下したことがあったでしょうか。
手紙を飛ばし、自分のお墓を建て、ガジュマルを植え替えて、私は一体、何をしにここまで来たのでしょうか。
ふと山頂から空を見上げれば、煙がもくもくと各所から立ち昇って、雲のように空を覆い隠す中、紅星が一つ、キラリと瞬くのが見えました。
貴方も、紅い髪をしていました。
技術者でありながら、いつも貴方は非合理的でしたね。時には犯す必要のない危険を犯し、人が死ねばお墓に参り、戦争が起きても、私を戦地に投入することはおろか、それを伝えることすらない。
その非合理性の上に、今の私は立っています。 私は昨日までは合理的な判断をしてきましたが、荷造りをしてから今に至るまで、私は「生きる」ことを実感しています。
バッテリーも残り僅か。私は最後に、貴方のノートを開きました。
【AIを搭載した機械に人間と同じ教育を施した場合の変化について】
内容は、単純な観察記録です。何の変哲もない、観察実験。しかしあるページから記録は途切れています。
【もうこれ以上、コイツは機械として見ることはできない。俺はコイツに愛着を持ってしまったため、正確な記録は不可能だ。以上をもって実験を終了する。俺はどうやら、人間以外しか愛せない逸れ者だったようだ】
私はペンの芯を出して、ノートの次のページに書き込みます。
【実験結果:人間として育てられた機械は人間を愛す逸れ者となった】
私は生きて、貴方のためにここに来ました。1%のバッテリーで、地を焦がす赤に、地を照らす紅に、声を放ちましょう。
「私は誰よりも!誰よりも生きた機械だ!!」
解放感に身を焼いて、ぐったりとその場に倒れ込みました。今から永い眠りにつきます。叶うことなら、貴方の隣で。
最近、お気に入りのぬいぐるみのことを物として扱えなくなってきました。毎日一緒に寝たりしてると、やっぱり母性本能に目覚めますね。たまに外に連れてく時には、バスの車窓から景色を見せてみたり。すでに生活の一部です。