不破 平之助
薮鴉の森に棲みついている狐狸妖怪の類いと噂される不破の平さんと言われているお人は、見た目30歳くらいの細身の黒縁眼鏡を掛けた、いつも無精髭を生やしている、たまにサンダル履きでダルそうに猫背気味に近所を歩いているのを見掛けるお人なのだが、母に言わせると、私の若い頃から変わらないと言うのだから、やはり人間ではあらず、妖怪の類いなのだろう。
およそ、どんな生活をして、どんな生計を立てているのか謎な人でありましたが、この程、一部が発覚してしまった。
つまり、彼からスカウトされたのだ。
なんと、彼は芸能事務所に御勤めしており、新しいアイドルグループを発掘し売り出すお役目を担ったそうだ。
なんて怪しげなお話しだろう。
だから僕は、そんな話しはないだろうと断ろうと思った。
堅実な生活を保持するのだよ。
ところが、事はこれにて収まらなかった。
未成年な僕には責任も判断も出来ないから母さんにお話したら、母さんは、しばらく黙って、その間、僕はお茶請けに出された和菓子、剥と言う四角い葛を練り込んだ餅に餡子が入っているものを、学校から帰って早速母さんにスカウトされた話をして、出された御茶菓子を御相伴に預かっているわけです。
僕が和菓子をハムハム食べながら、お茶を流し込んでいると、なんと許可が出た。
え?!…いいの?
凡そ堅実倹約を徹底している庶民生活を地で行く我が家にあって芸能界などは、真逆の稼ぎ場所に他ならない。
それに嘘で騙されているかもしれないし。
…などと、僕が母さんの回答に驚いて、喉を和菓子で詰まらせた状態を何とかお茶で流し込んで事なきを得た後に、不安な気持ちを口にしたら、母曰く、不破の平さんは、ある程度は信用できる人らしい…少なくとも、人を化かすことは最近ではしてない…おや、意外と信用あるのだな…最大の理由は我が家の家計にある。
このままでは赤字で生活出来ないらしい。
つまりだ、四の五の言わずに働いて来なさいと言うわけ。
母さんは、見た目と違って偶に逞しい。
むむ、親の許可が出たのであれば、僕も四の五も言わずに働かなければなるまい。
実は、働かなければならないなとは思っていたのだ。
母さんは、これまでバリバリ働いていたのだが、この程その無理が祟ったのか病気療養中の理由。
自宅で、薬を飲みながら、しばらくのお休みしなければならない。
だから、今回の話は渡りに船なのだ。
親の許可は得た…って言うか、後押しさえしてくれてる。
働かなければならない理由もある。
となると、あとは僕の気持ちの問題だけなのだ。
…
「宜しくお願いします。」
僕は、その日に了承した旨を、平さんに伝えた。
どっちみち子供の僕に職業選択の余地はない。
働けるだけ有り難いのだ。
ありがたや、ありがたやと感謝を呟きながら、不破さんの自宅を訪問させていただいた。
ああ、今日から僕も芸能人なのか?なんだかな…話の急展開に着いていけない。
しかし、人生とは、そんなもの自分の意志一つで幾らでも変わるのだとジッちゃんが言っていたのを思い出す。
豪放磊落を地でいく良い人だった。
…
いや、死んでないよ。
今は、中つ国ら辺りを旅してるらしいし。
訪問先の御自宅には本人が在宅していた。
いやいいけどね…でも昼日中に家に居ていったいいつ働いているのか疑問と不安が頭の中に一瞬だけ渦巻いた。
でもそんな気持ちは、顔には出さずに奥の畳部屋に座っていた平さんに、僕は母から働く許可を貰って来た旨をお伝えしたのだ。
平さんは、「じゃあ、おいおいで…。」と返答してきた。
…
しばらく待っていたけど、今日はこれで終わりらしい。
おいおい…とは何ぞや?
いろんな意味合いを想起させる。
そんな風に、疑問符を頭上に浮かべながら、平さん家を後にした。
これにて、僕の芸能人初日は終了である。
さて、これからどうなるか、もっと僕の話を聞きたいかい?