意識的に否定し無意識に肯定している
ガンになった今、どうしても残しておきたい経験がある。
前回のエピソードに出てきた親友の死に関して忘れられない不思議な脳の働き。
まずはどうしても突然の親友の死を受け入れたくない一心で
彼女が瘦せ衰えて行く様を見ても必ず治ると思い込む。
が同時に、やはりガンで亡くなったおばの、私が見た最後の姿が
無意識にオーバーラップしてくる。にもかかわらず、
まだ絶対治ると思い込む。
私は去年還暦を迎えた歳にガンの告知を受けた。
彼女の場合はまだ27歳。お互いおばあちゃんになるまで馬鹿言ってられるか
楽しみにしていた当時の私には、その現実を受け入れることが出来ない。
それでも否定できない彼女の衰えを前に私は逃げた。
直視し続けることから逃げたのだ。
「2週間ぐらいあけて病室を訪ねれば、回復した姿を見れるかもしれない」
恐ろしい逃げである。
そして2週間後見舞った時には見る影もない変わり果てた姿だった。
「お医者さん、ちゃんと治してるのかな」
病室を出てすぐ、口に出して言ってしまった。
翌朝病院から彼女が息絶えたと連絡が入った。
「まるで、私を待ってたかのようじゃないか!」
(やっぱりだめだ。このことを思い出すと必ず泣いてしまう)
病室で彼女は、良くしてくれた看護師さんたちにお礼をしてほしいと
私に伝えてきた。
彼女 「こう、なにか、こう、こんなかんじの」
手で小さな包みのような形を作りながら私に話しかける。
私 「わかった。わかったよ。ちゃんとお礼する」
あれほど頭の回転が速く、早口で話す親友の私への最後の要求は
言葉になっていなかった。
お葬式を済ませて数日後、お菓子を持参してナースセンターへ行った。
看護師 「本当はこういうの貰っちゃいけないんだけど今回は特別ね」
私 「彼女、自分の病気について気が付いていたでしょうか」
看護師 (しばらくの沈黙のあと)「うん。わかってたと思う」
意識的にガンを否定し、無意識にガンを肯定し続けた数週間、
頭には靄が掛かった状態だった。仕事をしていれば何とか正常な状態だったが
少しでも間が開くと、肯定したくない事実から逃げようと否定し続ける脳が
働き出す。すぐに頭が疲労して靄がかかってしまう。ようは、何も考えられない。
こんな感覚はその後一度も経験してない。