神経毒メルヘン
木々野白樺はカレーを煮込んでいた。
白樺はカレーに依存していた。カレーに含まれるクミン、それは麻薬的な快楽と中毒に似た効果をもつという。
真冬のある日、白樺は家で転んで歯を折った。
その日のカレーは赤く、血のようだった。
「かゆい」
白樺は自分の小指が大好きだった。名前をつけていて、鯖桜という名前だった。
鯖桜は白樺の唯一にして最高の会話相手だった。
鯖桜はただの小指だったが、両方のどちらの小指でもあれた。どちらかにしかいられないが、どちらかではあった。
『わたしも、鼻がかゆい。』
鯖桜は言った。少なくとも白樺には。白樺は無表情だった。いつも無表情だったが、鯖桜は感情豊かだった。
ある日の朝、白樺は真冬の田園にて伸びをした。朝日はきらめき、白い雪が真っ白に輝いていた。
「鯖桜、朝だよ」
『まだ眠いよ、白樺』
「テレビみて、また寝るか」
『ちいかわみて、寝よう』
白樺は月を見つけた。白い空に輝く月は、沈むところのようだった。
『きのうよりちょっと細いね』
「かわいくないね」
白樺はテレビを見ていて、凶悪犯罪のニュースを目の当たりにした。
複数の子供を自宅の風呂で水没死させ、死体を放置していた。
『悲しいね』
「死ぬべきものは、たまに早く死ぬ」
『悲しいね』
「必然だ」
鯖桜は悲しげにうつむいた。白樺はテレビを消した。
『まだ、ちいかわが』
「寝るよ」
しかし、白樺は立ち上がり、外へ出た。薪を割るところからあるき出て、凍った井戸へ。さらに進み、春に花のさく樹の下へ。地面を掘ると、いくつもの頭蓋骨があった。ほかのもある。
『悲しいね、あなたは狂っている』
「鯖桜……」
白樺は鯖桜を見た。鯖桜は右手の小指だった。
『精神科に行こう。』
「人は嫌いだ。」
鯖桜は悲しげにうつむいた。
「これから、また子供を探す。」
『なぜ』
「救うんだ。行こう」
白樺は獣を数匹狩り、家に戻った。
『悲しいね』
「カレーを作るよ。」
『彼らは無罪だ』
「子供たちは、愚かだ。いずれ自滅するなら、けじめをつけさせるのがわたしの役目だ」
『悲しいね……』
食べたり保存処理したあとの死骸を、前に掘り返した穴に埋めた。白樺は穴を埋め直した。
近くの獣たちは、海外から入ってきた有害なものたちだった。
それらは近隣の草木、さらに原住生物をも徐々に減らしていた。
体液は土壌を汚染して、数キロ先までにおいがした。
肉はまずかった。
「鯖桜、行くよ。」
『もう行きたくない。殺したくない』
「悲しいことを言うな」
『あんたは最悪だ。ニュースで見るような犯罪者だ』
「切り落とすぞ」
白樺は自分の小指を切り落とした。反対側の手の小指が悲鳴を上げた。さらにもう一本。鯖桜はなにも言わなくなった。
「……悲しくなんてない。悲しくなんてない。」
白樺は胸を圧えて言った。そして、山へ向かった。
山で有害な獣たちを罠にかけ、火を放ち一掃。
白樺はその間、ずっとつぶやいていた。
「悲しくなんてない、悲しくなんてない……」
白樺は街に来た。
カレー粉を買いに。自作のブレンドスパイスは、クミン多め。クミンだけはほかの3倍は入れる。前は2倍だった。
街にはたくさんの人がいた。白樺にはそう見えていたが、実際には数人くらいだった。街というより、実際は道の駅くらいのものだった。
「8530円になります」
『悲しいね、白樺』
そこで白樺は声を聞いた。見ると、他人の右手で鯖桜は喋っていた。ように白樺には見えた。
「ふっ」
「……?」
白樺は生まれてはじめて笑った。そして、すこし震えながら店を出た。
「鯖桜に否定された。もうわたしは小指なんてないのに」
カレーを煮ながら白樺はつぶやいた。有害だった獣のまずい肉がいっぱいのカレー。あとクミン。
「かゆい」
白樺は傷口に触れた。小指を切り落とした傷。
「それでも、鯖桜とはもういられない……他のやつのところで、わたしを嫌っているがいい」
白樺は笑った。
白樺は獣を狩った。獣を罠から引きずり出す。
ナタを振り下ろそうと振り上げ、背後に取り落した。
「力が入らない」
指が減り、白樺は手に力が入らなくなっていた。白樺は笑った。
「鯖桜はわたしが嫌いだ。鯖桜なんていないほうがいい。そのはずだ。たぶん。」
白樺は笑いながらナタを握り直した。そして肉が切れ、骨が絶たれるまで、前より何度も執拗に振り下ろし続けた。笑いながら。