第5話 行き場を失った少女を助けるのは当然だろ
労働の後の一杯はうまいな。
一杯で終わらせておけばよかったのだが、ついついはしご酒になってしまった。
夜通し飲むなんてことは異世界ではできなかったしな。
賢者の魂が許すはずもない。
「やっと解放されたということだな」
通勤時間の新宿の街を流れに逆らって歩いている。
眠いのは確かだが、魔王を倒すまでの30年で徹夜など当たり前にしていた。
たったひとつの技を習得するために1週間寝ずに鍛錬したこともある。
「眠気など気合ひとつでどうにでもなる!」
賢者の魂の言葉は、今では俺の言葉になっている。
「ふぅ~」
深呼吸をして……そして、周りを観る。
仕事場に急ぐ人たち。早歩きで進んでいく。皆、やるべきことを持った人たち。
俺はそこから抜けたんだなとつくづく感じる。
「ん?」
違和感を覚えた。
魔王を倒すまで一瞬たりとも気を抜くことはできなかった。
いつも周りの気配は無意識で感じることができる。
無意識は「何かある」と感じることを拾ってくる。
他と違う動きだったり、兆候だったり。
それで何度、命拾いをしたことか。
俺は違和感に向けて意識を集中した。
1人の少女が歩いている……高校生くらいか。
おめかしをした少女、だけどあか抜けない。
東京に初めてやったきた田舎者、そんな感じか。
だけど、その少女が新宿のオフィスビルが立ち並ぶエリアにいる。
その上、お上りさんのドキマギした状態ではなく、えらく落ち込んだ雰囲気なのだ。
「下向いてそんな歩き方していると、あっ」
やっぱりだ。後ろから来た遅刻ギリギリな感じの若者にぶつかった。
「大丈夫かい?」
倒れる一瞬前で彼女の腕をつかんだ。
しかし、軽いな。倒れる瞬間を掴んだにしては力が掛からなすぎる。
彼女が顔を上げてこっちを見た。
おっ、なかなかの美少女だな。
「えっ、あっ」
何が起きたのか認識できなかったようだ。
こういうときは、言葉のつなげ方を工夫しないといけない。
「この新宿で下を見て歩いていては危ないぞ」
異世界でも似たようなシーンがあったな。
聖女の潜在能力がある少女。
彼女に声を掛けたときだ。
完全にロリコン扱いされてしまった。
それから魔王倒すまでの20年はロリコンの変態と呼ばれ続けることになった。
そのときの痛い経験があるから、若い女性に初対面でどう話すのか。
徹底的にイメージトレーニングすることになった。
「あ、ごめんなさい」
「いいんだよ。気づけば」
ここまで言って俺は言葉を切った。
ふたりの間に沈黙が訪れた。
新宿の足早に通り過ぎていくサラリーマンとOL達は立ち止まっている俺たちを自然に避けて歩いていく。
「本当にありがとうございました。もう、大丈夫です」
「大丈夫なようには見えないな。うん、そうだ。飯を食うぞ」
「えっ」
「朝食だよ。どうせ、食べていないんだろう」
「えっ、食べるって。そういえば昨日の夜も食べていなくて……」
「だろう。だから、ふらつくんだ。飯を食えば少しは元気がでるさ」
俺は田舎者の少女を引っ張って、牛丼屋に入った。
ちゃんとした判断ができていないような少女は俺の誘導に従っている。
「それで、どれを食べる?」
「えっと、ハムエッグで」
「俺はシャケだな」
朝食セットをふたつ頼んで、出てくるのを待つ。
その間、俺は話しかけることはしなかった。
「えっと。私、昨日の夜に東京に着いたんです」
勝手に状況を説明しはじめた。
落ち込んでいる相手に対しては、下手なことを言わず黙っているに限る。
それも異世界で身に着けたスキルのひとつだ。
人は沈黙があると、なんとかしないとと思うものだ。
余計なことを言わなければ、相手が話したいことを明確にしてくれる。
「それなのに、彼の部屋のドアを開けたら、ベットの上に別の女といたの!」
あー、恋愛関係だったか。
そのまま、新宿の街を夜通し歩いていたのか。
よくまぁ、おかしな奴らに絡まれなかったものだな。
「それで、今。貴方はどうしたいんだ?」
「どうしたいって。どうしたいって……どうしたらいいんでしょう?」
まだ、何も考えられないようだな。
うん、それなら、あれだな。
「よし。まずは飯を食え!」
「えっ、はい」
丁度、ふたりの前に牛丼屋の朝食セットがふたつ並べられた。
あまり気乗りしないような顔で目玉焼きをつついていたが、一口頬張ると表情が戻ってきた。
うまかったんだろうな。
この時間のこの店は、厨房バイトはひとりしかいなくて。それがまた、なかなかちゃんと作る。
ハムエッグはとろりと半熟だし、シャケはほどよい焼き目が付いている。
「おいしい」
「だろう。腹が空いていると安い朝食セットだってうまいものなんだ」
「本当ですね」
おっ、こっちを見て笑った。
可愛いじゃないか。
「しっかり食べろよ。足りなきゃお替りすればいい」
「はい」
彼女は何も考えずに食べている。
それも美味そうに。
たった350円の朝食セットにしたら、朝食冥利に尽きる食べ方だ。
「俺も喰うか」
だいたい俺だって昨日の夜も食いはぐれているから腹が減っているのは同じだ。
シャケ朝定食を一気食いしてやった。
「ふう。美味かった」
ちょっと足りない気もするが、まぁ腹8分目がいいだろう。
異世界の荒野と違って、新宿ならいつでも食えるしな。
「美味しかったです。ごちそうさまでした」
「ごちそうさま、だな」
食後のお茶を飲み干す。
うん、満足だな。
俺はまた沈黙する。
そうすれば、彼女がしゃべりだすだろう。
「あの。ここの代金、払わせてください」
「ん? 誘ったのは俺だ。おごりだぞ」
「そんな。会ったばかりの人に迷惑をかけるには」
「大丈夫だ。もう十分、迷惑は掛けられているからな」
「えっ。まぁ……ごめんなさい」
「冗談だ。どうせ、俺も仕事をクビになったばかりでやることがなかったんだからな」
なんて返したらいいのか、迷っているな。
迷わせるのが目的でもないから、質問でもしてやるか。
「俺のことは気にするな。それで貴方はその彼氏に対してどうしたいんだ?」
「ええっ。どうしたいって」
「謝らせたいとか、一発殴りたいとか」
俺は一発殴るを選んだんだが、彼女はどうしたいんだ?
「今まで放心してたから、分からなかったけど」
「うん、そうだろう。飯も食ったし、考えられるようになったか」
「はい。考えました!」
「それで、どうしたいんだ?」
「あいつにも、同じショックを味わわせたいんです」
「ん? どういうことかな」
彼女が話した計画はなかなか大胆なものだった。
元々、泊まるつもりでいたホテルの部屋に彼を呼び出す。
そのときに、ベッドの上で別の男と一緒に出迎えたい。
「たしかに、それだと同じショックを与えるな」
復讐の仕方は現代と異世界だと違っていた。
異世界の方が現代より復讐のやり方のモラルが確立していたな。
そのひとつに、同じ苦しみを与えるというのがあった。
目には目を。歯には歯を、だな。
だから、彼女の計画は俺からしてもちょうどいい感がある。
「それはいいかもな。それなら東京にいる男友達に連絡からだな」
「そんな友だち、いません」
「だって今、男と一緒にベッドの上で出迎えると言ったろ。協力者がいるだろう」
おい。なんだ、そのお願いって顔は。
私、困っているの。なんとかできるのは、あなたしかいないのって顔は。
勇者になって魔王討伐に向かう街々でそんな顔の民衆がたくさんいたな。
しかし、今はそんな状況ではないだろう。
復讐くらい、自分でなんとかしろよ。
「お願いです。手伝ってください」
「状況は分かった!」
「それじゃあ」
「だが、断る!」
当たり前じゃないか。
会ったばかりの女の修羅場に参加したいと思うはずがないじゃないか。
「もちろん、ただでなんて言わないわ」
「ほう。俺にはどんなメリットがあるんだ?」
「一発くらいしてもいいわよ」
おい、なんだその提案は。
相手をちゃんとみて、提案して欲しいものだな。
俺は勇者をしていたんだ。
当然、女に困る状況なんかじゃないんだ。
いくらでも声を掛けたら喜んでついてくる女はいるんだ。
おっと、どうしたことだ?
俺の下半身が反乱を起こしているじゃないか。
「あれっ、反応しているみたいですよ?」
目ざといな。
失敗した……俺の精神はそんな提案に反応などしない。
しかし、この身体は違っていた。
徹夜仕事の連続で、その上、恋人なんていたことがない。
月に数回のデリヘルだけ。
それも緊急デバッグでご無沙汰だった。
睡眠不足も重なって、性欲がおかしなことになっているぞ。
「分かった。手伝おう」
「わーい。嬉しいっ」
おい、抱き着くんじゃない。
身体が反応してしまうだろう。
「ただし、計画は俺が立てるのが条件だ。要は彼氏に俺と出会ったときの貴方と同じショックを与えればいいんだろう」
「うん。できるの?」
もちろんだ。
俺は魔王を倒した勇者だそ。
どんなに困難なことだって、ひとつひとつ難関を突破して、最終目標をクリアした男だ。
そんな痴情のもつれの復讐くらい朝飯前…ではなく、朝飯後だ。
「それなら、まずは美容室だな」
俺はスマホを活用して、最高の美容室を探し出した。