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【第二章まで完】幸福のモラトリオ  作者: 山田まる
第二章 ガベイラくんの誤算
19/22

狩るには惜しい


 その日、ガベイラはのんびりと青空の下を歩いていた。

 Tシャツにジーンズという酷く油断した格好である。

 いつもは整髪剤を使ってすっきりとまとめている金髪も、今はくしゃくしゃと手ぐしで雑に撫でつけた程度だ。

 いかにも好青年といった風情で市場を歩き、露天のリンゴを手に取る。

 支払いを済ませたそれを、Tシャツの裾で軽く拭ってかしゅりと囓りながら、興味が惹かれるがままに立ち止まり、店に立ち寄り――…いかにも一人気ままに休日を堪能しているといった態で尾行の有無を確認する。

 今日のガベイラはオフである。

 オフではあるのだが、あくまで蓮糸楼の仕事のオフ、である。

 任務は当然続行中だ。

 尾けられていないことを確認してから、バス停からバスに乗る。

 そこから地下鉄に乗り換え、いくつもの路線を経由し、最後にタクシーを拾ってサザルテラ警察署の地下駐車場にて降りる。

 基本的に潜入捜査をしている間は捜査関係者の接触は最低限にしなければならないのだが、長期の潜入捜査ともなるとこうして定期的に捜査本部の人間と顔を合わせる必要があるのだ。

 潜入先で丸め込まれていないか、裏切ってはいないか、との確認とともに、潜入捜査官の心身の健康を確かめるためでもある。

 結構あるのだ。

 ミイラ取りがミイラになってしまうパターンが。

 潜入捜査官は死亡率も高く危険な仕事でもあるが、同じぐらいに汚職率も高い。

 その為、こうした面談が定期的に設けられるのである。

 家族のある捜査官などはこういったタイミングで署内で家族との時間も設けてもらうことが出来るらしい。

 実際ガベイラにも誰か会いたい人間はいるか、との確認が事前にあったものの、特にいなかった為、その制度は利用していない。

 というか、ガベイラとしてはあまり今回の面談には乗り気ではなかった。

 皓月が怪我をした日以来、多少の信頼は勝ち得たのかようやく護衛として連れ歩いて貰えるようになったのだ。

 下手に休むよりも、今は皓月に張り付いて少しでも情報を集めたいというのが本音だ。

 とはいえ、ここで頑なになれば捜査本部との連携に問題が生じるかもしれないと上司に説得されて、ガベイラは渋々とサザルテラ署に顔を出すことになったのだった。

 皓月の信頼を得るのと引き換えにサザルテラ署の不審を買ってはあまりに本末転倒だ。

 医者による面談を終えた後、ガベイラは採血の痕を片手で抑えつつぼんやりと天井を見上げる。

 詳細な血液検査の結果は後日出るだろうが、この辺りで出回っている違法薬物を利用していないかどうかぐらいならすぐに結果が出る。

 クリーンであれば、すぐにまた捜査に戻れるだろう。

 暇だ。

 今ごろ皓月は何をしているだろうか。

 ここ最近の日課通り、オーナー室に籠っていてくれれば良いのだが。

 昨夜の仕事終わりに一応「オレがいない間はあまり出歩かないでくれるとありがたいんだけど」などと釘を刺しておいたのだが、返事は「それはどうだろうね」なんてつれないものだった。

 左腕の怪我は大分良くなり、そろそろ抜糸できる頃合いだ。

 怪我をして以来、多少は大人しくしていた皓月だが、再び精力的に動き出したとしてもおかしくはない。

 ふと、ジーンズのポケットにねじ込んであった端末が震える。

 普段持ち歩いているのとは別の、上司との連絡用の端末である。

 任務により端末を使い分けるのはよくあることだが、どうも上司はサザルテラ署のことを全面的に信用しているわけではないらしい。

 本来ならば捜査本部及び軍への連絡端末は一つにまとめてしまっても良い。

 それをわざわざ軍における窓口となる上司との連絡用と、サザルテラ署の捜査本部への連絡用の二つに分けているのだ。

 もしかすると、サザルテラ署の中に皓月と繋がっている人間がいる、と警戒しているのかもしれなかった。

 実際、それ用に用意された偽装データとはいえ、軍の個人データはあまりにもあっさりと皓月の手に渡っていた。

 上司からの「面談は無事に済んだか」との確認に、ガベイラは「終了。この後は部屋に戻ります」とだけ連絡を返す。

 他に予定はない。

 捜査本部に伝えるべき新たな情報も今のところはない。

 例えば路地裏のゴミ箱の下から回収した皓月を斬りつけた刃物だったり、あの夜に撮影したデータ等は先日の内に捜査員に引き渡してある。

 今頃地道な捜査が進んでいるはずだ。


「……、様子、見てみるかな」


 どうせ、今から部屋に戻ったところでやることはない。

 ビールでも飲みながらスポーツ中継を見るぐらいである。

 診察室から出てきた医師より捜査に戻っても良いとの許可証にサインを貰った後、ガベイラはふらりとサザルテラ署の捜査本部を訪ねることにする。

 二階にある会議室の一室が捜査本部だ。

 この辺りは外部の人間は入って来ないようになっているので、来訪者に姿を見られる心配はない。

 会議室の中に設けられた捜査本部には、何人もの刑事や捜査員たちが詰め、机には様々な資料が並んでいた。

 ホワイトボードにはガベイラが撮った皓月を含めた関係者たちの写真がところせましと並び、それぞれの結びつきについてが色とりどりのペンで書き込まれている。


「おや、君か」


 ガベイラの前にやってきたのは、どこか草臥れた風情の漂う初老の刑事だった。

 眠たげな目の、どこにでもいそうな愛想のない男だ。


「バーンズ刑事」

「ああ、そうか、今日は面談だったかな」

「はい。あ、これ。ちゃんとクリーンです」


 ぺら、と医師から貰ったばかりの許可証を広げて見せる。

 バーンズはちらりと一瞥だけくれて、すぐに興味が失せたように眠たげな双眸を瞬かせた。


「特に進展はないよ。ああ、でも今君のおかげで新しくわかった関係者を一人引っ張ってきててね。今取調室。覗いてくかい?」

「いいんですか?」

「あちらさんから見られないように気をつけてくれればね」

「わかりました」

「取り調べ室の場所、わかる?」

「前に案内して貰ったので大丈夫です」


 潜入捜査が始まる前の顔合わせで訪ねた際に、一通り施設内は案内して貰っている。

 ガベイラは記憶を引っ張り出しながら、ひとけのない道を選んで取り調べ室の並ぶエリアへと向かう。

 コンコン、とノックすればすぐに内側からドアが開いて、若い刑事が顔を出した。


「ガベイラさん、こんにちは。バーンズ刑事から連絡きてます。どうぞ」

「ありがと」


 するり、と室内へと潜り込む。

 部屋の中にいたもう一人の刑事にぺこりと頭を下げて、ガベイラは大きなガラスの向こうに広がる取り調べ室の様子を覗きこんだ。

 こちらに背を向ける形で座っているのは刑事だろう。

 その向かい、おどおどと怯えた様子でしきりに周囲の様子をうかがっているのは、あの夜皓月に宥められていた男だった。

 あの夜と違ってポロシャツ姿だからか、より市役所にいそうな公務員感が強い。


「あの人は?」

「廃棄物処理場の所長だよ」

「廃棄物?」

「政府からの委託を受けて、違法薬物の廃棄処分を引き受けてる」

「……まさか」


 そんな人物が、皓月とコンタクトを取っている。

 思わずガベイラは眉間に皺を寄せた。


「皓月は、廃棄予定のドラッグまで買い取ろうとしてるのか?」

「上はそう見てる。前々から証拠品として押収したドラッグの横領は問題になっていたからな。全く、頭が痛い」

「はは、うちも似たようなものだから気持ちはわかるよ」


 汚職問題に悩まされるのはサザルテラ署だけではない。

 軍だって同様だ。

 厳しい訓練からの逃避にドラッグに走るものは決して少なくはないし、そうして押収したドラッグがいつの間にか消えている、なんていうのも聞かない話ではない。

 どれだけ志を高く持っていたとしても、長らく誘惑に晒されていれば負けてしまう人間はどうしたって現れてしまうのだ。


『いつまで黙り続けてるんだ』

『…………』

『さっさと吐け、あんたが蓮糸楼と繋がってることはわかってるんだ』

『…………』

『このままだんまりを続けるならこっちだって考えがある。家宅捜査に踏み切ってもいいんだぞ。そうなれば疑いが晴れるまであんたんところは業務停止だ。何なら政府からの認可だって取り消されかねんぞ』

『っ……、そ、それだけは』

 

 取り調べ室に設置されたマイクから、刑事と男のやりとりがガベイラの耳にも届く。

 刑事の脅しに、男はあからさまに動揺したように瞳を揺らす。

 麻薬横領の疑いで業務停止、なんて話になれば男は世間から信用を喪うだろう。

 政府からの認可取り消しも、あり得ない話ではない。

 これは吐くかな、なんて思いながらガベイラは続きを聞く。


『……い、今……大事なところ、なんです………』

『大事なところ? あんた、あのカジノオーナーと組んで何やってんだ。何を企んでる』


 男は、おどおどと視線を揺らす。

 周囲を窺う。

 追い詰められた獣のようだった。

 何かを、警戒している。


『あなたたちは、誤解、している……っ、私たちはこの街のために』

『あんた、皓月に何を吹き込まれたんだ』

『言えない……、言えないんだ……』


 男は、どう見てもこういった尋問に慣れている様子はない。

 犯罪に関わっている様子も、ない。

 この男は善人だ。

 真実はどうあれ、善行を成すつもりで、何か秘密を抱えている。

 そしてその秘密を護るために、怯え、警戒している。

 その秘密は、抱えていることで男に危害が及ぶような内容なのだろう。

 そのリスクを、男は受け入れている。

 だから、黙っている。

 刑事の恫喝に怯え、戸惑いながらも、その双眸には真摯な任務への忠誠めいた色が見え隠れしている。

 それは危険な任務を任された新兵の目に見る色によく似ている。

 だが、その一方で周囲を警戒するように窺う眼差しの底には信用できる相手を、救世主を求める必死さも垣間見えた。

 信用さえ勝ち取ることが出来たのならば、きっと彼はきちんと話をしてくれるだろう。

 では、どうしたら彼を信用させることができるだろうか。

 眉間にぎゅっと皺を寄せながら、ガベイラは取り調べ室の様子を見守る。


『私、たちは……サザルテラを、この街を……護りたいだけなんだ……っ』


 苦しげに吐き出される言葉は、ただただに切実だ。

 彼は本当のそのつもりで、ここにいる。

 街を救うと信じて、動いている。


「オレたちも街を護るために動いてるんだ、って言えば協力させられないかな」


 街を護りたいのは、警察だって同じだ。

 犯罪に苦しめられる人々を救済するために、警察は在るのだ。

 街を護るために協力しよう、なんて名目で、あの男を絆すことは出来ないだろうか。

 ガベイラの隣にいた男が、取調室の中にいる刑事のイヤホンへとその旨を耳打ちする。

 先ほどまでの威圧的な雰囲気から一転し、纏う空気を和らげた刑事が「なあ、」と共闘を持ちかけようとしたところで。

 ばたん、と大きな音を立ててガベイラのいる部屋のドアが開いた。

 ノックはなかった。

 飛び込んできたのは、スーツ姿の職員だ。


「おい、取り調べ中だぞノックぐらい」


 しろ、と中にいた刑事が言うより先に、職員は言葉を続けた。


「街中で発砲事件です!」


 ザワ、と室内の人々の間に緊張が走る。


「場所は!」

「サザルテラ三番通りのカフェテラスです! 銃声は三発、負傷者はなし、犯人の姿が目撃されていないことから狙撃だと思われます! 狙われたのは、蓮糸楼のオーナーとのことです!」

「皓月はまだ現場!?」

「いえ、店に戻ったそうです!」

「オレも店に戻ります!」


 それだけ言い捨てて、ガベイラは取り調べ室を飛び出した。

 皓月の性分を考えれば、例え負傷していたとしてもおとなしく警察に申告するとは思えなかった。

 今ごろ、オーナー室で一人死にかけている可能性だってある。

 チ、と舌打ちをして、ガベイラは蓮糸楼へと向かって駆け出した。

 まだ、何もわかっていないのだ。

 今、死なれる訳にはいかない。

 ここで皓月が死ねば、その後釜を狙った戦争が起きかねない。

 それだけは避けたかった。



■□■



「皓月、無事!?」


 半ばドアを蹴破るようにして乱入した蓮糸楼のオーナー室、ソファに座っていた皓月が胡乱な生き物をみるような顔でちらりと視線を持ち上げてガベイラを見た。

 一見五体満足のように見えるが、この男には怪我を隠したがるという悪癖がある。

 ずかずかとオーナー室に踏みこんだガベイラに、皓月は心底呆れたように息を吐いた。


「あのね、ガーベラくん。押し入るにしても、ノックぐらいしなさいよ」

「あんたが狙撃されたって聞いて飛んできたんだ」

「おや、耳が早いね」


 皓月がくつりと喉を鳴らして面白そうに笑う。

 紫闇の想像がガベイラのいつもとは異なる格好をたどるように一度髪の先からつま先まで下りて、また視線の高さに戻ってくる。


「せっかくの休日に、悪かったね」

「いいよ。それより、本当に怪我はないの?」

「ないよ」

「本当に?」

「本当に」


 皓月の顔色は、いつも通りだ。

 一部の隙もなく上質のスーツに身を包み、あの夜以降着けはじめた黒革の手套にもおかしなところは見当たらない。

 漂うのはほのかな香水の香りだけで、血や硝煙の香りはどこにもない。

 どうやら皓月の言葉に嘘はないらしいと判断して、ガベイラはふう、とようやく一息ついた。


「……無事で良かった。一回部屋に戻って着替えてくる。この格好じゃ傍に控えさせてもらえないだろうし」


 そう行って踵を返したガベイラの背に、皓月が声をかける。


「ガーベラくん」


 静かな、声だった。


「君に話があるんだ。扉を閉めて、ちょっとこちらに座ってくれるかい」


 ぞわりと、厭な予感がした。

 何気ない様子を装って、聞く。


「鍵は?」

「かけなくて構わないよ」


 逃げ道を断つつもりはないらしい。

 言われた通り、鍵はかけずに扉だけ閉めて、ガベイラは皓月へと向き直る。

 相変わらず、表情は読みにくい。

 どうぞ、と勧められた通りに、対面の位置に腰を下ろす。

 オフのつもりだった為、武装は最低限だ。

 左右の足首のアンクルホルダーに小型の銃が一丁とナイフが一本。

 ただし、それは皓月にはバレている。

 何せ初対面の身体検査でばっちり確認されている。


「なんか、やな感じだね」

「良い勘だ」


 皓月は、ゆたりと笑って口を開いた。


「君を、解雇する」


 声音はやはり静かなままだった。

 裏切りに対する怒りや、嘆きの色はない。

 ただただ決定事項を告げるだけの淡々とした響きだけを秘めている。

 だからこそ、何を言ってもその決断は翻らないのだろうということだけがガベイラにもわかった。


「……随分と急だね。オレじゃあ愛人としてあんたを満足させられなかった?」

「そうだね」


 ガベイラの軽口に、皓月は笑う。

 どうして、とはなかなか問えなかった。

 皓月が解雇を切り出すのならば、すでにそれだけの証拠を掴まれている。

 下手に藪を突くと、恐ろしい蛇を出しかねない。

 黙ったままのガベイラに、皓月はことりと懐から取り出したものをテーブルの上に乗せた。

 鈍い金色の、薬莢が一つ。

 小さなビニール袋の中に収まっている。

 思わず、息を呑みかける。


「君なら、わかるだろう」

「…………」

「スナイパーライフルの薬莢だ。軍で使われているのと型式が一致する。狙撃現場だと思われるビルの屋上から、一つだけ見つかった」


 相変わらず、手際が良い。

 警察より先に証拠を見つけた上に、それを密やかに確保している。


「…………オレが、やったと?」

「君は、やらない」


 返事に迷いはなかった

 皓月はガベイラをまっすぐに見据えて、言い切る。


「君じゃあ、ない。けれど、君が今日蓮糸楼にいないことを知ってた人物だ。もしくは、そう命じた人物だ」


 ……は、とガベイラは息を逃す。


「…………知ってたのか」

「最初からね」


 皓月はしれりと言う。

 むっつりと眉間に皺を寄せて言葉少ないガベイラとは対照的に、その双眸は面白がるように笑みの形に撓められている。


「君がサザルテラ署の捜査本部に協力することになった軍から寄越された潜入捜査官だっていうことも。他にもいろいろね。例えば、君たちが今現在取り調べ室に呼び出している善良かつ模範的な市民のことだとかね。あの人、本当に良い人だから君たちも仕事なのはわかっているけど、あまり強く当たらないでやってほしいな。彼は、犯罪沙汰には一切関わりのない人物だ」

「それじゃあ、なんでその良い人があんたと繋がってるんだ。あんたは、何を企んでる。チヴォリ・ファミリーの名前を背負ってサザルテラにやってきて、ドラッグディーラーに片っ端から繋ぎを取って、街中のドラッグをかき集めて」


 追求する声音に、皓月は心外そうな顔をした。

 それから、少しだけ眉尻を下げる。

 出来の悪い生徒を見るような顔だ。


「……あのね、君、僕が何のために彼にコンタクトを取ったと思ってるんだ」

「そりゃ、廃棄予定のドラッグを横流しさせるため、じゃ…………ない、のか」


 ガベイラの声がトーンダウンする。

 違う。

 そうじゃない。


『私、たちは……サザルテラを、この街を……護りたいだけなんだ……っ』


 取り調べ室で聞いた男の言葉が脳裏をよぎる。

 同じ点と点を繋いで、まったく違うストーリーが脳裏に浮かび上がる。

 呆然と、する。

 そんなガベイラの様子に、皓月は困ったように苦い笑いを浮かべている。

 正解にたどり着けるようにたっぷりとヒントを与えたつもりで、それでいて思いっきりの不正解にたどりつかれてしまった、とでも言いたげな気まずさを湛えた双眸が時間稼ぎをするような瞬きを挟む。


「…………は?」


 辿り着いた真実であろう内容に、心の底からの疑問符がガベイラの唇からこぼれ落ちた。


「僕はどれだけの悪党だと思われているのだか。まあその方が都合が良いではあるんだけどね」


 皓月は、サザルテラでの力を喪いつつあったチヴォリファミリーから派遣されてやってきた。

 蓮糸楼というカジノを経営する傍ら、精力的にサザルテラでのさばり始めていたドラッグディーラーたちにコンタクトを取り、ドラッグの取引を始めた。

 だが、流通させてはいない。

 ただ、買い集めていた。

 そして。


「あんた、まさか、大金はたいてドラッグ買い集めて――それ全部捨てるつもりだってのか!」


 皓月がにんまりと、それはそれは楽しそうに笑った。

 口角がくぅと釣りあがる、悪辣な笑みだ。


「正気か、あんた」

「失礼な」

「そんなことしたら、あんた、サザルテラでは商売ができなくなるぞ」

「どうして」

「どうしてってそりゃ、仲間を裏切ったことになるだろ」

「ならないよ」


 皓月はひょいと肩を竦める。

 厭そうに微かに眉根を寄せて、紫闇の双眸がちらりとガベイラを見る。

 面白がるような双眸の奥で、爛と虎狼めいた不穏な光が瞬く。


「サザルテラは、今も昔もチヴォリ・ファミリーの縄張りだ。いいかい。ドン・チヴォリは、ドラッグビジネスを許してはいない(・・・・・・・)。つまり、裏切ったのは連中で――……僕がしているのは、ファミリーの名のもとの制裁(・・)だ」


 ――なるほど。

 ドン・チヴォリの秘蔵っ子。

 ドン・チヴォリの名代。

 皓月とは、そういう男だった。

 そういう、男だったのだ。

 ぞわぞわと、ガベイラの背筋を怖気が走る。

 目の前にいるのは、恐ろしい獣だ。

 ガベイラが思っていたよりも狡猾で、危険で、そして同時に人への愛を確かに抱いた優しくも恐ろしい獣だ。


「……オレのことが、信用できなくなった?」

「いや? 君のことは信用しているよ。君は、良い捜査官だ。ああ、軍の人ならば良き兵士、と言ったほうが良いのかな」

「それは、どっちでもいいけど」

「僕を殺そうとした相手はね、僕を殺して、その後に起きる混乱に乗じて僕の集めたドラッグを総取りするつもりだ。そして、そいつは、君たちの中にいる」

「……だろうね」


 ガベイラの頭をよぎるのは、上司の存在だ。

 わざわざ、端末をサザルテラ警察との連絡用のものとは分けた相手だ。

 今日、ガベイラがサザルテラ署に顔を出し、皓月の元を離れることを知っていた相手だ。

 ガベイラが署を離れた後を狙って、事を起こせた相手だ。

 もしかしなくとも、皓月の狙撃に使った銃はガベイラの所有として軍に登録されているものだろうか。

 軍の武器庫で管理されているはずだが、上司であれば持ち出すのは不可能ではないだろう。

 おそらく、上司はわざと一つだけ、回収し損ねた態で薬莢を残した。

 警察より先に皓月が回収するのは織り込み済みだろう。

 そして、皓月がガベイラを疑い、始末することを期待している。

 潜入捜査官であるガベイラが軍を裏切り、皓月を殺してドラッグを奪って逃走、その後消息不明、というのがその筋書きだろうか。

 もしも皓月より先に警察がその薬莢を回収していたのならば、ガベイラが疑われている間に皓月を殺してドラッグを持ち逃げするつもりなのだろう。


「アルトゥーロ・ガベイラ」


 皓月が、名を呼ぶ。

 その双眸がまっすぐにガベイラを見据えている。

 初めて、敵わないと思った。


「僕はね、君と取引がしたい」

「どんな」


 紫闇の双眸が細くなる。

 低く柔らかく、耳障りの良い声が歌うように告げる。


「今日、僕を狙撃した相手は仕事をやり損ねている。……いや、やり損ねた、というかまあ、君に罪を着せる為のデモンストレーションで殺す気はなかったのかもしれないけどね。まあ、とにかく、今度こそ僕を殺そうとするだろう。僕はね、その機会を与えるつもりだ」


 仕事でミスをした部下に、もう一度チャンスを与えようと思うと語るような声音だった。


「もちろん、素直に殺されてやるつもりはないんだけど……、僕がうッかり死んだら、僕が不本意にも遺したものをめぐって血で血を洗う大戦争が勃発しかねない。だからね、君にはその後始末を頼みたいんだ。僕がやり損ねたら――…君が、引き継いでくれ。厄介ごとを頼んで悪いとは思うけれど、まあ、もともとそれが君の仕事だろ」


 冗談めかして肩を竦めて。

 もちろん君にも旨味はあるとも、と皓月は言葉を続ける。

 まるで、ガベイラの窮地を救ったことなど、最初から取引には含まれてないのだというように。

 一度ソファから立ち上がった皓月がデスクに向かい、鍵付きのキャビネットから分厚いファイルを取り出して戻ってくる。

 それを、皓月は無造作にガベイラへと差し出した。


「これは、僕がこの数か月の間にコンタクトをとったこの街のドラッグディーラーたちとの記録だ。彼らを逮捕するのに充分な証拠になるはずだよ。これを、バーンズ刑事に渡すといい。ああ、そうそう。バーンズ刑事は信じて大丈夫だ。何度か懐柔を試みたんだけども、ちっとも靡いてくれなかったからね。今度があれば、彼に好きなものでも聞いておいてくれ。何か贈るから。賄賂じゃないよ。迷惑料みたいなものだ」

「なんで」


 そこまでするんだ、と続けるつもりだった。

 だが、皓月は違うように受け取ったようだった。

 何故、ガベイラなのか。

 何故、ガベイラに託すのか。

 そういう意味だと思ったようだった。


「君が信用に足る立派な男だからだよ」


 何か眩しいものでも見るように双眸を細めて、皓月は言った。

 それと、君は僕のパスコード知ってるしね、と付け加えて笑う。

 あの時目をそらさなかったのが運の尽きだったね、なんて言う顔は、どこからどう見ても優しいひとのものだった。



■□■



 皓月から受け取ったファイルを抱えて歩く、ガベイラの足取りは速い。

 ごうごうと、血が燃えるようだった。

 心の芯が燃えるようだった。

 なんて男だ。

 全部、全部、掌で転がして。

 悪党の癖に、命を懸けて街を守ろうとしている。

 狡猾で、誰も信用せず、孤高を貫く獣のようでありながら、確かにひとの心を持っている。

 ガベイラが狩人であることなど、最初から知っていた。

 己を狩る為にやってきたものだと知った上で受け入れて、守ってすら見せた。

 そして、後始末を任せることを迷惑かけて悪かったね、なんて言うのだ。

 何もかもを、たったひとりで成し遂げようとしてしまう馬鹿な男だ。

 協力者など、求めてもいない。

 求める気もない。

 最初から、諦めている。

 たった一人なのだと決めてしまっている。

 なんて、なんて、愚かな男だ。


「…………」


 覚悟は、決まった。

 やることなんて、決まっている。

 やるべきことは、とうにわかっている。

 速足から、駆け足へ。

 ガベイラは走る。

 サザルテラの街を駆け抜ける。

日付は変わったけれど二日連続投稿ということにしてくれないだろうか。

ダメですか。

PT、感想、ブクマ、ありがとうございます!

ガーベラくん編、もうちょっと続きます。

次はたぶんちょっと短め。

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