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「知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?」が面白すぎる

初回は「AIは人間を超えるか」


待ってたよー。こういう番組。

「人体」シリーズももちろん見てた。


タモリというとNHKのイメージがある。

『ばらえてい テレビファソラシド』見てたなぁ。


タモリを最初に認知したのはタモリがタモリになる前で

赤塚不二夫のお宅訪問みたいなコーナーで

「うちには色々面白いやつがいる」と赤塚氏がコーナーの最後に

どさくさにまぎれて紹介した大勢の素人の中にタモリもいた。


その時は「ラジオ放送に入り込んでくる韓国語放送」というネタを

画面の片隅で淡々と披露していた。このネタが私には刺さりまくった。

(当時私はまだ小学生だったが、友人から「深夜放送」を勧められ

 聞き始めてちょうどハマっていた頃で、私の住んでいたエリアでは

 TBSラジオはよく入るがニッポン放送になると、波のように入り込んでくる

 「韓国語放送」にジャマされ半分以上聞こえない状態だった)


その後、タモリは「イグアナ」の物まねでブレイクする。

(このネタも、バラエティ番組で赤塚氏がワニかなんかで

 タモリのイグアナと這いつくばってにらみ合ってるのが印象に残っている)


以来、タモリというと無条件で見てきたのだが

自分でも「どこが気に入っているのか」がよくわからなかった。


高校を卒業して上京してからは

かねてからの憧れだった「ライブハウス」に入り浸った。


少し大人になると「ジャムセッション」なるものを聴くようになった。

当然お目当てのミュージシャン以外の演奏も聴くことになり

しばらくしてあることに気が付いた。


私がジャムセッションを楽しめる時と楽しめない時との違いは

ミュージシャンが「楽しんで」演奏しているかどうかにあった。


ミュージシャンの中にはこなれてしまって「聴かせてやるぜ」的な

空気を醸し出す人もいて、そういった場合はぜんぜん演奏を楽しめない。

逆に客そっちのけで演奏に入り込んでいるセッションは一緒に楽しめた。


もちろん主観に過ぎないが、私の中では明確に二分されていた。


タモリの在り方は「ジャムセッション」なんだ、と理解した。

番組中本気ではしゃいでいるのがよく分かってこっちも楽しめる。

昔NHKの音楽特番で台本すら無視する言動がまさに「ライブ感覚」の笑い。

どうやら、そういったところが気に入っているようだ。


タモリが数年前「もう死んでもいいと思うか」といった問に

「まだ知らないことがあるから死にたくない」と返答したと記憶している。


私の場合、タモリのような知的好奇心はないが「楽しい、面白いこと」を

命ある限りなるべく多く経験したいという欲求は強い。


例えば、抗がん剤の副作用がきつくても

それを苦にしている時間がもったいないので

「今、私はこういう感じで生きている」と割り切るようにしている。

それでも、脱毛の副作用は見た目にも厳しくちょっとメンタル削られるので

なるべく自分の頭は見ないようにしている

(たまに間違って垣間見ると「げげ!」ってなる(笑))


そんな中、この「知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?」は

お、面白すぎる。たまらん。待っていたこういうの。

要所要所のタモリの発言も「生きた感じ」で面白い。


今回はAIを題材に挙げているので興味度は半端ない。

ちゃんと松尾先生も登場してくれて、AI好きとしてはとてもうれしかった。

(松尾先生の、昨今のAIの盛り上がりに関する本音も聞けて

 「そうですよね」と一人頷いていた)


番組の内容にはあえて触れないが、AI好きなら一見の価値はある。

また個人的に発見したのは、面白いことに山中先生も

タモリ的「ライブ」ノリをする人なのだ。

(タモリ一人では成しえない「セッション」を久々見ることができた)


私がAIを意識し始めたのは「ファジィ論理」あたりから。

当時20代だったが、「Prolog」で遊べる機会を得て

三段論法のデータをひたすら打ち込み、色々な結論を得て喜んでいた。


その後もずっとAIを監視し続け、昨今の目まぐるしい発展まで待つこと数十年。

コンピュータが圧倒的なデータ量を扱えるようになったことで

従来のロジックに新たなスパイスが加わり、現在のAIが成立しているのだと思う。


そのうえ、色々な側面からのAIへのアプローチが

「知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?」で紹介されているので

さらに進化する予感がする。


が、AIに関する「倫理的」問題や「脅威」などへの対応は例のごとく

既に「後手」後の祭り。


新しいテクノロジーにおいて、そういった負のファクターと

わくわくする正のファクターが共存していくのはもう周知のことなので

受け入れるしかなさそうだ。


ただ、そのわくわくが「人間とはいったい何なのか?」を解き明かすものならば

私個人はその答えを求めていない。


できればAIには「人間の道具でいてほしい」と切に願う。

AIが人間のサポートを色々な形でしてくれるのはありがたいが

そこにすら「倫理的」問題や「脅威」が必ず潜んでいる。


それでも「知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の!?」で紹介された

色々な研究には驚きがあり、やはりAIからは今後も目が離せない。

今回のテーマとは関係ありませんが、「武井奈美」選手、

福岡ボート・GⅢオールレディース、優勝おめでとうございました!

もっともっと魅せてくださいませ。



文中のタモリの「NHKの台本」を無視するやりとりはこんな感じ。


(番組が終了するシメのあたりで)


司会者 「私の手元のメモによりますと、これで終わりってことになりますね」

タモリ 「はぁ。しかし思えば先ほどからずっと、手元のメモを

     参考に色々進行してたようですが、それって台本じゃないっすかぁ。

     ようは台本ですよね?いいよなぁ本番中に台本見ながら進行できて」


司会者 「...はい。じゃ、これで終わりでいいんですよね」

タモリ 「はぁ?」


司会者 「本当にいいんですか?

     そちらのメモで何か言い残したことがありませんか?」

タモリ 「はぁ?え?あ、またやったかなぁ」


司会者 「最後、ぜんぜんオチてないんですけど」

タモリ 「え、あ、そうだ。

     ”俺のも台本だった、ここに終わりと書いてある”

     と、こう言わなきゃいけなかったんだ」


この後、ゲストの歌手と女優が大爆笑。おそらくタモリのアドリブだったと思う。



深夜放送の中でも「ナッチャコパック」にはハマった。


「ナッチャコパック」は、パックインミュージックという

1967年7月31日から1982年7月31日までTBSラジオをキーステーションに

月~土で放送されていた深夜放送ラジオ番組の金曜日の放送。


特に「最後のお便り」は毎回かなり内容が重めで

人間社会における色々な問題を提起しているかのようだった。


「最後のお便り」に至るまでのお便り紹介は、抱腹絶倒の内容だっただけに

ずっしりと重く、なおかつパーソナリティの野沢那智氏がお便りを読み終えて

そのまま何のコメントもなくエンディングテーマが流れることもあり

一人孤独に取り残されて重いテーマを悶々と考えざるを得なかった。


毎回最後まで起きて聞いていたわけではないが、時には行き場のない

深い悲しみ・怒りで深夜にたった一人で重たい気持ちになったりした。


当時の私にとって「ナッチャコパック」や永六輔さんの「七転八倒」などの

ラジオの番組が「情操教育」といった意味で一役買っていたのは間違いない。

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