サイトウくんの場合 完
図書室での一件以来、何と休日に三人で会う約束をした。いろはは単純に嬉しい。友達と映画だなんて、なんて素敵なことだろう。
待ち合わせの公園で待っているとクマサワさんがやって来た。オーガンジーのワンピースが似合っていたし、サングラスも映えていた。カッコいい。
「お待たせ。サイトウは?」
キョロキョロと辺りを見回すクマサワさんは気づいていない。
「目の前にいるじゃない」
「はっ?」
サングラスを外して、顎も外したクマサワさんにサイトウくんが歩み寄る。
スウェット素材のスカートに、パーカーを合わせた美人に変貌をとげている。いろはより可愛い、悔しいなあ。
「おい、ふざけんなよ」
ビクッと肩を震わせるサイトウの左足でデュラハンが空洞の瞳を潤ませる。
「可愛いじゃねーか!バカ野郎」
いろはとサイトウくんは目を丸くする。そんな二人を置き去りにして、クマサワさんはポーチをまさぐっている。
「なにしてるの?映画に間に合わなくなるよ」といろはが手を引くと
「あのなあ、化粧させろっての」
その場で即興のメイクを施されたサイトウくんは、より美しくなった。どこから見ても女の子だ。
それから三人で映画を観賞した。人魚とお姫様のラブストーリーだ。人魚は女だからお姫様と結ばれない、と魔法使いに苦言を呈されていたけれど、フィナーレに熱い包容を交わしていた。
「サイトウは可愛いものが好きって教えてくれたじゃん。服も玩具も。恋愛対象はやっぱり男?」
流石はクマサワさん、直球だ。映画を保有するシネコンのフードコートは盛況だ。親子連れやカップルがわんさかいる。
「好きなのは女の子だよ。やっぱり俺、変だよなあ」
チーズハンバーガーを一口頬張って苦笑いするサイトウくんを通りすがりの男子が二度見する。「めっちゃタイプ」の声が聞こえる。そりゃそうだ、美人だもの。
「俺さあ、可愛いものが大好きなんだ。でも同じくらいボクシングも好きで、筋肉つけて強くなりたいんだ。最近はボクシング女子も増えてるらしいけど、女装趣味のボクサーは俺くらいだ。何でボクシングは男女に分け隔てなくひらかれてるのに、服は違うのかな」
沈黙が流れて三人はコーラを啜る。ストローのちゅうと音がする。
「でも二人に話せてよかった。俺、ずっと息苦しかったら」
甘いマスクを輝かせて、ハンバーガーの欠片を平らげると、サイトウくんはいろはの空いたコップを持つ。
「水、飲むだろ?」
小さくなっていくサイトウくんの背中に向かって
「あいつ、可愛いなあ」とクマサワさんが何度も言った。健気だなあ、とも言った。
それからスマホのアプリで加工動画を撮ったり、セレクトショップや雑貨をめぐって解散した。
サイトウくんのSNSにはウサギに扮した変顔動画がポップな曲とともに投稿されていた。スワイプするといろはとクマサワさんの笑顔も出てきた。本当に楽しかった。いろははその日ぐっすり眠れた。
次の日の教室はざわめいていた。黒板に「変態サイトウ」の文字が大きく書かれていた。胸や唇を誇張したカリカチュアが目に余る。
いろはよりも早くクマサワさんが消しにかかった。
「やーい。お前らレズかよ、しかもオカマの。オカマでレズとかキモいなー」
「ぶっ殺す!」
机や椅子を投げたり蹴り飛ばすクマサワさんは怪獣のようだ。窓ガラスが割れて悲鳴が飛び散る。
サイトウくんがいない。胸騒ぎがしたいろはは校内を駆け回る。
「どこ、サイトウくん。どこなの?」
一本桜の広場にも、体育館裏の倉庫にもいない。シュルシュルと金属の擦れる耳障りな音がとこからともなく沸いてくる。
「デュラハンね」
「そう、ショウネンバぞな」
クイア様が鼻をスンスンさせている。青い瞳の発光が強まり、桜の甘い香りがいろはの鼻腔を刺激する。
駐輪場から猛スピードでいろはは出ていく。ペダルよ、早く回れ。ありったけの力をこめて、いろはは自転車を漕ぐ。
鎖帷子の破片がそこここに散らばっている。サイトウくんの痕跡は冷たい銀色に輝いていた。
平日昼間の公園。雲が上空を塗り込める。息ができなくなるような圧迫感に苛まれて、いろははあほりちゃんをぎゅっとする。指の間隙から黒い影をよじらせる。
「サイトウくん!」
滑り台の向こうには鉄棒があった。小さいの、大きいの、そして中くらいの。金属の帯はさながら、拳に巻きつくバンデージ。重そうに揺れている。
巨大な芋虫が蠢いている。白銀の芋虫。金属の帯がシュルシュルと物悲しさを奏でる。芋虫の頭部は空洞になっていた。宵闇よりも深い黒。
「やっぱり変だだ」
か細い声。デュラハンに飲まれたサイトウくんが軋む。
「俺は変だ、だ」
吃りが反転している。人は一八〇度焦るとどうなるのだろう。鉄棒にまとわりつく帯が円環を成す。芋虫は円環目掛けて這いずり回る。
金属の輪に近づくにつれてサイトウくんの目や鼻が芋虫の頭部に現れる。生白い首が、狭まる輪に差し込まれようとしている。いろははクイア様を見る。クイア様はかぶりを振っている。そんな、嫌だよ。
「サイトウくん...」
呆然と立ち尽くすいろはが膝からくずおれる。シュルシュルとサイトウくんの首に硬くて冷たい帯が絡みつく。捻れる皮膚の色も冷たい。
「こんの、バカ野郎!」
いろはの背中を突き飛ばし、クマサワさんが鉄棒へとよじ登る。巨大な芋虫の鋼の体をむやみやたらに叩きまくる。
「一緒にいるとこ見られたからってなあ、オカマだのレズだのって罵られようがなあ、お前は変じゃないだろ!」
クマサワさんの両手は血まみれになる。痛そうだ。でもサイトウくんも痛いのだ。心に空いた穴は、誰より痛い。
サイトウくんの首の皮一枚隔てたところでクマサワさんはさけび続ける。
「いや、やっぱりお前は変だ!変だけど、あたしも変だ。いろはも変だ。お前を馬鹿にした野郎どもも変なところがある。だから一人じゃない。変なもの同士、ずっと一緒にいてやるよ!」
シュル。クマサワさんが鋼の芋虫を抱き締める。シュルシュル。銀色の帯は赤茶けて、ボロボロと穴が空いてくる。穴から透明な雫が止めどなく流れて、やがてサイトウくんの涙に変わる。
「お、俺は変だ」
「そうだ。そしてあたしも変だ」
堅牢な円環が崩れる。サイトウくんを包んでいたデュラハンが弾き出されて宙に浮いた。
「戴くぞなは」
すかさずクイア様がぱくりっ。虹色の光がほとばしり、たちまちにして消えていった。
それから少しずつではあるものの、クラスメートたちが歩み寄るようになった。初めは女の子たちから、肌キレイだねとか、細いねとか、制服もスカートに代えた姿に興味津々だった。
男の子たちも、外見こそ違えども、これまでと変わらないサイトウくんに馴れてきたらしく、休み時間に遊ぶときも躊躇うことはなくなった。
ただし、大きな問題が残った。
「なあ、いろは」
窓から校庭を眺めていると、頬杖ついたクマサワさんが呟く。
「なあに」
「うーん。最近胸の奥が温かいときがある。病気かな」
「え、どんなとき?いつも?」
「いや、例えば...」
外野に逸れたドッジボールを追いかけてきたサイトウくんがこちらに気づいて笑顔で手を振る。いろはも笑顔で応える。クマサワさんは仏頂面で無視している。
「例えばな、今みたいなとき」
頬を赤らめるクマサワさんが自分の気持ちに名前をつけるには、時間がかかりそうだ。
いい天気だ。いろはは清々しい空気を肺いっぱいに吸い込んだ。なにニヤついてんのさ、とクマサワさんが肘鉄を食らわせてくる。
いろはは走って逃げる。クマサワさんが追いかけてくる。
額に心地好い汗が滲む。改めて青空を見上げると、やっぱりいい天気だ。
明日もいい天気になるといい、予報は雨だがきっといいはずだ。分からないけど、そんな気がする。




