ガベイラくんの誤算
本日二度目の更新です。
がちゃり、とドアを開けて帰宅する。
片手で買ってきた食料品の袋を抱え直して、戸締まりを確認する。
それからキッチンへと向かう。
途中抜けた居間の様子に、ガベイラは微笑ましげに双眸を細めた。
「皓月寝てる?」
「…………たぶん?」
居間のソファの隅っこにリリィが座っている。
学校から出された課題でもしていたのだろうか。
テーブルには教科書やノートが広げられたままだ。
そしてそんなリリィの膝の上には、皓月の頭が載っている。
ブーツを履いたままの足はソファの肘掛けに載ってだらりとはみ出している。
ガベイラが居間に足を踏み入れても、皓月は動かなかった。
片手は腹の上、もう片手はだらしなくソファから落ちている。
なんだか、酷く感慨深いような気がしてガベイラはほそりと双眸を細めた。
ガベイラが一歩でも距離を削ろうものなら、野生動物のように飛び起きて身構えていた男が、今は少女の膝に頭を乗せてすよすよと寝息を立てている。
日頃寝たふりを決め込まれているリリィは、これも寝たふりではないかと訝しんでいるようだったが、きっとこれは本当に眠っている。
安らかに、すややかに。
ガベイラが席を外していても、眠っている。
もしかしたら本人も、軽く目を閉じているだけ、のつもりだったのかもしれない。
抱えていた袋をキッチンに下ろして、傍に寄ってみる。
皓月は、起きない。
ぐう、と寝入ったままだ。
「……ふふ」
思わず、小さく笑いが零れ落ちた。
誰にも気を許さず、許せず、たった一人で世界に挑むような男の味方になってやりたいと思ったのはどれくらい前のことだっただろう。
こうして、リリィの膝枕ですややかに眠る姿は平凡な、どこにでもいる幸福な男のようだった。
「良かったね、皓月」
「…………、」
うっすらと皓月が瞬く。
眠たげな紫闇が、ガベイラを見る。
「寝てていいよ、ここのところ立て込んでたしね。夕飯出来たら起こすから」
「…………」
頷く声はほとんど音になっていなかった。
またすぐにほとりと瞼が落ちて、すやりと寝息が響く。
ソヴァン兄弟がらみの後始末で、いろいろと立て込んでいたのだ。
疲れが溜まっていたのだろう。
まだ毒の影響もあって本調子でもないのに、この見栄っ張りはリリィの前ではいつも通りを装いたがる。
リリィが気にするのをわかっているからだろう。
「それじゃあ僕は夕食の支度をしちゃうから、姫は皓月のお守りをよろしく」
「任されたん」
きりっと凜々しい顔で頷いたリリィに喉で笑いながら、ガベイラはキッチンへと引っ込む。
これはソヴァン兄弟の件が片付き、ホテルから戻って以来しばらく続いている日常だった。
早めに仕事を切り上げて戻った家で、ガベイラが食事の支度をし、三人で夕食を囲み、寝支度を整え、三人で寝る。
皓月を休ませるための日常だった。
人がいるところでは眠れない皓月の特別な例外がガベイラで、皓月はガベイラがいれば眠ることができる。
それはガベイラが長いことかけて勝ち取った信頼だった。
だが、その皓月は今、リリィの膝を枕にすややかに寝入っている。
それはガベイラにとってはとても喜ばしい出来事であり、それと同時にほんの少しだけ寂寥感をともなう出来事だった。
皓月にとって、信用出来る人間が増えたことは喜ばしいことだと思う。
その相手がリリィだというのも、とても良いことだ。
ガベイラは、皓月の次にリリィを気に入っている。
リリィのことも好きだと思っている。
結構好きだよ、と告げた言葉に嘘はない。
だから、好きな二人が幸せであればガベイラは満足だ。
推しカプのハッピーエンドに何の文句があるだろう。
ガベイラの愛情は、人とは違う形をしている。
自分自身が誰かと結ばれたいというような恋情は、ついぞわからないままだ。
ガベイラにとっての愛情は、捧ぐものだ。
対象が幸福であるように、あるがままでいられるように心を砕き、見守るものだ。
だから、ほんの一抹胸に芽生えた寂しさはガベイラ自身にとっても少しばかり物珍しい手触りの感情だった。
きっとそれだけ、三人でぬくぬくと籠もるベッドの居心地が良かったからだろう。
だが、これが引き際だ。
「うん」
良い頃合いだ。
ちゃっちゃかと手際よく夕食に支度を整えながら、ガベイラは自然とこの屋敷内に増えた自分の荷物を引き上げるための段取りを考え始めるのだった。
□■□
そして夕飯時。
三人で囲む食卓で、ガベイラはさらりと何でもないことのように切り出した。
「僕がいなくても皓月眠れるようになったみたいだし、僕、そろそろ自分のアパートに戻ろうと思うんだけど」
リリィがぱちくりと瞬く。
皓月は気にした様子もなく、もぐもぐとガベイラが用意したパスタを咀嚼している。
リリィは困惑したように首を傾けて、子どもの他愛のないおねだりのように皓月へと言う。
「ガーベラ、帰らないと駄目なん?」
まだ帰らなくていいでしょう、と遊園地でねだる子どものような声だ。
ガベイラは口元に苦笑を浮かべる。
皓月を困らせたら駄目だよ、とでも言おうとしたところで、口の中にあったパスタをごくりと飲み込んだらしい皓月が、口元をナプキンで軽く拭いながら口を開く。
「別に駄目じゃないけども」
「えっ」
「まあ、ガーベラくんが帰りたいって言うなら仕方ないかな」
思い掛けない言葉だった。
戸惑うガベイラを、リリィが見る。
少しくすんだグレーの、硝子の双眸がまっすぐにガベイラを見ている。
「ガーベラ、帰りたいん?」
「えっ」
帰りたいか。
そう聞かれれば帰りたいわけではなかった。
一人の部屋に、帰りたいわけではなかった。
帰らなければいけないな、頃合いだな、と思っただけだった。
「…………僕、帰らなくていいの?」
皓月へと問う。
皓月は、ガベイラの作ったパスタを美味しそうに口元に運ぶ途中で手を止めてガベイラをちらりと見やった。
どこか、面白がる色がその紫闇の中でちかちかと瞬いている。
意地の悪い、試すような眼差しだ。
「君は?」
「僕は」
そこで、言葉が詰まる。
ガベイラの方から、一歩、距離を詰めても良いものだろうか。
少しだけ、逡巡する。
ガベイラの愛情は、捧ぐものだ。
返されることなど、期待はしていない。
注ぐだけで満たされて、幸せで、満足していたはずなのだ。
でも、もう少しだけ欲張っても良いのだろうか。
「……あのさ、皓月」
そろりと申し出る。
「うん」
相槌は、パスタを頬張る間を縫って返される。
「就労条件にちょっと変更を加えたいんだけど」
「うん」
「住み込みでいい?」
皓月が笑う。
くっくっく、と喉を鳴らして楽しげに。
ガベイラが選んで、食卓に並べたワインを一口干して、言う。
「構わないんじゃない? 部屋なら空いてるし」
「じゃあ、そうするね」
「うん」
「姫も、それがいいと思うん」
あっさりと、決まってしまった。
先ほど夕食の支度をしている間は、ここから引き上げる算段を脳内でつけていたはずなのに、気づいたら住み込みが決定していた。
ガベイラの誤算だ。
引越しを、考えなくてはいけない。
それは面倒で、幸福な予定だった。
「ご馳走さま」
「ご馳走さまなん」
手をあわせる二人の目の前には空っぽになった皿がある。
綺麗にたいらげられた皿だ。
ガベイラはふくふくとこみ上げる幸福感のままに笑った。
「デザートにアイスがあるよ」
アルトゥーロ・ガベイラには、恋情が理解できない。
そういった感情が存在していることは幼いうちからも見聞きしていた。
だが、それはいわゆる『真実の愛』というような概念にも似たものだと思っていた。
誰しにも実感できるものではないが、「ある」とされているもの。
美しいもの、尊いものとされて皆が憧れるもの。
アルトゥーロ・ガベイラには、世間一般で語られる恋情は理解できない。
だが、愛情ならば知っている。
それは、食後のアイスの形をしていて、川の字で寝る寝床の形をしている。
ガーベラくん編、完!
ここにつなげたかった!
ここにつなげたかった!!
ここまで読んでくださって、ありがとうございました!
PT、感想、ブクマ、ありがとうございます!
感想、レビュー、いただけると大喜びします。
次はクリスマス編書けると良いなあ!




