過保護な大人が思うには
駿兄と暮らし始める時に、最低限のルールを作った。
ひとつ、許可した事由以外で私室に勝手に入らないこと。
ひとつ、露出の激しい格好でウロウロしないこと。
ひとつ、友人恋人を家に招く場合は事前に連絡すること。
「いっででででででっ!ギブギブギブギブ!!」
「まだ喋れるなら余裕だね」
唯一、事前連絡が全く必要ない、というか勝手に出入りできるあっちゃんは今、駿兄にギリギリと関節技をきめられている。
プロレスには詳しくないので技の名前はさっぱりだけど。
あっちゃんと結婚するときもルールを作った。
ひとつ、お互いが許可した人にしか結婚の事実を伝えないこと。
ひとつ、お互いの恋愛に口出ししないこと。ただし、お互いの存在に考慮した行動をすること。
そして、私の高校卒業後、またはお互いが本当に結婚したい人ができたときは、速やかに離婚に応じること。
「りこがね、俺にぎゅって抱きついて『やっぱりあっちゃんとは違う』って言うんだよ。ねえ篤史、ナニしてくれてたのかな?」
「いでででででででででで」
「学校で、教師が、生徒に、ナニしてたのかな?」
「死ぬ死ぬ死ぬし・・・・・・ぐぅ」
あ、死んだかな。
「駿兄、体軟らかいね」
「お、ありがと」
プロレスごっこが終わったタイミングで2人にコーヒーを持っていったけど、受け取ったのは駿兄だけで、あっちゃんは床にのびたままだ。
脇腹をつついてみたけど反応がないので放っておく。
「あのね駿兄、さっきの話。まだ、答えがでなくて」
「ん?いいよ。りこの将来のことなんだ。ゆっくり考えな。これで決定じゃないし、どんな道でも俺は協力するから」
「・・・・うん」
「おいりこ、明確な将来設計なんぞ求められてねえんだ。これをきっかけに考えろって言われただろ」
「そうだけどさ」
寝転がったまま、顔を私にむけたあっちゃんが、こいこいと手招くけど、もちろん行かない。
ムッとされても行かないよ?
いや、今日、同じ手招きでナニしたのか、この人忘れてるのかな?
結局あっちゃんは、私を招いていた手を顎下に置いて、うつぶせに寝転がったままだ。
「お前の友達も同じようなこと言われてるさ。聞いてみな」
「・・・・・・・うん。私、もう寝るね」
「おやすみ、りこ。明日は篤史の朝食もお弁当もいらないからね?」
「は?おい、駿太!」
自室に戻ってベッドにぼさり、と横たわる。
スマホがメッセージの着信をつげるけど、今は見る気分になれなくて、枕元に放り投げた。
学校から帰った後、ドーナツを食べながら、将来の夢とかやりたいこととか、そんな話をした。
駿兄は私の話を丁寧に引き出してくれたけど、この先の自分の姿が全然想像出来なくて、結局ほとんど話は進まなかった。
『りこ、まだ難しく考えなくて良いんだよ。勉強は大学に行かなきゃ出来ないわけじゃない。仕事するにしたって、雇用の形態はいろいろある。大事なのは、りこがどんなことをしてみたいのかだよ。色んなしがらみ抜きで考えてみてごらん』
駿兄はそう言って、笑ってくれた。
「将来、かぁ」
小さい頃の夢はお花屋さん、そのあとが保育士だった。母親の再婚で駿兄と暮らした数年間は、よく図書館に連れていってもらった事がきっかけで、司書もいいなと思っていた。
いつからか、そんな風に希望に胸をときめかすことがなくなった。
実際、将来に想いを馳せる余裕が、精神的にも時間的にもなかったのだ。
「友達に相談・・・。ゆっこに聞いてみようかなぁ」
自分の家庭の事情はさほど話していない。
それでも、相談にのってもらえるだろうか。
はぁ、と大きくため息をついて枕に顔を沈めた。
「で、どうなんだよあいつ」
「見てのとおり。すっかりネガティブモードだね」
梨子が部屋に入ったのを見計らって体を起こした篤史は、ぐっと伸びをした後、冷めたコーヒーに口をつけた。
「慣れない恋愛関係でゴタついてるところに進路のことだからね。どっちもりこにとったら鬼門だろ?だいたい、篤史も追い討ちかけるようなこと、なんでしたのさ」
「・・・悪かったって」
むくれたように背けた顔が心持ち赤い・・・?
「篤史、まさかお前、本気で手出したワケじゃないだろうな」
「いや・・・・・・そのなんだ」
「おい」
「なんだ。まだ子供だと思ってたりこがさ、あんな顔すると思わなかったから・・・・グッときた」
「クるな、ダメ教師!!!」
べしっと頭に手刀を叩き込んでやる。
「俺、一応夫だせ?」
「おさわりもオイタも、りこの同意があるまで赦さないって言ってあるよね?」
もちろん、そこにお互い恋愛感情があるのことが前提だ。
「りこが進路のことであんなに悩んでんのはなんでだ?大学に行くにしろ、就職にしろ、母親と顔会わせなくてすむための俺との結婚だろ」
「そう割りきれないんだろう?むしろ申し訳なさのほうが勝ってるんだろうし」
大学受験も就職活動も、いろいろ入り用だ。
金銭的なことも保証人も、自分がいくらでも肩代わりするつもりでいるのだが、梨子は義兄である俺にそこまで負担をかけたくないのだと一点張りだ。
「あの母親とりこを近付けたくないから無理矢理結婚させたところがあるし、篤史には俺も申し訳なさはあるよ」
「そこはお互い納得のうえだろが」
梨子の母親と自分の父が再婚して3年後、大学進学を機に始めた独り暮らしにも慣れ、それなりに満喫していた頃、父親の病気を知らされた。
ショックだった。
余命を宣告されても、頷けなかった。
自分を産んだ母親とは小学4年のときに死別している。
たった一人の肉親の父親までいなくなってしまう。
その現実が受け止めきれなくて、いや、受け入れたくなくて、当初は入院見舞いにすらほとんどいかなかった。
だから、毛嫌いしていた梨子の姉から聞かされるまで現状を何も知らず、月1で独り暮らしの部屋に遊びに来ては片付けていってくれる梨子の様子の変化に、何も気付けなかった。
父親の病気を受け入れられず、泣いて過ごしている母親のかわりに、甲斐甲斐しく父親の病院に通っていたのは、ランドセルを背負った梨子で。
そのうえ、遊び歩いて家に帰って来ない姉と、泣くばかりの母親のかわりに家事のほとんどをこなしていた。
よくよくみれば、梨子の体はひどく痩せてしまっていた。
慌てて病院での父親の看病を引き受け、それまで月1だったのを、毎週金曜の夜から日曜日まで料理を作ってもらいたいという名目で、顔色の悪い梨子をほとんど無理矢理、独り暮らしの自分のアパートに拐ってきた。
あの手この手で休ませようとしても、小学生のくせに困った顔で笑う梨子をかまい倒し、ベタベタに甘やかした。
突然、電池が切れたように眠る姿からは、小学生らしからぬ疲れが滲み出ていて、何度もその寝顔に懺悔した。
『駿兄、みんなにはナイショにしてね』
時々。本当に時々、体温を確かめるように抱きついてくる梨子を、ようやく自分の手で守れるようになった矢先、知らない男に引き離された。
『君は養子縁組もしていない、りこちゃんとは赤の他人だろう?』
父親の葬式が終わって、たった5ヶ月。
未成年は保護者とともにいるべきだと、自分のもとから奪っていった男は、母親の新しい恋人だった。
就職の内定がとれているとはいえ大学生の自分に、まだ小学生の梨子を奪い返す手立てがなにも思い付かず、毎週末には来ていた梨子が『行っちゃダメって言われてるの』と、泣きそうな顔で謝るのをグッと堪えて見ているしかなかった。
だから篤史からの提案に食いつくように飛び付いた。
「結婚の案だしたのは俺だし。あのままりこを家に置いてたらナニされたかわかんねえだろ」
「あいつのゲスい顔、二度と見たくないわ」
「りこイビって快感覚えてる奴もゲスいけど、そいつにすがり付いてる母親も同罪だな」
真夏なのに一切肌を晒していない梨子の服装に違和感を覚え、あの手この手で話を引き出した。
『最近体をさわられるの』と絞り出すように呟いたときは頭が真っ白になった。
隣に座っていた篤史がとめなかったら、殴り込みにいく勢いだった。
中学生になって女性らしい体つきになった梨子に、母親の恋人とやらが過剰に接触し始めたのだ。
そして、それに気づいた母親はあろうことか梨子を詰った。
未成年の梨子にはこれからどんなときにも『保護者』がついて回る。母親が恋人との再婚に踏み切ったら、これまでより干渉されることは目に見えていた。
だから『結婚』というかたちで、あいつらから引き離した。
「母親の同意を貰うのは面倒だったけどな。婆ちゃんが味方についてくれて助かったよな」
「わざわざ九州から来てくれたもんね」
「母親への一喝はビビったけどな」
ダメもとで母親の祖母に相談したところ、かなり猫を被った篤史の猫まで剥がし、その上で俺にも篤史にも梨子をお願いしますと深々と頭を下げてくれた。
今のところ心強い味方の1人だ。
「まあ、進路とかはさ。ゆっくり考える時間をやればいいんじゃね?実際、キッチリ決まってる奴のが珍しいって」
「だな。問題は恋愛関係かぁ」
「りこは無意識にずっと避けてるもんな、そっち方面全般的に」
パッと目を引く可愛さはないが、梨子はそれなりに男子ウケする。
世話好きで面倒見がいいが、誰に彼にでもではない、というのが、ハマるやつにはハマりまくるらしい。
そのうえ、父親との死別や生活の疲れで滲んだ、歳に見合わない陰が『クる』のだそうだ。
小学生のときから、たまにおかしな奴に好かれていたが、中学生になると完全にアウト。梨子の母親の恋人なんぞその筆頭だ。
時には篤史にも手伝ってもらって、自称彼氏を撃退してきたのだ。
「蹴散らしすぎたのかもなー、俺たち」
「それもあるんだろうが、根本はりこが恋愛に忌避感があるからだろ。あと身体接触への恐怖心な」
「っあーーー!!もう、あの馬鹿親と馬鹿女め!」
今は海外にいるらしい、りこの姉を思いだして腸が煮えくり返りそうになった。
やめた、話を変えよう。
「今、りこにちょっかい出してる奴、どんな奴なの」
「ムードメーカーで話好きで明るい馬鹿。イケメンってほどじゃねぇけど愛嬌と人当たりのよさでカバーしてる感じだな。そこそこ人気はあるが、すげぇモテるわけじゃねえな」
「・・・篤史、高校生相手に評価厳しくないか?」
梨子と1年の頃から一緒にいる友達のひとりなんだと聞いて心配になる。
いろいろ多感な年頃だ。
友情と恋情とか、ごちゃまぜになってトラブらなければいいけど。
「どっちみち俺ら大人が首突っ込んだり、しゃしゃり出るもんじゃねぇよ。悩んだりへこんだりも含めて、りこにゃ必要な経験だろ」
「・・・わかってるさ。はーー。もどかしいなぁ」
「下手に口出ししてみろ。『駿兄は早く彼女作んなよ』って言われんぞ」
・・・・彼女か。
作れる気がサラサラしないんだよね。
「そうすると、俺にもとばっちりがくるんだからな。つーか駿太はモテんのに、なんで彼女つくんねぇの」
「篤史が今まで彼女と長続きしなかったのと同じ理由だよね」
「俺はもう既婚者」
自分も篤史もそれなりに彼女はいたが、総じて長続きしたことがない。
今は梨子を、ようやく自分の陣地に引き込めたというのもあり、彼女を作るつもりはないのだが、それでなくても欲しい、という気になったか怪しい。
「駿太は妹離れしろよ」
「篤史に言われるとムカつくな」
静まりかえった梨子の部屋のほうへ視線を向ける。
どんなに心配でも、今は見守るしかない。
「学校では気に掛けて見てやってくれよ、センセ」
「そりゃお前に言われずとも」
「体育祭、見に行こうかな」
「授業の一環だっつーの。学内行事に保護者が顔出しすんな」
「こそっと覗けばバレなくない?」
「アホか。そうやって来たバカ親を追い払うのは俺ら若手教師なんだからな。手間かけさせんな」
学校での様子を見られる分、篤史がうらやましい。なんて思ってる時点で、相当マズイんだろう。
「ウザいって思われるぞ」
「りこに限ってそれはないよ」
「馬鹿兄め」
名前だけでもりこと家族になれた。
父親の再婚で、それだけが、良かったと思える事だ。
「馬鹿兄けっこう。だから、中途半端にりこにちょっかい出すなよ、篤史」
「中途半端じゃなきゃいいのか?」
「よし、死にたいらしいな」
願わくば。
「りこを悩ますアホは懲らしめてくれる」
「駿太は過保護すぎだ」
例えそれが俺の贖罪だとしても
憂いのない高校生活を送ってもらいたいんだ。