愛人ムーブ
「今夜、挨拶でフロアに出る用事があってね。君、僕の愛人になる気は?」
「は?」
思わず素で声が出たガベイラだった。
その声音の飾らぬトーンに、皓月が面白がるように笑う。
少しだけ、申し訳なさそうに、且つわざとらしく垂らした眉尻に胡散臭さが漂う。
「君、そんな何言ってんだお前みたいな顔しなくても。冗談だよ。あからさまに護衛ですって顔で傍に控えられても困るからね」
「いやそっちじゃなくて夜にフロアに立つつもりってことに対して何言ってんだコイツ、て顔してるんだけど」
「そっちなの」
「そっちだよ」
皓月は、スン、とした顔をした。
揶揄おうと思っていたのが不発に終わったことに対して、露骨に面白くない、という顔である。
「流石に今宵はディーラーとして立つ気はないよ。片手がロクに動かないようでは勝負どころじゃないからね。ただ……、元々フロアで挨拶に出る予定があったんだ。そのために今夜来る客もいる。急にキャンセルしたんじゃ何かあったと勘ぐられるだろう?」
「…………」
実際に何かあったんだろうに、という言葉を呑み込んで、ガベイラは内心苦虫を噛み潰した。
見栄と言えばいいのか、意地と言えばいいのか。
この男はどこまでも弱っているところを人に見せたくないのだ。
弱っていると思われることすら、厭う。
まさに野生動物だ。
しかも、強かに生きているようでいてその在り方はどちらかというと狩られる側の草食動物に近い。
なるほど、と思った。
酷く得心がいく。
皓月という男は、見目が良い。
美しい男だと言ったところで誰からも反論は出てこないだろう。
美しさというのは長所だ。
美しさ故に得られるものは決して少なくはない。
だが、その一方でその美しさはコントロールできない災いすら引き寄せる。
美しいものを所有したいという慾は世の強者たちに共通してありがちだ。
だから美しいものたちは、大概上手く庇護者を得て、大事に守られる。
それはある種の檻だ。
皓月にとっての檻はチヴォリ・ファミリーだ。
ガベイラは皓月がどのようにしてドン・チヴォリの秘蔵っ子とまで呼ばれるようになったのかを知らない。
知らないが、皓月はきっと庇護と引き換えにその立場を受け入れたのだ。
普通の子どもとして生きていく人生を差し出し、ドン・チヴォリの元で育った。
うつくしく生まれついた、生まれついてしまった子どもの生存戦略だ。
今でこそ伸びやかに美しい獣めいた男だが、その根にはきっと弱者であった頃の生き方が染みついている。
生まれついての強者であれば、獲物をいたぶり、喰らう側の獣であったならば怪我をすれば弱った身体を隠し、巣穴に籠もって過ごす。
隠れ、引き籠もることで敵との遭遇率を下げて生き延びることを考える。
だというのに、この男は弱っている姿を一度でも見せれば命取りになるとばかりに、怪我をしているのにも関わらず何でもないような顔でいつも通りに予定をこなすつもりでいる。
虚勢を鎧に、強敵ひしめく中を堂々と渡り合うつもりなのだ。
弱っていることを知れば、手を差し伸べる者もいるかもしれないのに。
差し伸べられる手がそのまま己の檻となり、己にとっての支配者にとって変わりうることに自覚的であるからこそ、その隙を、機会を、他人に与えることなく、たった一人で生き抜くことを皓月はとっくに決めてしまっている。
己の弱さを自覚し、偽ることで強者たるその在り方はガベイラの目には鮮烈に映った。
本質的には弱者でありながら強者たるには相当賢くなければならない。
この男はたった一人で、周囲を利用し、擬態し、ここまでのしあがってきたのだ。
それは生半可な努力ではなかっただろう。
だからこそ、少しばかり憐れみを覚える。
強く美しい獣がどれほど賢く立ち回ろうと、人間社会に害を与えればやがては害獣として狩られるのが人の世の定めだ。
皓月も、その定めからは逃れられない。
今はまだ上手くやっていたとしても、いつか必ず限界がくる。
ボロを出し、捕らわれ、檻に入れられるときがくるのだ。
もしくは、その命を手折られる時が。
そして、ガベイラこそがその引き金を引く狩人だ。
そんな不穏なことを考えていることなどちらりとも顔に出さず、ガベイラはにこりと人好きのする懐こい笑みを浮かべて見せる。
「了解。それじゃあ愛人です、て顔で傍に控えてるよ」
「そうしてくれ。君、スーツは?」
「今着てる」
今度は皓月が「は???」という顔をする番だった。
素で何言ってんだコイツ、という顔をされてしまった。
「……そこまで酷い格好はしてなくない?」
「まあ、いや……、わりとギリというか……一従業員としてなら合格点ではあるのだけれども……。僕の連れとして隣には立たせたくないかな……」
「酷い」
酷評だった。
ガベイラはへにゃりと眉尻を下げて見せる。
確かに、皓月が着ているものほど上等のスーツではないかもしれないが、そこまで厭な顔をされるほど見苦しいわけではないはずだ。
「…………そうだね」
皓月は何か考えるようにやわりと目を伏せて、それから再び視線を擡げてガベイラを見た。
面白いことを思いついた、という顔だった。
紫闇の双眸が、鮮やかに光を含んで瞬いている。
きっと何かガベイラを玩具にするようなことを思いついたのだろうな、とは思ったものの、今にも死にそうな顔色で静かに横たわれているよりは大分マシでもあった。
「ガーベラくん、車を出してくれる?」
「了解。すぐに準備した方が?」
「僕も着替えたら上がるので……、そうだな。15分後に店の表で」
「着替えるの、手伝おうか?」
「必要ないよ」
だらりと左腕は落ちたままだというのに、皓月はまるで犬にでもやるようにシッシと右手をひらめかせてガベイラを追い払いにかかる。
使えるものは何だって使えばいいのに、それができない男なのだ。
たった一人で凜と立ち、己の行く先を見据えている。
その立ち位置さえ異なっていたのなら、友人ぐらいにはなってみたかった。
そんなやがて枯れいく花を惜しむかのような気持ちを心の片隅に感じつつ、ガベイラは皓月の部屋を出て車の手配に向かうのだった。
■□■
皓月の目的地は、ガベイラと皓月が初対面を果たしたテーラーだった。
店先に立つ皓月は隙なくきちりといつもの細身のスーツを着こなしている。
右手一本でそれだけ着付けたのかと思うと、その意地の張り具合にも舌を巻いてしまうというものだ。
右手首の袖口の釦など、一体どうやって留めたのやら。
からりとドアベルを鳴らして、ガベイラを従えた皓月が店の入り口を潜る。
最初にガベイラが訪れたときには皓月が座っていた机には、今は美しい女性が一人座っていた。
皓月の来訪に驚いたように腰を浮かせかけた彼女に、特別な対応は必要ないと告げるように皓月は右の手をひらりと振って見せる。
「急に訪ねて悪いね。スーツを一着用立てたくてね。奥の試着室を借りられるかい?」
「ええ、もちろんですとも」
「ありがとう。ほら、ガーベラくん、こっちだよ」
「うん」
案内されるままに、奥の試着室とやらにガベイラは足を踏み入れた。
一般的に試着室という言葉から想像するよりも幾分か広いように感じられる。
どちらかというとこぢんまりとした部屋、といった感じだ。
皓月はガベイラに続いて部屋に入ると、ずい、とガベイラへと一歩距離を削った。
反射的に一歩下がりかけたところで「動かないで」と言われて動きを止める。
紫闇の眼差しがじっくりとガベイラの身体をなぞっていく。
「ジャケット脱いで」
「…………」
「さっさとする」
上司命令である。
ジャケットを脱いで、皓月へと渡す。
「……オレ、まだここに連れ込まれた理由がわかってないんだけど」
「君のスーツを用立てるんだよ。仕立てるにしても間に合わないし、そもそも僕もこんな腕だしね。仕方がないから既製品に多少手を加える程度で整えようと思ってるよ」
「あんた、そんなこともできるの」
手さえ無事で時間があったならゼロから仕立ててたとでも言いたげな口調に、思わず問う。
「ドン・チヴォリは昔気質でね。彼自身は、それは見事な靴を作るよ」
「へえ」
マフィアの成り立ちは、元はといえば職人たちの互助組織だったのだという説がある。
ドン・チヴォリの秘蔵っ子と噂されるだけあって、その流儀をしっかり受け継いでいる、ということらしい。
皓月はガベイラのジャケットや着ているシャツのサイズを確認すると一度試着室から出て行き、しばらくしてから数枚のシャツを抱えて戻ってきた。
「おそらく君の体格にあうサイズだとこの辺だと思うんだけど、着てみてくれる? ああ、武器の類いはホルスターごとそのあたりにかけておいてくれたら良い」
「……護衛としては武器を手放したくないんだけどな」
渋々とホルスターを外し、それでもすぐに手が届く位置にかける。
それからこれまで着ていたシャツを脱ぎ、渡された新品のシャツに袖を通す。
ガベイラにはわからないが、おそらくはそれなりにお高いシャツなのだろう。
肌触りが段違いに良い。
「これ、いいね」
「肩のラインがあってない。脱いで」
「…………」
留めたばかりの釦を外して、脱ぐ。
次に渡されたシャツに袖を通す。
「いいんじゃない?」
「袖丈が足りてない。脱いで」
また却下されて、脱ぐ。
渡されたシャツに袖を通す。
「どう?」
「却下。首回りが窮屈すぎて皺が寄ってる」
また脱ぐ。
それを延々と繰り返す。
皓月は却下したシャツの山を抱えては試着室を出ていき、次のシャツの山を抱えて戻ってくる。
「……着せ替え人形にでもなった気分だ」
「着せ替え人形は文句は言わないよ」
「はい」
ぴしゃりと黙らされて、ガベイラはおとなしく着せ替え人形役に徹する。
シャツだけで小一時間かけて、ようやく皓月が妥協しても良いレベルの一着に落ち着いた。
それでも、妥協、である。
ジャケットはより時間がかかった。
カラーがどうの、ラペルがどうのと言われてもガベイラにはよくわからない。
スーツなど、吊るしで売っているものの中からなんとなく好きだな、と思ったものを買って着るぐらいなのだ。
完全に降参した気持ちで緩く両手を掲げ、任せる、と言った際の皓月はといえば、好物を目の前に差し出された猛獣のような顔をしていた。
にんまりと、それはそれは楽しそうだ。
「…………楽しそうだね」
「すごく楽しいとも。任せてくれるというのなら……、そうだね。君にはスリーピースの方が似合いそうだな。ジレもついているタイプのジャケットを見繕うとしよう。髪の色が明るいから……、ダークカラーが良いかな。タイは目の色にあわせて選ぶと映えそうだ」
ようやくすべてが決まった頃には数時間が経過していた。
ジャケットやスラックスの裾だけ軽く調整して、ようやくおしまいだ。
基本ただ言われるがままに服を着ていただけだというのに、普通に仕事をしていたよりもめっきり疲れたような気がするガベイラだ。
「これ、代金は? オレが支払えるとは思えないんだけど」
「取らないよ。支給品だと思ってくれ」
「それじゃあありがたく」
ジレの上からホルスターを装着し、ジャケットを羽織る。
なるほど。
上質のスーツというのは確かに良いものだと改めて実感する。
シルエットが明かに違う。
この格好であれば、蓮糸楼のオーナーの愛人という肩書も勤まりそうだ。
先ほどまでガベイラが着ていたスーツ一式をしまった紙袋を渡されて、それじゃあ、と促されたところでふとガベイラは口を開いた。
「ここ、手套もおいてる?」
「一応は。どういったものが?」
「薄手の……、そうだな、羊革のはある?」
「確か……、出してもらえる?」
皓月に視線を投げかけられた女性店員が、すぐさまにそれらを用意してテーブルの上に広げた。
ガベイラはその中から適当な一つを見繕って、手に取る。
「君にはサイズがあってないと思うけど」
「オレにじゃなくてあんたに」
「僕に?」
不思議そうに緩く首を傾げた皓月の耳元へと顔を寄せる。
他には聞こえないほどに抑えた声音で、そっと囁いてやった。
「あんた、たぶん熱あるよ」
「――…」
幾度となく服を着せつけられている間に、気づいたのだ。
布地越しに感じる男の手が妙に熱っぽいことに。
鎮痛剤で痛み自体は抑えられても、怪我をしている事実は変わらない。
おそらくは傷が熱を持っている。
挨拶回りともなれば、握手を交わす必要もあるだろう。
だからこそ、体温を誤魔化すための手套だ。
はちり、と長い睫が時間を稼ぐような緩やかさで瞬く。
それからすぐにガベイラの意図を察したのか、皓月はにこやかに口元に笑みを浮かべた。
「ありがとう、スーツのお返しに見立ててくれるなんて君は優しい男だね。それじゃあ先ほどのスーツ一式にこちらの手套もつけてもらえるかい?」
「承知致しました」
恭しく女性店員が頷いて、ガベイラの選んだ手套を皓月へと渡す。
皓月は器用にも柔らかに目元を綻ばせて、嬉しげにその手套で指先を覆って、「どう?」とガベイラへと見せた。
ガベイラも、にこりと笑って「似合ってるよ」なんて言いながらその手を恭しく取る。
きっと傍目には、甘え上手の愛人がうまいことやって皓月に取り入ったようにも見えるのだろう。
「それじゃあ行こうか」
「うん」
ドアを開けて、ガベイラは皓月をエスコートする。
急拵えにしては、なかなか堂に入った愛人ムーブである。
店から一歩踏み出すと同時にさりげなくお互いに手を離しながら、面白がるような視線を交わし合ってにこりと笑った。
■□■
昼夜関係なく人で賑わう蓮糸楼だが、やはり本番は夜である。
着飾った紳士淑女で賑わうホールの中を、挨拶回りの皓月に付き従って歩きながらガベイラはさりげなく周囲をチェックする。
スラックスのポケットの中には、極々小さなカメラを仕込んである。
本日の目的としては、皓月が挨拶する人々の写真を撮って相手を特定することである。
交友関係を把握することで、少しでも皓月の目論見を明らかにしようという作戦だ。
一夜限りの潜入であれば眼鏡型のカメラを使うのだが、さすがに突然の眼鏡は不自然極まりない為、今回は手持ちの小型カメラを使う。
眼鏡型のカメラであれば視線と同位置で撮影ができるので楽だが、レンズが手の位置ともなれば上手く撮るにはなかなかコツがいる。
手の中でさりげなく角度を調整しながら、ガベイラは皓月と言葉を交わす相手を次々と映像に納めていく。
その一方できっちり護衛としての仕事も果たしている。
皓月が強引に酒を勧められるようなことがあれば、背後からヌッと顔を出し、にこやかに懐こく笑いかけながら「美味しそうだな、貰ってもいい?」なんて甘えて見せるのだ。
皓月は皓月で、「全く、躾けがなってなくて申し訳ない。甘やかしすぎたかな」なんて甘ったるく笑って、背後のガベイラへと酒にグラスを渡して見せるのである。
ごちそうさま、とにっこり笑いかける自販機よりでかい男を相手に、それ以上絡む気にはなれないのか大体の相手はその辺りで悄々と引き上げる。
皓月に勧められる舌を焼くような強い酒をカパカパと空けながらも、ガベイラは平然と付き添ってホールを回る。
そんな最中、ふと皓月が右の手を軽く持ち上げた。
待て、を命じるハンドサインだ。
なんだなんだと立ち止まれば、皓月は顔だけでちらりとガベイラを振り返った。
「少し話したい相手がいるから、君は近くで水でも飲んで休んでてくれる? 結構飲まされただろう」
「これぐらい平気だよ。でもまあ、待てというなら待ちますとも。見える範囲にはいるよ」
「それで構わない」
ガベイラは皓月の姿が目に入る位置を陣取って様子をうかがう。
皓月が声をかけたのは、どことなく場違いな雰囲気が漂う中肉中背の男だった。
こういった場に慣れていないのか、周囲から浮かない程度の格好こそしているものの、どこかおどおどとした雰囲気が漂っている。
年齢は、30代後半から40代前半、といったところだろうか。
こんなところにいるよりも、どこかの市役所で窓口に立つ方が自然なタイプだ。
穏やかに声をかける皓月相手に、男は何か困ったように言葉を返す。
内容までは聞こえない。
口の動きを読む。
「しんぱいで」
「しんようしていいのか」
男はおどおどとそんな事を言っている。
皓月の取引の相手だろうか。
そんな男の背に軽く手を添えるようにして、皓月は宥めにかかっている。
こちらに背を向けている皓月の唇は読めない。
男のボディランゲージがもう少し攻撃的なものであれば、護衛にかこつけてもう少し近くにも行けるのだが、男の放つ空気はいかにも小市民といった風情で、どう見ても皓月にいじめられる哀れな中年といった様子だ。
これでは介入するわけにもいかない。
やがて男は渋々とではあるものの、一応の納得を見せて項垂れたようにこちらに背を向けた。
皓月はそのままその男をホールの外まで送っていくつもりらしい。
一定の距離を保ちつつも、視界には入る距離でガベイラもそれとなくついていく。
地上に上がるエレベーターに乗り込む男を見送って、皓月が戻ってくる。
「今の男、誰?」
皓月は、どことなく呆れを含んだ眼差しを艶やかに撓めて笑った。
「そこまで愛人ムーブしなくとも」
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そろそろ佳境かな!