シスタークライシス
幼馴染というのは特権なのか、それともしがらみなのか。
高校二年になるまで俺は順風満帆と言っていい生活を送ってきた。自分で言うのも馬鹿らしいけど、月に一度知らない子から告白される程にはモテる。見た目も悪くないし、勤勉な性格ではないが勉強もそこそこ出来る。昔から運動は得意でクラスの代表としてリレーの選手に選ばれたりもした。親は県議会議員で恵まれた家庭環境。クラス内のヒエラルキーも最上位。こんな完璧で言う事がない人間が他にいるだろうか。
欲しいものは全部手に入れてきた。ただ一つを除いて……。
「ユウヤ君とナガシマ先輩、ほんとお似合いだよな」
無責任な事を軽い口調で言ってくるのはクラスメイトのソウタだ。金髪のセンターパートで明らかに校則違反な頭髪が特徴的な彼は本当の僕達を知らない。
俺には一つ上に実質姉の様な幼馴染がいる。親同士交流があって、物心つく前からずっと一緒に育ってきた。名前はナガシマミスズ。
俺がこの高校に入学したのも、ミスズを追いかけての事だ。
姉を慕う感情がいつから恋心に変わったのかは、遠い昔の話しでもう覚えてはいない。
「ユウ君、帰ろ~」
教室の後ろ扉から俺を呼び掛ける柔和な声。
容姿端麗で才色兼備な彼女は学校中から尊敬されている。無論今もクラスメイトからの注目を一身に浴びている。朗らかな性格で誰にでも優しい彼女は視線を回して全員に手を振った。
「ほんと可愛いわ~! ナガシマ先輩。ユウヤ君が羨ましいよ」
「うるさいな」
「ごめんごめん」
「ソウタ君、こんにちは」
扉の中に侵入してきたミスズは真っ先に僕らの元まで駆け寄ってきた。
ミスズが教室にいる事で室内にはいつもと違った空気感が流れている。
「こんにちはっす!」
「今日もユウ君、サボってなかった?」
「はい! ユウヤ君は完璧っす!」
「何がだよ……」
ミスズは口元に手を当てて小さく笑う。その笑顔だけで世界は救われるのではないかと思うくらいの破壊力があった。
「ソウタもいいから……。ほら帰るぞ、スズ姉」
「は~い。じゃあね、ソウタ君」
「さようならっす!」
学校中の憧れの存在であるミスズは誰にでも優しい。それは俺に対しても同じで、俺はその優しさが心底嫌だった。
俺達がまだ中学だった頃、ミスズが懐いていたおばあさんが亡くなった。その時ですら、彼女は俺の前で笑った。「私はお姉ちゃんだから……」なんて言っては、目の両端にたっぷりと涙を溜めていた。
少しくらいは頼って欲しい。
「また、告白されたんだって?」
「ソウタから訊いたのか」
「お姉ちゃんの情報網を舐めるな! ユウ君がモテモテでお姉ちゃん鼻が高いよ~」
靴箱でローファーに履き替えて昇降口を抜けると、うだるような熱が押し寄せてきた。
「そういうスズ姉も、野球部の部長に告られたって訊いたけど……」
「えへへ……。詳しいね~」
「それで……どうしたんだ」
「あれ? あれあれ?」
隣を歩きながら俺の顔を覗き込んでくる。
「何だよ⁉」
「気になるんだ~」
「面倒くさいな。そんなんだと逃げられるぞ」
「付き合う事にした……」
ミスズの校門に向かう足が止まる。
湿った風が首元を抜けていき、やがて消えた。世界が止まってしまった気がした。目の前が徐々にぼやけて見えなくなっていく。
「って言ったらどうする……?」
俺の心臓が再び動き出した。
俺は返事をしなかった。そのまま校門に向かう歩を進める。
「ごめんよ。怒った?」
急いで駆け出して追いかけてきたミスズの表情は深く反省している様だった。それが真意なのかそうでないのかは分からないけれど、視線は下を向いている。
俺を弄ぶのがそんなにも楽しいのだろうか。だとしたらとんでもない悪女だ。でも、そんな悪女を好きになってしまったのだから仕方ない。堪らなく好きなのだ。
「冗談言ってないで帰るぞ」
「は~い」
もう立ち直ったのかミスズの声音はいつも通りだ。
これが容姿端麗、才色兼備、誰もが憧れる学校一のマドンナの実態だ。
「ねえ? ユウ君が彼女作らないのって……私のせい?」
「また、始まったよ……。何の事でしょうか? ちょっと学校で人気ものだからって調子に乗り過ぎでは……お姉さま?」
今日も俺は可愛い弟を演じる。いつまでこんな関係が続くのかは分からない。暫定でしかないけれど、ミスズの一番は今のところ俺であるという自負がある。だったら、今はそれでいい。
そうして俺は明日も弟を演じるのだ。