バラの香り
フェリシティから指定された場所は、王立植物園だった。
セオドアは入り口の門の前で、立ち止まった。
「ここに、彼女が・・・」
フェリシティはその彼女だと思われる御令嬢と、すでに中で待っているはずだ。
待ち合わせ場所は、ブルーサファイアローズの前。
期待なのか、不安なのか、変な動悸がする。
今日で、自分の心にも終止符を打たねばならない。
近づくにつれて、香しいバラの香りがする。まだ早い時間だからなのか、ローズ・ガーデンには人の姿がない。少し冷えた朝の空気に、バラの芳醇な香りがより際立っている様に感じる。
少し先に、フェリシティと、プラチナブロンドの女性の後ろ姿が見えた。
「フェイ、お待たせしました」
そう声を掛けると、フェリシティがこちらを振り向いた。
「セオ様、私たちも先程着いたところです。
早速ですが、ご紹介します。
こちらの御令嬢がーーー」
フェリシティの言葉を遮るように、
プラチナブロンドの髪を翻し振り返ったのはーーー
「お初にお目にかかります、ウェスト伯爵。
私はヨーク侯爵の娘、エヴァでございます。
以後、お見知りおきを」
軸のブレない美しいカーテシーを披露したエヴァは、以前にフェリシティが尋ね人候補として紹介してくれた御令嬢だ。絵姿よりも、生き生きとしたアクアマリンの瞳が美しい。エヴァは興味津々、といった顔でセオドアを見つめている。
あの時、確かに
「この方、と断言できる人はいない」
と言ったはずだか・・・
「ご丁寧に。
私はウェスト伯爵、セオドアと申します。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
セオドアが頭を下げると、エヴァはにこやかに微笑んだ。
「ウェスト伯爵からのお誘いであれば、喜んで伺いますわ。
この度は、フェイ様とのご婚約、誠におめでとうございます。美男美女で、とてもお似合いですわ」
「ありがとうございます。
ぜひ、式にはレディ・エヴァも侯爵閣下と共においでください。招待状を送らせていただきます」
「まぁ、嬉しいですわ。
美の女神ヴィーナスも羨むフェイ様の、ウェディングドレス姿を生で拝見できるなんて、今から楽しみですわ」
しばらくは結婚式の話題で盛り上がったが、フェリシティが会話の隙間に割って入った。
「式の話はそれくらいにして、本題に移りましょう。
以前、セオ様には断言できないと言われましたが、
ブルーサファイアローズを手づから育てられた方は、エヴァ様以外にはいません。
ですから、実際にお会いになった方がいいと考えました。私は席を外しますので、どうぞお二人で話し合われてください」
そう言うと、フェリシティは軽くカーテシーをして、その場を立ち去ろうとする。
思わず、セオドアはフェリシティの手を掴んだ。
「フェイ、お待ち下さい。
貴方も一緒にいていただけませんか?」
引き止められたフェリシティは、不思議そうな目をしてセオドアを振り仰ぐ。
「私がいてはお邪魔になると思いますが」
フェリシティのベビーブルーの瞳を見つめても、
なにを考えているのかはわからない。
「フェイ、貴方が一緒にいてくれると、とても心強いのですがーーー
隣にいて貰えませんか?」
セオドアが困った様に笑う。その顔を見て、フェリシティの瞳が一瞬ゆれた。一瞬だったので、見間違いかもしれない。
「・・・わかりました」
「ありがとう、フェイ」
フェリシティの手を引いて、エヴァの元に戻る。
エヴァはニコニコしながら待っていた。
立ったまま外で話をする訳にもいかないので、植物園の隅にあるコーヒーハウスへ向かう。まだ開いていない時間だったが、開店準備をしている店員に頼み、1室用意して貰う。
◆◆◆◆◆
「それで、私にお話とはなんでしょう?」
席に着いて最初に口を開いたのは、エヴァだった。
「私が人を探しておりまして、その人はレディ・エヴァではないかと思いお呼びしたのです」
「まあ、ウェスト伯爵が?
今までウェスト伯爵と接点はございませんが、どんな御用でしょう?」
「ええ、私がフェイと婚約してから、差出人のない手紙が届くようになりまして、心当たりはありますか?」
「いいえ、全く心当たりはございませんわ。
フェイ様も、お心当たりはごさいませんの?」
「いえ、私は・・・」
「そもそも、なぜ私がその手紙の差出人だと思われたんですの?」
「手紙にブルーサファイアローズを育てていると書いてあったんです」
「あら。それなら、私ともう1人いらっしゃいますわ」
そう言うと、エヴァはフェリシティを見て優しく微笑んだ。
「そうなのですか?
フェイからはレディ・エヴァのお名前しか伺っていませんが・・・」
「まぁ、フェイ様ったら・・・
うふふ、私からウェスト伯爵にお伝えしてもよろしいんですの?」
セオドアがフェリシティを見ると、フェリシティは俯き、その表情は見えなかった。
「フェイ?」
セオドアの呼びかけにも反応はない。
エヴァは変わらずニコニコしている。
「どこか具合が悪いのですか?
ーーーフェイ?」
「ーーーっ!!」
フェリシティが急に顔を上げた。
表情はないが、顔色が悪く、不安に揺れる瞳が内心を如実に表している。
「ええ、あの、エヴァ様、セオ様。
お呼びだてしながら、大変申し訳ないのですがーーー至急確認したい事がありまして、本日はこれで失礼させていただいても、・・・よろしいでしょうか」
フェリシティの切羽詰まったような雰囲気に驚きながら、断るべきではないと言葉を返す。
「構いません。
レディ・エヴァ、よろしいですか?」
「ええ、もちろん!」
「馬車まで送ります」
「私もご一緒しますわ」
セオドアがフェリシティをエスコートし、コーヒーハウスを出る。フェリシティは始終俯きがちに植物園の入り口まで戻ってきた。
「本日は誠に申し訳ございません。後日、きちんと説明させていただきますので、ここで失礼いたします」
少し震える声を抑えて、フェリシティが挨拶した。カーテシーも、どこか覚束ない。
「どうぞ、気をしないでください。なにかあれば、いつでも力になります」
「・・・ありがとうございます」
馬車に乗る際に差し出していた手を、気持ちを込めて握った。フェリシティと視線が絡んだが、すぐに
逸らされてしまった。その事に少なからずショックを受け、閉まる扉を見つめた。馬車が走り出し、エヴァと共に見送る。
「レディ・エヴァ。本日はありがとうございました」
「あら、お礼は言うのは、まだ早いですわよ」
「・・・それは、どういうーーー」
「フェイ様ったら、随分と拗らせてしまいましたわね・・・では、ウェスト伯爵、ご機嫌よう」
そう言うと、エヴァはさっさと侯爵家の馬車に乗り込んで帰って行った。