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ショーコちゃんの場合1

 玄関を開ける。昼間降り注いだ太陽の熱を蓄えたリビングにカバンを放り投げる。テーブルには汁が半分残ったままのカップラーメン味噌味が置いてある。その隣に醤油味を並べて蓋を剥がす。


 テレビをつける。音は消す。一人きりのアパートは静かでくつろげる。ショーコは冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを口に含むと、ジャージの上下を脱いで裸になった。


 クーラーの風が湿った全身を駆ける。


「ああ」と思わず声が漏れた。カレンダーは先々月から捲られていない。まるで母の出ていった備忘録であるかのように時が止まっている。


 別居していた父から久しぶりに届いたメールには、母の不倫と今後の生活について淡々と書かれていた。どちらが親権を持つか、慰謝料と今いるアパートの立ち退きに関するスケジュールまで仔細に説明されていた。


 ようやく母の不在の理由が分かったショーコはそれからバイト代を切り崩さなくて済むものだとばかり思っていたのに、現実は違った。


 スマホが鳴る。

 バレー部のグループラインが通知するのは、今月の大会や遠征についてだった。


「あー。面倒くさあ」


 他にもミチヨ先生、タサキ先生たちから連絡がくる。ショーコは全部無視してやる。どうせ学校に行く必要なんてない。行ったところで誰も現状を解決してくれないから。


 また通知。うるさいなあ。ピロリ、ピロリって、何なんだよ。


 ピロリ。


 ピロリ。


 ピロリ。ピロリ。


 何だよ。


 ピロリ。


 何だよ。何なんだよ。


 ピロリロリン。


 うるせー!うるせー!うるせーんだよ!!!!!


 壁に空いた穴がまたひとつ増えた。

 リビングの扉にも、トイレの壁紙も、母の寝室のタンスなど、至るところにショーコは拳やら蹴りやらを見舞っていた。


「うまくいかないことばっかり」


 因果応報?

 エリの彼氏にちょっかい出したから悪いのかな。だから母は他に男をつくってしまった。育児を投げ出して、テーブルに山積みのカップ麺みたいにショーコを置き去りにした。


 どうでもいいけど金がない。財布には二百円。プリクラも撮れない。バイト、しないと。スマホが止められる前にね。


 翌朝。襟ぐりの開いたトップスを着て支度を済ませるとショーコは電車で隣の県に向かった。

 予め顔写真と名前を登録相手に伝えてある。いつものことだから、慣れてしまった。


 駅で待っていると、バスのロータリーに黒いセダンがやって来た。「わ」ナンバーの車。


「レーナちゃん?」とウインドーを下げて男が顔を出した。無言でショーコが頷くと、降りてきて扉を開けてくれた。


 可愛いね。お世辞は決まり文句のようにどの男も口にする。髪を耳にかけて微笑むショーコは窓からの眺めに気を逸らす。


 タバコのしみついたシートには長い髪の毛が落ちていた。男の髪も長かったけれど、ウェーブはかかっていないし、茶髪だから別人のものだろう。


「レーナちゃんさあ、大人っぽく見えるね。本当に十七歳?」バックミラー越しにショーコを見つめ声をかけてくる。ショーコは曖昧に笑ってやり過ごす。十七歳でも犯罪なのだから、中学生なんてもっとヤバい。


 ビルの建ち並ぶ街を離れて、田園と古ぼけた家並みへと代わっていくにつれて男の口数が減った。

 船の形をしたもの、お城を模したもの、意匠をこらしたホテルがひしめく。

 街にもホテルはある。きっと男が地元だから、少し離れたところがいいのだ。それくらいショーコでも分かる。


 指には大きな宝石を散りばめた指輪、耳にはピアス。最新機種のスマートホン。この男は羽振りがいいかな。それはショーコ次第でもある。


 セダンは迷うことなく曲がり道を進み、ホテルのアーチがどんどん近づいてくる。ショーコのスマホは鳴らない。電源を切っているから、誰にも干渉されないし、誰の声も届かない。

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