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婚約破棄された隠密令嬢は、変人皇帝に翻弄される

 闇が空を覆い隠す頃。

 宮殿では贅沢にも蝋燭をふんだんに使った煌びやかな夜会が開かれていた。

 シャンデリアから降り注ぐ光が、ダンスホールへと降り注ぐ。

 ダンスホールでは眩い輝きにも負けない色とりどりの花が咲き誇っていた。

 会場の端に申し訳程度に用意されたテーブルには純白のテーブルクロスが敷かれている。

 レースが印象的なテーブルクロスの上には銀の食器が並べられており、瑞々しい果実が食されるのを今か今かと待ち望んでいた。


「ジャンナ・スカーレット! お前との婚約を破棄する!!」


 そう宣言されたのは、ジャンナが果実を一粒手に取った時だ。


(むぐ。さて、どうしましょう)


 虚空へと向かって指した金髪碧眼の男へとジャンナは目を向ける。

 彼はジャンナの婚約者であり、この王国唯一の王子だ。

 誰もいない空間を指差す王子に、静まり返っていたはずの参加者達がひそひそと喋り出す。


「誰も、いない、わよね?」

「え、えぇ」

「気でも触れられたのか?」


 王子は周囲からの訝しむような視線に耐えられなくなったのか、また声を張り上げた。


「くそっ、おい!! ジャンナ! 出てこい!!」


 今度はジャンナの居場所とは真反対へと目を向けた王子に、やれやれと大きなため息をつく。

 人垣をするりと抜け、王子の横へと出るが誰もジャンナに気が付いた様子はない。

 至近距離に近づいても気が付かない王子に声をかける。


「殿下。私はここにおります」

「おい。ジャンナはどこにいる!?」

「だから、バーナード殿下。ここにおります」


 キョロキョロと視線を彷徨わせるバーナードとやっと目が合った。

 しかし、声に反応して目を合わせたのではないらしく、バーナードが飛び上がる。


「うぁわぁあッ!? お、おまっ、おまえ、いつの間に!?!?」

「そんな幽霊を見たような反応しないでくださいませ。仮にも婚約者なのですから、いい加減慣れてください」

「慣れるものか! いつもいつも! 何故いない!? 俺の隣にいつもいるべきだろう!?」

「そんなこと言われましても……。ちゃんと近くにはおりますよ?」

「えぇい! うるさい!」

「はぁ。それで私を呼び出して何がしたいのですか? 婚約者様?」

「もう婚約者ではない! ジャンナ! お前との婚約は破棄する!」


 同じ言葉をニ度も聞けば嫌でも冷静になれるというもの。

 小さくため息をつくと、ジャンナの肩口から真っ赤な髪が流れ落ちる。

 ウェーブがかった横髪を払い、髪と同じ色の目をバーナードへと向けた。


「殿下、本気ですか?」

「本気だ。父上の許可もある。これを見ろ!」


 バーナードが懐から取り出したのは国王のサインが入った書状だ。

 突きつけられた書状をじっと見つめ、内容を確認する。


(サインに偽装の形跡はなし。玉璽(ぎょくじ)も本物ね。っと、いけない。内容を……私との婚約破棄。そののちに妹との婚約を成立させる……?)


 肝心の内容へ入るまで数秒かかったが、ゆっくりと内容を脳内へと反芻(はんすう)させる。


(なるほど。私と結婚は嫌。でも公爵家の後ろ盾は残しておきたい、と。強欲ね)


 くるくると横髪を指で遊ばせ、思考を巡らせる。

 これは考える時のジャンナの癖だ。


(王族としても公爵家との繋がりが残ればいいってことも分かったことだし、身を引いても問題ではない。……一番の問題は継母ね。きっと追い出されるでしょうし……)


 黙り込むジャンナがこれからのことを思案しているとは思っていないのだろう。

 バーナードは勝ち誇った顔でふんぞり返る。


「公爵家の娘はもう一人いるからな。お前は用済みだ」

「かしこまりました。でしたら私はこれにて御前を失礼させていただきます」

「まぁ待て。俺も鬼じゃない。婚約破棄した傷物の後処理ぐらいはするさ」

「つまり?」


 なかなか結論を話そうとしないバーナードに苛立ちを感じながらも続きを促す。

 すると彼はふふんっと鼻で笑いながら、ジャンナに告げる。


「喜べ。あの変人皇帝との婚姻を決めてきてやった」

「……はい?」

「出立は、今すぐに、だ。逃げられたら困るからな。衛兵! 連れて行け!」


 バーナードの言葉に申し訳なさそうな顔をした衛兵がジャンナの腕を掴む寸前。

 ジャンナはすっと横へ移動し、お手本のようなカーテシーを行ってみせた。


「私は逃げも隠れも致しません。それでは、ご機嫌よう」


 そう言い残し、ジャンナは自ら会場を後にした。



 ◇◆◇




 一ヶ月ほど馬車に揺られ、帝国へと到着した。

 帝都に入ったと御者が知らせてくれる。

 ジャンナは馬車の外の様子を見ようと日差し除けのために付けられたカーテンをめくった。

 すると窓から目を開けるのも困難なほどの陽光が照りつけ馬車内部を照らす。

 眼前に飛び込んでいた光景は、母国では考えられない光景だった。


 帝都の大通りは多くの人で賑わい、獣人や亜人など種族の垣根もない。

 行き交う人々の表情も明るく国として安定しているのだろう。


(いい国ね)


 隠密として色々な国を巡ったが、ここまで国民の顔が明るい国は稀だ。

 その上、他国とは比べ物にならない軍事力を誇っているのだから、抜け目がない。


(どうやっても帝国に潜り込めなかったのよね。毎回見つかる寸前で逃げることはできていたけど……。わざと逃がされている気もするのよね)


 ジャンナは帝国へ潜入を試みたことがある。

 しかし、帝都までは辿り着けるものの何度試しても城に入ることが出来なかったのだ。


(まぁ、今となっては関係のない話ね)


 馬車が止まり、着きましたよと御者の声が聞こえた。

 返事をして鍵を開ければ、扉が開かれる。


(きっと無理矢理結ばれた婚姻だから、出迎えもないでしょうね)


 そう思いながらジャンナは一歩外へと踏み出した。


(……これは?)


 予想とはとは裏腹に、数えきれないほどの人数が頭を垂れジャンナの到着を出迎えている。

 それは城内全員が勢揃いしているのでは? と錯覚しそうなほどの人数に、ジャンナは目を見開いた。

 歓迎されることはないと思っていただけに、驚いてしまったのだ。

 それ以上に、ジャンナの目の前で手を差し出している人物に驚き、固まってしまった。

 彼はジャンナが思考停止していることも厭わず、にこにこと声をかけてきた。


「ようこそ! お待ちしておりました!」

「え、えぇ」


 なんとか声を絞り出し、ジャンナは返事をする。

 しかし頭の中は疑問でいっぱいだ。


(私は試されているのかしら……?)


 ジャンナがそう思うのも仕方がない。

 なぜなら、ジャンナの目の前にいるのは、道化師(ピエロ)なのだから。


(どうして道化師(ピエロ)? 声で男性なのはわかったけれど……)


 不躾だとは思いつつも、道化師(ピエロ)をじっと観察してしまう。

 体格は騎士よりもがっしりしておらず、どちらかと言えば細身だ。

 道化師(ピエロ)独特のフリルがついた服のせいで目測でしかないが、あまり腕っぷしは強くはなさそうな体格をしている。


 白塗りされた顔の左右の頬には、星とハートが描かれており、目を引く。

 元の顔は全く予想できないが、その状態でも分かることが一つだけあった。


 それは、とても整った顔立ちであるということ。


 顔の輪郭を見せつけるように艶やかな銀髪がオールバックにされており、良くも悪くも彼の美貌を際立たせていた。

 髪型は化粧で汚れないようにとの配慮だろうか。

 その配慮でさえも色香を増幅させるだけなのだから、素顔であればもっと破壊力は上がるはずだ。

 なぜなら、白塗りされていても隠しきれない鼻梁、形のいい唇や顎の形までもが、圧倒的な造形美を象っているのだから。


 魔性を感じるのはそれだけではなかった。

 ミステリアスさを強調するように輝く紫紺の瞳だ。切れ長の目は本物のアメジストのように美しい。

 心の奥底まで見透かされそうな、不思議な目だ。


 見入られそうな瞳から目を離したジャンナは、彼の手を借りて馬車を降りた。


「ありがとうございます。それで、旦那様はどこに……?」

「何を言っているんですか。目の前にいるでしょう?」

「目の前に……?」


 視線を巡らせるがそれらしい人物はいない。

 それが、さらにジャンナの不安を掻き立てた。

 目の前にいる人物は一人しかいない。


「まさか」


 辿り着いた答えにジャンナは言葉に詰まらせた。


「そのまさかだよ。改めてようこそ。我が城へ。歓迎するよ。ジャンナ嬢」


 道化師(ピエロ)改め、皇帝ラルフ・レイモンドはそう言って笑った。




 ◇◆◇




 帝国で生活をすること早一ヶ月。

 ジャンナは付き人を連れずに庭園へと来ていた。

 薔薇の咲き誇るこの場所は、薔薇垣のお陰でジャンナの姿は城の廊下からは見えないだろう。


「ここならきっと――」

「きっと、なんだい?」

「ひゃあ!?」


 耳元で囁かれ、ジャンナは飛び上がった。

 簡単に背後を取られてしまったジャンナは、屈辱だと言わんばかりの顔を声の主に向ける。


「~っ、ラルフ陛下! もう少し普通に声をかけて下さい!」


 今だ道化師(ピエロ)の姿のラルフに抗議をするが、きょとんとした顔が返ってきた。


「え? だって、これを望んだのジャンナだよ?」

「それはっ、そうですけど……!」

「まさか勝負を挑まれるとは思ってなかったけど、なかなか楽しいね」

「毎回見つけられて、私の矜持はボロボロよ」


 悔しげなジャンナは舌打ちする寸前で思いとどまる。

 その様子を面白そうに眺めるラルフは、なかなかいい性格をしている。


 今まさに勝負の真っ最中だった。

 ルールは簡単で、隠れるジャンナをラルフが見つけるという単純なもの。

 そのため、今日の勝敗はラルフに軍配が上がったことになる。


(一ヶ月間勝負を続けているのに、どうして勝てないの!?)


 ジャンナは母国で隠密として働いていた経歴がある。

 元々の影の薄さも相まって誰にも見つかったことがなかった。

 そのため、今回の勝負も勝利を確信していた。


(そもそも強者の風格っていうのがないのよ。どちらかというと、自分の身も守れないような軟弱な雰囲気なのに……)


 納得がいかず、ラルフをじっと見つめる。


(いつ見ても道化師(ピエロ)ね。いや、メイクしてるから当たり前なんだけど。掴みどころがない所とか、本当道化師(ピエロ)って感じ)


 ジャンナの視線に気が付いたラルフが、すっと手を差し出してくる。

 令嬢の性か、その手につい手を重ねてしまう。

 自然にエスコートされたジャンナは庭園の隅から、城内の廊下からよく見える噴水へと連れ出されてしまった。

 それは今日の勝負が終わった合図だ。

 ジャンナが噴水に腰かけるとラルフも隣に座った。

 しばらくすれば二人を見かけた衛兵や侍女たちが付き人を呼ぶだろう。

 今では迎えが来るまでの間、語らうのが日課となっている。


「まぁ初夜をかけて勝負だなんて刺激的だね。俺としてはもう少し色っぽく誘って欲しかったけど」

「そもそも貴方が部屋に来ないのが悪いんじゃない」


 嫁いだその日から今に至るまで、ジャンナとラルフは夜を共にしたことがない。

 そのため、二人の仲は冷え切っていると社交界では囁かれ始めている。

 二人の私生活を社交界に漏らした侍女は即日解雇されたが、その噂を真実だと知らしめることとなった。

 しかし噂とは身勝手なもので、尾ひれがついて回り、このままでは離婚寸前だと言われかねない。


「俺は君を大事にしたいんだよ。わかってほしい」


 真剣な顔をしたラルフが見つめてくる。

 しかし、ジャンナの心中は穏やかではない。


(そう言うなら偽装のため部屋に来るぐらいいいじゃない。変なところで律儀なんだから)


 知ってか知らずかいまだ紳士すぎる彼に、ジャンナは唇を尖らせて呟いた。


「貴方はいつもそればっか」

「お嫁さんを大切にしたいって、そんなにおかしいことかな?」

「白い結婚なんて、恥でしかないわ」

「それは違うよ。って言っても納得しないから勝負を仕掛けてきたんだろうし……」

「当たり前でしょう! なのに、どうして毎回私を見つけることが出来るの!? 他の人には絶対に見つからないのに!」

「俺の可愛いお嫁さんなんだから、見つけられるのは当たり前じゃない? それに、こんないい匂いをさせる娘、そうそういないよ」


 ジャンナの赤い髪を掬ったラルフは、髪に口づけるフリをして笑った。

 フリに留めるのはメイクが付かないようにとの配慮だろう。

 しかし、ジャンナが照れる様子はなく呆れた顔でため息をついた。


「匂いなんてしないはずよ」


 なにせ、ジャンナは匂いの残るような化粧品やシャンプーなどは一切使っていない。

 だというのに、ラルフは匂いがするという。


「ちゃんと甘い匂いがするよ」

「ありえないわ」

「信用無いなぁ」

「見つけられないからって婚約破棄されたのよ。匂いがあるならここに嫁いでいないわ」

「それは相手の見る目がなかっただけじゃない?」


 流れるように髪から頬へと手が移動し、頬をなぞられる。

 慈しむような手つきでなぞられ、ピクリと反応してしまった。

 するとジャンナの反応を面白がるように、耳へと指が伸びる。


「っ」

「ふっ。ジャンナはこんなに可愛いのに、ね?」


 優しい声色と耳を刺激する指に、ジャンナは気恥ずかしくなり目を逸らす。

 そんなジャンナを見たラルフが楽しそうに目を細める。


「本当、俺のお嫁さんは可愛い」

道化師(ピエロ)皇帝のくせに」


 ぼそりと呟いた言葉に、ラルフは吹き出した。


「ぶっ、あはは!! 道化師(ピエロ)皇帝か! そのまんまだね。あはは! それ、ジャンナが考えたの? 可愛すぎでしょ」

「っ、そんなに笑わなくてもいいじゃない」

「だって、ずっと俺のこと考えてくれてたんでしょ?」

「そこまで言ってないわよ。ちょっと、ねぇ、聞いてる?」

「可愛いジャンナの言葉を聞き逃すわけないよ」

「それ、絶対聞いてないでしょ」


 身を乗りだしラルフの胸を軽く叩く。

 手を受け止められ彼の手から逃れようと手を引いた。

 しかし、握られた手が離れることはなかった。

 ジャンナが手を離して欲しいと口にする寸前。


「ちょっ、危ないって」


 ラルフが声を上げた。


「え? っきゃ!?」


 なぜか体勢を崩してしまったラルフは、ジャンナと共に噴水へと落ちてしまった。

 ばちゃんと大きな音を立てて水しぶきが上がる。

 ラルフを下敷きにしてしまったジャンナはすぐに起き上がった。

 だが彼が気にする様子はない。

 少しだけ上体を起こしたラルフは、ジャンナを気遣うように眉を下げる。


「盛大に落ちちゃったね。大丈夫?」

「大丈夫よ。でもびしょ濡れだわ。……っ!?」


 起き上がり目にした物にジャンナは息を呑んだ。

 なぜなら倒れ込む寸前に座っていた場所にナイフが四本突き刺さっていたからだ。


(あの形状のナイフは、まさか)


 驚きを隠せないジャンナの視線を追ったラルフがぼそりと冷たい声で呟く。


「……あぁ。賊か」


 聞き間違いかと思うほど冷え切った声色に驚きラルフを見れば、水に濡れて化粧が崩れてしまっていた。

 初めて見る彼の素顔に、ジャンナは別の意味で固まってしまった。

 所々白塗りが流れた箇所には褐色が覗いている。

 ピクリとも動かないジャンナを心配そうな紫紺の瞳が見上げた。


「今、なんて……?」

「ん? 賊が紛れ込んだみたいだね。噴水に落ちて助かったみたいだ」

「……そうね。早く戻りましょう」


 違和感を感じながらもジャンナは立ち上がり、噴水から出た。

 びちゃびちゃとドレスから水が滴り、地面にシミを作る。

 同じように立ち上がったラルフからも大粒の水滴が落ち、地面を濡らした。


「賊が襲ってこないうちに戻ろう」


 ラルフがそう言ってジャンナの腰に手を回した、その時。

 黒い覆面を被った賊が五人ほど現れた。


「大人しくしてもらおうか。ラルフ・レイモンド陛下」

「我々の目的はただ一つ。貴方の命だけだ」

「貴殿が抵抗しなければ、城内の人間には手を出さぬ」

「抵抗してくれるなよ」


 見慣れた服装の賊に、ジャンナは目が零れ落ちそうなほど見開いた。

 一人だけ見慣れない顔がいるが、今は気にしていられない。


(どうして、王国の隠密がここに? 私が嫁ぐことで和平を結びましょうってことじゃなかったの?)


 姿を現した賊に、驚くこともなく、ラルフは大きなため息をついた。


「はーぁ。今来ちゃう? もうちょっとタイミングを考えてほしいなぁ。愛しい妻とデート中なんだけど?」

「ラルフ陛下、あの者たちは――」

「大丈夫。心配しないで」


 言いかけた言葉を最後まで言わせてもらえず、賊の攻撃が始まってしまった。

 ジャンナと一緒に飛んでくるナイフを軽々と避けるラルフは、飄々とした顔を崩さない。

 しかし、逃げ回るだけでは、この状況を好転させることはできないだろう。


(賊のリーダー、あれは王国の誇る隠密の精鋭だわ。ラルフ陛下ではすぐにやられてしまう! っ、かくなるうえは……)


 腰に回った手をはがしたジャンナは、ラルフににっと笑ってみせた。


「私が彼らを引き付けるわ。その間にラルフ陛下は逃げて」

「え、ちょっと!」


 ラルフの制止を振り切りジャンナはドレスの裾を裂いた。

 太ももに忍ばせていた短剣を取り出し、ジャンナは賊へと襲いかかる。

 近場にいた賊はラルフしか見ていなかったようで、飛びかかってきたジャンナに目を見開いた。


「っ!? どこから湧いた!?」


 ジャンナの刃が覆面を掠めたその時、別の賊に首根っこを捕まれ、賊は運よく攻撃を避けた。


(私に気が付いていなかった……? いいえ、それよりも)


 ジャンナの存在に気が付かなかった賊は、よく知った声をしていた。

 わずかに届いた刃が覆面に切れ込みを入れていたようで、賊の覆面が落ちる。

 姿を現したのはジャンナの元婚約者バーナードだ。


「……なぜ貴方様がここに?」

「ふん! お前が上手くやっているか見に来たのだ!」

「は?」

「我が国の隠密であるお前に与えた極秘任務忘れたわけではあるまい?」

「……は?」


 突然意味の分からないことを言い出したバーナードに、怪訝な顔を向ける。


(どういうこと? 殿下がここに来ていることと何か関係がある? というか、極秘任務なんて私知らな――そういうこと!!?)


 そこまで考えて、さっと青ざめる。

 ジャンナは妃といえど、まだ帝国へ来て一ヶ月しか経たない新参者だ。

 そんな妃が他国の密偵だと知れば、ジャンナは最悪処刑されるだろう。


(そう。使い終わった駒はいらないってことね)


 ニタニタといやらしい笑みを浮かべるバーナードに殺意が沸く。

 だからといって彼を狙おうにも隠密たちに守られているため、先ほどのように避けられてしまうだろう。


(……ラルフ陛下は今の、聞いていたわよね。怖くて顔を見れないわ)


 裏切ったと罵られるだろうか。それとも、何も言わず処刑台に案内されるだろうか。

 悪い方向へと思考が行ってしまい、ジャンナは目を伏せた。


「よ、っと」


 この場に不釣り合いな声とばちゃばちゃとした水音が聞こえる。

 ばさりと何かが落ちる音がしたかと思うと、ジャンナは背後から抱きしめられた。


「そんな不安そうな顔しないで」


 ジャンナを守るように抱きしめたのはラルフだ。

 首周りにあるはずの特徴的なフリルは取り除かれており、いつも以上に密着している。

 彼を見上げれば、褐色の肌がジャンナを包んでいた。

 先程の音はどうやら化粧を全て落としていた音だったようだ。


「ラルフ陛下……そのお顔は……」


 水に濡れたため、オールバックだった髪は垂れ下がり、褐色の肌を彩っている。

 紫紺の瞳は突如砂漠の夜に現れたオアシスのように幻想的で、見入ってしまう。

 絶世の美女ならぬ、絶世の美男子といった顔のラルフに、ジャンナは困惑するばかりだ。


「化粧を取るとさ、素が出ちゃうんだよね。素は皇帝らしくないってよく言われてたからさ、暗示みたいなものなんだ」

「へ?」


 どこか氷のような冷たさのある表情に、ジャンナの背に冷や汗が伝う。

 圧倒的な強者に感じる威圧感を、この時初めて感じた。


「だけど流石に黙っていられないなぁって」

「えっと、何が……?」

「一瞬で終わらせるから、待っていて」




 ◇◆◇




 ラルフはその宣言通り、一分もかからず賊を瀕死に追い込んでしまった。

 ジャンナも目で追うのがやっとで、彼がどのような動きをしていたのか理解できなかった。


(まさかバーナード殿下が廃嫡になるなんて思ってもみなかったわ)


 騎士に引き渡されたバーナードが去り際にぺらぺらと王国の内情を喋ってくれたのだ。

 曰く、ジャンナの隠密で得られていた情報が無くなり、ものの一ヶ月で国家が傾き初めてしまったらしい。

 そのためジャンナを連れ戻そうと帝国に手紙を送ってみたものの、返事が来なかったために、強硬手段にでた。

 バーナードが連れて来られたのはジャンナを婚約破棄した罪を身を持って償え、とのことだ。


 賊の処理という急務に見舞われたラルフと共に公務をこなした後、ジャンナは執務室のバルコニーで風に当たっていた。


「ジャンナ。お待たせ」

「あら? メイクして来なかったの?」

「あぁ。今はこれでいいんだ」

「?」


 首を傾げるジャンナの隣を陣取ったラルフが、月明かりに照らされた。

 銀色の髪が月光を浴びて煌めく。

 褐色の肌と相まって艶美(えんび)な雰囲気を纏っている。

 少し細められた紫紺の瞳にはジャンナしか映っていない。

 当てられそうな色気にジャンナは思わず喉を鳴らした。


「ジャンナ。俺は君のことが昔から好きだったんだ。正直、今日のことで俺はものすごく嫉妬している」

「……え?」


 両手を取られ、じっと見つめられる。

 ジャンナを見つめる瞳の奥には仄暗い熱が宿っていた。

 その熱に食べられそうだと感じたジャンナは思わず一歩下がろうと足を引く。しかし、それは許されなかった。

 両手を握っていた手を引かれ、逆にラルフの胸に飛び込む形になる。

 ぎゅうぎゅうと抱きしめられたジャンナは抗議しようと上を向くが、破壊力の高い顔面に何も言えなくなってしまった。


「密偵として潜り込んでくる君を見る度、胸を高鳴らせていた」

「え? えっと……?」


 状況に追いついていない頭を回す。

 しかし、続いた言葉にジャンナの思考は完全に停止してしまった。


「城に忍び込めずに悔しそうな顔をするジャンナはとっても可愛かった」

「は……?」

「極秘任務なんて信じてない。俺はずっとジャンナを見てきた。やっと手に入れられたんだ。あんな奴に壊されてなるものか」

「ラ、ラルフ陛下?」


 耳元で呟いていたかと思うと、ラルフが唐突にがばりと顔を上げた。


「ジャンナ」

「は、はい」

「俺は君が好きだ。狂おしいほどに」

「ならどうして部屋に来てくれないの」

「俺は段階を踏んでから一歩ずつ進みたいの」

「なにそれ。初々しい恋人みたいなこと言うのね」


 思わずくすりと笑えば、そうだよと拗ねたような言葉が返ってくる。


「俺はジャンナと恋人になるつもりだよ」

「私と、恋人に……?」

「そうだよ。冷え切った結婚生活なんて御免だしね」

「確かにお互いを尊重しあって生活したいわね」

「うん。なら、俺が我慢の限界だって言っても受け入れてくれる?」


 可愛らしく首を傾げるラルフに、ジャンナは後先考えず小さく頷いた。


「内容にもよるけど、夫を受け入れるのが妻の役目よ」

「男前だね。じゃあキスしよっか」

「え?」


 ラルフの言葉にジャンナは困惑するしかない。

 言質を取られてしまっているため、逃げ場がない。


「ね、いいでしょ? 俺たち夫婦なんだし」

「えっと、あの……」


 楽しげなラルフが急かしてくるものだから、ジャンナはますます焦ってしまう。


「ほーら。早く。目を閉じて」

「ちょ、ちょっと待って」

「待たない」


 強引に重ねられた唇から、


「もう逃がさない」


 と聞こえた気がした。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 もしもこの作品を気に入っていただけた方は、ブクマやいいね!、広告下の評価【★★★★★】で応援していただけると幸いです!


 また、本作以外にも投稿していく予定ですので「読んでもいいよ!」「新作も気になる!」という方はお気に入りユーザー登録をすると更新通知が届くので、ぜひお願いします。


 それではまた次回作でお会いしましょう!


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