お兄ちゃんとしては
「どっ、どうきょーーっっっ????」
椅子を蹴っ飛ばして、ものすごい勢いで振り返った野呂君が、私の肩をがっっとつかむ。
「ひいっ!」
「兄ちゃんの友達なんだよな?なっしーをずっと独り占めして当然みたいな顔しててめちゃくちゃムカつくくし、なっしーとの距離近すぎんだろってツッコミたくなるけど、兄ちゃんの友達なんだよな?」
「おおおおおお落ち着いて野呂君」
「友達かって2回も確認してるし。ウケる」
「ゆゆゆゆゆゆっこ、ウケてないでなんとかして」
身をのけぞらせた分、どんどんと野呂君の顔が近づいてくる。変な意味じゃないとわかってても体が強ばる。
「野呂君野呂君、落ち着こう!ね?ね?」
「え、同居ってなに?ほぼってなに?ほぼ同居ってわけわかんないんですけど。ちょっとどういうこと、なっしー」
「や、まっ」
「はい、近いよー」
ぐいぐい迫っていた野呂君を私からベリっと引き剥がして棄てた駿兄に「りこ、肩痛くない?」と肩をさすられる。
その優しさは嬉しいけど、そもそもの元凶は駿兄だ。
でも宥めるように背中も一緒にさすってくれたおかげで、怖さから強ばった体から力が抜けた。
「あはっ。キミ暴走しすぎだよー」
梶原さんと木崎さんが、エアで私の肩を掴んだままの格好、つまり両手を前に付き出したまま固まっている野呂君に、「引き剥がされただけですんで良かったね」とにこやかに笑いかけてる。
「お互いの家が超近所でー。で、りこちゃんが作るご飯を駿太んちで一緒に食ってるんだってー」
(近所っていうか隣だけども。そして本当は結婚してるけども)
「なんだよそれ・・・ほぼ同居、なんて言うから。飯かよ、あーびびった」
「あはははは。久々にあんなに雅也がテンパってるの見たわー」
「うっせ」
倒した椅子を戻して、どかりと座りこんで気恥ずかしそうに頭をガシガシかく野呂君は、つづく駿兄からの余計な追加情報で動きが止まった。
「アイツとはもう長い付き合いだからね。気心知れてるから、お互いの合鍵も持ってるよ。アツシはよく、りこに寝起きを襲われるってぼやいてるよ」
「あい、かぎ・・・なっしーが・・・襲う・・・なにそれウラヤマ」
「語弊!掃除したり洗濯しに行ってるの!」
駿兄の紛らわしい言い方を慌てて訂正する。
やっと沈静化したのに、また火を着けないで!
「合鍵持ってて寝起きくらいの時間におしかけてて洗濯してるってー。りこちゃんてば母親か彼女みたいだよねー」
「梶原さんウケる!りこが母親って!そこは嫁さんじゃないのー?」
「ゆゆゆゆゆゆゆっこぉぉぉ!!!」
どさくさに紛れて、なんて単語をぶっこむんだ!!
爆笑してるゆっことは対照的に、野呂君はガシガシかいたせいで、キレイにセットされてた前髪のヘアピンがぶらんとぶら下がってて大変シュールだ。
でも突っ込める雰囲気じゃない。
私には無理。
「篤史は他人を家にあげたことほとんどないと思うよ。押し掛けられたことはあるみたいだけど、セキュリティー管理きびしいとこ住んでるから未遂だし。例え彼女でもプライベートな空間に踏み入れてほしくないってさ」
「え、それ彼女怒りません?」
「それが原因でよく別れてたみたいだよ」
駿兄とゆっこが「面倒臭い男ね(だね)」ってハモる。
いや、駿兄だって彼女を家にあげたことないじゃない。
「ほらお前ら、野呂君とりこちゃんをからかっちゃだめだよ。ああ、タイミング悪いな。あいつ帰ってきたよ」
木崎さん言葉に、駐車スペースの方を見ると、今ちょうどあっちゃんが車からおりたところだった。
帽子を被っていない上に、伊達メガネまで外しちゃってる。なんてことだ。
今の状態の野呂君に、あっちゃんが芳賀先生だってバレたら非常にマズイ。
メッセージを送って、ここにくるまでのわずかな距離であっちゃんが見てくれるとも限らないし、駆け寄って行けば余計に興味をひいてしまいそうだし。
どうしよう、と1人ソワソワとしていると、肩に手を置かれて飛び上がった。
「りこ、車の中から俺の上着とってきてくれる?篤史にはあっちで待っててもらうから。あ、篤史?」
スマホで話している駿兄がよろしくね、って送り出してくれた。
ゆっこから生ぬるい視線を、野呂君から刺さるような視線を感じたけど、振り向かずに駆け出した。
「・・・こんな気転はきくのに、なんで同居なんて言うかな」
車の側で待っているあっちゃんのところへ向かいながら、愚痴がこぼれる。
「変な顔してどうした?何かあったか?」
「駿兄がご乱心で野呂君が暴走気味なの」
「はあ?」
車から駿兄の上着をとると、あっちゃんに屈んでもらって、借りていたキャップをかぶせた。
「顔、隠しててね」
「面倒だから野呂にも話せばよくね?」
「面倒だから、今、この状態で野呂君に話したらだめなの!」
さっきの同居うんぬんの話をすると「ふーん」とテントの方をチラッと見た。
「もう少しで解散するみたいだし、テントのなかにいれば日焼けはしないと思・・・あっちゃん?」
頬に添えられた手に、上を向かされる。
「な、なに?」
目を合わせたまま、顔を近づけたあっちゃんがこめかみ辺りでスンと鼻をならす。
「甘い匂いがする」
「え、あぁ。フレンチトースト焼いたから。あっちゃんの分もあるけど、冷めちゃったし焼き直そうか?」
「いや、いい。りこ、顔が赤ぇ」
「あっちゃんが近すぎなの!」
頬に添えられたままの手を剥がそうと、手首をもって頑張ってみるけどぴくりともしない。
推定お腹あたりを押し退けてみたけど、以下同文。
「なにやってんの」
「離れたいの!」
バカにしたように笑うあっちゃんの足を踏んづけて、ようやく放してもらう。
「こういう時はスネを蹴っとばせ」
「先に言ってよ」
「俺以外の場合に決まってんだろ」
私の必死の攻防が、テントから見ていたらしい野呂君にどんな風にうつっていたのか。
ゆっこには「キスしてるのかと思った」って言われて、しっかりと訂正させてもらったけども。
帰りの車内で1人、3列目のシートに座った野呂君は、喋りっぱなしのゆっことは対照的に始終無言で、去り際に「認めないし。オレ、負けないから」と宣言された。
いつも通り、3人で夕食を食べる。
バーベキューでいつもより余分に食べた分、夜はサラダたっぷりうどんだ。
2人ともいつもと変わらないスウェットとTシャツで、
食後にテレビゲームを始めた駿兄の耳を後ろからひっぱる。
「いたたたたた、痛い痛い!りこ痛い!!」
「なんで野呂君にあんなこと言ったの?」
「あんなことって?」
「とぼけないでー」
今度は両耳をきりきりとひっぱる。
「いったたたたた!ギブギブ!!」
「やめてやれってりこ。でもなあ、わざわざ煽る必要はあったのか?ただでさえ突っ走り気味なんだぞ?」
「3日後には2学期が始まるんだよ?私は毎日学校で会うんだってば!」
赤くなった耳をさすっていた駿兄に腕を引かれて隣に座る。
「りこは今日の歩さん見てただろう?伝えたい事があるならちゃんと相手に伝わるようにしないとな」
「・・・・野呂君には断ったもの」
「逆に頑張る宣言されたんだろう?」
「ぐぅ」
もう一度はっきりと断るべきなの?でもあまり強く言って、友達関係にまでヒビが入るのは怖い。
「アッホ。野呂に告られてる時点で友達関係はおしまいだろーが」
呆れたようなあっちゃんに、なにも言い返せない。
恋愛は避けたい、友達ではいたい、なんて自分の都合よすぎだよね。
「・・・・野呂君とは、もう一度ちゃんと話すよ」
「あいつが話したところで諦めるとは思えねぇけどな。つかお前、堂々と浮気宣言か」
「私の意気込み無駄にしないでよぅ」
抱えた膝に顔を埋めた私の頭をぼすぽす叩いてるのは駿兄だろう。
「好き嫌いとか付き合うとかはちょっと置いておいて。彼の行動がりこの負担になってるようなら、ちゃんと話さないとダメだよ。りこは恋愛ごと苦手だろう?」
「そうだけど・・・だったら尚更、煽らないでくれればいいのに」
「彼が行動起こしてくれたほうが、りこにはきっかけになるだろう?」
それはそうなんだけど。
野呂君には申し訳ないけど、正直、私から改まって話を持ち出すのは結構勇気がいる。
「お兄ちゃんとして不安ではあるけど、りこが彼と付き合うとか、恋愛事情にこれ以上首突っ込む気はないよ。お兄ちゃんとして不安ではあるけれど」
「繰り返すなよ」
「・・・野呂君のこと、まだそこまで重荷になってないよ。だからもうちょっと保留にしたいっていうのが本音かな」
私のなかではまだ野呂君は友達どまりだ。
ハプニングにドキリとすることはあっても、彼自身にときめいたりはしていない。
「そんなきっちり答えだす必要あんのか?あいつがフラれたのに頑張ってるってだけだろ?」
「だーかーらー!りこが好きだの嫌いだのじゃなく、あっちの好き好きアピールに困ってるなら困ってるって伝えなきゃダメだって話をしてたんだろーが!聞いてたのかよ篤史」
「んなの困ってんなら嫌いっていっときゃいいだろ。だからお前いつも彼女に『真面目すぎて疲れる』っていわれんだろが」
「誠実に対応してんの!」
駿兄もあっちゃんも、いままで彼女がいたことは知ってるけど、彼女に会ったことはない。
だからどんなつきあい方をしてるのかもさっぱりわからないけど。
「篤史の『遊びです』を隠さないのよりマシだ!」
「割りきっててわかりやすいだろ?」
・・・いや、どっちもどっちだよ。
「私、部屋にもどるね」
少なくとも2人の恋愛経験は、私の参考にはまるでならない。
ゆっこに相談するのがベストな気がする。
自室に戻るりこの背中を、どんな顔して見てるか、こいつはきっとわかってない。
「若者は勢いがあるよね。おじさんがあれこれ理由つけて尻込みしてる間に、食い込みかたがエグいもんね」
「・・・・何が言いたいんだよ」
「わざわざ言葉にしたほうがいい?あれ、もしかして気持ち自覚してない?」
「・・・・・・・いや、いい。してる」
はぁ、と息をついてテーブルに突っ伏した篤史の気持ちはわからないでもない。
「なあ。いつから?」
「・・・・さぁな」
篤史にとってりこはもうずっと特別だ。
だが、お互いの距離が近すぎた上に、歳が離れている、教師と生徒、などなど、気持ちを自覚しないように壁を作っていた節は前からあったのだろう。
「りこは『野呂君』にしか困ってないぞ?」
篤史はカウントすらされてないぞと、揶揄すると嫌な顔をした。
「煽ったのは野呂じゃなく、俺に向けてだろ。わかってるよ。今日キスされそうになってんの見て、自分でびっくりするくらい動揺したわ」
「動揺ってゆうか、お前、殺意剥き出しだったぞ」
実は2人ともりこがコケそうになる前に立ち上がっていた。タオルを持っていたのは偶々だ。
「けどなぁ・・・・・いいのか?本気でいって」
「なにお前、自分がオトせる気でいるの?ないわー」
「よし、わかった。もう遠慮しねぇわ。建前だろうが夫婦だしな。中途半端にちょっかい出すなって言われてるし全力でいくわ」
「いや、まって篤史くーん」
ダルそうに立ち上がった篤史は、「覚悟しとけよ、お兄ちゃん」なんて笑いやがったけど、りこが本当に困らないように気を遣ってることは知ってる。
それに、恋は盲目、とはいえ、自分たち社会人はそれだけを見つめて考えているわけにもいかない。
野呂君とやらでも篤史でも、ほかの奴でも。
いまだに俺ら以外の異性からの接触に体を強ばらせるりこを、包み込んでくれるなら。
少しずつ恋愛にむき合おうとするりこを受け止めて、大切にしてくれるなら。
「野呂のこと、学校ではそれとなく注意してみるけどな。お前が煽った分のフォローはちゃんとやれよ」
「お兄ちゃんウザイ!って嫌われない?」
「現時点が一番うぜぇわ」
それでも個人的な我が儘を言うなら
「篤史・・・」
「あぁ?なんだよ」
「おさわりは卒業してからな」
「お前、ホントに馬鹿だな」
もう少し、ただの妹でいて欲しい。