まるでよくある少女漫画の設定のようです
「わぁ。また囲まれてるなぁ」
少しずつじっとりとした風が吹き始める6月。
高校も2年目になると、新しいクラスにもあっという間に慣れて、学校生活に余裕が出るのが早いのかな。
そんな事を思うのは、やれ3組の誰ちゃんはモデルをやってるかわいい子だとか、先輩の誰さんはファンクラブができるほどイケメンだとか、あいつと誰ちゃんは付き合い始めたなんて話を頻繁に聞くようになったからだ。
「こんなとこにいたのー、りこ」
「こんなとこって、私、美術部だもの。美術室にいて何の不思議があるのよ」
とはいえ、イーゼルにたてかけたキャンバスも、下描き用にと用意したスケッチブックも白いままだ。
「何々、なに見てたの?」
「んー」
私以外に部員のいない部屋に遠慮なく入ってくると、それまで私が凭れていた窓際にゆっこがぐっと身を乗り出した。
「おーやーぁ?あれ、化学の芳賀センセじゃん。よくあのカタブツにトライしようと思うね」
3階のここからは、白衣の男性教諭が、渡り廊下で女子数名に囲まれる様子がよく見える。
「確かに顔はいいし、背も高くてスタイル良いし、白衣に眼鏡とか萌えるけどさー。無愛想で無表情で無駄なことが大嫌い!っての隠そうともしないところで、大幅マイナスだよね」
「んー」
「神経質そうだし、こだわりすごそうだし、あーゆうカタブツが自分だけには恋におちてデレるって、そりゃ漫画だけだっつーの」
「ふふ。辛辣だねぇ」
「あれ?りこも芳賀センセのこと狙ってたんだっけ?そしたらごめん」
「たまたま外見てたら目に入っただけだよ。世の女子は元気だなって思ってさ」
「りこ、枯れてんね」
下ではすげなくあしらわれたか、小言でもくらったか、肩を落とした女子たちを置き去りに、白衣の背中が立ち去っていった。
一瞬こちらを見上げた気もしたが、気のせいだろう。
ふう、と息をついて窓の施錠をすると、広げた画材を片付け始めた。
「で?ゆっこ、何か用だったの?」
「あ、忘れてた!LINEN送っても返事がないから直接来ちゃったんだけど、今日この後暇?」
「ごめん、鞄にいれっぱなしだったや・・・あと、今日はあんま暇じゃないかな」
私の返事にゆっこが眉根を寄せる。
・・・最近ずっと断ってるからなぁ。
「まさか、彼が、できた、とか」
「またすぐ恋愛関係に結びつけるんだからー。帰りに寄るところがあるからだよ」
「そっかぁ残念。駅前に出来たカフェにいこうと思ってたんだよね。じゃ、また今度誘う!」
「ごめんね」
今日は金曜日。
「キャベツ98円、まだ残ってるかな。あ、卵が特売だ」
スマホのアプリを立ち上げると、家から近いいくつかのスーパーのチラシと、目当てのものをチェックする。
頭のなかで今夜の献立を考えていると、スマホがチカチカと光る。
送られてきた画面には『メンチ食いたい』の一行。
軽く溜め息をつきながら『コンビニでアイス買ってきてくれたらね』と返すと、恐ろしく早くレスがあった。
『200円以内なら可』
「はあー?けちくさいなぁ」
まだ仕事中の筈だ。
まったく、どんな顔してこのメッセージを打ってるんだか、と想像したらちょっとツボったので、200円以内で許してあげよう。
『20時過ぎたらないものと思うこと』と返しておいたから、今日は早く帰ってくるだろう。
「メンチか。ひき肉か豚こまも買わないとかなー」
色々逆算すると、あまり時間がない。
鞄を手に取ると急ぎ目に美術室をあとにした。
「ただいまーりこー」
「お帰り。金曜はいつも遅めなのに、珍しく早かったね」
きっちりと着こなしたスーツのネクタイを緩めながらキッチンに顔を出したのは、兄の駿太だ。
「こっちくると油はねるよ?」
「何作ってんの?あ、メンチ!」
「あたり。着替えてきちゃいなよ」
やったー、と子供みたいにはしゃぐ26歳に、床に脱け殻みたいに落ちているスーツの上着もちゃんと片付けるように声をかける。
歩く道筋に脱いだものを落とすようなダメな大人だけど、仕事では営業マンとしての成績はいいらしい。
まあ、本人談だけども。
私服に着替えた駿兄が手伝いたいのか、味見したいのか、周りをウロウロしはじめる。
2DKのさして広くもないキッチンに、180センチオーバーなのが一緒にいるだけでも窮屈なのに、ウロつかれると危なくて仕方ない。
「駿兄、隣呼んできて」
「えー、呼ばなくてもそのうち来るよ」
「じゃ、お箸並べてくれる?」
いいよーって素直にやってくれるのはいいんだけどね。
ちょうどメンチが揚げおわるころ、当然のようにピンポンも鳴らさずに、もう1人がやってきた。
「りこー、はらへったー」
「おかえり。ちょっとあっちゃん、なにその格好」
「んー?あ、やべ。着替え途中だったわ」
上は首までしっかりボタンがしまってるワイシャツ。
下は片方だけ膝まで捲ったジャージ。
どんな中途半端よ。
「篤史、それはないよ。俺でもないわ」
「飯食うだけだし、もうよくね?」
「しかも貢ぎものも持ってない」
「・・・・・・・あ」
スーパーで買い物すると迷子になるだろう、とわざわざコンビニのアイスと指定したのに。
「・・・飯くったら買ってくるよ」
「しっかりしてよね。まったく、これが学校で人気のクールで知的な芳賀先生とは、嘆かわしい」
駿兄と同じ180センチオーバーの身長。
ぴっしりとかきあげられた前髪に銀縁の眼鏡。シワひとつないピシリとした白衣とネクタイとワイシャツ。
笑った顔はもちろん、その表情が崩れるところを誰も見たことがないとウワサの鉄面皮で、生徒にも同僚の先生にも素っ気ない態度が常だ。
外では。
「とりあえず上だけでも着替えてきてよ」
「えー、面倒」
「面倒とか言わないの。もう、外面の10%でいいからしっかりして」
「えー。じゃあ駿太、Tシャツ貸して」
すぐ隣に着替えに帰るだけを面倒臭がるあっちゃんは、汚れが目立たないって理由で、黒かグレーの服がほとんど。夏はTシャツ、冬はトレーナーにスウェットのパンツ。頭は仕事用の髪をぐしゃっと崩したのが丸わかりの、無造作すぎるボサボサヘア。
こっちが通常仕様だ。
「うまっ、やっぱ揚げたてだよな」
「篤史、ソースこぼすなよ」
「駿兄もこぼれてるからね。2人とも大人なんだからキレイに食べてね」
3人でテレビを見ながら、ローテーブルでご飯を食べる。部屋の大きさの割に存在感のある大きめのテーブルは、細身とはいえ大柄な男2人がいるせいなのと、私がおかず派だからだ。
色んなおかずが入った小鉢がたくさんあると幸せな気分にならない?
そしてそれが猛然としたスピードで消えていくのは見ていて気持ちいいのだ。
「駿兄もあっちゃんも、よく噛んで食べて」
「噛んでる」「食ってる」
朝も夜も、いつものやりとり。
もしゃもしゃとキャベツを食べながら、なんとなく駿兄とあっちゃんを観察する。
メンチの揚げ衣をポロポロ落としてるのも、添え物のキャベツからソースをポタポタたらしてるのも、タイプは違うけど、いわゆるイケメンって人種だ。
駿兄は口元のホクロがちょっとエロい、可愛いアイドル王子様系(衣のカスで今はホクロは見えないけど)
あっちゃんは触れたら切れるようなクールインテリ眼鏡の腹黒系(伊達眼鏡だから今はしてないけど)かつ、オフのときはワイルド俺様系(良く言えば)
外装が良いと人生ちょっとばかりお得な感じがするのは、私だけなのかなぁ。
「りこ、あーん」
差し出されたミニトマトを恥じらいなくバクっと食べると、隣にアスパラが待ち構えてた。
「ほれ、りこ」
「駿兄もあっちゃんも、自分の割り当てのミニサラダくらい、好き嫌いせずに食べなよ」
「お前の成長の手助けしてやってんじゃん」
「ほう。あっちゃんは明日から野菜まみれが御希望ですか」
「・・・ちゃんと食う」
そんなしかめっ面してもイケメンは通常運転だから、やっぱりお得なんだと思う。
「完璧主義で隙がないと噂の芳賀センセ。私のアイスは?」
「・・・・・イヤミな言い方すんなよ、りこ」
「えーなにー。篤史、まだ化けの皮剥がれてないの?すごいね」
男子が担当の食器洗いが済むと、寝転がって本を読み始めて動かなくなった、無駄に大きな背中を足でつつく。
「あっちゃん、人見知りで人付き合いが苦手なだけなのに、クールとか言われてるんだよ」
「ウケる」
「うっせ。女子高生の騒がしいのは苦手なんだよ」
現役女子高生の前で何を言う。
「でもさ。実際問題、外面そんなに固めちゃうとそのうち疲れるぞ、篤史」
「お前に言われたくないけどな。つーか、変に絡まれないようにしてるだけで、別人演じてるつもりはねぇし」
「今日、友達も言ってたけど、あっちゃんは少女漫画のあり得ない設定の男子だよね」
「なんだそりゃ、わけわかんねぇ」
「ヒロインの前だけ素で、溺愛系でってやつ」
「篤史が溺愛系!あはははっいて!蹴るなよ」
変わらない気安いやり取りは、私が小学生の頃から。
でも、こんな生活が始まったのは、1年と3ヶ月前。
高校入学前の春休みからだ。
「そうだ、りこ。来週、出張がありそうなんだ」
「泊まり?」
「うん。まだ不確定でさ、何泊になるかもいつからかもはっきりしなくて。りこ、どうする?」
「・・・なにが?」
駿兄の顔にはデカデカと『心配』が浮かんでる。
「りこ1人になるじゃん。篤史んち泊まる?」
「いやいやいやいや」
「駿太、お前バカだろう」
私をいくつだと思ってるんだか。
だいたい間に階段挟んでるとはいえ、アパートの隣の家に泊まる理由がさっぱりわかんない。
徒歩10歩だよ?
「駿兄、そもそもあっちゃんちに私が寝泊まりでるスペースがあると思う?」
「ないぞ」
「あっちゃんも、そこを自信満々に言わないの!」
「篤史とはいえ、男の家に泊まれなんて!とは怒らないのな、りこ」
溜め息をつく駿兄の言葉に、あっちゃんと顔を見合わせる。
「まかり間違って怪しい雰囲気になったとしてよ。恋愛力ゼロの私に、手取り足取りイチから恋愛レッスンなんて面倒臭いこと、あっちゃんがすると思う?」
「・・・・・思いたくない。でもなー」
「おいこら、山盛兄妹」
私が一緒に暮らし始めるまで、よく生き延びてたなと思うほどの2人は、とにかく面倒臭いことが大嫌い。
ものぐさ大魔王なのだ。
駿兄の部屋は気を抜くとすぐにごみ屋敷になる。
衣類もそうだけど、もとの場所に戻す、とかゴミ箱まで歩くのすら面倒臭がるからだ。
一緒に暮らし始める前から時々遊びに行っては、汚屋敷を片付けてたからわかってはいたけど、一緒に暮らそうと誘ってくれたのは、決して親切心だけじゃなかったんだと、暮らし始めてすぐに痛感した。
その兄を上回るのがあっちゃんだ。
なにせ、うっかりすると寝食が面倒臭くなっちゃう人だ。
「どうせ飯は一緒に食うんだし、泊まる必要はないだろ。つかなに?名目上の関係性をリアルにしていいよっていう許可か?」
「よし、そこになおれ。叩っ切ってやる」
「受けてたつ」
エアでチャンバラごっこを始めた大人たちは放っておいて、自室に戻ろうとすると、泣き真似をしながら駿兄が風呂場にかけていった。
仲良しだなぁ。
「うし、帰るか」
よっこいせ、なんて言って立ちあがるあっちゃんについて玄関まで行く。
「アイス・・・」
「今度な」
「ピロリロリーン!!利子がついて高級アイスにランクアップしました」
「まじか」
薄給取りにやさしくねえなって嘆きつつ、開けた玄関ドアを何故か一度閉め直した。
「どしたの?」
「りこ、明日暇?」
なんだろ、似たような台詞を夕方聞いたぞ。
「一応聞くけどなんで?」
「・・・・・・・部屋の荒れ具合がさ、ちょっと」
「・・・彼女がやってくれたんじゃないの?」
「奥さん。俺、浮気はしない主義」
「形だけでしょう?旦那様」
前に見たあの人、彼女じゃなかったのかな?
美容に気を遣ってる感じの人だったから、あっちゃんの荒れた生活にドン引いてフラレちゃったのかもね。
「いいけど、シュークリームも追加ね」
「まじかよ」
「行く前にLINEN入れるから、スマホ近くに置いといてね。あと、パンツ一丁とかで寝ないように」
「・・・りょーかい。おやすみりこ」
「うん、おやすみー」
今度こそ出ていった扉の鍵をガッチャンと締める。
「奥さん、ねぇ」
ぼそりと呟いて踵を返した。
大義名分。漫画の設定もびっくりなことに、書類上とはいえ、私とあっちゃんは結婚してる『夫婦』なのだ。