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【第二章まで完】幸福のモラトリオ  作者: 山田まる
第二章 ガベイラくんの誤算
20/22

拒否権はない

 男が一人、ビルの空き部屋でスコープを覗いている。

 がらりとした部屋はいかにも改装の途中といった風情で、窓になるのであろうスペースには雨風を防ぐための分厚い半透明なビニールが申し訳程度にかけられている。

 そんなビニールを銃身でかき分け、男は銃を構えていた。

 軍でも標準装備として採用されているスナイパーライフルだ。

 自分のものではないが、よく手入れされていて使い勝手は良い。

 照準はすでにセットされている。

 視界の先にあるのは、蓮糸楼と呼ばれるカジノの正面玄関だ。

 まだ明るい時間だけあって、人の出入りはまばらだ。

 今日まで何日も同じ場所で確認して、ターゲットの動きは念入りに観察した。

 大体この時間に、蓮糸楼のオーナーは現れる。

 車で店の前まで乗り付け、車を降りて、店の中へと消える。

 数分にも満たない短いその時間が、男に与えられた機会だった。

 視界の先、店の前に滑るように静かに車が止まる。

 ターゲットとの距離はおおよそ2キロ。

 相当腕が良くなければ当てられない距離だ。

 だが、男には自信があった。

 すべてが、計画通りに動いている。

 車のドアが開いて、蓮糸楼のオーナーが姿を現す。

 肩口で切り揃えられた黒髪が風に揺れる様子すら、スコープ越しにはっきりと見えた。

 ターゲットとの距離感が暈ける。

 2キロ近くの距離が無になる。

 ターゲットの息づかいが、その身に纏う香りすら鼻先に感じられるようだった。

 当たる。

 撃つ前から、その銃弾が放たれる前から当然の帰結のように結果がわかっていた。

 指先に、わずかに力をこめる。

 ただそれだけで、スコープの先にある形の良い頭が爆ぜて、命が終わる。

 人の命を指先一つでどうにかできてしまう力に、ぞくぞくと背筋が痺れた。

 は、と吐き出す息に快楽混じりの幸福が蕩ける。

 男はうっとりと双眸を細めて、引き金にかけた指に力をこめた。



□■□



 角度を変えたスコープの先で、皓月が何かに気づいたように顔を上げるのが見えた。

 サプレッサーのおかげで、射撃の音はほとんど響いてはいないはずだ。

 さらに言うなら、皓月のいる場所からは1キロほどの距離がある。

 確実に聞こえてはいないはずだ。

 だから、あれは単純に野生の勘、と呼ばれるような反応なのだろう。


「……野生動物すぎるでしょ、あの人」


 皓月が訝しげに周囲を見渡した後、店の中へと消えていく。

 それを見送った後、ガベイラはほう、と息を吐いて身体を起こした。

 腰元に装着していた無線機を手に取り、報告を入れる。


「こちらガベイラ。ターゲットダウン。繰り返す、ターゲットダウン。オーナーは無事。ターゲットは五番通りのクレイストビルの8階。至急人を向かわせて回収を。僕から見て右から4番目の部屋だ。こちらは撤収する」

『撤収を許可』

「了解」


 撤収の許可を得て、ガベイラは手際よく手元のスナイパーライフルを分解してケースの中へと片付けた。

 薬莢を拾うのも忘れない。

 軽く周囲を見渡して、自分がいた痕跡を完璧に消す。

 後ほどサザルテラ警察の人間が片付けに来ることはわかっていたものの、もはや職業病である。

 それから、よいせ、とライフルケースを肩に背負って部屋を後にする。

 部屋は、静かだ。

 何事もなかったかのように。

 何事もなかったのだと言うように。

 窓からは、サザルテラの明るく賑やかな喧噪だけが響いている。



□■□



 皓月の計画は無事に成った。

 途中協力者がサザルテラ警察に拘留されるというトラブルもあったものの、比較的無事に終わった、と言っても過言ではないだろう。

 多額の金を投資してサザルテラの街中からかき集めたドラッグは、処理施設にてすべて綺麗に始末された。

 皓月がガベイラを通して提供した資料が役だったのか、連日大物ドラッグディーラーたちの逮捕を知らせる報道が世間を賑わせている。

 そんな報道をラジオで聞き流しながら、皓月は口元にほのかな満足げな笑みを浮かべる。

 これは、宣戦布告だ。

 サザルテラにドラッグビジネスを持ち込んだ人間は、チヴォリ・ファミリーを敵に回すのだという見せしめだ。

 だが、今回は上手くいったものの多くの敵を作った自覚はある。

 処分したというのは警察の目を誤魔化すための嘘で、実際は皓月が多くのドラッグを隠し持っているという噂は既に出回っている。

 多くの商売敵をハメて、警察に突き出したのも今後の商売のためだという噂も。

 長生きは出来なさそうだな、と思いながらも皓月の唇には満ち足りた笑みだけが乗っている。

 これだけのことをしても、ささやかな時間稼ぎでしかないことは承知の上だった。

 それでも、抑止力にはなる。

 皓月が生きている限りは、チヴォリ・ファミリーの縄張りであるサザルテラにちょっかいを出そうという人間は二の足を踏むだろう。

 ここまでは計画通りだ。

 後は、皓月がいなくても回り続けるサイクルを作ればいい。

 新手のタイムアタックだと思えばそれなりに楽しめそうだな、などと思いながら、机の上の書類に目を通していく。

 と、そこへ部下から連絡が入った。


『オーナーに会いたいという客が来てるんですが……、その、どうなさいますか?』


 戸惑いの滲んだ声音に、皓月はゆるりと首を傾げる。

 本日、来客の予定はなかった。

 基本的に予定にない来客は断るのが蓮糸楼の基本的なマニュアルだ。

 こうして取り次いでくる、ということは断りづらい相手、もしくは取り次いで判断を仰いだ方が良いと思うような相手なのだろう。


「誰なの?」

『ええとその、ボスが……』

「ボス?」

『オーナーの愛人だと名乗るボスが』

「………………通して」


 ガベイラだ。

 アルトゥーロ・ガベイラ。

 軍から派遣されてきた腕の良い潜入捜査官だ。

 彼はしばらくの間、皓月の部下としてこの店の警備主任を担当していた。

 現在警備主任を引き継いでいる部下からすれば元上司であり、ボスである。

 そんな男がオーナーの愛人を名乗って訪ねてきたならば、さすがにどうしていいかわからなくもなるだろう。

 彼には荷が重い。

 無理に追い返そうとしたところで、実力で押し通られたら止められないことがわかっているのだから余計にだ。

 連絡から少しして、ドアが鳴る。

 ノックの音に皓月は顔を上げて、「どうぞ」と促す。

 ドアを開けて入ってきた男は、なんだかとても機嫌が良さそうだった。

 人の良さそうな面持ちににこにこと笑みを乗せている。

 明るい色の金髪をきっちりと撫で着け、仕立ての良いダークカラーのスーツに身を包んでいる。

 軍の給金で買うには随分と値の張りそうなスリーピースのスーツは、いつかの夜のために皓月が用意してやったものだった。

 嫌味なほどに、よく似合っている。

 自分の見立てに狂いはなかったな、と改めて内心満足しながら皓月はにこりと口元に余所向きの笑みを浮かべて見せた。


「捜査は終了したと思っていたのだけれど――…まだ僕に何かご用かな、ガベイラ捜査官」


 皓月に対する捜査は終わったはずだった。

 ドラッグの処理には、サザルテラ警察の人間も立ち会った。

 皓月にかけられていたドラッグビジネスに関する嫌疑は晴れたはずなのだ。

 今更、ガベイラが皓月に会いに来る用件に心当たりがなかった。

 ガベイラは、にこーと愛想良く笑って懐から書類を取り出して皓月のデスクに載せた。


「面接受けにきたんだけど」

「は?」


 思わず素で声がでた皓月だった。

 視線を落とす。

 デスクに載せられたのは、紛うことなく履歴書である。

 職歴には以前提出されたものとは比べものにならないほどに輝かしい軍歴がつらつらと書き連ねられている。

 どう見ても潜入捜査用の書類ではなさそうだった。


「僕、軍辞めたもんで今無職なんだよ」

「なんで???????」

「まあ、ほら、さすがに上司射殺したら居づらいっていうか」

「あれ君がやったの、ていうか、え、まって、ちょっと」


 裏で汚職に手を染めていたのがガベイラの上司だった、というところまでは皓月も把握していた。

 そのことをガベイラに教えたぐらいだ。

 だが、その後の事は流石に知らなかった。

 軍の内部で処理するのだろうな、とは思っていたし、その後新聞に小さくサザルテラに休暇で訪れていた軍の上級幹部が事故死した、という記事が載っていたのも見てはいた。

 捜査の手が及んで逃げ場を喪った男が自殺でもしたのだろう、とは思っていた。

 だが。

 まさか、目の前のこの男が自ら手を下していたとは流石に思ってはいなかった。

 そして、そのせいで輝かしい軍歴を誇る英雄めいた男が軍を追われていただなんて。

 く、と皓月は眉間に皺を寄せる。

 こんな形で巻き込むつもりはなかった。

 軍内部の汚職に関して、軍の人間としてしっかり処理してほしいと期待はしていたが、ガベイラという男の人生を狂わせるつもりなどなかったのだ。

 皓月は脳内で相談できそうな人間をリストアップする。

 ガベイラは軍を辞めてきた、と言っていた。

 退職をもみ消し、その後のアフターフォローまで出来そうな人間が必要だ。


「……、うん、大丈夫。多少時間は貰うけれど、僕の方から手を回して君が軍に問題なく復職できるように手配するよ」


 早速連絡を取ろうと皓月は卓上の電話へと手を伸ばす。

 片手をひらめかせてナンバーをプッシュしたところで、にゅ、と正面から伸びてきた無骨な指先がチン、と電話を切った。


「………………」

「………………」


 どういうつもりだ、と問うつもりで持ち上げた視線が、にこにこと楽しげに笑う碧とぶつかる。

 爽やかで曇りのない、澄んだ色合いだ。

 一目で厄介だと思った。

 覚悟が決まった人間ほど、こういう目をする。

 もうすっかり物事を決めてしまって、他者からの働きかけなど聞く気のない、覚悟の決まりきってしまった人間ほど、こういう綺麗な目をしているのだ。

 その綺麗な碧の奥にくすぶる熱を見たような気がした。

 ガベイラという男は、いつだって皓月をはかるような目で見ていた。

 にこやかに笑い、軽口を叩きながら、その双眸の奥は冷ややかに皓月を推し量っていた。

 獲物を丁寧に観察する狩人の眼差しだったはずだ。

 それが今は、何やら熱っぽく、好奇心に溢れてきらきらとして眼差しを注がれている。

 変な居心地の悪さに、皓月は眉間にうすらと皺を寄せる。


「……………………なに」

「軍にいられなくなった、ってのは建前でさ」

「……………………うん」


 なんだかすごく、厭な予感がした。


「本音を言うと、君に惚れたので傍にいようと思って」

「は?」


 本日二度目の「は?」だった。

 皓月の不審人物を見る目に全く怯んだ様子もなく、自販機よりでかい男は楽しそうにウキウキと語る。


「あ、惚れてるのは事実だけど、恋人になりたいとか肉体関係だとか、そういうのは全く求めてないから安心していいよ」

「そのどこに安心できるポイントが……?」

「手込めにされる心配ないから安心できるでしょ。万が一そんなことしようという人間が現れたら僕が綺麗に片付けてあげるから、それも安全ポイントだよ。うん」


 何も安心できなかった。


「君が君らしくあってくれたらそれだけでいいっていうか。君が面白いことをするとき、一番近くで見ていたいんだよ。ほっといたら死にそうだしさ。僕、君に死んでほしくないんだよ。だから、僕が護ろうと思って」

「ま、間に合ってます……?」

「間に合ってないから早速仕事しといたんだけどさ」

「ええ……」


 ガベイラが懐から取り出した端末をそそそと操作して、画面を突き出してくる。

 画面には、口に布を咬まされ、縛り上げられた男二人と並んでにこやかにVサインで自撮りするガベイラが写っていた。

 まるで観光地での自撮りめいたぺかぺかの笑顔だった。

 その笑顔だけなら、ソーシャルネットワークにタグつきでアップされていても違和感はなさそうだ。

 が、縛り上げられた男たちの足下には、手錠、銃、スタンガン、催涙スプレー、その他諸々といった人間拉致セットとでも呼べそうな物騒なアイテムが綺麗に並べてある。

 ひくりと皓月の口元が引き攣る。

 その写真だけでも充分やべえサイコパスみが溢れているというのに、背景に見覚えがあったからだ。

 場所は、蓮糸楼裏口のある路地裏だ。

 何も知らずに皓月が裏口から出入りしていたならば、多少は面倒なことになったかもしれない。


「もう何枚かあるよ。ここ数日だけで暗殺・拉致未遂が僕が邪魔しただけで4件はあったかな。全部バーンズ刑事にお届けしといたから。あ、そうそうバーンズ刑事は紅茶が好きって言ってたよ」


 なんて、日常の何でもない雑談をするような口調とともにすいすい、とスワイプされる画面の治安の悪さに皓月は頭を抱えたくなる。

 どれも、身に覚えがなかった。

 見張られていることにも気づいていなかったし、護られていただなんてことにも当然気づいてはいなかった。


「というわけで、僕を護衛で雇わない? いやまあ雇わなくてもいいけど、その場合勝手に護ってるからよろしく」

「ええ…………」

「雇った方がまだ上下関係がはっきりしている分命令できてマシだと思うけどどう?」

「ええ…………」


 自分でマシだとか言うな、とか。

 ふっきれた君ヤバない? だとか。

 いろいろ言いたいことはあったものの、ツッコミが渋滞している。


「まって……、ちょっと今僕、展開についていけてない」

「頑張って追いついて」

「ええ…………」


 これまでガベイラに特別などいなかった。

 傍にいたいと思うような相手はいなかった。

 たぶんそれは、ガベイラの眼前で獲物を丸呑みしてしまった猫みたいな顔をして頭を抱えている男も同じだろう。

 だが、皓月の場合ガベイラとは意味が違っている。

 自分以外の命と、自分の命の線引きがあまりにもはっきりとしている。

 自分以外のためであれば、相手が誰であっても平気で自分の命を懸けてしまえる。

 そんな男を支えたいと思ったのだ。

 思ってしまったのだ。

 悪党の癖に潔癖で、だからこそ悪党である自らの命を誰よりも軽く扱ってしまえる男のことを生かしてやろう、と。

 この男が何をやらかすのかを傍で見ていたいし、力を貸してやりたい。

 その方が、世界はきっと良くなる。

 ガベイラの人生も、もっと面白くなる。


「よろしくね、皓月」

「ええ…………、なんか君、口調も違くない……?」

「こっちの方が素なんだよ。軍って男社会だからさ。こういう口調だとナメられるの」

「なるほど」


 軍に入って、自分を偽ることを覚えた。

 雑な口調を真似て、オレ、と言葉遣いを改めた。

 それで生きやすくなるなら、それぐらい構わないと思っていた。

 だが、それももうおしまいだ。


「前の方が良かったなら戻すけど」

「……いいよ、そのままで」


 ため息交じりに、皓月が履歴書を手に取る。

 ガベイラはデスクに手をついて、身を乗り出す。

 覆い被さるように距離をつめて、にこりと笑いかける。


「雇ってくれる?」

「……僕に拒否権ある?」


 にこ。


「…………拒否権与えるつもりもない癖に聞くの、性格悪いから改めた方がいいよ、ガベイラくん」


 ぼやく声音に、ガベイラは満足そうに身を退きながら楽しげに笑った。


「ガーベラでいいよ」

PT、ブクマ、感想等ありがとうございます!

あと1話だけ続きます!


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